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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第五章 三月二十八日 後半
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裏事情

「なっ……!」


 驚愕のあまり口を開けたまま雫は固まった。それを見て俺は溜息を吐く。


 この事実を当時の俺は知る由もなかった。精神的余裕がなく捜査の動向に気を配ることができなかったからだ。

 突き止められたのは一重に凪砂さんのお蔭だ。彼女が捜査方針の歪さに不審を抱き、わざわざ親衛隊経由で情報収集してくれたのだ。


「残念ながら誰が圧力をかけたのかは突き止められなかった。確かなのはかなり上の人物ということだけ。『同盟』の最高幹部(トップ)に近いか、もしくは最高幹部そのものか」

「俺もまさか上層部が捜査に介入してくるとは予想していなかった。あれだけの事件だ。隅から隅まで洗い出すと思っていたからな」


 実際に共犯者と疑われた俺の周辺は徹底的に洗われた。それだけ本腰を入れて捜査していると見ていたのだが、その背後で思惑が蠢いているのは全く読めなかった。

 しかし、今ならさもありなんと思う。沙緒里さんは五月さんと浅賀の関係を知りながら敢えて見逃していたので、他にも裏絡みで隠蔽された真実があるかもしれない。


「全くもって度し難い話さ。父にも完璧な捜査を行うよう直談判したんだが、あまり良い顔をしなかった。藪を突いて蛇を出すより流れに従う方を選んだというわけだ。あの日は荒れに荒れた結果、アンコロと一緒に一晩で四つ異界を潰したな」


 可愛らしく頬を膨らませる元婚約者候補は、俺のために随分と頑張ってくれたらしい。


「それにしても……そうまでして追及されたくない理由とは何だろうか? 寧さんが重大な秘密を抱えているとは考えにくいが……」


 そう、そこが一番の謎だ。


 圧力をかけて捜査方針を歪めたということは秘密の内容を既に把握しているということだ。それも絶対に公表されたくないような類のもの。寧がそんな事柄に関係しているなど一緒に暮らしていた俺としては考えられない。

 だが、現に寧は嘘の証言をして、上層部は揉み消そうとした。それらがこの推測を肯定している。


「圧力をかけたのは誰かわかっているのですか?」


 雫が問いかける。

 凪砂さんは難しい顔で唸った。


「可能性なら誰でも挙げられる。寧のスキャンダルは御影家のスキャンダル、ひいては『同盟』への信用問題に関わる。寧を追及するより由貴の責任を追及する方が良いと判断するのは別段不自然ではない。いい目眩ましにもなるからな」


 そこは俺にも容易に推測できる部分だ。俺は隠れ蓑にちょうどよかったのだろう。


「御影礼司の実の娘と当主補佐予定の養子、天秤にかければどちらに傾くかは明白だ。個人的には納得がいかないが」


 雫は不満に表情を歪ませてから、気の毒そうな目を向けてきた。気持ちは嬉しいが仕方がない。『同盟』があえて俺を優先する理由はないのだから。


「結局私に突き止められたのは圧力の事実のみ。そこから先はいくら突っ込んでも得るものはなかった。済まないね、役に立てなくて」

「充分すぎるほど頼りになってますよ」


 今はこれが限度だろう。これ以上の成果を望むなら、それこそ上層部のメンバーと直接対決するしかない。最早彼らから真実をもぎ取るしか方法がないのだ。


 ふと、小夜子さんの顔が頭によぎった。彼女もあるいはこの件について知るところがあるのだろうか。俺への対応は以前と何ら変わりなかったが、数々の修羅場を潜ってきた彼女なら俺に内心を気取られないくらい朝飯前だろう。


「……まあ、礼司さんや小夜子さんも寧と由貴を比べることになれば心苦しかっただろう。他の誰かが言い出したことでも、やむを得ず賛同した可能性は考えられる。由貴を庇ったのも罪悪感があったから、ということもな」


 俺の思考を読み取ったのか凪砂さんは補足するように言った。


「そうだとしても責めるつもりはありませんよ。あの二人にも立場がある」


 少なくとも理不尽ではないと思う。それに事件後の俺をずっと気にかけてくれたのは紛れもない本心からであることを俺の能力が教えてくれた。


「それならいいんだ。少し心配だったからな」


 凪砂さんは安心したように息を吐いた。


「一つ気になったのだが」

「どうした?」


 頭上に疑問符を浮かべたような顔の雫が首を捻る。


「上層部の対応がそうだとして、紫さんが納得するとは思えないのだ。何しろ恋人を失っているわけだろう? 寧さんを問い質すことはなかったのか?」

「そのことか……」


 それも未だ答えの出ない謎の一つだ。


「それが一切なかったんだ。紫も事件の後に取り乱すことが何度かあったんだが、しばらくすると元の通り大人しくなった。それ以後、事件の話題には気味が悪いほど全く触れなかった」

「全く? だって肝心なことは何もわからなかったのだろう?」

「そうなんだ。蓮を死なせた俺を非難するわけでもない、寧を問い詰めるわけでもない、圧力に抗議するわけでもない、完全な無反応だ。それでいて俺たちと接するのはそれまでと一緒だった」


 紫は異常だと思えるほどかつての日常へと帰った。いつも眠たそうにして、定期的に街の巡回をして、妹に優しく声をかける。そんな普段通りの御影紫の姿があったのだ。

 俺は当初ナイーブになっていたのもあって、どう対応するのが正しいのかわからず半ば拒絶していた。しかし、俺の精神状態を気にした紫が積極的にアプローチを仕掛けてくるので、最後には白旗を上げて彼女を迎え入れることとなった。かくして御影家は平穏を取り戻したのだ。


 それでも時折考えることがあった。心の奥底では俺に対する憎悪の感情が膨れ上がっているのではないかと。


 それを示唆する記憶が一つある。いつの日であったか、廊下の窓から外を眺める紫を見つけた時のことだ。またいつものように考え事でもしていると思い、特に気にすることもないだろうと近づき――はっとした。

 紫は見たことがないほど凍てついた表情をしていた。何も映さず、どこか別の世界を見ているかのような眼。およそ感情というものが何一つ感じられず、紫はただそこに佇んでいた。


 無意識に“同調”を発動した瞬間、その凍てつきが俺へと感染した。一瞬で全身が冷やされる感覚。痛みにも似たそれに息を呑んだ。

 紫が俺の存在に気づいて視線を向けた時、既に彼女はいつもの眠たそうな顔をしていた。あれは一体何だったのだろうか。


 あれと同じ表情を俺は後にもう一度見ている。俺が屋敷を出る時のことだ。

 あの顔が示す答えは今もわからない。


「寧もあの事件の後から一層訓練に励むようになったな。一度その様子を観たことがあったが……あれは鬼気迫るものを感じた」

「確かにあれ以来打ち込むようになりましたね。我を忘れるくらい、というのも比喩じゃなかった」

「寧さんにも何か思うところがあった、と?」


 俺は頷いた。

 蓮が死んでから俺たち三人の間に暗黙の取り決めがなされた。


 事件の話題を口に出さない。


 俺は罪の意識から逃れるためにそれを受け入れた。

 紫に本心を訊かない、寧に真実を訊かない。

 もうそれでいいと諦めたのだ。どのみち責任からは逃れられないのだ。それなら現状をそのまま肯定すれば多少は気が楽になる。


 他の二人はどうだったのだろう。俺と同じ気持ちだったのか?


 いや、違う。少なくとも紫は諦めていなかった。

 そもそもこの追憶の原点はそこにある。


 紫と浅賀善則の密会。蓮が鋭月から受け取ったメッセージ。浅賀と紫の相次ぐ失踪。


 紫は鋭月のメッセージがあの事件の発端になったと推測した。登が盗み聞きした内容もそれを裏付けている。紫は誰にも相談せず一人でずっと事件を追い続けていたのだ。


「紫はきっと自分だけで解決するつもりだったんだ。『同盟』が揉み消しを図った以上は頼れないから。だから人前では事件に触れようとしなかった」

「紫さんはやがて浅賀善則に辿り着き……恐らく鷲陽病院の事件のことも知ったはずだ。そこから過去の事件との関連性を見出した?」

「そして、去年の夏に失踪した――話としてはありだな」


 得られた情報から組み立てた仮説は一応の体裁は整えている。

 だが、やはりピースが欠けている。


「もう少し説を補強する論拠が欲しいな。それに一番大事なのは、紫さんが失踪後(・・・・・・・)どこで何を(・・・・・)しているのか(・・・・・・)? これを突き止めないことには先に進めない」


 そのためには浅賀善則の線から追うのが最も近道だ。蓮の事件、鷲陽病院の事件双方に関与している以上、キーパーソンであることに疑いの余地はない。


「鋭月からメッセージを受け取ったと言っていたな。面会中の会話は記録されているから、問い合わせればすぐにわかるはずだ」

「そちらは任せます。俺は別の方から攻めてみましょう」

「……五月さんか?」


 ああ、と俺は相槌を打った。

 この屋敷の中で浅賀と繋がりがあるのは五月さんだ。彼女は奴と何らかの理由で面識があった。蓮が死んだ直後に逢っていたのも事件との関連を疑わせる。もし、彼女があの事件の核心に近づく鍵を握っているのだとしたら――。


「……大丈夫だ」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 まだ、五月さんが裏切者だと決まったわけではない。結論を下すのはまだ早い。全ては彼女の裏を暴いてからだ。


 まず、何から手をつけるべきだろうか。秘密を知りつつ沈黙していた沙緒里さんなら、俺たちの先んじて探りを入れているだろう。あの人は知った秘密をそのまま放置せず、警備部の力を総動員して丸裸にする。そういう人だ、沙緒里さんは。

 それに辰馬さんにだけ漏らしたのも奇妙だ。五月さんへの疑惑は章さんを追い落とす材料になるというのに。五月さんと章さんの交際関係だってとうに知っていただろうから、二人が結ばれるのを待ってから公表した方が慎さんにとって有利にはたらく。

 だが、実際には兄を陰で助けるような真似をしている。何の意図があって? 沙緒里さんは慎さん第一に考える人であり、親切心から行動するのはあり得ないと断言してもいい。


 その考えを述べると二人とも同意してくれた。


「私は逢って日が浅いが、それでも慎さんを溺愛しているのは充分わかる。悪人ではないだろうが自己中心的だと思える面もあった。確かに沙緒里さんの本心は気になるところだ。もし、良からぬ企みを持っているなら早めに対処すべきだ」

「沙緒里さんにもが『同盟』に弓を引くというのは考え辛いが、不審な点があるのは事実だ。だが、接近するならくれぐれも気をつけてくれ。御影沙緒里といえば『同盟』内でも名高い海千山千の女傑だ。決して油断はしないように」


 忠告を真摯に受け止め、早速手をつけようと立ち上がろうとする。

 その途端、頭の芯を揺らされたような感覚に見舞われた。


「……?」


 身体がふらつき倒れそうになる。雫が支えてくれたおかげで何とか踏みとどまることができた。


「どうした由貴くん?」


 心配そうに訊ねる雫の顔がぼんやりと霞んで見えた。


「いや、何か頭がぼーっとするような……」


 寝起きに似た気怠さ。頭に血が流れないそうな感覚。電灯の光が目に入るのが辛くて目を閉じる。


「ここ二日でいろいろあったから疲れ気味ではないのか? 休息がとれていないのかもしれない」

「そんな(やわ)な鍛え方はしてないが……」


 あの程度の運動で疲弊するなど今までの経験からして考えにくい。しかし、肉体はともかく精神的ストレスは大きいことはあり得る。


「しばらく休んでいたらどうだ? その状態では気が引き締まらないだろう」

「……そうですね」


 このまま無理を通して迷惑をかけることは避けたい。ここは言葉に甘えるとしよう。


「ではまた後で。君が休んでいる間は私たちだけで動いてみよう」

「ゆっくりしてくれ。それから……本当のことを打ち明けてくれてありがとう」


 自信に満ち溢れた凪砂さんと恥ずかしげに礼を述べる雫を見送る。扉が閉まった後、部屋の灯りを消してベッドに体重を預けた。

 瞳を閉じれば急速に意識が遠のいていく。それ程自分は無理をしていたのだろうか。あまり実感が湧かなかったが、迫りくる睡魔からは逃れられそうにない。


 俺は覚束ない思考を手放して、眠りの世界へ身を委ねた。

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