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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第五章 三月二十八日 後半
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追憶を終えて

 蓮の死を知るまでの経緯を語り終えた後、室内に重い静寂が訪れた。


 俺も、雫も、凪砂さんも誰も一言も発しようとしない。

 雫は俯いていて表情は隠れている。凪砂さんは事情こそ知っていたが、ここまで詳細に心情を語ったことはなかったので随分と沈痛な面持ちだ。俺自身の脳裏にもまざまざと浮かび上がる。今までは当時の記憶を思い返さないように極力意識していたので、こうして改めて振り返ってみるのは初めてだった。わかっていたことだがやはり暗澹(あんたん)たる気持ちになる。

 聴き手二人の姿を見てここで話を打ち切ろうという考えが首をもたげる。それをぐっと抑えつけた。終わるまでもう少しの辛抱なのだと、どうにか言葉を振り絞る。


「紫にその死を伝えた時は押し止めるのに苦労したよ。無理を言って霊安室に突入しそうだったからな。俺と登、医者と看護師、それからたまたま居合わせた凪砂さんと総出で病室に押し込めた」

「あれは今までで一番疲れる仕事だった」


 凪砂さんがしみじみと口にした。

 あの時、戦闘で軽傷を負った俺もまた治療を受けるため病院にいたため、凪砂さんは予定を返上して俺の見舞いに来てくれたのだ。その後、紫の病室にも顔を出そうと登と三人で向かった先であの騒動だ。病院の廊下で“天候操作”を発動するなと、大人しくなった紫は小夜子さんから雷を落とされていた。


「喪主は礼司さんが代わりを務めた。母親が倒れて、他に身寄りもいなかったからな」


 蓮の母親は本当に気の毒だった。息子の訃報を知らされて半狂乱になり、遺体と対面するとその場で倒れてしまった。目を覚ましてからは消えた息子の影を探すようになり、日に日にやつれていった。

 結局、彼女は葬儀にも顔を出していない。まだ精神的に不安定だったこともあり、そっとしておくことにしたのだ。


「……見ていられなかった。可哀想なのは勿論だが、それ以上に――」

「仕方のない話さ。自分が殺したとは言えない」


 今に至るまで彼女には息子の死以外に何も知らされていない。息子が恋人の妹をその手にかけようとしたことも、恋人本人も傷つけたことも、その末に親友の手で命を絶たれたことも、全てだ。


「……そうか」


 雫はようやく口を開くと、その一言をこぼした。


「そうだったのか……」

「雫?」


 気力が抜けたように言葉を繰り返す雫の様子に不審を抱く。相変わらず顔は下を向いたまま、雫は肩を震わせていた。膝の上で拳が強く握りしめられている。もう一度声をかけようとした時、見えない顔から一粒の水滴が垂れた。


「そんなことが……全然知らなかった……」


 屈んでその顔を覗き込むと潤んだ紅い瞳がそこにあった。堰を切ったように涙が次から次へと溢れ出る。


「雫……」


 その様子を見てどう言えばいいかわからなくなる。

 助けを求めて凪砂さんへ視線を向けると、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。


「ほら、涙を拭いて。泣きたいだけ泣けばいいんだ」


 凪砂さんはハンカチを取り出すと雫の手に持たせた。彼女は小さな声で礼を言い言葉に甘えた。

 しばらくの間、咽び泣く少女を二人で見守った。


 雫の涙が涸れるまではたっぷり十分ほど要した。


「申し訳ない……見苦しいところを見せてしまった。凪砂さん、ハンカチありがとうございます」


 雫は泣き腫らした眼を擦りながら恥ずかしそうに笑う。凪砂さんはハンカチを受け取ると、からかうような調子で囁いた。


「部屋を出るまでには元の顔に戻しておいた方がいい。誰かに見られたら痴情のもつれだと誤解される恐れがある。由貴が婚約者を持つ身でありながら他の女性を弄んだと非難されてしまうのは忍びないのさ」


 俺は敢えて抗議しなかった。


「由貴くんも済まなかった。辛いだろうに私の我儘のために話をしてくれて」

「軽蔑しないのか?」


 俺がそう言うと、雫はむっとした表情になった。


「そんなわけないだろう。殊更自分を卑下するのはよくないぞ」

「それは……いや、そうだな。本当のことを話せば嫌悪されるんじゃないかと思っていたのは確かだ」

「どうして嫌わなければならない? それどころかあなた自身被害者ではないか」


 雫の言うことは尤もである。ただ、心の中で割り切れないだけだ。

 彼女もそれを察してくれたのか諭すような口調で語りかけてきた。


「蓮くんは私の友人であると同時に、あなたにとっても大切な友人だった。私に対して後ろめたいと思っているなら、それは自分自身に対する後ろめたさの表れだ。私は蓮くんのことを本当に甚く哀しいと思う。それならあなたもきっとそう思っているに違いない」

「……ああ」

「あなたの話を聴いている時にそれを感じ取った。彼を心から友人だと信頼していたことや、寧さんや紫さんを傷つけられて怒りを覚えたこと……それに自分の手で殺してしまったことへの衝撃も、何もかも全部伝わってきた。それでつい自分の体験(こと)のように錯覚して泣いてしまった」

「それは流石に大袈裟じゃないか?」

「そんなことないぞ」


 雫は穏やかな微笑みを見せた。


「あなたが語り上手なだけかもしれないが……それでも言葉に嘘はなかった。それは間違いないと確信している。ここに来てから日は浅いが、あなたのことはそれなりに理解しているつもりだ」


 面と向かって言われた内容にこそばゆさを覚え、つい視線を逸らしてしまう。視線が逃げた先で凪砂さんが満足気な表情をしていた。


「ありがとう。そう言ってもらえると助かる……そうだな、ずっと気が楽になった」

「ずっと隠していた秘密をやっと吐き出せたんだ。多少は楽にならないと困る。君の沈痛な面持ちは見るに堪えなかったからね」


 褒めるように頭を撫でてくる凪砂さんに苦笑を返す。


「凪砂さんにも随分心配をかけましたね」

「全くだ。屋敷を出た後はずっと逢いたいのを我慢していたんだぞ? 警察官になった後は君と一緒に事件を追うのが夢だったというのにそれも叶わず……」


 事件が起きた後、屋敷の前で凪砂さんと再会した時のことを思い返す。あの時彼女はいつものように凛々しい姿をして再会を喜んでいた。しかし、実際には一年近く顔を見られず声も聴けず寂しい思いをしていたのかもしれない。


「電話くらいしてもよかったんですよ。寧とは時々話していましたし」

「声を聴くとどうしても逢いたくなるからな。君がいつかまた戻ってくるまで耐えるつもりだったのさ。君なら絶対に実力を買われて呼び戻されると信じていたとも」

「……そこまで評価してくれるとは思いませんでした」

「君と過ごすのは本当に楽しかったんだ。私の在り方は他人に理解されにくいからそれを真っ直ぐ受け止めてくれる人は少ない。自覚していなかっただろうが君の存在は私にとって大いに支えになったんだぞ。何だかんだ言って付き合い続けてくれたからな。だから――どうにか君の助けになりたかった」


 そう言って凪砂さんは優しげに瞳を細めた。


 俺は改めて自分が恵まれた環境にいることを実感した。

 帰ってきた俺を受け入れてくれた寧や登に五月さん、俺の罪を知っても見限らないでくれた雫、俺に力を貸してくれる凪砂さんや小夜子さんを始めとする多くの人々。

 一人になってからも腐らずに済んだのはその人たちの存在があったからだ。


 今回の事件でもそうだ。皆が俺に協力してくれている。


「つくづく感謝するしかないな……本当に」

「感謝するならいい加減私からの求婚に返事を貰いたいな。のらりくらり躱されるのも飽きてきたところだ」

「それはまた別の機会にしてください」


 冗談か本気か判断つかない顔をぐいと近づけて問いかけてくるのを流す。


「……だが、うん、いろいろあったがやっぱり帰ってきてよかったよ。ありがとう、二人とも」


 素直に心情を吐露すると、二人は温かく微笑んだ。

 冷たい空気がほんのりと熱気を帯びた気がした。

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