御影寧暗殺未遂 ‐破綻‐
蓮が引鉄を引くのと、俺が咄嗟に光弾を放ったのはほぼ同時だった。光弾は蓮の腕に直撃して銃口の先をずらす。発射された弾丸は何にも触れることなく空へと消えた。
危うい場面だったが表板より冷静に対処できたことに自分でも驚いた。会話をしていた時からいつでも能力を発動する準備を整えていたとはいえ。
腕の痛みに気をとられた蓮が体勢を整える前に、俺は一気に距離を詰める。相手が反応する前にその胸ぐらに掴みかかると地面に押し倒した。接近する勢いに任せて倒したため蓮の背中がタイルの上を滑って大きく擦れた。
次に俺は握りしめたままの銃を奪いとろうと腕を捻り上げる。今度は蓮も抵抗した。発砲音と共に銃弾が俺の髪の毛の先端を引き千切ったが、それを気に留める余裕はない。
「もういい、抵抗するな! 話は後で訊く! 今は大人しくしていろ!」
荒々しく降伏を強いるが、蓮は拒絶を示した。
「悪いけどそれはできない相談だ。こうするしかない」
銃を放すまいと抵抗していた強い力が突如消失し、もぎ取ろうと引っ張っていた俺の身体が後ろに傾く。
能力の解除と同時に銃は消滅していた。その代わりに、銃を握っていた方とは反対の手に一本のナイフが新たに生成されていた。
突き出されたナイフを躱そうと身体を捻る。
幸いにも刃先は右の脇を掠めただけだったが、一瞬だけ皮膚に熱が走った。
その隙に蓮は拘束から抜け出して立ち上がって距離をとる。
倒れた時に頬を擦り剥いており、紅く滲んでいた。
「……わかった」
最早問答は不要だ。大人しくさせるには叩きのめすほかない。
心臓が大きく波打つ中で感情の力が次第に増していく。
興奮によって体温の上がった身体が涼しい風に当り、程よく心地よさを感じさせた。
掌に集中させた光が肥大化していく。力任せに殴りつけるような威力を、それでいて殺傷性は抑えた光弾が急速に作られていく。
サッカーボール大の光弾を蓮へ向けて放り投げる。光弾は空中で弾け飛ぶ音とともに四散し、小さ光弾の群れと変化する。蓮は回避に努めるが、その行く手を阻むように、または背後を追跡するように群れは軌道を描いて飛んだ。当れば打撲したような傷ができるだろう。手足を封じれば終わりだ。頭には最初から当てるつもりはない。
「……」
蓮は思案するように眉を寄せてから、手首を一回捻る動作をしてみせる。するとナイフが出現して手元に収まった。先程生成したナイフとは別だ。透き通るような刃と装飾された柄が目立つ。
そのナイフを一振りした直後、すぐ傍まで接近していた光弾が全て切り裂かれた。まるで紙を切るかのようにすっぱりと直線に切れ目ができると、光弾は淡い光を漏らしながら溶けるように消滅した。
その光景を見て俺は小さく舌打ちをする。
「“鉄壁の刃”か。相変わらず厄介だな」
蓮の能力“戦場の遺品”最大の特質は「血統種の能力によって生成された武器もまた複製の対象となる」という点だ。武器生成型の能力を有する血統種と接触する機会が多ければ、それだけ蓮の手札は増えていく。さらに“戦場の遺品”で複製できる武器の種類や数には何ら制限はない。
今、蓮が生成した“鉄壁の刃”はかつて鋭月の部下だった血統種が保有していた能力だ。このナイフは攻撃には用いることができないが、「他者の攻撃」に対して攻撃できるという性質を有する。切り裂かれた全ての攻撃行為は一切の例外なく全て消滅して効果を失う。
この手の能力は概念型と称される。概念型は「特定の概念を持つもの」に対してのみ効果を及ぼす能力である。対象が限定される制約を課せられている反面、発動すれば絶対的に効果を発揮できるのが強みだ。血統種全体で見ると概念型能力を保有する者は比較的少数だという。
“鉄壁の刃”の本来の持主は鋭月捕縛の際に、『同盟』との戦闘において抵抗した末に死亡している。
蓮がこの能力を手に入れたのはそれより前、持主が桂木邸を訪れた時だ。当人が鋭月の目のない所で不用意に自慢したのが原因だった。その頃、“戦場の遺品”に血統種の能力をも複製できるという特性があることはまだ知られていなかった。そうでなければたとえ上司の息子であっても手札を晒そうなどと考えなかっただろう。
さて、どうするか。
“鉄壁の刃”はその絶大な効果の代償として消耗の激しい能力であるため、何度も使うことはできない。手数で押し切ることができれば勝てなくもない。
しかし、蓮には使える武器がまだ他にもある。迂闊に攻めて隙を狙われるのも危険だ。
長期戦に持ち込めばいずれ紫から連絡を受けた『同盟』からの加勢がやって来るに違いない。それは蓮にとってプレッシャーとなる。最悪の展開は蓮に逃げられることだ。それさえ阻止できれば――。
そう思っていた時だった。俺と蓮の間に漂っていた風を切り裂く音によって打ち破られた。
どこからともなく飛来した複数の氷の礫が蓮を目がけていく。咄嗟に刃を振るい打ち消した蓮はすぐにその場から離れた。
「蓮!」
それが紫の声であるとすぐにわかった。俺たちと同じように林の中を突っ切ってきたらしく柵の向こうにその姿を現していた。
紫は俺から少し離れた場所まで跳んでくると、蓮の姿をじっと見つめる。強い感情を抑えるように唇を噛み締めている。
「寧はどうした?」
「さっき登と五月が来てくれた。お父様に事情を説明した後でこっちに向かうように指示されたって。もうすぐ医療班も来るから大丈夫」
予想通りの展開になったようだ。後は時間の問題だ。
「もういいだろう。お前でも二人相手ではどうにもならん」
俺たちは互いのスタイルを熟知している。思考、判断、動きの癖。一対一では読み合いに持ち込めば勝敗は分からないが、二対一になればもう結果は見えている。“鉄壁の刃”とて無敵ではないのだ。
蓮は紫を見つめ返していた。翳りのある表情の下で目がすっと細められる。そこにある感情を読み取ることはできない。ただ、無があるだけだった。
「どうにもならない、ね」
ぽつりと漏れた言葉はどこか嘲りの調子があった。
「それは違う。むしろ丁度いいくらいだ」
「……何だと?」
その言葉には妙に嬉しそうな調子が含まれていた。もやもやとした不安が頭の奥で警鐘を鳴らしている。何か良くないことが起きそうな予感がぞくりと背中を震わせる。
その答えはすぐに出た。
蓮の空いた手に突如ゴムボールに似た球体が出現したかと思うと、徐にそれを地面に叩きつけたのだ。地面に激突したボールは耳をつんざくような高い音を立てて破裂し、亀裂から白い煙を噴出した。小さなボールの中から出たとは思えないほどの大量の煙は瞬く間に高台全域へと広がっていく。
「これは……!」
煙幕か?
蓮の姿は白く濁った壁に隔てられて視認できなくなる。気配を探ろうとしたが正確には読み取れない。“同調”で位置を把握しようにも発動までの時間が無駄になる。悠長なことをしている暇はない。
この煙幕は俺も初めて見る能力だった。過去に逢った血統種のものではない。恐らく鋭月の手下が保有していた能力の一つだろう。俺も奴が複製できる武器を全て教えてもらったわけではない。とはいえ、こんな物まで生成できるとは知らなかった。“武器”に含まれる範囲は想像しているより広いらしい。
「由貴!」
紫の叫ぶ声がする。
「大丈夫だ! こっちはなんともない! そっちはどうだ?」
「大丈夫だよ。それより蓮はどこ? 逃げたの?」
「わからん。気配が動く感じはしたが……はっきりしない」
「……何事もないってことはもういない?」
それが引っかかる、と俺は疑念を抱く。こんな能力を隠し持っていたなら最初から俺と交戦せずに突破することも可能だったのではないか? 単に二体一の状況になったため戦闘を諦めただけなのか?
それに蓮はこう言っていた――“丁度いいくらい”だと。何が丁度いいというのだ? その言葉が頭にこびりついて離れない。
だが、この場に残っているなら攻撃を仕掛けてこないということは不自然だ。蓮ほどの実力の持主なら不意を突いて一撃を加えることくらいできるだろう。
納得のいく答えが見つからない問題に言いようのない焦りが募る。何か大事なことを見落としているような気がした。
「ちょっと待って……風で飛ばそうとしてるけどなかなか飛ばない」
「気流の影響を受けにくい性質でもあるのか?」
能力で生成された物には大抵特殊な効果が付与されている。この煙幕もその類かもしれない。
「わからない……けど、もういけそう」
その直後“天候操作”によって起こされた強い風が周囲一帯に舞った。紫が立つ位置を中心として外側へ煙が散っていく。閉ざされた視界はすぐに元の景色へと返る。白く塗り潰されていた世界から青空の下へと。
俺は腑に落ちない感覚を抱えながら、紫へと視線を移した。
そこに蓮がいた。
紫の真後ろで風に髪を揺らされながら。まるで最初から寄り添っていたかのように。そこにいるのが当然だというように。
紫は背後に目を向けない。能力を解除した紫が小さく息を吐いたその一瞬、虚が生まれた。
「――紫!」
驚愕を乗り越えた声がやっと喉から発せられる。声に気づいた紫が俺の視線を察して背後を振り返った。
両者の眼が合う。
そこに恋人同士の二人はいなかった。戦意を以て対峙する敵同士の関係がそこにあった。
「!」
紫が咄嗟に“天候操作”を発動するが、蓮が“鉄壁の刃”を軽く振るうと周囲の空気が僅かに荒れただけで終わった。能力を解除されたその間隙は敵にとって格好の狙い目となる。
「ごめんね紫。許してとは言わないよ」
「え……」
平静を乱したことによって俺の介入は遅れた。
光弾を放つ準備が整った時には、紫の腹を細身の剣が貫いていた。