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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第五章 三月二十八日 後半
62/173

御影寧暗殺未遂 ‐対峙‐

「今のは――」


 口から言葉が漏れ出る。

 鳴り響いた音は聞き覚えのあるものだった。


 銃声。


 精神の波長を感じた方角へと跳び、枝葉に覆われた薄暗い林を一気に駆け抜ける。

 ひんやりとした空気が汗に濡れたを撫でるのが気持ち悪い。


 やがて俺の前に開けた空間が現われる。

 探し求めていた二人はそこにいた。


「寧、蓮……」


 俺は思わず足が硬直させた。

 一瞬眼前の光景を理解することができなかったからだ。


 蓮が呆けたような表情で俺を見つめ立ち尽くしている。口が半開きで何か言葉を発そうとしているように見えた。

 その足元で寧が(うずくま)り脇腹を押さえていた。瞳と口をぎゅっと閉じて苦悶に耐えているのが一見してわかる。目を惹いたのは脇腹を押さえる指の隙間から流れ出るいくつかの紅い筋だった。


 両者の顔を見比べた俺が最後に見たのが、蓮の手に握られた一艇の銃だった。


「あ……」


 俺の視線が自分の手に注がれていることに気づいた蓮が、同じように自分の手に目を落とした。それから数秒間じっと銃身を見つめていたかと思うと、ゆっくりと顔を上げ再び俺と顔を合わせた。


「由貴――」


 そして、ただ一言、困り果てたような苦笑を浮かべて呟いた。何か大きな失敗をしでかして途方に暮れるように俺の名を呼んだ。


 その姿を目にしてどんな言葉を口にすべきか一瞬迷った。

 しかし、それよりも寧の様子が気にかかり、まずそちらを優先することにした。


 寧の下へ駆け寄り声をかけると、彼女は声を出すことなく苦しげに息を吐いて答えた。呼吸するのも辛そうで、胸が上下するたびに脇腹を押さえる手に力が入っているのがわかる。

 思ったとおり指を彩る紅い筋は血の流れ跡だった。指から垂れた血は湿り気のある林の土へと吸い込まれていく。服の裾の辺りにじんわりと血の染みが広がっていた。


 すぐに手当てをする必要があると電話をかけようとしたところ、背後から人の気配を感じた。


「……寧!」


 紫の声が聞こえた直後、彼女が俺の隣に降り立った。

 寧と視線を合わせるようにしゃがみ、両肩に手を置く。いつもの寝惚け眼は消え、警戒時に特有の緊張感の張りつめた鋭い目つきに変わっていた。


「さっきの銃声は? 何があったの?」


 俺と同じように銃声は紫の耳にもしっかり届いていたようだ。俺と違い正確な位置を把握できるわけではないのに、短時間でここへ辿り着いたのは驚きだった。


「蓮――?」


 彼女も恋人の手に握られた凶器に気づいた途端、表情を凍りつかせた。それと妹の負傷が意味する事実に戦慄したのだ。

 時が止まったように身じろぎしなくなった紫だったが、数秒の後ブリキの人形のごとく首を鈍く動かして俺に助けを請うかのように視線を向けた。俺から否定の言葉を欲しがるように。


 俺だって認めたくないし信じたくもない。

 だが、この状況――寧の怪我が、黒光りする拳銃が、全て物語っているのだ。


 蓮が寧を撃った(・・・・・・・)のだと。


 その当然の事実をどちらも口に出すことができない。それを言葉にしてしまえば何か取り返しのつかないことになるような気がした。既に最悪の事態であるにもかかわらずだ。


 ただ――それでも、まず何がどうなってこの結果に至ったのか。それだけははっきりさせなければならない。


 俺と紫が混乱の境地に陥っていた最中、一番の当事者はそれをただ見つめて立っていた。一言も喋らず、俺たちが正気に返って自分と向き合うのを待っていたのだ。


 そして、俺は寧の介抱を紫に任せて、奴と対峙する。


「……」


 互いに向き合う俺たち二人は無言のまま睨み合う。蓮は銃を下したままだ。警戒を怠るつもりはないが、相手に戦意のようなものは感じられない。その眼には諦観に近い色が宿っている。その一方でこちらの出方を窺い、いつでも動けるように体勢を整えている印象を受けた。

 蓮の視線は時折別の方角へと彷徨う。他に誰かが駆けつけないか心配しているのだろう。こちらとしても余計な介入がある前に問い質しておきたい。


「蓮」


 俺が小さくその名を呼ぶと、ぴくりと肩を揺らした。


「寧を撃ったのか?」


 その瞬間、気温が一気に低下したような感覚に見舞われる。声が少し震えていたのが自分でもよくわかった。膝の力を抜けばそのまま折れて地についてしまいそうだ。それでも踏ん張るように力を入れて姿勢を保つ。


 蓮は答えることなく俯き、表情を隠した。その他には、居心地悪そうに力なく垂らした腕を軽く揺するだけだ。地面に向いた銃口が振り子のように動く。


 俺が続けて言葉を紡ごうとした時、蓮は顔を上げて俺を真っ直ぐ見据えた。

 先程のように困ったような、そしてどこか疲れた顔がそこにあった。


「ごめん――」


 唐突に出た謝罪に固まる。蓮はその隙を逃さなかった。こちらに背中を向けると、そのまま駆け出し木立の狭間へと消えていった。


「しまっ――待つんだ!」


 逃げていく背中を追いかけようとしたが、寧のことを思い出して止まる。

 彼女は今の遣り取りを気にする余裕もなく、汗を噴いた顔を紅潮させて深呼吸を繰り返していた。その傍らに付き添う紫が叫ぶ。


「追いかけて! 寧には私がついているから!」


 力強く発せられた言葉が躊躇を拭い去る。俺は「任せた」とだけ感謝を伝えると、友の後を追った。


 その場を去る直前、最後に紫が「お願い」と小さく呟くのが聞こえた。




 障害物の多い林の中を進むのは苦労したが、それは相手も同じだった。スピードが出せず左右に細かく進路を転換しながら走る蓮の姿はすぐに見つかった。


 蓮はちらりと後方にいる俺の姿を確認する。眼が合うがそれも一瞬のことだった。再び前を向いた後は心なしか速度が増したように思えた。


 しかし、逃げ道は無限にない。何時かは終わりに行き当たる。


 林を抜けた先にある柵を乗り越えた後、ようやく蓮は立ち止まった。

 そこは氷見山公園の南に位置する高台だった。本来であれば遊歩道を進んだ先にある広場から石段を上がって辿り着く場所だ。追跡する内に上方へと移動していたらしい。

 二色のタイルが敷き詰められた平らなスペース。金属製の手摺の手前には木製のベンチが四つ並び、奥にはそびえ立つビル群が見える。高台の端の一角には大きく突き出た部分があり、石造りの四阿(あずまや)が建っていた。


 蓮は手摺から十メートル程離れた所に立つ。この先は急な斜面になっているのを知っているのだろう。血統種の身体能力でもこの高さから飛び降りることはできない。


 俺は奴のいる場所まであと数歩の所で止まった。


「いい加減にしろ。もう逃げるのはよせ」

「……」


 蓮は一度大きく息を吐く。


「……うまくいかないものだよね」


 ゆっくりと振り返った顔には生気が宿っていなかった。林の中で見た顔より一層陰鬱そうだ。


「まあ、仕方ないか。中途半端な気持ちで臨んだからこんな結果になったというだけの話だよ」

「何が中途半端だというんだ?」

「勿論寧を殺すって覚悟さ」


 わかりきったことをと言わんばかりで言い放つ態度に我を忘れそうになるが思いとどまる。

 よく観察してみると平然を装っているが動揺を隠しきれていない。


「あの子の性格はよく知っているからさ、うまくやれば隙を突いて殺せるかなって考えたんだ。でも……最後の最後まで踏ん切りがつかなくてね、結局やれなかったよ。それで良かったのだろうけど」


 罪の告白というよりも些細な失敗を振り返るような言い方で語りながら、蓮は手にした拳銃を軽く上に放り投げる。

 空中でくるくると回転した銃は、突然破裂したかのようにぱんと音を立てて消失した。


「やはり能力で生成したものだったか」


 予想した通り、あの拳銃は蓮の能力――“戦場の遺品”によって生成された物だった。


 “戦場の遺品”は物質生成型の能力であり、武器を生成することができる。

 単純に思える能力だが、武器として生成できるのは「蓮が過去に手に持ったことのある武器」に限られる。

 即ち、蓮が生成する武器は、いずれも奴が過去にどこかで手にしたことのある武器の完全な複製品であるということだ。

 以前耳にした話だが、蓮がまだ桂木家にいた頃に鋭月が密かに収集していた銃器のコレクションを見せてもらったことがあったそうだ。それらは鋭月逮捕と同時に警察によって押収されたが、蓮はそれらに触ったことがあったのだろう。この拳銃もきっとその一つに違いない。


「ろくに扱ったことがないとはいえ手に持つとずっしりときたよ。物理的な重さじゃなくて心理的にね。やっぱり向いてないよ、こういうのは」


 蓮は肩をすくめる。どこかほっとしているような響きがあるのは気のせいではないだろう。


「……どうして寧を殺そうとした」


 返事はなく無言の時間が流れる。


「俺が知る限りお前はこんな馬鹿げたことを仕出かすような奴じゃない」

「何言ってるんだよ。実際にこうしてやったじゃないか。見ただろう? あの子が苦しんでいるのを」


 俺は首を振った。


「……やろうと思えばもっとうまくやれた。わざわざ本部からこんな所へ連れ出すなんて、それじゃあ自分が犯人だってばれてもいい、と投げやりになっているも同然だ」

「そうだよ。ばれても構わなかった」


 俺を睨みながら蓮はきっぱりと断言した。


「今日を選んだのも別に理由があったわけじゃない。たまたま計画を実行するのに丁度よかったってだけの話だよ。さっき由貴たちと別れた後に運よくタイミングが訪れた。だからそれを逃さなかったんだ」


 嘯く蓮を見つめながら俺の胸中に相反する二つの感情が渦巻いていた。

 一つは、寧を傷つけられたことへの激しい怒り。

 もう一つは、蓮が凶行に及んだ事実を信じることができないという困惑。

 

 どうしても納得ができない。

 蓮はこんな行動に出るような男だったか?

 杜撰な計画、半端な殺意、自棄になったような告白。

 どれも普段の言動からは考えられない。


 それに俺は“感覚”として知っている。

 俺の“同調”は性格や嗜好が似通っている相手ほど高い効果を発揮する。過去に蓮と“同調”した時は寧と紫に続く高い結果を残しているのだ。

 それは都竹蓮という人物が間違いなく俺の友人として信頼に値することを意味している。そんな男がその友人の家族であり、恋人の妹でもある少女を平気で殺すことはあり得ない。


 だからこそ、知りたいのだ。


「聞かせてくれ。何故寧を殺そうとしたんだ?」


 何のために(・・・・・)


「……言えない」


 蓮は苦しそうに顔を歪めてから言った。


「どうして言えない」

言えない(・・・・)んだ。これだけは絶対に。理由を理解してもらおうなんて思わない。俺があの子を殺そうとした、それが事実だ。それ以外は些細な問題に過ぎない」

「蓮!」


 突き放したような言い方につい怒声を上げた。


「それで済むわけないだろう! 御影家の跡取りが殺されそうになったなんて一大事どころじゃない。『同盟』は全力でお前について徹底的に洗いだすぞ」

「だろうね」

「だろうね、じゃないだろ! この先どうするつもりだ! まさかこのまま逃げおおせるつもりか? お前の母親はどうなる!」


 蓮の母親は今となっては奴にとって唯一の肉親だ。

 世紀の大罪人たる夫を『同盟』に引き渡した後、息子と共に新たな身分を作り移り住んだ密告者。

 そんな彼女がたった一人の息子を心の支えとしていることは知っている。


 母親の話を持ち出されて蓮の顔はいよいよ苦悶に歪んだ。


「母さんは……」


 瞳を閉じて呟いた言葉はあまりに小さくすぐに空気に溶けていった。

 何かに思いを馳せるように静かになった親友を、俺は動かずに待つ。


 否、動けなかった。


「考えても仕方ないか」


 諦めたように首を振った蓮は再び拳銃を生成する。

 そして、(おもむろ)にその銃口を俺の胸へと向けた。


 それを認識した途端、心臓が大きく一度跳ねた。


 再び蓮の瞳が開かれた時、そこには寂しそうな笑顔があった。

 

「もう、何が正解なのかわからないよ。どうするのが良かったのかな」

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