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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第一章 三月二十六日
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宵の口の喜劇

 その日の夕食後、屋敷にいる人達は皆一階に集まっていた。既に明日の就任式の準備は整っていて、後は待つばかりだ。そういう訳で皆思い思いに時間を過ごしていた。

 俺と寧、章さん、慎さんはトランプゲームに興じながら互いの近況を語り合っていた。

 その近くでは隼雄さんを始めとする御影家の大人たちが何やら真剣な顔で顔を寄せ合っている。

 五月さんはメイド人形を指揮して食堂と厨房の片付けをしている最中だ。

 隣の娯楽室からは各務先生、秋穂さん、小夜子さんの三人の話し声が聞こえてくる。

 さらにその隣のシアタールームには慧がいるが、ここからではその様子はわからない。

 テラスには彩乃と謎の招待客、雫世衣がいて夜風を浴びている。この二人は俺たちがゲームに誘ってみたが断られてしまった。彩乃が一人でいることに義兄の慎さんは心配そうだったが、ゲームが熱中するにつれて普段の調子が戻りだしている。


「おーい、由貴いるか?」


 廊下側の扉から登が現われる。


「何か用か?」

「訓練場の鍵持ったままだよな? 俺が管理室に返しておくから」

「ああ、そういえば……」


 今朝、寧との“同調”を確認した後、俺が入口に鍵をかけてそのままずっと鍵を持っていた。元々訓練場の施錠は俺の仕事で、紫たちと一緒に訓練していた頃からの習慣でもある。紫のマイペースは生活が改善しても相変わらずで、鍵を持たせると無くしたり鍵をかけ忘れることが多々あったからだ。


 訓練場の鍵はこの一つしかない。使った後には必ず一階の管理室に保管しなければならない。


「ほら、ちゃんと施錠はしていただろう?」

「それはもう確認した。ほい、確かに」


 登に鍵を放り投げると難なくキャッチして、すぐに部屋を出て行った。


「訓練場か……俺は一度も使ったことがないんだよな」


 章さんがぽつりと呟いた。彼は家族の集まりでここを訪れることはあっても、訓練場の中まで入ったことはない。それに訓練施設なら『同盟』の支部にも併設されているので、わざわざここを使う理由が無いとも言える。


「僕は一度見学させてもらったことはあるね。由貴と……蓮が模擬戦したときだったかな」


 若干躊躇いがちに蓮を名前を出した慎さんに、気にしてないと首を振って答える。


「結構本格的な造りになっていたよね。礼司伯父さんもよくあんなの建てようと思ったね」

「紫が真剣に訓練しているのを見て力になりたいと思ったかららしいが……張り切り過ぎたな。役に立っているからいいんだが」

「好きに戦える場所だからお父様と小夜子さんもたまに()り合っていたわね」

「うーん……トップクラス同士の試合か。俺も見てみたかったな」


 英雄と女傑がぶつかる画を想像したのか章さんがしみじみと言った。見てないからそんな淡い幻想を持っていられるのだろう。俺が過去に見たあの二人が激突する光景は、はっきり言って絶対に混ざりたくない状況だった。あの中に入れば命がいくつあっても足りない。


「その試合の記録なら残ってるわよ。計測した数値や映像なんかは記録室に保管されているから」

「そうなんだ? それじゃあ明日、式が終わってからゆっくり観させてもらおうかな」


 寧と約束を交わし微笑む章さんは、道端を歩く女性なら誰もが振り返りそうなほど爽やかだった。寧の微笑みも十二歳と言う歳にしては洗練されている。寧がもう少し年上ならいい美男美少女の組み合わせに見えただろう。


「就任式か……こんな歳で当主を名乗るっていうのは相当なプレッシャーになるよね」

「……そうだな。それを支えていくのは御影家全体の役目だ」


 慎さんが瞳に心配の色を見せて呟いた。寧には同年代の友人でかつ自らの心情を吐露できるほどの相手はいない。御影の次期当主という肩書が気軽に接することのできる間柄を許さなかったからだ。寧の力になれるのは俺たちしかいない。


「こんなとき紫がいたら、って思うんだ。あの子ならきっと自分の思うようにして、それでいて全部うまく片付けてしまいそうで」

「言えてるな……」


 容易に想像できてしまうので肯定するしかない。紫一人で俺たち全員合わせた以上の働きを見せるのは確実だ。


 それはさておき、紫の話題が出たのは都合がいい。ここで少し探りを入れておこう。


「なあ、今こんなこと訊くのも何だが……紫がいなくなったときのこと教えてくれないか?」

「紫のことか、僕もはっきりしたことは知らないな……」

「俺も父さんから聞いただけだからね」


 章さんと慎さんは詳細を知らないようだ。となれば寧から聞き出すしかないが……。


 男三人の視線を受けた寧は頬杖をついて虚空を見上げた。


「……そうね、本当に突然のことだったからあの日のことは完璧に思い出せるわけじゃないけど」


 そう前置きして寧は語りだした。




 紫が消えたのは去年の八月十八日のことだ。

 この日の朝、紫はいつも通りの調子で起床した。夏休みも終わりに近づきつつある中、例によってのんびりと過ごしていたという。

 寧から見て紫に変わったところは何一つ無かった。他の者にも異変の兆候は見られなかったそうだ。

 そのため夕方になって紫が出かけてくると言っても気に留めなかった。

 夜になって未だ帰宅しないことに疑問を抱き、すぐに電話で連絡をしたが応答はなかった。巡回の予定もない日であり、重要な用事があるとも考えられなかった。

 それからしばらく経って、また窓から帰宅したのではないかと思い部屋を覗き……例の置手紙がようやく発見された。


「手紙の文面で大騒ぎだったわよ。蓮に逢いに行く、なんて書いてあったからまさか命を絶つんじゃないかって」

「普通はそう解釈するよね」


 すぐに警察と『同盟』が紫の捜索を開始した。蓮と関わりの深い場所を重点的に回っていき、紫の姿を求めた。しかし、彼女の姿はどこにもない。煙のように消えてしまったそうだ。


 家を出てからの紫の行動は未だ謎に包まれている。街頭カメラや駅の監視カメラを洗ったところ、街を歩いている姿は確認されたが、その後どこへ向かったがわからない。駅のカメラから鉄道を利用していないことも間違いない。この街から忽然と消えた事実だけが残った。


「遺体がどこからも発見されなかったから自殺の線は薄くなったけど……結局何もわからないままよ」

「そうか……」


 八月十八日――この日一体何があったというのだろう。

 そして、礼司さんは何故この後手紙を書いたのか。この二つの出来事に接点はあるのか?


「八月十八日……」


 考えに暮れていた俺は章さんの一言で現実へと戻された。

 章さんは静かに何か考え込む仕草をとっている。俺の視線が向けられていることにも気づいていない。


「章さん、どうかしたか?」

「え? ああ、ごめん、聞いてなかった。何だって?」

「八月十八日が何か気になるのか?」

「ああ……別に気になるわけじゃないよ。ちょっと個人的なことでね」


 丁度そのとき娯楽室から小夜子さんが現われた。俺たちの話に興味がありそうな顔でこちらへ近づいてくる。


「紫のこと、やっぱり気になる?」

「……当然でしょう。あいつにも明日の式には参加してもらいたかったというのもありますが」

「息災なら礼司が死んだときに帰ってきてもいいはずだけど……本当どこにいるのやら」


 小夜子さんはそう言って肩をすくめた。

 本当に連絡の一つも寄越さないとは……何を考えているんだ。

 

 またしても最後に逢ったときの顔が脳裏に浮かぶ。

 わからない。紫が何を思って姿を消したのか。


「全くあんな奴にいつまでも未練を持つなど情けない。妹を殺めようとした卑劣な男だというのに。小夜子さんもそう思うでしょう?」


 小夜子さんが登場したからだろう、今まで俺たちの話に割り込む機を窺っていた辰馬さんが、勿体ぶった口調で語りかけた。章さんが不快そうに顔を歪めるが、辰馬さんは一瞥しただけだ。


「それに奴の事件で失態を犯した者がこうしてまた戻ってくるのも不安ですな」

「……彼については当面様子を見て判断するわ。今は揉めるより故人の意向に従った方が無難かと」

「まあ、“今”はそれでいいかもしれませんな」


 辰馬さんはそれ以上言及しようとせず引き下がった。現状小夜子さんの意思を撤回させるのは無理だと判断したのか。

 辰馬さんが下がると同時に、今度は沙緒里さんが参戦する。反由貴戦線の二大巨頭が並んだ。


「ふふっ、それにしても問題児がこんなに早く帰ってくることになるなんて思わなかったわね」


 年若い女性と見間違えそうな美貌が俺の顔を妖しく見つめ、思わず目を背けた。初心な反応に機嫌を良くしたのかくすくすと嗤う。


「礼司兄さんが突然死んで、由貴が帰ってきて……急にいろいろ起こり過ぎて、皆目を回しそうなくらい動いてるわ。見ていて本当に楽しい」


 慎さんは母親が次に何を言い出すのか警戒していて、無言のままだ。

 沙緒里さんはソファに腰を下ろし、皆の顔をぐるりと見回す。


「……本当にどうして礼司兄さんは死んでしまったのかしらね。あんなに元気そうだったのに」

「解剖は行われたんですよね?」

「ええ、それでも原因はわからないままです」


 章さんの問いに代わりに答えたのは各務先生だ。

 先生は不思議だと言う風に首を傾げる。


「亡くなる直前に診たときも不審な点はなかったのですが……」

「じゃあ病気以外の別の原因じゃない?」

「別の原因?」

「ええ、そうよ」


 沙緒里さんは世間話でもするようにあっさりとそれを口にした。


「礼司兄さんは誰かに殺されたんじゃないかしら?」




 居間の中が静寂に包まれた。全ての視線が沙緒里さんに注がれている。


「あら……嫌だわ皆して。そんなにおかしなことを言った覚えはないのに」

「叔母さん、それはいくらなんでもありえませんよ」


 最初に平静を取り戻した章さんが表情を強張らせながら言う。

 慎さんと各務先生も追従するように頷いた。


「ありえない? そうかしら」

「そうですよ、礼司叔父さんの遺体は警察も『同盟』も調べたんです。その結果何も見つからなかったんですよ」

「そんなの当てにならないでしょう? 外傷も残さずに殺す方法が存在しないとはないとは言い切れないわ。それは私たちがよく知っているはずよ?」


 血統種の能力――それは不可能を可能にする異質な力だ。

 この世界にはいくらでも摩訶不思議な現象を引き起こす力を持った血統種が存在しているのだ。その中に突然死に偽装できる力を持った何者かがいるのはおかしくはない。


「……それでも難しいと思うわ。そんな力があってもお父様に近づけなければ使いようがないもの」

「それなら近づくチャンスがあればいいでしょう?」


 そのとき、沙緒里さんはぞっとするほど冷たい笑みを浮かべ、一瞬俺の中に戦慄が走る。


「礼司兄さんが死ぬ前、ここにいる皆が兄さんに逢いに行っていたもの。私知っているのよ?」


 誰かが息を呑むのが耳に入った。


 そんな話は初耳だ。礼司さんが死ぬ直前にここにいる人たち――裏切り者の候補者と逢っていた?

 

 沙緒里さんは皆の注目を集めていることに大層満足した様子で話し続ける。


「葬儀のとき、誰もそんなこと言ってなかったわね。“この前逢ったときは元気にしてたのに”なんて一言も。それどころか“最近顔を見てないから詳しいことは知らない”と言ってたのはどうして? 皆どんな理由で逢いに行ったのかしらね、私とても気になるわ。ひょっとしたら誰かがそのときに――兄さんに何かしたんじゃないかって」


 最後の一言だけ恐ろしくトーンが低かった。


「母さん――いくらなんでも口が過ぎるよ」


 怒りを堪えた表情で立ち上がる慎さんを各務先生が制しようとするが、怒りを向けられている当人は平気な顔だ。


「あら、私そんなにおかしなこと言ったかしら? ここにいる人なら礼司兄さんを殺せる機会があったというだけの話よ」

「この中にそんなことする人がいるはずないだろう!」

「――そうは思わないわ」


 沙緒里さんは物分かりの悪い子供を諭すような調子で反駁する。


「皆が何を考えているかなんて簡単に知るのは無理よ。誰が悪意を秘めているのか、そうでないのか、分かりっこないもの。そうでなかったらあなたのお父さんも死なずに済んだかもね」

「……父さんの話は関係ないだろう?」


 沙緒里さんの最初の旦那さんの死が、彼女を狂気へ誘ったのは有名な話だ。その話題には極力誰も触れないようにしているが、流石に沙緒里さん本人が振ってくるのは想定外だ。

 慎さんは多少困惑している様子だったが、すぐに一蹴することにしたようだ。


「まあ、いいわ。関係ないということにしておきましょう。それにしても……何だか不思議な気分。こんなに大勢の人が集まって、胸の内に秘密を抱いて、まるで劇でも演じているみたい。そう思うでしょう? 蓮が死んで、紫が消えて、礼司兄さんが死んで――また誰かがいなくなり(・・・・・・・・・・)そうな気がしない(・・・・・・・・)?」


 俺は密かに全員の様子を観察した。押し黙る者、周囲の反応を気にする者と様々だが、ふとテラスにいる二人の反応に気を引かれた。この二人にも部屋の中の会話は聞こえていたらしく、あちらも中の様子を観察していた。


 彩乃は義母の話に顔色一つ変えず佇んでいる。関心がないという風に見て取れるが、こちらの反応を注視しているのは間違いない。

 雫世衣はというと、彼女の視線は一点を目指している。その先には、沙緒里さんの言葉に固まったままの寧がいた。


「今夜は随分饒舌だね、少し飲み過ぎたんじゃないかな? そろそろ休んだ方がいいよ」


 信彦さんが妻の傍に歩み寄り、その肩に優しく手を置いた。

 沙緒里さんは「ふふっ」と笑みを漏らす。


「エスコートしてくれる?」

「勿論」


 そのまま二人は舞踏会から去るかのように居間を後にした。

 後に残された誰かの口から溜息が漏れた。


 沙緒里さんが突拍子もないことを言い出すのは承知していたが、礼司さんの死の裏に燻っていた疑念を炙り出してしまうとは困ったものだ。

 とはいえ、悪いことばかりではない。礼司さんが死ぬ直前に皆と密かに逢っていたというのは確認したい事項だ。彼が何を考えていたのか、それをはっきりさせておきたい。その死が本当にただの不幸な出来事でないとしたら……。


 俺は沙緒里さんの言葉を胸中で反芻していた。


 “また誰かがいなくなりそうな気がしない?”


 最後の言葉を誰も否定しなかったのが心の片隅に引っかかっていた。

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