御影寧暗殺未遂 ‐真意‐
当時の御影家では、“征伐”に参加するメンバーとして礼司さんと寧が候補に挙がっていた。国内トップクラスの礼司さんの参加は当然。だが、幼い寧の参加には不安の声も少なくなかった。いくら父親譲りの力の持主とはいえまだ子供なのだ。
これには事情があった。
ナタラ攻略に当り“天候操作”の能力は大きなアドバンテージだ。竜種であっても自然の猛威には抗えない。それを自在に操る御影家の血族は不可欠なカードだ。しかし、大規模異界の探索に当って礼司さん一人では手が足りない。誰か礼司さんの手が回らない部分をカバーできる人材が必要だった。そしてその役目を担える人物――“天候操作”を完全に継承した彼の子供を参加させる声が上がった。これは沙緒里さんが御影家の遠縁を煽りそう仕向けたという噂もあるが真偽は定かではない。なんにせよ“天候操作”が“征伐”の成果を大きく左右する要素であることは誰もが認めざるを得なかった。
問題となったのは“誰を連れていくか”ではなく“誰を残すか”である。
単純に力量や経験だけを考慮するなら紫を参加させるべきであった。しかし、紫は礼司さんが不在の時に彼の代理として『同盟』の職務に当る役目があった。二人が共に家を空ければその間仕事は完全に止まってしまう。いくら補佐になるべく知識と技能を教え込まれた俺でも一人でどうにかなるものではない。そのため紫を残す意見が大勢を占めた。
また、消極的ながら寧を参加を支持する理由もあった。
“征伐”は今はまだ計画段階であり、実行に移されるのは二、三年後だ。ナタラ内部の事前調査、人員の決定、各部署による支援体制、物資の調達等、解決すべき事項は多々残っているのだから当然である。
ナタラの周辺海域は厳戒区域に指定され、周辺の航行は原則禁止されている。ナタラに近い離島には『同盟』から対策チームが派遣され、ナタラから湧き出た魔物に対処しているため、逼迫した状況ではない。
実際に“征伐”が決行される頃には寧も十二、三歳。紫もその年には既に今と遜色のない力量を携えていた。“征伐”決行まで寧に十分な経験を積ませることは可能だと判断された。何より寧自身が尊敬する父と姉の足を引っ張りたくないと意欲的であった。
こうして“征伐”には条件付で寧の参加が認められることになったのだが――それが今回の宣言により待ったをかけられた。衝撃の宣言は瞬く間に『同盟』関係者の知るところとなり、直ちにその真意を問われることとなった。
投げかけられた質問に対して、紫は平然と答えた。
「だって当主になるなら蓮と一緒になれないでしょ? だから寧に譲る」
その言葉で俺は紫の目的を理解した。
俺は当時の状況を思い返しながら、呆れた調子で紫に訊ねた。
「どうして事前に相談しなかった? 礼司さんだって一言あれば考え直してくれたに違いないだろう」
「それは本当に反省してる」
紫が俺から視線を逸らすと、その隣に座る五月さんが苦笑した。
「あの時は随分と叱られましたね……あれほどしょげている紫様も珍しかったです」
「旦那も珍しく怒ってたからなあ」
「うー……」
紫は唸り声を上げながらテーブルに突っ伏した。
「蓮との交際を諦めていなかったとはいえ、まさか当主の椅子捨てるとは思わなかったよなあ」
登の呆れたような言葉に皆が同意する。
紫と蓮の交際関係は周囲の誰もが知るところであった。
ただし、その“内訳”となると別である。
英雄の娘と大罪人の息子。
蓮の素性を知る者はほとんどいなかったため、これまで問題になることはなかった。仮にその秘密が世間に知れてしまえばどうなるか。好奇心の獲物となるのは想像に難くない。対立派の残した傷痕は未だ癒えず、『同盟』の対応に大衆は神経質になっているのだ。そんな中、双方のトップの子供らが結ばれるという話が歓迎されないのも無理のない話といえる。
事実、多くの者が交際に反対を示していた。
その中心となったのは、辰馬さんと沙緒里さんを筆頭とした御影家の血族、それに『同盟』の上層部だ。
彼らが強く反対したのは、蓮の出自の問題のみならず、紫が御影家を継ぐ立場にある事実を重視したからであった。鋭月の実子と結ばれるなど御影家の当主にあってはならないという主張があちこちから上がった。それに蓮が対立派と繋がっていることを危惧する声も少なくなかった。
反対派の圧力は礼司さんへと向かい、二人を別れさせるように説得せよと促した。礼司さんは大いに悩んだ。二人の関係に好意的であった彼は、我が子の心情と、『同盟』の一員としてあるべき姿と、どちらを優先するのが正しいか考え抜き――結果が出る前に紫が次期当主の放棄を宣言した。
「次期当主という立場が障害になっていたのは事実だ。だからといって放棄すれば簡単に解決できるという話でもないだろう。どれだけ混乱したと思っている」
「幸い“征伐”までに時間があるから寧お嬢に教育することはできるけどな。二年あればお前のアシスト付きでなんとか当主代理やれるくらいにはなるだろ。今だって順調にいってるし」
新たに次期当主の座に据えられた寧は、姉の突拍子もない宣言に頭を痛めながらも己に課せられた責務を全うしようと奮起した。姉の恋路を応援したい気持ちもあった。その成果は徐々に表れている。心無い連中からの風当たりが激しい中、ここまで短期間で実力を伸ばしたのは当人の才覚に依るところも大きいだろう。
紫はというと、流石に当主の椅子を蹴って好き勝手にできるとは考えなかった。寧の代わりに“征伐”への参加を表明した。
現在、紫は“征伐”へ向けて礼司さんと小夜子さんから厳しい訓練を与えられている。いつかナタラに向かうその日には二人に負けないほど仕上がっているだろう。