御影寧暗殺未遂 ‐発端‐
あの時のことを今でも鮮明に思い出す。
仮定の話は無意味だと理解していても、こうすれば、こうだったなら、と思考を繰り返してしまう。
今回もまた俺は後悔と共に記憶を辿っていく。
最初に思い起こされるのは、運命の日の前日にあった光景だ。
「ふっふっふっふっふ」
「何笑ってるんだ。気味悪いぞ」
「馬鹿言わないで。これは昂揚の笑みよ。明日が楽しみで今から仕方ないの」
寧が幼い顔つきに似合わない笑顔を浮かべているのを、俺は呆れて見つめる。それに加えてこの義妹は、腕を組み、脚を大きく開き、あたかも覇者のように振る舞っている。
「何といっても私のデビュー戦よ? やっぱり華々しくないといけないじゃない。こう、決めポーズみたいなの必要かしら」
「おい、誰だこいつに変な影響与えたのは」
「……俺だ。この前、俺の部屋にある漫画貸したらこうなった」
申し訳なさそうに手を挙げた登を一瞥し、俺は溜息をつく。
「大体デビュー戦っていうほど大したものでもないだろう。非公式試合だぞ」
「非公式だろうと戦いは戦いに違いないわ。『同盟』の上層部も観戦するのだから。ここ一番の大舞台といっても過言じゃないわ」
明日、寧は『同盟』本部に併設されている特殊競技場で、『同盟』下級幹部を相手と試合を行う。
この試合は不定期に実施されているものであり、『同盟』職員及びその関係者が鍛錬の成果を発揮することを目的としている。寧は明日初めてその試合に立つということで、極めてテンションが高い。
“非公式”とついているのは、『同盟』ではなく礼司さんと小夜子さんの主催だからだ。
公式大会は『同盟』本部が年に一回主催しており、腕に覚えのある者はこの大会に名乗りを上げる。俺や紫、登といった若手も参加した経験はあるが、入賞には至ったのは紫だけだ。なお、礼司さんと小夜子さんは、優勝、準優勝共に経験がある。力の差が他の選手と比較して大きいので、連続して参加することはない。
「つーか、ぶっちゃけ勝ち目あると思うか?」
心配そうに訊ねる登に、俺は顎に手を添えて考える。
「どうだかな。俺は逢ったことないけど、礼司さんが言うには五分五分らしい。まあ、油断せず堅実に戦えば勝てる見込みはある、というところだそうだ」
対戦相手は名取家の縁者だ。面識はあるがそれほど親しくはない。逢えば挨拶を交わす程度だ。実力については中堅クラスといったところらしい。事前に聞いた話では能力の相性も悪くないという。
「向こうの方が戦歴は長いんだろ? そんな相手に五分まで持っていけるって、寧お嬢はどんだけ力伸ばしてんだよ」
「礼司さんの教えがいいんだろう。俺との『同調』も、ここ最近調子良くなってきている」
まだ十歳でありながら、寧の“天候操作”の腕前は日に日に上達していた。この年頃は比較的能力の成長が早いというが、それを踏まえても著しい伸びが見られる。伸び方だけでみれば、同じ年齢の頃の俺と紫以上だ。
また、俺と共同訓練を行う際に『同調』するときも、増幅効果が大幅に上昇した。成長と共に訓練により一層身が入るようになったのが要因の一つだろう。
「まあ、見てなさい。御影家“次期当主”として恥じない戦いをしてみせるから」
「……」
自信満々に胸を張る義妹を見て、俺は何とも言えない気持ちになる。
これはある意味では虚勢だ。“次期当主”という肩書を意識するようになった寧は、このように尊大に振る舞うことが多くなった。それが周囲の期待という重圧に耐えるためのパフォーマンスであることは、俺たちには理解できていた。
紫が次期当主を継がない意思を表明して以降、大人たちによる寧に対するアプローチが増えた。ほとんどは礼司さんによって遮られていたが、それでも少なからず影響は受ける。即ち、己がどのように評価されているかを肌で感じるようになった。それが寧の精神にどう作用したかはあまり考えたくない。
寧は明日の試合で実力を誇示し、その価値を証明しようとしている。御影家の名を貶めないようにするため。そして本来であれば当主になるはずであった姉の判断が誤りでなかったと証明するため。
「大丈夫。寧なら絶対勝てる」
背後から聞こえてきた声に反応し、俺は振り返った。
そこにはもう一人の義妹たる紫と、付き添うように立つ蓮の姿があった。
「お姉さま!」
「おかえり……なんだ、蓮も一緒か」
「お邪魔してるよ」
親友は片手を挙げてにこやかに笑いかける。
「どう? 調子は」
「既に万全よ! 今から戦えって言われてもいいわ!」
「落ち着けって。気合入り過ぎだ。まだ前日だぞ」
「甘いわね。試合はもう始まっているのよ」
鼻息荒い少女を眺めて蓮は苦笑している。
一方、姉の方は穏やかな笑みを浮かべて妹の両肩に手を置いた。
「気合十分で結構。でも、空回りしないように。あくまで自然体で臨むことが大事。普段通りの戦い方をする。それだけであなたは勝てるから」
「……ええ、わかっているわ」
淡々としていながらしっかりとした口調で諭す姉の言葉に、寧は幾分落ち着いた様子で頷いた。紫は妹の扱い方が巧い。
とりあえずこれで大丈夫だろうと安心した俺は、ふと蓮が姉妹をじっと無言で見つめていることに気づいた。
蓮はどこか寂しげな感情を瞳の中に揺らしているように見えた。それに肩が微かに震え、今にもよろめきそうだった。
「どうした? 妙な視線向けて」
「え? ああ、いや、別に」
声をかけると、我に返ったかのようにはっとして答える。その顔はもういつもと変わりなかった。
俺はどうしたのかと訝しみつつも、深く気にすることはなかった。
蓮は突然思い出したように「あっ」と声を上げた。
「そうだ。明日は俺も観戦に行くから」
「あれ、そうなのか? 俺初耳だけど」
「俺もだ。礼司さんもそんなこと言ってなかったぞ」
俺と登は揃って疑問符を頭に浮かべた。明日の試合は身内の他には『同盟』上層部他一部の職員のみ観戦するという話であった。
「折角だから観ておきたいって思ってさ。紫に無理言って頼み込んでもらったんだ」
「入館証も発行してもらった」
そう言って紫は臨時の入館証を取り出す。外部の者はこれがなければ一般開放されていない区域には立ち入ることができない。俺は『同盟』の一員として登録済なのでIDカードを所有している。
「ふうん。まあ、そういうことなら明日一緒に行くか。朝、ここに集合でいいな?」
「ありがとう。助かるよ」
この後、しばし歓談してから蓮は屋敷を去っていった。
あの時、あいつが紫と寧を見つめていたのは何故だったのか。一体どんな心境だったのか。それを考え出すと止まらなくなる。
何にせよ、俺はあの時奴の動向を気にかけるべきだった。