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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第四章 三月二十八日 前半
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失踪者たちの秘密

 加治佐牡丹は鷲陽病院の事件を調査するようになった後、まず最初に当時の職員の行方を追った。既に廃院となったことで職員たちは散り散りになってしまっていたので、全職員の消息を把握するのは少しの時間を要した。そこで彼女は俺たちが知るように、数名の職員が相次いで失踪した事実を突き止めた。


「失踪したのは浅賀善則も含めれば四人ッスね。他の三人についてはどのくらいご存知です?」

「そちらはあまり有力な情報を入手できていない。まだまだ調査を開始したばかりだからね」


 調査を開始したのは昨日の夜からだ。礼司さんが遺した資料を基にしているので、ある程度の素性は明らかとなっている。もっとも昨日の段階では今回の事件や依頼の件との関連が未知数であったので、詳しくは聞いていない。


「私はその四人がどんな人物か、どんな共通点があるのか、そして姿を消すような事情があったのかあちこち回って取材してたッス」


 加治佐は手帳を取り出すと、あるページを開いた。


「一人ずついってみましょう。立花(たちばな)明人(あきひと、クリア薬品工業に再就職した薬剤師ッスね」


 つい先程、浅賀家で話題に上ったばかりの男だ。そのことを説明すると、話す手間が省けたと言って口元を綻ばせた。


「じゃあ、それ以外の気になるところを上げてみるッス。立花は元々別の病院に勤めていたんスが、火災が起きる三年前に鷲陽病院に移ってるッス」

「火災の三年前って言ったら――」


 雫は何かに気づいたという表情をつくる。


「ああ、例の現場となった検査施設が完成した頃だ」

「……あからさまな一致だな」


 俺の言葉に雫は頷いて答えた。


「実際、立花がやって来たのは完成とほぼ同時ッスからね。しかも立花は施設にも頻繁に出入りしていたらしいッス。というのも鷲陽に来たのが島守院長と浅賀から勧誘されたって話らしいッスから、やはり検査施設で働かせるのが目的だったんでしょう」

「礼司さんの資料によれば立花はその前に何度か対立派の関係者が開いた集会に参加していたらしい。そこで鷲陽との繋がりを築いたのかもしれない」


 表向きは鷲陽病院と対立派は無関係ということになっているので、水面下で接触があったと考えられると凪砂さんは補足する。


「礼司さんが持つ裏のルートでも探ったようだが、そちらは収穫なしだと」


 その言葉を受けて、向かいに座る女記者はにやりと笑う。


「ふっふっふ、ここから先は私の“突撃取材”で判明した事実をお話しするッス」

「突撃取材……?」


 俺の胸に不安が湧き出る。彼女の表情とその言葉が、なんとなく嫌な予感を感じさせた。


「突撃って……何にだ?」

「クリア薬品ッス」

「え?」

クリア薬品に(・・・・・・)侵入して(・・・・)得た情報ッスよ」


 返ってきた思いもよらぬ回答に、雫はぽかんと呆けた面を晒す。危うく俺も同じような表情を晒そうしたが、どうにか耐えて引き攣った顔にした。“侵入”という表現を用いたということから、疑いの余地もなく非合法な手段だろう。それを口にした当人は眼前にいるのが警察官であることを果たして憶えているのか。全く悪気のない笑顔に俺の隣の女警部補は、ただただ穏やかに目を細めるだけだった。


「この際それは問わない。わかったことだけ教えてくれ」


 凪砂さんは問題を脇に置くことを選択したらしい。話題が逸れるのは困るので、俺もそれに乗ることにした。一人ついていけない雫だけが狼狽えていた。


「実は浅賀が失踪した後、クリアの従業員が何か知っているんじゃないかって忍び込んでみたんスけど、丁度その時、あそこの経営陣がまだ残されていた立花の研究資料を破棄しようとしてたんスよ」

「ああ、その話なら知っている。なんでも対立派の奴等も隠れて訪問して、資料がないか漁っていったらしい」

「へー、そうだったんスか。そりゃ来るのが遅すぎたッスね」


 加治佐の口ぶりとにこにこ笑顔に嫌な予感を募らせる。


「なあ、もしかしてその資料……」

「ちょろまかしてきたッス」


 幸運にも紅茶を噴出せずに耐えきった俺は、咽かえるのを抑えて加治佐を睨みつけた。凪砂さんと雫は既に諦めたような顔をしている。この女はこういう奴なのだとでも言いたげに。


「あんたやりたい放題だな!」

「いやいや、流石に大事な証拠を処分されるのを見過ごすわけにはいかないッスよ? あのタイミングで会社に忍び込もうと考えたのは本当にラッキーだったッスね」

「……この人に逢った方が自分で調べるより早かったんじゃないか?」


 遠い目をして雫が呟く。礼司さんが使っていた裏ルートの連中も加治佐のことは突き止められなかった。それは彼女の取材がそれだけ密かに行われていたという証左であるのだろう。もし、礼司さんが彼女の存在を知っていれば、もっと調査は進んでいたに違いない。


 何にせよ加治佐の行動は一連の調査に大きく寄与するだろう。西口の言葉を信じるなら、里見たちは既に研究資料が一つ残らず破棄されていると思っている。したがって、加治佐が持ち出した資料の存在は俺たち以外には誰も知らない。それは俺たちにとって都合の良い状況だ。


「無論全ての資料をくすねたわけじゃないッスけど、それでも断片的とはいえわかる部分はあるッスよ」


 加治佐はバッグの中からタブレット端末を取り出すと、画面を操作してからテーブルの上に置いた。映し出されているのは、ある文書ファイルだ。


「これに全部データ化しているのか?」

「ええ、どうぞご覧になってください」


 向かい合う四人が一斉にタブレットを覗き込む。その姿がどこか面白く見えるのか、店主がこちらを見て微笑んでいた。

 加治佐の言うとおり文書は不完全であり、内容も空白部分が多くある程度類推するほかなかった。データ化する際に使われている語句などを参考にして、同一の内容について記されている資料をまとめていたが、正しい順序で並べられているのかは不明だ。それでも西口の証言を裏付けるには充分な量であった。


「治癒能力者への投薬実験を行っていたのか。治癒能力の保有者は少ないのに、どこから見つけてきたのやら」

「対立派の息がかかっていた施設は、鋭月が逮捕された後に捜査の手が及んでいますから……どこかから希望者を募ったんでしょうか?」


 資料に記載されていたのは数名の治癒能力を保有する血統種への投薬実験についてであった。被験者の氏名は資料のどこにもなく、英数字の羅列により識別されていた。性別と年齢だけが被験者を知る少ない手掛かりであった。


「少なくとも私が調べた限りでは、治癒能力を保有している事実を公表している人物であり、かつこのような実験に参加したような人物は、日本国内にはいなかったッス」

「とすると、国外から引っ張ってきた……?」


 あまり考えたくないが、どこかの外国から治癒能力を持つ血統種を連れて来た可能性も否めない。血統種の人身売買は世界的に後を絶たず、『同盟』でも頭を悩ませている深刻な問題だ。この被験者らがそれに該当するのであれば、また別の件で捜査が必要になる。


「で、もう一つ気になる資料があるッス」


 タブレットの画面に表示されたファイルが切り替わり、別の文書が俺の目に映る。その内容も何らかの実験について記されたものであった。


「これ何かの実験に関する記録なんスけど、実施された日付が火災の直前(・・・・・)なんスよ。それに使われている語句から察するに、これクリア薬品で実施された実験の記録じゃないッスね。鷲陽病院の中で(・・・・・・・)行われた実験(・・・・・・)の記録ッスよ」

「あの病院内で行われた……? しかも火災の直前って――」


 蒼ざめた顔の雫が何かに思い当たったように呟いた。


「……被験者の名前は不明ですけど、性別と年齢は書かれてるッスね――11歳、女性」


 それだけ一致すれば、もう疑いようがない。間違いなく被験者は糸井夏美だ。


「これで夏美さんとの関連性ははっきりしたわけだ」

「ええ、とはいっても目的まではわかりませんが」


 クリア薬品で研究されていた薬とやらは、夏美の失踪を発端として生み出された物であることはこれで確信できた。

 あとはその研究の目的を暴くだけだ。


「で、立花は今から三年前に突然行方不明になってるッスよ。有給休暇の最中にいなくなったもので、発覚まで時間がかかったそうッス。立花に関してはこれくらいでいいでしょう」


 加治佐は手帳のページをめくり、次の話題を提示する。


「次に、看護師をしていた桐島(きりしま)晴香(はるか)。失踪当時の年齢は三十歳。立花の次に失踪した元職員で、立花の失踪から半年後に消えているッス」

「その看護師も検査施設によく出入りしていたのか?」

「はい、どういうわけか島守院長や浅賀からの覚えが良かったらしくて、院内ではヒエラルキーの上位に位置していたっぽいッスねー。他の看護師に対して高圧的で、かなり評判悪かったらしいッス。私が取材した元職員のほとんどがボロクソに貶してましたから」


 院長や浅賀の権威を盾に横暴を振る舞っていたということか。探せばどこにでもいそうな嫌われ者だ。


「特に浅賀と親しい関係にあったそうで、一部ではデキて(・・・)いるなんて噂もあったらしいッス。まあ、私が調べた結果そんな事実はなかったんスけど」


 言ってはなんだがそれだけ評判の悪い女と交際するのは勇気がいるだろう。浅賀だって付き合う女は選びたいはずだ。


「この桐島晴香についてですが……火災の後、別の病院に移ってるッス。そこでは横柄な態度は鳴りを潜めてたみたいッスけど、そっちでもあんまり評判よくなかったッスねー。優秀ではあったらしいッスけど」

「何か良いところの一つでもないのか……」


 げんなりした様子の雫が訊ねると、加治佐は考える仕草を見せた。


「良いところ、ッスか。事件を解明する手がかりを持っていそうという点は、良いところと呼んでいいんスかね」

「何か秘密があるのか?」


 凪砂さんが身を乗り出して、加治佐の顔を覗き込んだ。それに応えるように彼女は頷く。


「……ちょっと妙なところがあるッス。私も何を意味してるのかはっきりとわかりませんが……」


 加治佐は何故か困ったような表情をつくり、鞄の中から一枚のカードを取り出した。カードの表面は紫色で、その上から白文字で『WHITE CAGE』と書かれている。頻繁に出し入れしていたのか、全体がくすんだ色合いをしていた。


「何だこれは?」

「クラブの会員証ッス。桐島晴香はこのクラブによく顔を出していたらしいッスね。それも知り合いには内緒でこっそり」


 隣の女性二人がしげしげと会員証を眺めるのを横目で見ながら、俺は面倒なことになったと頭を抱えた。

 

「このクラブに何か問題があるのか?」

「……そこなんスよ。実はこのクラブ、防衛自治派の溜まり場になってるって噂で」


 思わぬ名が飛び出たことに、雫と凪砂さんは大いに驚いた。

 防衛自治派――対立派とは逆に、純粋な人間が血統種に圧迫されない社会を維持しようと活動する団体。何故、そんな連中の名がここで出てくるのかと言わんばかりに目を見開いている。


「そう、普通に考えれば桐島は対立派と繋がりのある人物ッスよね。でも、彼女は防衛自治派の連中と接触してたらしいッス」

「それは……裏切り? それともスパイ目的?」

「断言はできないんスけど……その、物凄く気になるネタがありまして……」


 言いにくそうに口籠る加治佐は、視線を泳がせる。一体何を躊躇っているのか、俺にはよくわかった。


「構わん。俺も知っている、その店に彩乃が来てたんだろう」


 信彦さんが死ぬ前夜、俺の部屋を訪れた時に打ち明けてくれた秘密。彩乃が防衛自治派のメンバーと頻繁に逢っているという話の中に出てきた、彼女が定期的に来店するクラブこそが『WHITE CAGE』であった。

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