加治佐牡丹の提案
加治佐牡丹との面会は、それから三十分後に行われた。場所は凪砂さんの学生時代の親衛隊員が経営する喫茶店であり、彼女が何かしら人に聞かれたくない話をするときに利用する所であった。
あらかじめ連絡を入れておくと、加治佐はすぐに了承した。俺たちが到着した時には、既に店内には女記者の姿があった。
「やあやあ、お待ちしてたッス」
仲の良い友人への対応であるかのように軽く手を振る加治佐を、俺たちは警戒するように観察する。椅子に収まる小柄な体躯からは温厚な動物のような印象を受けるが、その瞳がまるで猛禽類のそれのように思えるのは気のせいではない。
まだ昼食を摂っていなかったので注文を済ませると、店主は一旦店の奥へ引っ込んでいく。その際に、凪砂さんの婚約者候補とされている俺に警戒するような視線を向けることを忘れなかった。
「さてさて、それでは何から話すッスかね?」
居住いを正してそう切り出す加治佐。
「あんたが鷲陽病院の火災を追っているという話。それを敢えて俺たちに明かした理由を教えてほしい」
「……なんかトーゼンのように最上くんが仕切ってるッスけどいいんスか?」
加治佐としては警察の代表たる凪砂さんを交渉相手として認識していたのだろう、俺が真っ先に口を開いたことに当惑していた。
「私は構わんよ。彼はこの件に関しては対等な関係にある」
その根拠が礼司さんからの依頼にあることは、語る必要はない。加治佐も御影家の関係者が言うからには、それだけの理由があると察せるはずだ。実際彼女はそれ以上追及する意思はないようだ。
「わかったッス……それじゃあ、どこから話したもんスかね。まず、私があの事件に関心を抱いたのは対立派――特に桂木鋭月の記事を書こうとしたのが切欠ッス」
鋭月が逮捕されてから対立派の行動が縮小し、連中について書きたてる記事が増えた。それ以前は深入りした記者が命を落とすことが多かったので仕方のない話だ。鋭月逮捕の直後は、その恐れが去ったことで対立派を内情をセンセーショナルに暴く趣旨の記事がやたら出されたが、その大半は想像と憶測にまみれたものだった。警察の捜査で対立派の組織構造が明らかとなった今でも、鋭月とその周囲は謎に包まれた部分が多い。それを追う記者の一人が加治佐牡丹なのだ。
「で、一昨年に鋭月の息子の都竹蓮くんが亡くなったッスよね? あの時そのことが気になって、もしかすると事件性があるんじゃないかって疑って調査したんスよ。対立派が何かしたんじゃないかって。まあ、実際は何ともなかったッスけど――」
この時、加治佐が俺に意味深な視線を注いだ。それはほんの一瞬のことで、雫は気づいた様子はなかったが、俺と凪砂さんはそれを確かに見た。
その視線の意味は容易に理解できた。どんなものかは知らないが、加治佐はあらゆる情報を収集するための能力を保有している。恐らく彼女は一年半前の事件について把握しているに違いない。雫がいるこの状況でそのことを言及するのは避けたのだ。
「その時に蓮くんの過去も調べてみましたが……彼の友達だった糸井夏美さんが失踪したあの火災に辿りついたんスよ。亡くなられた糸井夫婦も鋭月と親交があったと聞きましたから、私も記事を書こうとする手前俄かに好奇心が湧いてきたってわけッス」
「それで――あの事件を調べたのか」
「あれに鋭月が絡んでいるのは予想できていましたが、流石に証拠を掴むのは難しかったので悩んでいたところだったッス。浅賀善則を始め続々と関係者が行方知れずになりますし、一番真相に近そうな院長はとうにこの世から去ってますし……正直手詰まりだったッス」
加治佐は苦い笑みを浮かべ、椅子の背もたれに体重をかける。俺たちよりもずっと調査を進めていた彼女がそう言うなら、本当に手掛かりは乏しいのだろう。病院は焼け落ち、関係者が死亡又は行方不明という有様だ。ろくな取っ掛かりすら無いまま、手探りの状態だったに違いない。
「そんな中で今度の事件が起きたッス。しかも御影邸には蓮くんと夏美さんの友人だった雫さんがいるとわかって、これは何かあるって確信したんスよ。その上、浅賀の家も捜索するときたら、これは突っ込むしかないと思ったッスね」
「……マスコミは完全に締め出したはずなのに、雫が滞在していることを把握していたのか」
「言ったッスよね? 企業秘密だって」
「わかった……そちらはもういい。話を進めよう」
凪砂さんは呆れた顔で先を促す。
「えーと、そういうわけで私はあの家を張ってたんスが、うっかり見つかってあのザマっていうのが顛末ッス。見つかった以上は手札を晒して交渉を持ちかける方が良いと考えて、こうして話す機会を設けさせてもらったッスよ」
「交渉?」
「私が切ることのできるカードは至ってシンプル、今までに集めた鷲陽病院の関係者に関する情報を提供するッス。具体的には火災以後の失踪者についてッスね。その代わりに、あなたたちの調査に私も噛ませてほしいッス。ついでに言えば御影邸で起きた事件の方も」
「……成程、わかりやすいな」
警察が鷲陽病院の謎について本格的に捜査を開始したなら、協力関係を結ぶに越したことはない。こちらは彼女が得た情報を入手できるし、彼女は後ろ盾を得て取材に臨める。里見と遭遇したような想定外の出来事が今後も起きるとすれば俺たちを護衛代わりにできるので、安心して動き回れる。そして俺たちは取材の成果を共有できるというわけだ。
「君はどう思う?」
「あり、ですね」
凪砂さんに話を振られた俺は肯定の返事をする。
今なお警戒を緩めることのできない状況で、加治佐の調査能力は有利にはたらく。彼女を取り込むのは悪くない判断のはずだ。
俺の答えにしばし考える仕草を見せた後、凪砂さんは頷いた。
「いいだろう、乗った」
「話が分かる人で助かるッス!」
加治佐の顔に満面の笑みが浮かぶ。どこかほっとした様子が覗えるのは、気のせいではないだろう。
タイミングを見計らったように、店主が注文した品を運んできた。凪砂さんはコーヒーを軽く啜ると、期待を寄せた瞳を女記者へ投げつけた。
「それじゃあ――早速君の情報とやらを教えてもらおうか」