ジャーナリスト・加治佐牡丹
加治佐牡丹は自信満々に名乗った後、どうだと言わんばかりに胸を張った。
何故そんなに自信有り気な態度なのだろうかよくわからない。警官たちも変な物を見るような視線を注いでいる。
それにしても彼女の言い方には気になるところがある。
俺たちのことをよく知っていると言ったが、凪砂さんはともかくとして俺についてもそうなのだろうか。表舞台で活躍した経験は皆無なので、知名度は低いはずだ。
「よく知っているって……凪砂さんだけじゃなくて俺のこともか?」
「勿論ッス。あの御影礼司の息子ッスから。この業界じゃ結構知られてるっスよ? 街の治安維持活動にも携わっていた実績もありますし。他の人と比べて目立たないってだけッスよ」
かつて紫たちと行っていた街の巡回は、最初の頃新聞で取り上げられていたことがあった。とはいっても、大々的に取り上げられたわけでもない上、活動自体は地味であったので、それほど広く知られてはいないと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。
「加治佐牡丹……ん、どこかで名前を見た覚えがあるな」
思い出すように指を額に当て、凪砂さんは目を瞑りうんうん唸る。加治佐の名前を小さく何度も呟きながら、しばらく考えた後にはっとしたように目を開いた。
「ああ、思い出した! 前に『同盟』の不祥事をすっぱ抜いたジャーナリストか!」
「『同盟』の不祥事?」
雫が不思議そうに首を傾げる。
「由貴は憶えているか? もう何年も前の話だが……『同盟』が収集していた防衛自治派の情報が外部に漏洩した事件だ」
「ああ――そういえばそんな事件もありましたね」
何年前か正確には思い出せないが、それほど昔ではない。ある時、『同盟』の内部で大きな問題が発生した。
当時、辰馬さんが支部長を務める地方支部の職員が、血統種に対する過激的な排斥運動を行っていた人物の調査報告書を持ち出し、それを防衛自治派に属する人物に渡していた事実が発覚した。さらにその過程で多額の金銭が授受されており、『同盟』内部の規律を不安視する声が上がり、周囲の大人たちが対応に追われていたのを記憶している。
あの事件が発覚した切欠は、ある週刊誌の記事であったはずだ。凪砂さんの言うことが正しければ、その記事を執筆したのが加治佐牡丹なのだろう。
「いやあ、あの香住凪砂さんに名前を憶えられるなんて光栄ッス。是非とも顔も憶えてもらいたいッス」
「あの事件はかなり騒ぎになったからな。嫌でも記憶に残るさ。それで――その敏腕記者殿が、何故このような場所にいたのか説明してもらいたいがよろしいか?」
口調は穏やかだが剣呑な光を湛えた瞳を向けたまま、凪砂さんが訊く。
それを知ってか知らずか加治佐は変わらぬ調子で答えた。
「そりゃあ勿論取材のためッスよ。対立派の急先鋒として有名な里見修輔の劇的逮捕――見逃す理由はないッスよね?」
「ああ、確かにそうだ。問題はどうしてこうも早く現場に駆けつけられたかだ。それに里見のことを知っているのも妙だ」
凪砂さんは一言ずつ強調して加治佐を問い詰めるが、当人はけろりとした口調であっさり答える。
「そりゃ簡単ッスよ。私最初からここにいたんスから」
「……何?」
俺は思わず呆けた声を上げてしまった。
「お巡りさんたちが私を見つけた場所に最初からいたってことッスよ。物々しそうな様子だったからしばらく様子見することにしましたけど」
「最初からいたっていうのは、それは偶然じゃなくて――」
「はい、警察がこの家を捜索することを知ったからッスよ。でなきゃこんなに都合よくいるわけないじゃないスか」
当然のように主張する彼女に、皆動きを止めている。
ここを調べる話は今日になって決まったことだ。俺がそれを凪砂さんから聞いたのは今朝。それまでは彼女の部下たちの間で機密事項となっており、マスコミ関係者がそれを知るのは不可能だ。
「……どうやって知った? ここへ来ることは私たちの他には私の部下しか知らないはずだ」
「ま、そこは企業秘密ってやつッス」
片目を閉じて誘惑するように微笑む加治佐に、俺は胡乱な眼差しを向ける。
企業秘密――恐らくは血統種の能力だろう。血統種に関する記事を書く者には血統種が多いと聞く。ごく普通の人間が関わる事件と比較して、危険な目に遭遇することが多いからだ。
加治佐牡丹は何らかの能力を用いて警察内の情報を入手したのだろう。あるいは、屋敷にいた時の俺たちの会話を盗み聞きでもしていたか。
そんな俺の考察を余所に、加治佐は浅賀の家を見上げる。
「それに――私としても実に興味深い話ッスよ。この家に里見修輔が現われたという事実は」
「その口ぶりじゃ、ここで起きたことも既に把握しているようだな」
「当然ス。こんな思わぬ収穫があるとは思わなかったッスよ。是非とも逮捕の瞬間について取材したいところッスが……」
加治佐は瞳を妖しく光らせると、不敵な笑みを浮かべた。
「まずはこの家の捜索が先ッスよね。鷲陽病院火災の真相――その謎を解く鍵がここに隠されているかもしれないんスから」
鷲陽病院の名が出た瞬間、場の空気に緊張が走った。
俺は加治佐を鋭く睨みつけ、雫は息を呑み、凪砂さんは目を細めて冷静な口調で訊ねた。
「……その話もどこかで盗み聞きしたのか?」
「まあそこのところはまた別の機会にでも。でも、元々鷲陽病院の件はずっと前から追ってたんスよ」
「何だと?」
「あの事件を追っているのは、あなたたちだけではないってことッス。だからこそ私もここへ来たんスよ」
加治佐は意味深な言葉を投げかけ、こちらを見据える。
既に人の良さそうな笑みは消えていた。今その顔に浮かんでいるのは、獲物を鋭く射抜く視線だ。
彼女は無言でこちらの反応を待っている。
俺は考える。加治佐牡丹が何故鷲陽病院の謎を追っているのかはわからない。だが、ずっと前から調べていたのなら、まだ俺たちが知らない事実を突き止めているかもしれない。それを教えてもらう代わりに彼女が何かを要求することは想像に難くないが、悠長に捜査を進めるよりはいいだろう。
「凪砂さん、後でこの人と話す時間設けられないかな?」
俺の意図を凪砂さんはすぐに察してくれたらしく、頷く。
「そうだな……ひとまず署の方で待ってもらうとしよう。深尾くん、案内してやってくれ。あなたもそれで構わないか?」
「了解ッス。それじゃあまた後で」
そう言い残して加治佐は深尾巡査に連れて行かれた。その後ろ姿を見送りながら、雫が呟く。
「おかしな流れになってきたな。いや、別段悪い流れでもないが……」
「あの火災を追っていた記者がいたとはな。対立派との絡みまで把握しているのは間違いなさそうだし、俺たち以上に情報を得ているかもしれん」
「どんな方法で探ったのかは気になるが、そちらは後回しだ。こちらの問題を片付けよう」
俺たちは改めて浅賀の家の中へ入る。
本来の目的である火災の真実に迫る手掛かりを求めるために。