喧しい女
異界の崩壊と共に、景色が暗転する。
次に光が戻った時、俺たちの姿はどこかの家の一室にあった。
「ここは……」
俺は部屋をざっと見回す。十二畳程度の広さの部屋の中央には俺と雫が立ち、その足元に気絶した里見が倒れている。
家具は、部屋の隅に設置してある高級感のあるL字型のデスクと、背の高い本棚が二つ。
ベランダに通じるガラス戸からは、太陽の光と澄み渡った空がこちらを覗いていた。
「書斎か……?」
「だな。おそらく浅賀善則の家の中だ」
俺は本棚に隙間なく詰められた書籍を見ながら断言した。背表紙に記されたタイトルは『血統種能力分類』『魔物解剖学』『今日の能力検査技術』など医学書であることを示すものが多く、この部屋の主が医療に携わる人物であることがわかる。
ガラス戸を開け、ベランダへと出る。手摺から身を乗り出して周囲を観察すると、アンコロが待機している停留所が目に映った。手前の道路には、ここへ来る時に見たパトカーが停車している。間違いなく浅賀の家だ。
「ここにいたのか。離れた場所でなくて良かったよ」
背後で扉が開く音が聞こえたので振り返ってみると、凪砂さんが書斎の中へ入って来るところだった。
「巧くやれたみたいで結構。大手柄だ」
凪砂さんは倒れた里見の両手に手錠をかける。これまで散々警察を手こずらせてきた悪党を逮捕できたことで、随分と機嫌が良い。
「ところで、西口という男は?」
「下の階の部屋に転がしている。私たちはそこへ放出されたんだ。他の班からも無事だと連絡が来たよ」
「そういえば結局あの戦いには間に合いませんでしたね。折角呼んだのに」
「彼らがいれば多少楽になったかもしれないけど、まあ結果オーライさ。誰も欠けずに無事帰ってこれたんだから」
他の通路を調査していた班のメンバーは、誰一人怪我を負うことなく生還した。いずれの班も一体の魔物とも遭遇しなかったらしい。やはり魔物は最奥へ繋がる道に集中していたのだろう。
「里見は目を覚ますまで安静にさせておこう。脳震盪を起こしているかもしれない。救急車はあらかじめ近くに呼んでいるから、すぐに来るよ」
その言葉通り、救急車はすぐに到着した。書斎へと真っ直ぐにやって来た病院のスタッフたちが、手慣れた様子で里見を運んでいく。
向かう先は、昨日寧が検査を受けた『同盟』傘下の病院だ。里見を捕縛したという報告は既に各方面へと伝わっており、病院には昨日同様に警備の者が多数配置されているだろう。
俺もこの後事情聴取を受けることが決まった。帰りが遅くなるかもしれないと、凪砂さんが代わりに屋敷へ連絡してくれたが、案の定この思わぬ事態に騒がしくなっているそうだ。
「里見の取調べは遅くなるだろうな。目を覚ましたところで、しばらくは安静にする必要がありそうだ」
「……すみません。俺が加減を間違えたばかりに」
「責めているわけじゃない、気にしないでくれ」
苦笑しながら凪砂さんは否定する。
だが、里見からすぐにでも訊きだしたい事実がある以上、口がきけない状況は良くなかった。
「凪砂さん、里見が最初に言っていたこと憶えてます? 昨日の襲撃について訊ねたときのことです」
「……ああ、あれか」
里見は襲撃が彼らの仕業かどうか訊いたとき、“そういうことになっているのか”と不機嫌そうに答えたのだ。
あの返答は、まるで奴等が昨日の件に関わっていないかのような口ぶりだった。
「君は奴等が襲撃と無関係である可能性を気にしているのかい?」
「ええ。それに重要な点はもう一つ、今回の一件の根本的な問題――何故、里見たちはここへ現れたのか?」
「それに関しては相方が妙なことを口走っていたな。“回収”とか“他にもあてがある”とか」
そう、里見が撤退を言い出した時に西口が口にした言葉だ。
あの言葉から察するに、二人はこの家にある“何か”を手に入れるのが目的だったということだ。それも『同盟』や警察が厳重な警備体制を敷いていると知っている状況下で、あえて動くほどの何かだ。
もしかすると対立派の連中がこの街へ侵入した当初の理由も、そのためであった可能性が高い。
そこまで危険を冒してまで手に入れようとした物とは何なのか。
それに――訊きたいことはもう一つある。こちらは優先順位としては低い。
戦闘中に里見が俺に対して何か思うところがあると零したことだ。
あの時の奴の態度が少し引っかかっていた。具体的な理由はない。ただ、何となくという話だ。機会があれば追求してみたいと思う程度の。
「まあ、ここへ来た目的ならもう一つの情報源から引き出せるさ。こちらはしっかり口がきけるからね」
俺たち三人の視線は、中井巡査と他一名の警官に支えられて立つ西口へと注がれる。
西口は雫と凪砂さんの活躍によりあっさりと捕らえられ、獅子との戦闘でも怪我を負っていなかったので、病院へ搬送する必要はなかった。これから警察の方へと連行されることになっている。
「対立派の中心人物と行動を共にしていた男だ。何も知らないということはあるまい」
注目の的となった当人はさっと顔色を変えて叫んだ。
「おいおい、俺に訊かれても困るよ。そんな大したこと知らないし……」
「何も知らないなんてないだろう。里見の仲間なんだろう?」
俺が追及すると、西口は不機嫌な面持ちで首を振った。
「いや、そうじゃなくてさ。俺は――」
「警部補!」
凪砂さんを呼ぶ声が聞こえたかと思うと、一人の警官がこちらへと駆け寄ってくる。
その警官の顔には見覚えがあった。中井巡査と一緒に警備をしていた警官だ。
「深尾くん、どうした?」
「この付近の路上で不審な女を拘束したと報告がありました」
「女……?」
深尾巡査が語るところによるとこうだ。
里見を捕らえた事実が伝えられた直後、待機していた警官たちは里見を護送する準備を整えると同時に、この周辺にその仲間が潜んでいる可能性を警戒した。
もし、他にも誰かがいれば里見の身柄を取り戻すため、あるいは始末するために何らかの行動をとるかもしれない。
彼らは迅速に行動を開始した。索敵能力に長けた血統種の警官が不審な人影が見当たらないか調べ上げ、発見次第その人物をマークさせた。
そんな中、一人の女を発見した。
浅賀家から少し離れた路上で、ブロック塀にもたれかかるようにして蹲っている若い女だった。
当初気分を悪くしているのかと思い、駆けつけた警官二名が優しく応対しようとした。するとその女は彼らの姿を認めた途端ぎょっとした表情になり、慌てて逃走したという。
女はすぐに取り押さえられた。警官を目にして逃げ出したことから彼女への疑念が高まり、詳しい事情を聴くべく拘束したという。
「その女ですが……手配中の対立派の女性メンバーではありませんでした。本人はジャーナリストを名乗っていまして……」
「ジャーナリスト?」
俺と雫、それに凪砂さんは互いに顔を見合わせた。
「……とりあえず、その女をここへ連れてきてくれ」
凪砂さんの指示に警官はすぐに従った。
数分すると西口のように警官二名に両脇を固められた女が連行されてきた。半ば引き立てられるようにして連れてこられたのか、抗議の声を上げている。
年は二十代くらい。茶色の髪を肩口まで伸ばしている。背丈は百六十センチくらいで、背の高い雫と凪砂さんと並べると極端に低く感じる。斜め掛けにした白いショルダーバッグが、女の抗議の動きに合わせてぱたぱたと揺れていた。
「はーなーせって言ってるッス! 私全然怪しい者じゃないッスよ! 何回説明させる気ッスか?」
動物のような唸り声を出して、警官を睨みつける。それをうんざりした表情で右隣の警官はあしらった。拘束されてからずっとこの調子なのだろうか。
「何だこの女、やかましいぞ」
「何だじゃないッス、さっきから名乗ってるッスよ。そっちが全く聴いてくれないだけじゃないッスか!」
俺が呆れて口を挟むと、女はこちらにも噛みついてきた。
「それで、名前は何というんだ?」
「……さっきもこの警官たちに話したッスけど、仕方ないッスね」
文句を言いながら女は姿勢を正し、俺たちに向けて溢れんばかりの営業スマイルを見せつける。
「加治佐牡丹、ジャーナリストやってるっス。仕事柄君たちのことはよく知ってるッスよ。以後よろしくッス」
これが俺と加治佐牡丹の出逢いであった。