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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
プロローグ 三月二十五日
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少女との思い出

 御影紫という少女はかなり変わった性格の持主だった。

 考えが読めないというか捉えどころがないというか、ひたすらマイペースというのが適切だろうか。長年同じ屋根の下で暮らしていた俺はもとより礼司さんや寧でさえ彼女の頭の中を正確には把握できていない。

 寝癖がついたぼさぼさの頭に半分閉じたような眼、その眼も前髪で半分隠れていて表情が読み難い。歩くのも食べるのも話すのもゆっくりで覇気が全く感じられず、暇さえあればどこであろうと眠ってしまう少女だった。

 そんな紫は周囲の大人たちからは『ぼんやりとして集中力が足りない』と批評されていた。英雄の血を引いていても同じ資質を持っているとは限らないかと貶されることがままあった。それは御影の一族だけでなく外部からの評価に関してもそうだ。学校の授業をろくに受けもせず居眠りして過ごし、放課後はふらふらとどこかへ遊びに行くばかりという生活を送っていた。


 俺がこの家に来たときには紫は既にそんな生活を送っていた。

 初めてこの家で夜を迎えたときのことだ。その日、緊張のあまり疲れはてていた俺は十時には寝入っていた。それが深夜の二時に突然窓から鳴った騒音で跳び起きる羽目になった。窓の外を見るとそこに一人の少女の姿があった。一瞬幽霊かと思ったが少女が窓を開けろとジェスチャーしていることから、生きている人間であると気づいた。開けてみればその少女は梯子を壁に立てかけ、その上から若干身を乗り出すようにしていた。

 誰だと俺が問いかければ、あなたこそ誰と訊き返した。

 俺が名乗ると不思議そうに首を傾げた。養子なんて話聞いたことないと。

 今度は俺が何故こんな所にいるのかと問い質すと、少女はたった今帰宅したところ玄関の鍵を持ってくるのを忘れてしまい、仕方なく自室の窓から入ろうと考えたと言う。そこで窓の真下へ行こうとする途中、誰も使っていないはずの部屋から小さな灯りが漏れていることに気づいた。窓を叩いてみれば俺が出てきたというわけだ。

 俺はようやく少女の正体が養父から聞いていた変わり者の長女であることを知った。俺が到着したときは部屋に籠っていて姿を見せなかった少女だ。彼女は新たに家族となる少年(おれ)の存在を全く知らなかった。正確に言えば父親から説明されたときに居眠りして聞き流したのだ。

 こうして俺と紫のファーストコンタクトは決して良いとは言えない形で終わった。




 紫の生活態度は率直に言って最悪だった、というのが当時の印象だ。

 再三注意しても聞かない、気にも留めない、寝るという調子で同級生からの評判も良くなかった。礼司さんも紫にはほとほと手を焼いていて、どう接すればいいのか悩んでいた。


 紫は二日か三日に一度の割合で夜に家を抜け出すことがあった。初めて逢った晩もそうであったように。どこで何をしているのかは決して語ろうとしない。最初はただの夜遊びと思っていたが、時折服や靴を汚して帰ってくることがあった。

 俺はその奇行を知ったとき礼司さんには伝えなかった。何を考えているのかわからない少女の秘密を一人で突き止めてやろうと考えたのだ。


 俺はある晩に紫を尾行して、どこで何をしているのか突き止めようとした。翌日は学校も休みで夜更かしをする心構えはできていた。


 家を出た後の紫がまず向かったのは駅前の商店街だった。シャッターが下ろされた店が静かに並ぶ通りを、子供が一人悠々と進んでいく様子は不気味としか言いようがなかった。紫は時々立ち止まって何かを警戒するように辺りを見回していた。何か気になることでもあるのかと訝しんだが、結局何事もなく商店街から去っていった。


 次に向かった先は近所の小さな神社だ。石段を上がり狭い境内へと踏み込む。ここでもまた辺りを見回している。このとき俺は紫の目つきがいつもと違って鋭くなっていることに気づいた。紫はそのまま何もせず境内を去った。


 それから紫はあちこちを彷徨い歩いた。路地裏、工事現場、学校。いずれも人気のない場所ばかりだ。


 一体何の目的で訪れているんだ?


 困惑する俺をよそに紫が最後に赴いたのは自然公園だった。夜の公園は若いカップルや散歩する老人がまばらに見られた。ほのかに輝く外灯の下をジョギングコースに沿って歩いていた紫だったが、ある地点で突然足を止めた。


 また周囲の観察だろうと呑気に考えていると、紫は木々に囲まれた遊歩道へと駆けていった。慌ててその背中を追うが紫の足は俺よりずっと速い。血統種は人間よりも高い身体能力を持つが、同じ血統種と比較しても紫は余裕で勝てるだろうと思うくらいの速さだった。

 それから紫は三分走り続けた後ようやく立ち止まった。俺は紫を追いかけるので精一杯で息も絶え絶えだった。大きく深呼吸して周囲に気を配るだけの平静を取戻し――やっと違和感を覚えた。


 俺が知っている自然公園とは異なる景色がそこに広がっていた。整備されているはずの遊歩道は騙し絵のように曲がりくねり、木々はどこかの二流アーティストが造った現代アートのように前衛的なデザインをしていた。そして夜の闇に覆われていた空はオレンジ色に染まっている。


 “異界”だ――。


 魔物が別次元に構築する巣、それを異界と呼ぶ。

 異界は魔物が存在する場所ならどこでも構築されるが、人の出入りが多い場所だと入口は隠されていることが多い。そのような異界は人の気配が消える夜になると出現するのだ。

 異界の入口はぱっと見ただけではそうだとわからない。どこにでもあるような道、階段、扉などに擬態しているからだ。そのため異界にうっかり足を踏み入れる人間がたまに現われ騒ぎになる。

 

 そして魔物が人間を襲う事件の大半は異界から湧き出した魔物が原因だ。異界の存在を知らない人間が近くを通りかかったところを、獲物の匂いに釣られてやってきた魔物に襲われるのだ。


 紫の背中へと視線を戻した俺は彼女の前方にいたもの見て驚愕した。

 犬の頭に蛇の身体がくっついたような生き物が十数匹蠢いていた。唸り声を発しながら身体をくねくねと動かす様は不気味としか言い様がなかった。


 魔物、と思わず声を漏らしたが幸い犬蛇どもには聞こえなかった。


 血統種の先祖たる魔物は俗にいう亜人であり姿形は人間と大差ない。中には目立つ特徴を持つ個体もいるが、せいぜい角が生えているとか牙が生えているとかその程度の違いしかない。

 そのような個体の他に動物と似た生態を持つ魔物もいる。これは人間社会においては愛玩用に飼育されたものを除けば基本的に害獣としか扱われない。この犬蛇もその類だろう。


 犬蛇の群れはじりじりと距離を詰めていく。紫はその場から一歩も動かずそれを眺めているだけだった。

 俺は焦燥を抑えながらいつでも飛び出す準備をする。礼司さんから実戦を想定した訓練を受けていたが実際に戦うのは初めてだった。それも頼りにできる大人のいない場面だ。ここを切り抜けないと紫共々犬蛇の餌となるだろう。


 俺が動き出すよりも先に犬蛇の一匹が紫に飛びかかっていた。俺もやや遅れて踏み出そうとして――すぐに立ち止まってしまった。

 いつものスローペースからは考えられないような速さで大きく跳躍した紫が、宙でくるりと回転するとそのまま犬蛇の頭目掛けて落下した。犬蛇の頭は呆気なく踏み砕かれ脳漿を撒き散らした。

 靴を血に濡らした紫はそれを気にした素振りもなく絶命したばかりの犬蛇の死骸を蹴り飛ばす。


 凄惨な光景に戦慄するよりも、俺が良く知るぐうたらな紫とのギャップに混乱した。


 頭部の潰れた仲間を見て群れの残りが一斉に唸った。と、同時に二匹が左右から襲いかかり――顔面に巨大な白い塊が直撃して仰け反った。両方とも潰れてひしゃげた顔を晒して倒れそのまま絶命する。

 紫の周囲には同じような白い塊がいくつも浮かび、彼女を中心として衛星の如く回っていた。そしてそれぞれが別の犬蛇へと飛んでいき的確に頭部を粉砕していく。

 白い塊の正体は雹だった。直径が四十センチを優に超える重量物が少女の意思一つで飛び交い、哀れな魔物の命を次々と奪っていく。

 雹に狙われずに済んだ数匹が仲間の屍を飛び越えて噛みつこうとした。紫はそちらに視線一つ寄越さず腕を払うような仕草をとる。腕の動きに合わせるように突風が起こり飛びかかろうとした犬蛇は全て後方へと舞った。その内の二匹は近代アート化した木々にぶつかった拍子に首から鈍い音を鳴らして動かなくなった。


 雹と突風、それらを目にして気づかないわけがなかった。


 それらはは英雄と呼ばれる礼司さんが持つ血統種としての能力――“天候操作”と全く同じ能力だったのだ。


 礼司さんが人間のみならず血統種からも恐れられた理由は、その広範囲に亘って影響を及ぼす能力の特質にある。

 彼は指先一つで豪雨を降らせ、雷を落とし、風を吹き荒れさせ、雪に埋めることができる。

 さらにその技はもっと狭い範囲内で小規模に使用することも可能だ。敵の視界を奪うために風を起こしたり、雷撃を放って敵を攻撃したりと使い勝手でいえばこちらが上だ。紫がやって見せた芸当もこれと同じだ。


 肉の砕ける音と新鮮な血の匂いが異界を彩り、唯一の観客である俺は舞台で踊る紫に息を呑むしかなかった。


 犬蛇はとうとう最後の一匹を残すのみとなっていた。群れの中で一番身体の大きい個体であり、他の犬蛇と比べると五倍以上の大きさはある。あれが恐らくリーダー格だ。リーダーは手下と違い不用意に飛びかかることなく紫を注視している。知能は低くない、この状況を的確に把握しているようだ。この異界を最初に構築したのもこいつに違いない。

 紫も自分から仕掛けずじっとリーダーを見つめている。どう攻めるべきか考えを練っているのだろう。


 まずはリーダーは咆哮をあげると紫へと飛びかかる。難なく回避した紫は雹を一つ生成して相手の頭を狙って飛ばした。するとリーダーは長い身体を鞭の如くしならせて雹を弾いた。

 続いて紫は掌を掲げると雷撃を放った。だがリーダーは一切の回避行動をとらずに攻撃を真正面から受け止めた。これには紫も驚いた表情を作る。このリーダーが特殊なのか犬蛇が皆そうなのかは不明だが、雷撃は通用しないようだ。

 今度は多数の雹を投げつけるがこれも大半は弾き飛ばされてしまい、運良く命中したいくつかも大した傷をつけられずに終わった。鱗の硬度もかなり高いのだろう。


 さて、と俺は戦いを観察しながら考える。あのリーダーを真っ向から倒すのは骨が折れそうだ。主な攻撃手段である雹と雷撃が通用しないなら血統種の身体能力に任せてひたすら殴る手もあるが、それでは先に紫がばててしまう。

 だが――紫の力がもっと強ければインファイトも望める。俺の出番というわけだ。


 俺は両手を合わせ強く念じると紫に焦点を定めた。自分と紫の精神を“同調”させ“増幅”の過程へと移る。

 紫は初めて俺が隠れていることを悟り、目を丸くさせてこちらを見た。俺は犬蛇に集中するように顎で指した。彼女は自分の中から興奮に似たような強い感情が生まれるのを感じ取ったのだろう。それが俺の仕業であることにも気づいた。


 俺の力は自分の感情や意志の大きさをそのまま衝撃に変換して放出するというシンプルなものだ。そのときの感情やモチベーションで威力が高低するのがネックだが、それでも余りあるメリットがある。


 それが味方の精神と波長を合わせることでその人物の力を増幅できるという応用の技だ。

 これは自分と価値観や嗜好が近いほどより高い効果を発揮する。俺と紫は決して仲が良いわけではないが、紫の戦いを目の当たりにして感銘を受けた俺の心情の強さを送るだけでも充分だ。あの犬蛇のリーダーはそれだけで倒せる。

 

 紫は手を握ったり開いたりして自分の身に起きた異変を確かめる。それがプラスの作用を持っていることを理解すると俺に微笑みかけた。


 紫が疾駆してリーダーへと迫る。紫に起きた変化を見定めようとしていた犬蛇は一瞬対処に遅れたが、すぐに大きく身体を反らして避けようとする。しかし紫はリーダーの身体が動くよりもっと速くその眼前に接近し、振りかぶった拳でリーダーの顎を打った。

 ぎゃんと悲鳴を上げて宙を舞うリーダー。それを離れたところから観戦していた俺には、パンチ一つで吹き飛ぶ光景が可笑しく思えた。背中から着地したリーダーは混乱のあまりにその場でじたばたとして……追いついた紫によって最初に絶命した手下のように頭部を踏み潰された。悲鳴を上げることなく静かになったリーダーに背を向けて紫は歩き出す。残されたのは一匹残らず死骸となった犬蛇の群れだけだった。


 俺の下へ歩み寄ってきた紫の瞳がやけに綺麗に見える。こんなにはっきり開かれた彼女の瞳を見るのは初めてだった。

 彼女が手を上にかざすとどこからともなく雨がシャワーのように降り注いできた。紫はリーダーを殴った手についた血を洗い流した。


「ついてきたの?」

「……まあな」


 それが尾行の件を指していることは明らかであり俺は頷く。紫は「ふうん」と納得したように呟く。


「まさかこの公園に異界があるなんてな」

「前に来たときには無かったからここ数日の内にできたんだろうね」

「お前いつもこんなことしてるのか?」

「異界のチェックを言ってるならそうだけど」

「毎日のように夜遅くに家を抜け出して――たった一人で魔物を退治してたっていうのか」

「……悪いことはしてないよ?」


 何かおかしいかとでも言わんばかりに首を傾げる。

 その様子に溜息をつかざるを得なかった。


「良いとか悪いとかじゃなくてだな、魔物退治なんて子供が一人でやることじゃないだろ。それもこんな時間にだ」

「だってこんな時間じゃないと自由に動けないし……」

「そうじゃなくてこんな危ない真似はするなって言っているんだ。礼司さんや寧が知ったら心配するぞ」

「大丈夫だよ、こんな奴等に負けないもん」


 その言葉を証明するように紫は再び雹を生み出し、空中でくるくる回す。

 紫が普段の頼りない調子とは裏腹に並外れた力を持っていることはもう疑う余地はなかった。これが御影礼司の血を引く子供かと感嘆した。いつもぼんやりしているのは演技だったのかと勘繰りたくなった。


「もし強い魔物が潜んでいる異界だったらどうするんだ……さっきのリーダー格ぐらいなら単独で勝てないこともないが、それ以上となると厳しい。礼司さんや他の大人だって一人でこんな危ない真似はしない。こういうのは他の誰かと一緒に……」

「……誰かと一緒の方がいいの?」

「は?」


 思わず呆けた声が出てしまった。


「一人でやるのって駄目だったの?」

「そんなの……当たり前だろう。どうして誰にも言わなかったんだ」

「だって異界を探す人なんて普通いないよ?」


 俺はその言葉に何も言い返せなかった。


 紫の言っている意味はよくわかる。魔物の駆除というのは誰かが襲われてから初めて行動を開始するのが基本だ。それはどこにあるかもわからない異界の入口を虱潰しに探すのは困難だからだ。この公園のように見つかりやすい場所にあるならいい。しかし異界とはどんなに狭くても人の出入りが無い場所ならどこにでも出現する。建物内の誰も使っていない部屋から、ろくに人が通ることのない道まで。住宅街のど真ん中にある空家に出現するのも珍しくない。

 故に異界の出現とそれに伴う魔物の流出には、各人で危機管理を行うのが常識としてまかり通っている。人気のない所に近づかない、対策はたったそれだけだ。

 大体この街一つとっても危険な魔物が棲みついている異界は両手の指では足りないほどあるのだ。その多くが人間を警戒して姿を見せないだけに過ぎない。そして魔物は身の危険を感じると異界を自ら破壊して別の場所へと移動するので、常に同じ場所にあるとも限らない。それらを一つ一つチェックするのは大変な労力を必要とする。


 そこまで考えて俺は一つの疑問に突き当たる。


 紫はどうやって異界の入口を探しているのか?


 紫は今夜初めて異界を見つけたと言っていた。だが紫の様子に変化が表われたのは異界の外にいるときだ。異界の中に入った後に気づいたのではない。最初からそこに異界があることを知った上で動いていた。


「お前……異界の入口がわかるのか?」

「……そうだけど?」


 異界の入口を探索する有効な術は現在存在しない。実際に現地で発見するほかないのだ。


「どうやって見つけるんだ?」

「どうやってって……見ればわかるよ、そこだけおかしく見えるから。魔物がこっちまで出てきそうな所もなんとなくわかるし。でも遠目じゃわからないから近づいてみるしかなくて。ここの入口からもう少しで何か漏れそうな気配がしてたのに気づいて慌てちゃった」

「ちょっと待て、もしかして放課後あちこち行っていたのは遊んでたわけじゃなくて――」

「遊んでた? 違うよ。異界の入口を探してたの」


 紫は街の各地に隠れた異界をマッピングしていたと言ってのけた。人の気配に溢れる昼間には隠れている入口も紫の眼には敵わない。異界の位置とその危険性を把握し日没後に魔物が出てこないように定期的に見回る。それが夜に出歩く理由だった。今夜見回った場所も全て危険な箇所だったのだ。


 何故、という疑問が生まれる。どうしてこの少女はたった一人でそこまでするのか? 探索、警戒、場合によっては魔物の駆除、これらを全て行うことがどれだけの負担となるのか想像に難くない。


 しかし実際に尋ねてみれば紫はあっさりと答えた。


「だって――私にはそれができる(・・・・・・・・・)から」


 それが当然だとばかりに。


「他の人には探せない、私は探せる、それなら私がやるよ」


 御影礼司の娘である自分ならできる。

 このとき俺の中で形成されていた紫のイメージは完全に崩れた。無気力でだらしのない子供の姿はもうない。あるのは己の力で成せることを当然の使命と捉える強靭な心の持主だ。御影紫は正しく英雄の血を引いていたのだ。


 それからというもの紫の異界巡りに俺が同行することになった。俺の能力なら紫をサポートすることができるので魔物との戦いが有利になる。

 それに先駆けて礼司さんには全て打ち明けることにした。自分の娘が長い間やっていたことを知ったとき彼は大きな雷を落とした。比喩としても物理的にも。しかし紫の活動を禁止するとは言わなかった。魔物による人的被害がここ最近低下しているという目に見える成果が表れたことも、その原因だったのだろう。『同盟』や警察にも話を通し、治安維持活動の一環として参加することを許してもらえた。

 『同盟』から派遣された人員や、それに五月さんと登も手伝ってくれることになり、紫の生活は大きく改善することとなった。




 『同盟』の紫に対する評価は大きく上がり、それまで彼女を侮っていた大人たちも考えを改めざるを得なかった。昼間に居眠りをすることはなくなり校内でも彼女を見る目は変わった。紫に好感を持つ人間は次第に増え名実ともに英雄の娘と呼ばれるようになったが、本人は相変わらず呑気で気ままに過ごす毎日だった。トラブルは時折御影家のネームバリューにあやかろうとする大人が口八丁に近づく程度だ。そんな大人も紫のペースに呑まれて退散することがほとんどだった。


 中学校に進学すると異界巡りに蓮が加わるようになった。友達になってから間もなくの頃、俺が試しに誘ってみると二つ返事で乗ってきたのだ。

 蓮は温和で物静かな性格であったが戦いになると意外にも積極的に動き回った。これについて尋ねると少し言いにくそうな顔で父親から習ったことを告げた。逮捕された父親は根っからの武闘派で幼少期から厳しい訓練を受けていたとのことだ。そういえば礼司さんも取り押さえるのに一苦労したと教えてもらったことがあった。

 そんな蓮も父親の性格を一部継いでいたらしい。紫の華麗に戦う姿に大きく感銘を受け、一緒に訓練してほしいと頼み込んだ。紫も断ることなく引き受け、活動のない日には御影家が所有する付近の空き地で実戦訓練をすることに決まった。


 この頃、俺は紫の性格にほんの少しずつであるが変化が訪れていることを知った。

 俺たちが巡回に加わる前の紫には、どこか他者を頼ろうとしない壁のようなものが確かに存在していた。己の使命は一人で全うしなければならないという強迫観念とでも言えようか。あの晩犬蛇の群れを片付けたとき、はっきりと言葉に出さずとも醸し出す雰囲気がそれを雄弁に語っていた。そんな空気がいつしか消え、誰かの隣に立っているのが当たり前となっていた。

 その変化を礼司さんは誰よりも一番喜んだ。彼もまたその強さ故に周囲との隔たりに悩んでいた過去があったと聞く。娘が心を分かち合える仲間を持ったことに安心した。


 もう問題児扱いされていた少女はどこにもいない。

 次の世代を担う希望がここにある。


 御影紫こそが礼司の跡を継ぐに相応しいと誰もが思った矢先の出来事だった。

 紫が次期当主の座を寧に譲ると宣言したのは。




 廊下から聞こえる微かな足音と話し声によって俺の意識は覚醒した。

 微妙な空気の中でお茶会が終わった後、部屋に戻ってベッドに転がってからいつの間にか眠ってしまったようだ。


 各務先生の話が原因なのか昔の夢を見てしまった。まだ紫も蓮もいた頃の話だ。あの頃は皆がいつまでも一緒にいると疑わずにいた。それがあの事件が元で全て崩れてしまった。


 今更こんな夢を見るのは未だ後悔を抱えていることの表れか、それとも疲れてしまったからなのか。眠っていたのはほんの二時間ほどだが頭は冴えていた。

 

 廊下から聞こえる声と足音はこの部屋へと近づいてくる。女性の声が二つ。一つは五月さんのものだ。もう一つの声は知らない誰かのもので若い女のようだ。二人の声は隣の部屋の前で立ち止まった。俺は廊下へと顔を出し声の主を確認する。

 隣の部屋の前で五月さんと見知らぬ少女が話をしている。少女は五月さんよりずっと背が高く百七十センチは超えているだろう。胸元まで伸ばした黒髪と紅い瞳が目を引いた。紅い瞳は一部の血統種に見られる特徴だ。旅行鞄を手に下げていていることから来客だと思われる。恐らくあの少女が雫世衣だろう。

 五月さんは部屋の鍵を渡すと去っていった。客人の少女は部屋の中へ入ろうとして俺の存在に初めて気づいた素振りを見せる。


「……」


 少女は無言で会釈するとそのまま部屋の中へと消えた。

 

 あれが雫世衣か――変わった雰囲気の女だ。俺と同い年らしいが実年齢より大人びて見える。人付き合いはあまり良さそうには思えない。一体礼司さんとどんな関係にあったのだろうか。


「――気になりますか、彼女と礼司様の関係が」

「いつの間にいたんだ……秋穂さん」


 雫世衣がいた方向とは反対側から突然声をかけられ、振り向きざまに言葉を返す。

 そこに立っていたのは黒のスーツをぱりっと着こなすポニーテールの女性。隼雄さんの事務所の所員であり死んだ親父の部下だった秋穂さんだ。


「お久しぶりです……そしてお帰りなさい」


 一月ぶりに逢う秋穂さんは相変わらずの無表情だが、口の端がほんのわずかに上がっているのがわかる。


「彼女を迎えに行ったと聞いたけど、あなたから見てどうだった?」

「よくわからない、としか言えませんね」

「ということは礼司さんとの関係は答えなかったってことか?」

「ええ、率直に訊ねてみたのですが『以前に逢ったことがありその際に世話になった』とだけ答えて詳しいことは何も。何か問題があるわけでもないのでそれ以上は難しいですね」


 秋穂さんは肩をすくめた。


「……一先ず彼女のことは置いておきましょう。まずは目の前の問題を片付けましょう」

「問題なんてあったか?」

「明後日の就任式の件です」


 眼光が鋭くなりトーンを落として秋穂さんは話を続ける。


「明日到着する辰馬(たつま)様と沙緒里(さおり)様が、あなたの補佐就任に反対している勢力の筆頭であることはご存知ですね? あのお二方は未だあなたを追い落とすつもりでいるようです。恐らく一年半前の事件を持ち出してくるに違いありません」


 またか、と思わず声に出かかったのを寸でのところで止めた。


「幼い寧様が『同盟』の地位を継承するなら補佐の任命は最重要課題です。あなたが不適格と見做されれば『同盟』は別に誰かに挿げ替えようと考えるでしょう」


 隼雄さんはこの点に関して楽観的な見方をしていたが、秋穂さんは同じように考えなかったようだ。俺も同感だ。連中はもし一年半前と似たような問題が起きたらと神経を尖らせている。代わりになる奴がいれば無理に俺を登用する必要もない。


「あまり深刻そうな顔をしていませんね」

「……正直に言えば補佐の座にはもう興味はない。一度はすっぱり諦めた話だからな。就くのが嫌ってわけじゃないんだが」

「寧様はあなたが就いてくれることを願っているのですが……」

「なれなくても相談ぐらいは乗るさ。義兄(あに)としてな」


 俺の言葉に秋穂さんは不満そうに目を細めたが、すぐにいつもの無表情に戻り溜息をついた。




 その夜、俺は自室の窓から外を眺めながら屋敷へ到着してからのことを振り返っていた。


 ここへ来てから話題に出るのは一年半前の蓮の死、それに次ぐ紫の失踪、そして今回の礼司さんの死と不穏な過去ばかりだ。それらの事件の中心人物が俺であるのだから当然とも言えるがいい加減気が滅入ってきた。その上、明日になれば新たにやって来る一族の者によって再び突かれるのは確定済みだ。とりあえず今は我慢するしかない。


 俺は礼司さんから受け取った手紙の内容を思い出した。あの手紙が無ければ俺はここへ帰ろうとはしなかった。礼司さんは俺が補佐に就くことを本当に望んでいたのだろうか。俺を指名すればトラブルになるのはわかっていたはずだ。本当は屋敷へ呼び戻す理由づけがしたかっただけではないかと思ってしまう。


 まあ、彼の真意は後でゆっくり考えればいい。まずは頼まれた任務(・・)を遂行するだけだ。諸々の問題はそれから取り組めばいい。


 俺は礼司さんから届いた封筒の中から手紙を取り出す。俺を呼び戻し補佐に指名する旨が書かれた一枚目、そして任務の内容が書かれた二枚目(・・・)だ。二枚目は礼司さんの署名と血判入りで随分と仰々しい。


「全く……春休みを満喫できると思ったらこれだからな。どうしてこう面倒なことを頼むんだ。一族及び関係者内の裏切り者(・・・・)探しなんて」


 明日に集まる就任式の参加者たち。その名簿を俺はこの手紙で事前に受け取っていた。何故ならこれが裏切り者の候補者だからだ。

 雫世衣を除いた十三人の出席者。この中に人類と敵対する血統種――蓮の父親が所属していた対立派と繋がっている人物が紛れ込んでいる。


 二枚目の手紙には凡そ次のように書かれていた。

 万が一この問題を解決する前に死んだときのためにこれを遺す。自分と近しい人達の中に敵と通じている者がいる。疑わしい者全員を寧の当主就任を理由に集めるので彼らを探ってほしい。手段は一任する。


 これが礼司さんが最後に頼んだ仕事であり、俺がここへ帰ってきた一番の理由だ。


「頼むから俺と親しくない奴の中にいてくれよ……」


 脳裏に浮かぶのはかつて殺めた親友の顔。

 不安の色濃く呟かれた言葉は夜の闇へと溶けていく。




 このときの俺はまだ知らない。

 これが俺を真実へと導く道の始まりとなることを。

 そしてその過程で多くの犠牲が生まれることを。


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