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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第四章 三月二十八日 前半
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ガリナ

 俺が目を覚ましたのは朝の八時四十分を回ったところだった。

 上半身をゆっくりと起こすと、何やら頭がくらくらとしてもう一度ベッドにダイブしてしまいそうになった。

 少し気分が優れないので身体を起こしたままじっとして、頭が冴えるのを待つ。

 余程疲れていたのだろうか。昨日はあまり意識していなかったが、思っていたより体力や精神を消耗していたのかもしれない。


 とはいえ今日ものんびりしていられない。立ち塞がる問題の数々を解決するためにも、まずは行動だ。

 そう意気込んでみたのはいいが、実際は凪砂さん経由で情報が入るのを待つしかない。何しろ調査全般は警察と親衛隊に任せきりなのだ。


 腹ごしらえが済んだら、凪砂さんに経過を訊くことにしよう。昨日辰馬さんが明かした事実について相談もしたい。




 朝食の後、庭に出た俺は凪砂さんと二人並んでベンチに腰を下ろしていた。

 天気は変わらず快晴。気温もちょうどよく、春を感じさせる心地よさだ。


 視線の先には、二体の魔物がじゃれ合う様子とそれを眺める三人の少女の姿がある。

 二体の魔物は竜と狸だ。昔からこの家の人が知る凪砂さんのペット――名をアンコロという竜は頭の上に(トリス)を乗せてぐるぐると喉を鳴らしている。この一頭と一匹はどうやら意気投合したらしく朝からこうして遊んでいる。特にトリスのはしゃぐ様子は異常だ。良き遊び相手ができたと喜んでいるのか、頭から背中にかけて跳んだり、尻尾や足下の近くを走ったりして危なっかしい。


 それをはらはらとして見守っているのが飼主の彩乃だ。一夜明けた今は大分気を持ち直しているように見える。ペットの挙動に慌てながらも時折笑顔を見せるその様子からは、父親が死んだばかりの少女であるという事実は覗えない。彼女自身が言っていたように、父親が死んだ現実を単に予期された未来として受け止めているが故なのか。


 彩乃の隣でトリスを観察しているのは寧、二人の後ろで微笑みながら眺めているのは雫だ。

 寧と雫は気がつけば仲良くなっていた。礼司さんや蓮と交友があったと知った寧が物怖じすることなく突っ込んでいった結果らしい。

 二人がここにいるのは、寧が雫を誘ったのがきっかけだ。トリスとアンコロが遊んでいるのを見かけた寧が、部屋へ戻ろうとする雫を強引に連れ出したのだ。押しの弱い雫は逆らうことができず、俺に助けを求めてきた。寧への対処法が“気の済むまでやりたいようにやらせる”のが一番と知る俺は、雫に付き合う形で庭へ出たのだった。

 

 少女と魔物のふれ合いはどこかの公園で見かけるような和やかな光景だ。殺人事件の真っ只中でなければ、とても気の落ち着く一時だったはずだ。


「だから言ったんだ。こんな事態も起こりうると思ったから」

「まさか数時間後に直面するとは予想外だったんですよ」


 浅賀善則に関する話を終えたところで凪砂さんはやれやれと首を振り、俺をささやかに非難した。


「こんなときは決断を先延ばしにするより早々にやるべきだ。雫さんに話すか、それとも話さないか」

「そもそも俺の一存で勝手に決めていいんですか? あの件は一応過失で殺人を犯した俺への配慮ってことで揉み消したんでしょう? その裏には『同盟』の失態もあってそれを隠す意図もあるわけで……」

「要は表沙汰にならなければいいんだろう。こっそりと伝えてしまおう」


 何の臆面もなく言ってのける凪砂さんに、俺は強張った笑みを返すことしかできなかった。

 この人は真正面から力技で解決しようとするタイプだと改めて実感した。


「……これは単なる勘だけどね、雫さんは真相を知っても君を忌避しないと思うよ。彼女は真面目で少々堅いところがある。間違っても公然と非難するような人じゃないよ。勿論ショックは受けるだろう。でも、彼女には親友を探すという大事な目的がある。そのために立ち止まってなんかいられないよ。ましてや蓮の死もそれに関わっている可能性が大となればね」


 蓮の死と夏美の失踪の関与は、雫の話を聴いた時点ではまだ不明確であった。それが辰馬さんの証言で大きく変わった。

 五月さんと鷲陽病院副院長の密会。

 これが意味するところはまだわからない。ただ、五月さんを探る必要が出てきたのは確かだ。


「ところで辰馬さんの方はどうする気だい?」

「どう、とは?」

「辰馬さんは手柄欲しさに大事なこと黙ってたわけだろう? 御影の本家当主を補佐する者として彼を罰する気はないのかってことさ」

「それも考えましたが……目を瞑ることにしました。証拠がなくて追及できなかったという話は真実ですし、あくまで手柄が目当てで単独調査をしていたに過ぎないだけです。情報を握りつぶしたわけではありません。形式的に“厳重注意”で済ませました」

「『同盟』に話は上げたのかい?」

「いいえ」


 俺はその問いを否定した。

 敵と内通している者が『同盟』内部にどれだけ潜んでいるかわからない以上、現段階で話を上げるのはまずい。

 最悪五月さんが口封じされ、線が途絶えてしまう恐れもある。


「まずは五月さんを落とすことが先決か」

「あまり気乗りしませんけど。章さんと揉めるでしょうね」

「それに沙緒里さんもだ。どんな意図があって辰馬さんを煽ったのか……他にも何か秘密を隠し持っているなら吐かせないといけないね」


 沙緒里さんは一体何を考えているのだろう。

 彼女が慎さんに惜しみない愛情を注いでいることは明白だ。彼女がそれを目的として動いていることも。

 それにも関わらずどこか釈然としない。何か肝心なピースが一つ抜け落ちているような感覚だ。

 辰馬さんに重要な情報を伝えたのもそうだ。あの行動が彼女にとってどんな利益を生むというのか。


「沙緒里さんね……なあ由貴、一つ気になったことがあるんだが」

「何です?」

「昨日私が彼女と逢ったのは夜に少し事情聴取した時だけだった。その時にふと思ったんだが……信彦さんが死んだことをあまり悲しんでいない(・・・・・・・・・・)ように見えたんだ」

「悲しんでいない?」

「ああ。君はそう思わなかったか?」


 俺が昨日沙緒里さんと逢ったのは、信彦さんの遺体を発見した時が最後だ。

 あの時の彼女は怒りに狂い、暴走していたように見えた。それは再び夫を失ったことが原因だと考えたのだが――。


「昨日の沙緒里さんを見た限りでは、今度のことに対して物凄い怒りを覚えているのは確かだと思う。でも、そこに悲しさが全く感じられなかったんだ。何と言えばいいか……予想外のことが起きて怒ったような、そんな感じ」


 そういえば小夜子さんに叩きのめされた時も、邪魔が入って苛立ったというような反応を見せていた。あの時は敵意は放たれていたが、精神的なショックは特に表層には出ていなかったように思える。彩乃の反応との対比でそう錯覚しているだけかもしれないが。


「……どうにもしっくりこないんだ。初めからそうだよ。何で信彦さんと再婚したんだろう? 同じ境遇で気が合ったって話だけど、沙緒里さんってそんな理由で再婚するかな?」

「まあ、俺も少し変とは思いましたけど」


 信彦さんが生きていればその辺りのことを訊けただろうが、今そんな文句を言っても仕方がない。


「さて、答えの出ない話はここまでにしよう。新たに判明した事実が二つある」


 凪砂さんは指を二本立てて、俺の眼前に掲げる。


「一つ目、信彦さんの遺体がどこから運ばれたかという件。これはまだ断定はできないが、訓練場近くの物置小屋ではないかと考えられる」

「物置小屋?」


 昨日の朝、彩乃と一緒に訓練場から帰る時のことが脳裏に蘇った。あの小屋で信彦さんが殺された?


「信彦さんの遺体に付着していた埃の成分が、物置小屋にあった埃のものと一致してね。恐らくそこが犯行現場だろうって」

「それじゃあ、小屋の中に誰かが入った痕跡があったんですか?」

「ああ。床が綺麗に掃除されていた。恐らく足跡を消したんだろう。ただ、血痕は発見されなかったから、そこが犯行現場とは断定はできない。限りなく高いというだけであってね」


 信彦さんの遺体からは、ほとんど出血がなかった。小夜子さんも言っていたが刺殺した後、時間が経ってから凶器を引き抜いたと推測される。


「で、もう一つは?」

「ほら、狸くんが拾ってきた箱だよ。あの中身の正体がわかったんだ」


 箱の中身とは、茶色の葉のような物のことだ。あれの分析も終了したらしい。


「あれはガリナという植物の葉らしい」


 ガリナ――聞いたことのない名だ。


「この世界には自生していない植物だ。主な分布地域は九州北部に広がる異界シスカの内部と言っていた」


 異界シスカ。

 この国では有名な異界の一つだ。


 そこは血統種の祖先となった人型の魔物が住む隠れ里(コミュニティ)であり、国内で最大規模の異界である。

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