女記者は密かに動く
深夜、御影邸から遠く離れた市街地の中心に数台のパトカーの姿を見ることができた。
警官たちは昼間の襲撃事件を受けて警邏を強化し、街に潜伏している手配犯たちの捜索に勤しんでいた。
これを先導しているのは香住凪砂の息がかかった警官たちだ。その中には凪砂より階級の高い者もいるが、御三家や『同盟』の中枢に通じ判断力、指揮能力共に信頼のある彼女に異を唱えることはない。
マスコミは殺人事件と襲撃事件の関連についてこぞって取り上げ、礼司の死と絡めて御影家に何か暗雲のようなものが立ち込めていると評した。とはいえ事件の詳細に関してはその多くが公表されず、ニュースキャスターたちが憶測を述べるに留まることになった。
少しでも情報を得ようとする報道関係者は直接的には無関係な名取家や香住家にまで押しかけた。小夜子が滞留していること、凪砂が事件を担当していることは既に彼らの知るところであり、二人の実家の両家も事件について重要な事実を把握しているのではと考えたからだ。そうして門前までやって来た報道陣は一人残らず警備員に追い払われる羽目になった。
それでもどうにかして情報を探ろうと彼らは各地へと散らばっていく。今回は事が事だけに箝口令が敷かれており、探るのは容易ではなかった。頼れるのは持前のバイタリティだけという状況であるが、事件を追う者の顔に疲れの色は見られない。
それは加治佐牡丹も同じであった。
牡丹はフリーのジャーナリストであり、主に血統種絡みの犯罪を中心に記事を書いている。この界隈でそれなりに名が売れている若手記者で、今年で二十六歳となる。
彼女が現在注目しているのが御影家をめぐる謎めいた事件の数々だ。
去年の夏に起きた御影紫の失踪。一ヶ月前の礼司の死。そして、今回の事件。
これに一年半前に起きた都竹蓮の死も足せば四つになる。
ほんの二年足らずの間にこれだけの事件だ。当然疑問を抱くジャーナリストは現われる。牡丹もその一人であった。
蓮の死に関して警察が何かを隠しているのはすぐに気づいた。関係者にも問い合わせたが、返ってくるのは要領を得ない答えばかり。
事件後から『同盟』の動きに緊張が見られるようになり、牡丹はその動きを監視をするようになった。
都竹蓮の死には何かある。
そう確信した頃、今度は礼司の養子である最上由貴が放逐された。
突然の出来事に驚いた牡丹は顔馴染みの『同盟』職員に訊きこんでみたが、ここでも有力な話は得られなかった。
どうやら名取家と香住家が睨みをきかせていて情報漏洩を防いでいるとわかり、牡丹は別口から取材を始めることにした。
幸いにも牡丹は天性の取材能力に恵まれていた。彼女が祖先から受け継いだ血統種の能力は戦闘にこそ向かないが、情報収集の面では高い性能を誇る。
その能力を知る者は少ない。それ故に警戒されにくく、牡丹は労せず様々な情報を得ることができた。
その結果判明したのは、御影家次期当主の寧が暗殺されかけたことと、その犯人が蓮であることだった。
さらに由貴はその一件で蓮と通謀していた疑惑があり、それは解消できたものの信用は失われ屋敷を去ることになった。
これを知った牡丹はすぐに記事を書こうとはしなかった。
それより蓮の背後関係が気にかかった。
血統種の関与する犯罪を追い続ける者であれば、桂木鋭月という巨悪の存在は誰もが知るところだ。かつて彼の影に触れ命を落としたと思われるジャーナリストは多い。牡丹の知る中にも二人ほどいる。
その息子が父親を倒した英雄の子供を手にかけようとした。
彼は何を考え、犯行に及んだのか。
その疑問が頭を占め、牡丹はさらに蓮の背景を追った。
そして蓮と鋭月、その周囲との関係を洗い出す内に、彼女もまたかつての病院火災に辿りついた。
桂木父子と付き合いのあった糸井夫妻の殺害事件、そして夏美の失踪。
火災の原因は今なおはっきりせず、事件は迷宮入りの様相を呈していた。
牡丹はこの事件にも鋭月が関与していると直感した。犠牲者の中に鋭月の部下も混じっていることも疑惑を深める一因だった。
ただ、当時の状況を知るには情報が不足していた。既に鷲陽病院は廃院となっており、病院に勤めていた医師や看護師も散り散りとなっていた。加えて、その内の数人は行方知れずだ。それも院長であった島守信一郎と距離の近い人物ばかりが。
どうしたものかと悩んでいる中で発生したのが今回の事件だった。
牡丹は抱えている疑問を脇に押しのけ、一先ず御影邸へと向かうことにした。
何かしらの情報を得られることを期待して。
その夜、自宅のアパートに帰還した牡丹の顔は満足気だった。
予想以上の収穫と言える。襲撃事件と殺人事件の概要はほぼ完璧に把握することができた。殺人の現場が本館から離れた訓練場であったことも幸運だった。そのお蔭で庭や訓練場周辺にいた捜査員から情報を盗むことができたのだから。
そして雫世衣があの屋敷に滞在している事実も、牡丹を驚かせた。
都竹蓮の過去を調査する中で彼女の存在を知ったが、大して重要な人物ではないと記憶の片隅へと追いやっていた。まさかこの場に姿を現すとは思いもしていなかった。
何故、彼女があの家にいたのか。その理由はまだわからないが、やはり過去に起きた御影家とその周辺の事件は密接に関係しているに違いないと牡丹は確信した。どうにか話を訊ければよいのだが、現状マスコミは完全に締め出されている。何か方法を考えなければならない。
こうして欲しい情報の大半を得た牡丹であったが、一度だけ背筋を冷やりとさせられた出来事があった。御影寧を乗せた車が病院へ向けて出発したときのことだ。
車を見送った後、ふと由貴へと視線を移した瞬間に彼が牡丹のいる方向へと振り向いたのだ。牡丹は一瞬自分が隠れて見ているのがばれたのかと動揺した。しかし、どうやら彼は牡丹の存在に気づいたわけではないらしく、すぐに屋敷の中へと戻っていった。
あのとき、彼は自分へ注がれる視線を察知したのだろうか。牡丹が“いる”ことを正確に感知するのは困難だ。少なくともこれまではそうだったからこそ、牡丹はどんな重要な秘密であろうが状況が許す限り容易に入手できたのだ。
だが、それは不可能を意味するわけではない。仮にも御影礼司に育てられた子だ。そこらの血統種なんかよりずっと感覚が鋭敏なのかもしれない。これからは彼に注意した方がいいだろう。
牡丹は今後の予定を思案する。夜が明けたらまた御影邸に張り込むのは当然として、それから後はどうしようか。まず、雫世衣が屋敷へやって来た理由を突き止め、さらに都竹蓮や鷲陽病院との関係も洗い出さなければならない。
今度の取材は相当に遣り甲斐があるようだ。
牡丹は気分を高揚させたまま布団に潜り込むと、すぐに眠りに落ちた。