御影辰馬との対決
「しかし……本当に大丈夫か?」
雫が心配げに俺を見つめる。今度は俺が辰馬さんと争うのではないかと考えているのだろう。
「心配するな。ちょっと話がしたいだけだ。こんな状況だから揉め事はしっかり解決しておきたい」
「その、あなたは辰馬さんとあまり仲が良くないらしいから……向こうは何か言ってくるかもしれないぞ」
「あの人にいろいろ言われるのは慣れている。今更気にすることでもない」
平然と言ってのけたが雫はまだ不安の色を残している。
そこへ横から口を挟んできたのは寧だ。
「いいのいいの。由貴がやるって言っているんだから任せておけば? 少なくとも今より悪い状況にはならないでしょ、多分」
「いい加減だな……」
雫はやれやれと言うように首を振ると、寧を連れて去っていった。
二人を見送った後、俺は辰馬さんの部屋へ入る。廊下にはメイド人形が待機していたが非常時以外には進入しないように命令させておいた。
辰馬さんが意識を取り戻したのは一時間ほど経過した後だった。
呻き声を上げた後、目を瞬きしばらく天井をじっと見上げる。今の自分がどのような状態なのか把握しかねているようであった。
その傍に腰掛けていた俺は彼に見えるように手を挙げる。
「気分はどうだ?」
「……何故お前がいる」
露骨に嫌そうな顔をした辰馬さんはベッドからゆっくり身体を上げると、若干覚束ない足取りで立つ。まだ雷撃のダメージが残っているのか、手足を動かして感触を試しているのがわかる。
「起きた後で“冷静に”話し合いがしたいと思ってな。少しは落ち着いたろう」
「今は別の理由で気分が悪いがな」
それについては寧に文句を言ってもらいたい。まあ、あいつの判断も間違っているわけではないが、少しタイミングが悪かった。
「それで? 何を話し合う必要がある? お前とこうやって顔を合わせるのも不快だ。早いところ出て行ってもらいたい」
「それはないだろう? あんな意味深な発言を口にしたんだ。今更どうだっていいなんて言わせない」
「……本当に生意気な餓鬼だ」
憎々しげにそう吐き捨てると、辰馬さんは俺と相対する。
「お前に話すことなど何一つない」
「黙秘するつもりなら多少“手荒”な真似にでる必要があるな」
「ふん、暴力に頼るつもりか?」
そんなことをすればただでは済まないと暗に含み、見くびるように辰馬さんは嗤う。
それに対して俺は首を振って答えた。
「残念ながら違う。使うのは権力だ」
「権力だと……?」
「当主補佐としての権限を前借してあんたに命令する。知っていることを話せ」
「な――」
驚愕の余り言葉が途切れそのまま絶句していたが、すぐに我を取り戻して叫ぶ。
「そんな振る舞いが許されると思っているのか! まだ正式決定していないんだぞ!」
「だから前借すると言っているだろう。寧には事後承諾してもらう。ああ、『同盟』の方にも小夜子さんを通じて話をつけておくから心配ないぞ」
「貴様……!」
憤怒を浮かべたその顔を俺は冷たく見返した。
俺の視線に宿る感情を察した辰馬さんの顔色がすぐに元に戻る。
「前例はないかもしれないが、できないってことはないはずだ。何しろ緊急の案件だからな。未解決のままの暗殺未遂事件の重要な手掛かりをあろうことか支部長クラスが隠匿していたなんて、速やかに対処すべきだと思わないか?」
理屈っぽく畳みかければ辰馬さんは萎縮したように顔を伏せた。脅しつけるようだが現状これが最善の手だ。立場を重んじる彼にこれが一番効くことは明らかなのだから。
もっとも実際のところ俺は補佐就任に乗り気でないのだが、ここでは棚上げしておく。
「どうしてお前如きが……追い出されたままでいればよかったというのに」
「それに関しては俺に言われても困る。礼司さんはあくまで俺を推す気だったというだけの話だろう」
礼司さんは元々俺の追放にも反対の立場だった。他に相応しい者を選定できなかったからこそ、敢えて俺を指名し続けたと考えられる。
ただ、章さんや慎さんの能力や人格は以前から礼司さんにも認められていた。それなのに何故彼らが選ばれなかったのかは俺にもわからない。
「章では駄目だったのか……俺の子だからか? やはり“出来損ない”の子だから――」
辰馬さんの口調が少し崩れる。いよいよ余裕がなくなってきた様子だ。
だが、見当違いなことを口走るのは見逃せなかった。
「……おい。妙な勘繰りはやめろ。礼司さんがそんな人じゃないのはよく知っているだろう。大体礼司さんはあんたを嫌っちゃいなかった」
「いや、そう思っていた!」
辰馬さんは突然怒鳴るとそのまま捲し立てるように喋りだす。
「奴は子供の頃は俺に随分と親切にしてくれたよ。自分にとっては兄さんだからって、他の連中のように馬鹿にしたりするかってな。確かにあの頃は良くしてくれた。俺が幹部候補を目指したときも応援してくれたし、励ましもしてくれた。嫉妬していたのは事実だ。しかし、仲は決して悪くなかった」
「だがここ数年はろくに会話も無かったんだろう? どうして溝ができたんだ」
「ああなったのは俺の地位が上がってからだ。対策室長に就いた後だったか、次第に俺を疎んじるようになってきた。顔を合わせれば俺のやることにケチをつけ、隼雄辺りを抱き込んで俺を追い詰めようと仕組んだ」
「追い詰めるって……何のためにそんなことをするんだ?」
俺の問いかけに辰馬さんは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「俺の干渉を嫌ったからだ。あいつは前線で戦い、俺は後方から指揮する。最初はうまくいっていたが、徐々にお互いの判断にずれが生じてきた。作戦の立案で揉めたことも一度や二度じゃない。特に鋭月一派の掃討作戦のときは一番衝突が激しかった」
辰馬さんは過去を思い出している様子で遠い目をする。
「鋭月には多数の部下が離れずついていて、その上どこからか掻き集めてきた私兵にも警備を任せていた。その大半は軽犯罪を含めて様々な事件に関与していたろくでなしの集まりでな。それでも力だけはある厄介な連中だった。本部は鋭月や側近たちの捕縛、やむを得ない場合は殺害することを許可し、私兵どもは根こそぎ潰して問題ないと判断を下したんだが……礼司は本部の方針に反してそいつらを生かしたまま無力化することを提案した」
その話は初耳だった。礼司さんは普段温厚な性格であるが敵に対しては容赦しないというイメージがあったので、雑兵の生け捕りを唱えることは意外だった。それより過去の作戦ではそんな提案をしたという話は聞いていない。
「沙緒里は皆殺しを強く希望して皆を引かせていたが……それはともかく、奴の考えに小夜子さんも賛同したこと、広範囲の敵を無力化する手段が存在していたことから、状況が許せばという条件付きで奴の言い分が通った」
「問題がないならいいじゃないか。何が不満なんだ」
「無力化した連中がその後どうなったか知っているか? 不遇な生活を送っていた所を鋭月に拾われたとか、やむなく従っていたとか更生の余地が残されていた奴は皆警察の立会いの下で『同盟』と取引した。奴らは起訴されることなく秘密裏に『同盟』の裏工作専門の部署に回され、その一部は礼司の直属となった」
「何だと……?」
こちらに靡かせた元鋭月一派を礼司さんが引き取った?
「……本当なのか? いや、というより何故そんなことを……」
「無論自分の手足として使うためだ。正確に言うなら俺や沙緒里に対して主として諜報を行うためにな。礼司は俺や沙緒里の地位が上がるにつれて自分の影響力が削がれることを恐れた。そこで俺たちの弱みを握るための人材を欲しがった。鋭月の下にいた連中はうってつけだったというわけだ」
「礼司さんがあんたたちを探らせていたのは事実なのか?」
「間違いない。俺自身の手で調べたことだ。それに……」
「他にも何かあるのか?」
「例の慧の一件――あいつが千紘と一緒に暮らすと言い出したのも、礼司が裏で動いたからだ」
千紘とは辰馬さんの離婚した奥さん、即ち慧が密かに連絡を取り合っていた母親の名だ。
「……それはつまり礼司さんが慧を唆したと?」
「煽った、というべきだな。慧が俺から離れようとしていたのを知った礼司が目をつけたんだ。そうやって慧を動かせば必ず章も巻き込むと踏んでいた。実際に慧は最終的に章も誘うつもりでいた」
慧は母親と一緒に暮らしたがっていて、章さんにもいずれ同居するよう呼びかけるつもりだったのは聞いている。だが、辰馬さんは当然反対する。衝突は必至だ。
俺は辰馬さんの言いたいことに当りをつけた。
「こういうことか。礼司さんは奥さんを利用してあんたから章さんを引き離そうとしていた」
「そうだ」
「だが、それにどんな意味がある? 礼司さんにメリットがあるとは思えない」
「いや、そうとは言えん。五月のことがある」
五月さんがここにどう関わってくるというのか。
意図を図りかねた俺は話の続きを待った。
「さっき章を問い詰めた際に訊いたが……章がここ最近貪欲に仕事に励んでいるのは、五月との仲を周囲に認めてもらうためだったのだろう。だが、それは俺が五月との交際を反対することが前提だ。もし、章が俺の下から離れるなら俺に従う必要はなくなる」
「なるほど。障害がなくなれば礼司さんは積極的に当主補佐を目指すこともなくなり、俺を補佐にしたい礼司さんは得をする。そう言いたいのか?」
「そうだ! 礼司は章が上に立つと俺の力も強まると恐れたんだ。だから章を補佐候補から落とそうとした。慎は最初からやる気がなかったから問題にはならん。後は予定通り時機を見計らってお前を推薦すればいい」
正直言って呆れるほかなかった。この推測は辰馬さんの主観に寄りすぎている。
まず、章さんが何の問題もなく五月さんと交際できたからといって補佐を諦める理由にはならない。彼女との仲を公認してもらうことを目的としていたのは確かだろう。しかし、章さんは己の現状に満足せず限界を目指そうとする上昇志向の持主だ。彼ならむしろ五月さんの存在がモチベーションとなってより積極的になることも考えうる。
それに仮に五月さんが結婚したとしても御影家の使用人という立場は変わらないだろう。これから先も寧の私生活を支えていくのは誰にでも予想できる。それならば補佐となり公私両方の面から当主と妻の助けになろうと考える方が彼らしくある。結局登が言っていたような思考になるだけだ。
「……おい、まさかその主張本気じゃないよな?」
「どこがおかしいと言うんだ」
「最初からだ!」
いい加減うんざりしていた俺はつい声を荒げてしまった。
滅多に見せない姿なので辰馬さんも驚いている。
「礼司さんがあんたを嫌っていた? 冗談はよせ。どうしてそこまで他の皆が悪意を抱いていると思えるんだ」
「実際にそうだろう! 俺を監視させたり――」
「それが勘違いだと言っているんだ」
礼司さんには言うなと念を押されていたが、こうなった以上は言わずにはいられない。
辰馬さんには全て知ってもらう。
「いいか、よく聞け。礼司さんが具体的に何をしていたか俺は知らんが、その真意は想像できる。礼司さんはあんたを排除するために動いていたんじゃない。ずっとあんたのことを気にかけていて――助けようとしていたんだ」