挙動不審は続く
幸いにも慧は部屋にいた。扉をノックするとすぐに応答があり、俺と雫の名を告げると数秒の間を置いて顔を出した。
「……どうしたんだよ」
あれから寝ていたのか髪に寝癖がついている。瞼が重そうで口調も気だるげだ。
俺の背後にいる雫に警戒するような視線を向けたが、彼女が軽く挨拶の言葉をかけると再び俺の顔を見つめる。
「ちょっと訊きたいことがあるんだ……礼司さんのことで」
その名を出した瞬間、慧の全身から滲み出る雰囲気が変化したのを感じ取った。一見何でもないような態度を装っているが、瞳の奥に宿る緊張感は誤魔化せていなかった。
「叔父さんのこと? 俺に訊くようなことあるか?」
「礼司さんの葬儀のときからお前の様子が変だって訊いてな。もしかして礼司さんが死んだ原因に心当たりでもあるんじゃないかって」
慧は小馬鹿にしたように嗤う。
「別に大したことじゃないぜ。母さんの件を叔父さんに相談してたんだよ。それが死ぬ少し前の話だったから、急にあんなことになって驚いたんだ。それでちょっとショックで――」
「お前の様子がおかしいのは昨日来たときもだ。そこまで親しいわけでもなかったのに、そんなに長い間ショックが続いていたのか? それだけじゃない。お前――俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
どう切り出そうか迷ったが、ここは敢えて真正面から突っ込むことにした。
慧の反応は酷くわかりやすかった。最後の言葉は奴の精神を揺さぶるには充分すぎたらしい。息を呑んだかと思うと、血相を変えて首をぶんぶんと振った。
「変なこと言うなって。言うことなんか何も無ぇよ」
「言えよ。大事な話なんじゃないのか?」
ここで引くのは悪手だと直感した俺は、語気を強めて命令するように言う。
慧は俺が引かないことを悟ると、視線を泳がせて黙り込んだ。
「慧くん、礼司さんが亡くなったことで何か気づいた点があるなら教えてほしい。私にとって大変世話になった人なのだ。私の知らないところで異変があったなら……少なからず私にも落ち度があるかもしれないから」
そう言って雫は目を伏せた。
事件の調査で二人は頻繁に逢う機会があったのに、雫は一度も異変を察知することがなかった。それが元で、礼司さんが死んだのは自分が見落としをしたからではと彼女は疑っているらしい。
雫も礼司さんの死がただの病死か何かとは考えていない。調査中に別の事件に巻き込まれた可能性を危惧しているのだ。故に、その意味で最も身近にいた自分が注意するべきだったと罪悪感を抱いている。
雫の気落ちした様子を見た慧がたじろぐ。
「いや、俺はただ――」
言い訳のような言葉を発しようとしたその瞬間だった。慧の懐からメロディーが流れてきたのは。
慧はスマホを取り出すとディスプレイを見て、一瞬だけ俺の顔を窺った。その後すぐに視線を戻すと、少し待てと断ってから部屋の中へと引っ込んでいった。
「また、お母さんからだろうか?」
「そうだと思うが……」
それにしてはディスプレイを見た後の反応は妙だった。俺を気にしていたような態度に思えたのだ。
俺はその微かな違和感について確かめるように、部屋の扉に耳を近づける。
「ゆ、由貴くん?」
「静かに」
部屋の中から聞こえる慧の声は、廊下にいる俺たちを警戒しているのか小声だ。だが、それでもこちらへ届くくらいにはボリュームがある。どうやら大分興奮して相手と話しているらしい。それでも辛うじて断片的に聞き取れる程でしかなかった。
「……だから……まじゃ……を疑って……誤魔……いや、お前が……説得でき……」
慧の言葉は一部分だけアクセントが強く、その部分だけが判別することができたが、全体の内容を察するには不十分であった。ただ、慧が何か動揺しているような調子だであることだけは確かだった。
それからすぐに扉が開いて慧が顔を出す。その顔はどこか疲れ切ったように見えた。
「悪い。さっきの話はまた今度にしてくれないか? ちょっと立て込んでて……」
「いつだ?」
「今は何とも言えねえ。ちゃんと時間はつくる。他に優先したいことを片付けたらどうにかするから……」
諦めたように溜息をつく慧に疑問を抱いたが、その様子を目にしてこれ以上追及する気にはなれなかった。
「わかった。だがな、辰馬さんには後で謝っておけよ」
「……考えとく」
扉の向こうに再び消える慧を見送った後、俺と雫は顔を見合わせた。
「どう思う?」
「今の電話が原因とは思うが……電話を終えてから急に萎れたような気がする」
「ああ、聞こえた限りじゃ相手が何か言い出して慌てていたようだった」
「それなら……電話の相手は母親ではないのか?」
「恐らく」
収穫のない会話であったが、慧が隠し事をしていることは確信した。最後の様子を見るに向こうも本音では打ち明けたいように思えた。それが気のせいではないと思いたい。
俺は雫を連れて自室へと帰った。昨夜もそうであったが女性を部屋に連れ込むのは妙に緊張する。
雫をベッドの上に腰掛けさせ、俺たちは今後の方針について語り始めた。
「さて……鷲陽病院に関する調査は凪砂さんの親衛隊連中に任せて、俺たちは今回の事件の解決に注力したいところだ」
「つまり、信彦さんを殺した犯人を探すことを優先するのか?」
「ああ、犯人の正体がわかれば魔物の襲撃に対立派が関与している証拠を掴めるかもしれないし、連中を捕らえる機会も得られる見込みがある。それに……奴等が礼司さんの死に一枚噛んでいる可能性も否めない」
慧が秘密を打ち明けるのをただ待つわけにもいかない。別のアプローチから同時に攻めるべきであり、その意味では今回の事件は有力な足掛かりとなりうる。
「なんだかいろいろな事件が起こり過ぎて頭がこんがらがってくるな。一度整理した方がいいかもしれない」
「それもそうだな。各事件や関係者同士の繋がりもまとめて――」
俺の言葉は突然の打撃音によって阻まれた。俺の視線はその音が鳴った方向――部屋の扉へと吸い寄せられた。
誰だ、と問いかけるより先に扉をノックした相手が勝手に部屋の中へと入ってきた。
五月さんだ。
「……どうしたんだ、そんなに血相変えて」
五月さんは昼間の襲撃時よりも一層増して顔色が悪かった。下手をすれば今にも倒れそうにも見える。
「由貴さん、すぐに来てください。こんなこと頼むのは筋違いかもしれませんが、その、私一人ではどうにも――」
「落ち着いてくれ。何があったんだ?」
切羽詰まった様子の五月さんに気圧されそうになりながら、俺は事情を訊ねる。
そうして返ってきた答えは、考えられる限り今の状況を悪くするものであった。
「辰馬様が章さんの部屋に怒鳴り込んで……私のせいで、章さんが私を庇ったせいで……」
そのまとまりのない話でも容易に理解できた。
章さんと五月さんの隠された交際が、辰馬さんに知られてしまったのだと。