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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
プロローグ 三月二十五日
3/173

蘇る記憶

 今から一年半前、御影邸から一キロほど離れた所にある自然公園で男子中学生の遺体が発見された。

死亡した少年の名は都竹蓮(つづきれん)という。

 当時の新聞記事やテレビのニュースは、少年は公園の柵を乗り越えた先の斜面の下で発見されたと報じていた。

 死因は転落による首の骨折であり事故死として処理された。

 事件は瞬く間に他の報道に埋もれ、人々の記憶から消え去った。

 これが俺の犯した罪であることは一部の人間を除いて誰も知らない。




「でもね、君は悪くないと思うんだよ俺は」


 記憶の底から意識を浮かべると、隼雄さんは気遣うような表情で腕を組んでいた。


「彼は寧ちゃんを殺そうとして君がそれを止めようとした。過失はあるかもしれないけど……君を責めようとは思わない。これを人殺し呼ばわりするのは筋違いだよ」


 俺の瞳を覗き込むように隼雄さんは顔を近づけてくる。

 間違いではない。事実だけを見ればそうだ。

 だが、それが全てではない。


「真実は違うと疑われているからそう呼ばれるんだろう。保身のために友人を裏切った卑怯者ってな」


 表向きは事故死とされたあの事件。その裏で御影家は真相を闇に葬るべく動いた。

 理由の一つが、都竹蓮が御影家と繋がりのある血統種――俺の親友であったという事実。

 人類の良き隣人を標榜する御影家にとって、同じく手を取り合うことを掲げていたはずの血統種が裏切りに及ぼうとしたことは許されざる所業とされる。信頼を損なわないためにも事件を明るみにするわけにはいかず、捜査に携わった警官に対して厳しい箝口令が敷かれた。


「……あの連中ときたら、あることないこと言いふらしやがってさ。その所為で君は出て行く羽目になった」


 俺の自嘲する言葉に隼雄さんは軽蔑の表情を浮かべる。


「……俺に疑われるだけの理由があっただけだ。無実を立証することもできなかった」

「君が礼兄を裏切って対立派についたなんてデマは信じるに値しないよ」


 隼雄さんの顔には静かな怒りが滲み出ている。

 陽気な口調はとうに消え失せ、真剣な眼差しが俺を射抜いた。


 あの事件の後、ある噂があちこちで囁かれた。

 曰く、最上由貴とその友人都竹蓮は御影礼司を裏切り対立派に与している。


 全ての血統種が礼司さんのように人間との共存を謳っているわけではない。

 優れた力を持つ血統種が先導すべきと唱える者や、己の特異性に悩み社会に溶け込めず隔絶された区域で暮らす道を選んだ者もいる。それならまだ比較的穏当で、中には人間の排除を掲げ危険視されている対立派と呼ばれるグループが存在する。

 血統種が引き起こす大規模犯罪の裏にはこの組織が潜んでいることが多く、この存在が共存派の理念を大きく阻む壁となっていた。その犠牲になった者は人間、血統種問わず大勢いる。


 蓮は対立派とある種密接な関係を持っていた。蓮の父親が対立派の幹部であり、過去にいくつかのテロ事件に関与していたのだ。

彼が対立派に属することが知られたのは、その妻――つまり蓮の母親からの密告があったからだ。過激な思想に入れあげるあまり家庭を蔑ろにしていたらしい。妻と息子の生活は悲惨であったという。

礼司さんを始めとする共存派はその過激派グループを制圧するために動き、両者は壮絶な戦いを繰り広げた。その末に礼司さんは勝利し蓮の父親は捕縛された。現在は血統種用の特別刑務所に収監されている。

 父親の死後、蓮は母親と共にこの街に移り住んだ。礼司さんのいるこの街へ来たのは偶然ではない。対立派からの報復から逃れるために『同盟』の庇護下に入ったのだ。『同盟』の監視が強いこの街は対立派に狙われる弱者にとっての逃げ場だった。

 この街に来て過去を捨てるため母子は名前を捨てた。都竹蓮という名はそれから新たに名乗りだした名前である。


 俺が蓮と出逢ったのは中学校に入学してからで、一年生のクラスが同じだったことがきっかけだ。蓮は俺が礼司さんの養子であることを知っても気にした様子はなく、むしろ父親にまつわる過去を早く忘れてしまいたいと語った。それは父親の一件が未だ暗い影を落とし、後ろ指を指されることがあったからだろう。

 俺たちが親しくなるのに時間はかからなかった。微妙に境遇が似ていたこともありお互いのことを話すようになり、いつしか一緒にいるのが当然という間柄になっていた。

 俺たちは何事もなく穏やかな日常を過ごし――そしてあの事件が起きた。




 問題となった噂の詳細はこうだ。

 都竹蓮は父親と同様に対立派に通じ、最上由貴がそれに協力していた。二人は御影礼司の次女、寧の暗殺を計画した。ところが事前に察知されていたために直前で阻止された。蓮は逃走したが、彼が捕縛され裏切りが露見することを恐れた由貴が口を封じた――というストーリーだ。


 この噂は何ら根拠のない想像だと礼司さんは一蹴した。その後の調査で蓮と対立派を結びつける証拠が何も見つからなかったからだ。俺自身に対する調査でも完全に白という結果が出た。事件は蓮が単独で計画したと断定された。


「結局蓮くんの動機はわからず終いだったね」

「俺もあれからずっと考えたが寧の命を狙う理由なんて全く思い当らなかった」


 奴が何を考えて凶行に及ぼうとしたのか最後までわからなかった。真意を知る術は奴の死と共に失われた。


 対立派の関与はないとわかっても俺が潔白である理由にはならず疑念は深まるばかりだった。動機を巡る謎が解決しないことも無神経に噂を加速させた。俺は御影家を裏切り仲間を裏切った卑怯者の人殺しと囁かれるようになった。


 無理もない話だった。元々俺は寧の補佐として側にいることを一族から快く思われていなかった。俺がやって来る前に一族の中から補佐を選ぶ話が持ち上がっていたからだ。それは今回俺が呼び戻される前に争っていたのと似たような状況だったと聞く。補佐の座をどこからともなく湧いてきた子供に横取りされた一族は大層恨んだ。そんな邪魔者の汚点が見つかったとあれば盛大に騒ぐのは当然だった。


 ただ、醜く叫ぶ声ばかりであったわけではなく、純粋に俺の責任を問う声も存在した。

 俺が屋敷内部の情報を漏らしたことが問題視されたのだ。

 蓮の計画が屋敷内部に精通している者でなければ知りえない情報を参考にしているのは明らかだった。その情報源が俺であることも明らかであり、寧を危険に晒した責任は重大であると糾弾された。

 こればかりは俺も認めるほかなかった。彼らは将来寧の側に仕えるはずの者がこの有様では誰の信用も得られない、他に適任者を探すべきだと唱えた。一族のみならず『同盟』関係者からも不安の声が上がった。礼司さん自身も庇いきれなかったのだろう、俺に何らかの処罰が下されることが決定された。

 礼司さんは逆風を収めることができずその結果俺の追放が決まり、中学卒業を待って進学と同時に屋敷を出て行くことになった。


「君は人殺しと罵る声に最後まで反論しなかったね。どうして?」


 俺はその質問に答えなかった。今更答える必要のない問いだ。 


 無言の拒絶を受け取った隼雄さんは溜息を一つつくと首を振った。


「まあ……詮無いことか。変なこと訊いてごめんね」




「荷物置くだけで随分とかかるわね」


 あれから隼雄さんと互いの近況について話し合い、気がつけば十五分以上が経っていた。

二人で戻ってくると寧は居間のソファで寛いでいて、俺たちをじろりと睨んできた。テーブルの上には五月さんが用意した紅茶とパウンドケーキが並べられている。

 俺たちもソファに座り紅茶を口にする。


「さて、早速で悪いけど今後の予定を確認しよう。明後日、当主就任式を執り行い寧ちゃんは正式に当主となる。次いで由貴くんの補佐役任命もね。これを済ませればもう反対派の連中も口出しすることはできない」

「明日の式に参加するのは誰なんだ?」

「主役の二人を除くと十四人かな」


 隼雄さんは指を折り、名を挙げだす。


(たつ)兄のところの親子三人、沙緒(さお)姉も同じく家族四人、俺と秋穂ちゃん、五月ちゃんに登くん、各務先生も呼ばれてるね。それに小夜子(さよこ)さん」

「たったそれだけなのか? 分家の連中は来ないのか?」

「お父様が遺した指示書があったのよ。参加を許されるのは今挙げた人たちだけだって」

「それにしても……五月さんや登の出席が許されるのはわかるが、各務先生と秋穂さんも呼ばれているんだな」

「各務先生は昔からお世話になってるからねー。先代の先生も礼兄が当主に就任したときに出席していたって聞いたことあるよ」


 主治医の各務先生は父親が現役だった頃から御影家に出入りしている。こちらも五月さんや登のように親から受け継いだ仕事だ。先生は三十を過ぎたばかりの美丈夫で、まだ独身ということもあって女性から熱烈なアプローチを受けることが多い。


 秋穂さんは隼雄さんが経営する法律事務所の事務員だ。屋敷に出入りすることも多く各務先生と並んで顔馴染みだ。


「ところでさっき十四人って言っていたが一人足りなくないか?」


 隼雄さんが挙げたのは十三人だけだ。

 俺の疑問を受けて隼雄さんは怪訝そうな顔を見せた。


「それなんだけどさ……もう一人知らない人が招待されてるんだよね。雫世衣(しずくせい)って人なんだけど」


 雫世衣――初めて聞く名前だ。

 寧に視線を移すと知らないという風に首を振った。


「この人宛てに招待状を遺していたんだよね。でも誰に訊いても知らないって言うんだよ」

「どんな人なんだ?」

「それも調べてみたけどなんと由貴くんと同い年の女の子なんだよ! 礼兄っていつあんな可愛い子と知り合ったんだろ?」

「俺と同じ年ってことは……『同盟』の施設で暮らしている子か何かか?」


 『同盟』は親のいない血統種の子供を保護して、傘下の養護施設に引き取っている。

 血統種を引き取る養護施設は全国でも少ない。血統種への知識や理解を備えていなければ難しいからだ。また、人間の子供と血統種の子供の間に起きるトラブルを恐れて『同盟』の施設に託すケースも多い。血統種の子供が暴れると普通の人間には手に負えないからだ。

 礼司さんはたまに施設の慰問を行っていた。その過程で知り合ったのだろうか。


「俺も最初はそう思ったんだけど違うみたい。確かに彼女は血統種だけど両親は健在だし、その両親もごく普通の会社員と主婦だ。御影家との繋がりは全くナシ」


 奇妙な話だ。礼司さんと雫世衣の間にどんな接点があるのだろう。

 それに単なる知り合いというだけで就任式への出席を許すとは思えない。


「この前逢いに行ったときに訊いてみたんだけど、礼兄のことは『お世話になった人』だとさ」

「じゃあお父様が昔仕事で助けた人かしら?」

「それについては詳しく話さなかったよ。向こうもあまり話す気はないみたいだね。気になるなら彼女と話をしてみるといい。今日の夕方にこっちへ着くと言っていたから、秋穂ちゃんを迎えに行かせるつもり」


 秋穂さんに行かせると聞いて、俺は眉をひそめた。

 一つ不愉快な事実を思い出したのだ。


「……そういえば、寧が俺の所に押しかけてきたときに聞いたが、秋穂さんを迎えに寄越したのは誰も寧の迎えに行きたがらなかったからだって?」

「あ……藪蛇だった?」

「寧を怒らせると手がつけられないし、その上俺と顔を合わせたくないから秋穂さんに押し付けたって?」

「いやあ、本当は俺が行こうと思ったけどバタバタしてたからさ……」

「秋穂さんに迷惑かけるような真似は絶対しないでくれよ」


 秋穂さんは法律事務所の一事務員であって御影家に仕えているわけではない。御影家から任された法律事務の仕事をすることはあっても、御影家の手足となって動く必要はないのだ。

 寧が俺の家に行ったことを突き止めた後、一族の連中はどうしようかと悩んだに違いない。御影家の一族、関係者のほとんどは俺の追放に賛同した。それだけに俺と顔を合わせるのを嫌がったのだろう。だから俺と親しい秋穂さんが来ることになったのだ。

 

「……由貴くんって秋穂ちゃんのことになると本当に厳しいよね。もう由貴くんが引き取った方がいいんじゃないかって思うぐらい」

「付き合いだけなら私たちより長いっていうのは知っていたけど……これは過保護染みているのかしら」

「これからは由貴さんの方が立場は上になるので、本当に部下として引き取ることもできますね」


 秋穂さんの元上司だったのが死んだ俺の父親だ。彼女の前職は製薬会社の法務部で父さんが部長だった。まだ父さんが健在だった頃には何度も家に招かれたことがある。

 両親が死んだ直後、礼司さんが現われるまで世話を焼いてくれたのも彼女だ。父さんには誰も家族がおらず、母さんの親兄弟は血統種嫌いから俺と関わることを拒否した。

 秋穂さんは何も言わず俺を助けてくれた。口数が少なく無感情に思えるが、実際は情が深く恩義に報いようとする人だ。そんな性格が礼司さんに気に入られて隼雄さんに紹介したところ、見事採用と相成ったのだ。


 当主補佐に就いたら本気で秋穂さんを自分の下に置こうかと考えていると、玄関の呼び鈴が来訪者の到着を告げた。

 現われたのは各務先生だった。


「由貴くん、久しぶり。また逢えて嬉しいよ」

「こちらこそお久しぶりです、各務先生」


 先生はソファに腰を下ろし、五月さんが用意した紅茶を一口飲んでほっと一息ついた。やけにくたびれた様子だ。


「皆さん、今日ここへ警察の方が来ませんでしたか?」

「警察? 来てないけどどうして?」


 寧が訝しげな声を上げる。


「何かあったんですか?」

「先程うちに警察の方が来られて礼司さんが亡くなった件で話を訊かれたんです」


 俺も含めた全員の視線が先生に注がれる。

 先生は一度頷いてから話を続けた。


「礼司さんの死因、結局わからなかったでしょう? それで警察の方が僕の所へ来ていろいろと訊いてきたんですよ。何か気づいたことはなかったか、些細なことでも構わないからって」


 礼司さんの死にどんな経緯があったのか、真相は未だわかっていない。普段の健康状態や生活習慣にも不審な点は見つけられなかったという。遺体が発見された書斎もくまなく調べられたが何も異常はないと結論が下された。


「礼司さんは影響力の強い人でしたから……何らかの事件に巻き込まれた可能性を否定できないのでしょう。もし事件性があるなら『同盟』が動くことも考えられます」


 先生の表情は不安で優れない。

 何一つわからない死――蓮のときと同じだと思った。


 先生は俺の顔色を窺うように首を傾け、それから躊躇いがちに話し出した。


「だから……蓮くんの事件と(ゆかり)さんの事件についても訊ねてきました」


 ほんの一瞬全身に電流が走ったような衝撃が俺を襲った。

 俺は背中にじんわりと汗が滲む感触を覚えながら、平然を装って訊き返す。


「それは……どうしてまた?」

「……この一年半で蓮くん、紫さん、今度は礼司さんって立て続けに三つ(・・)も事件が起きたから警察も不審に思うのだろうね。ああ……勿論悪い偶然だとは思うけど」


 各務先生は気まずそうに視線を逸らした。

 俺は緊張を抑え込むように深く息を吸ってから、他の皆へと順番に視線を巡らした。

 寧は俯き加減でティーカップの底を覗き一言も発さない。隼雄さんは宙を見つめて頬杖をついている。五月さんは瞳の不安の色を宿して、心配そうに寧を見ている。


 各務先生の言うとおりこの一年半で御影家で起きた事件は三つある。

 一年半前の蓮の死、今回の礼司さんの死、そしてその中間――去年の夏に起きた失踪事件。

 

 俺は目を瞑り記憶の奥底から彼女の姿を引き出した。

 御影紫――礼司さんの長女で寧の姉。

 俺がこの屋敷に来てから新たにできた“家族”。


 屋敷を出る前、最後に紫と逢ったときどんな顔をしていたか――今でも覚えている。

 彼女は何も言わず、ただじっと俺を見つめていた。

 哀しみや憎しみに溢れた視線をぶつけられると思っていた俺は、形容しがたい雰囲気に困惑した。

 その表情には、何の感情も浮かんでいなかった。

 恋人の蓮を俺に殺され彼女がどう思っていたのかは、最後までわからなかった。


 俺が屋敷を出たその四ヶ月後、紫は人知れず姿を消した。

 彼女が残した置手紙には『蓮に逢いに行く』とだけ書かれていた。

 それ以降彼女の消息は掴めていない。


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― 新着の感想 ―
[一言] 俺はその質問に答えなかった。今更答える必要のない問いだ。 何で答えなかった? 説明も無しかよ。 それじゃ読者として、この主人公に共感できないな。
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