出来損ないの長男
血統種とは魔物の血を引く“人間”だと、分類学的にはそう定義されている。普通の人間が持たない人知を超えた能力を操ることが、最もな特徴である。
その能力は祖先から代々受け継がれたものもあれば、ある世代で突然芽生えるものもある。後者は凪砂さんの“千獣騎乗”がその一例だ。また、俺の“怒りの鎧”のように能力の暴走を経て変異するのも同様と言える。
前者については説明するまでもない。礼司さんの“天候操作”(これにも固有の能力名が存在するが、一般的には“天候操作”で浸透している)を継承した紫と寧を見ればすぐにわかる。沙緒里さんは全ての天候をそこそこ制御できるが、中でも吹雪を操ることに特化している。あまり披露することはないが隼雄さんは平均的といったところか。
しかし、辰馬さんは違った。彼にはどの天候を操作することにも適性がなかった。弟や妹と違い、明らかに劣っていた。他に別の能力を得たわけでもない。
才能に恵まれなかった、というだけの話だ。
先代の当主はこれを嘆き悲しんだ。待望の第一子が力に恵まれなかったことは、すぐに知れ渡った。辰馬さんが物心つく頃には、周囲の視線には軽蔑が混じっていたらしい。
そして、礼司さんが生まれその絶大な力を発揮するようになると、次期当主は礼司さんで決まりだと当然のように囁かれた。その話題は辰馬さんのいる前で平然と語られた。
出来損ないの長男より、ずっと優れた次男が継ぐのは確実だ。
周囲の反応が辰馬さんの人格形成にどう影響したかは、想像するに難くない。弟は賞賛を浴び順調に英雄としての道を歩みだしていた。新たに誕生した妹ともう一人の弟も一定の評価を得た。
辰馬さんには何も与えられなかった。強いて挙げるならどこにでもいる人間という評価だけ。御影辰馬という人間の人格は否定されたのだ。
ただ、辰馬さんはそこで全てを諦める性格ではなかった。
それは弟への嫉妬心からなのか、それとも周囲の連中を必ず見返してやるという不屈の精神だったのか、辰馬さんは別の戦い方を選んだ。
辰馬さんが選んだのは指揮官としての道だ。血統種の力を成長させても限度がある。弟と同じ土俵で勝負しても評価は得られない。そこで目をつけたのが『同盟』の幹部候補養成コースだった。候補生の中には血統種でない人間も幾人かいた。立案能力、指揮能力、情報分析能力などを重視するこの仕事には出自を区別する壁はなかったのだ。それ故に辰馬さんにとって狙い目であった。また、勉学に関しては文句なしの成績だったことも、彼の決断を後押ししたのだろう。
当初その決断への風当たりは強かった。幹部の椅子は、才能のない男の逃げ場ではないと罵られた。実家のコネを頼りに地位を手にするつもりかと嘲笑われることもあった。辰馬さんはその全てを無視した。
果たして結果を出すことはできたのか。それは現在の地方支部長という肩書が語っている。
ただ、それでもなお心の奥底にこびりついた不遇な時代の記憶は拭いきれなかったらしい。礼司さんとの間にできた溝は時と共に広がっていった。礼司さんが悪いわけではないと理解していても、比較され続け貶められた過去を引き摺ることを止めなかった。二人は家族の集まりで顔を合わせても、ろくに言葉も交わさないようになった。
そのコンプレックスに拍車がかかったのが、章さんの存在だ。もし、章さんがいなければ当主補佐の座に固執することはなかっただろう。誰の目にも優秀な彼の存在が、胸の内に燻る感情に火をつけた。
自分が手にできなかった栄誉を、代わりに息子の手に取らせたい。
それを突然養子として引き取られた子供に横取りされるなど、たまったものではないと憤慨したのも無理のない話だ。
辰馬さんは妹と結託して、俺の追放に力を注いだ。そして、その目論みは一度は成功した。
礼司さんが俺を諦めていなかったことだけが不運だった。
「そりゃ慧くんが悪いよ。辰兄が気にしているの知ってるでしょ」
俺が事のあらましを説明した後、隼雄さんは呆れた口調でそう言った。
夕食の時間、食堂に集まったのは半分ほどだった。まず、俺と雫が最初に到着し、続いて隼雄さんと秋穂さんがやって来た。そして、寧と章さんと小夜子さんがやって来たのを最後に誰も現れることはなかった。
気分が優れないため部屋に食事を運ぶように頼んだ彩乃や、自宅へ帰った各務先生を除いた人たちは、各々の理由で部屋に籠っているらしい。結局この八人だけで食事を始めることになり、誰もが口数少ない中で俺が話題を提供する運びとなった。
「……何と言えばいいのか。身内の恥ずかしいところを見せてしまったようだね。慧には後で俺からも言っておくから」
「章くんが気にすることないでしょ。いや、まあ気にするなって言っても無理かもしれないけど。辰兄の方は……どうしようかな、あれで結構繊細だからね。普段は横柄だけど事情を知ってるとなあ……」
「あの人の性格も昔から変わらないのだから、諦めることも肝心じゃないかしら?」
隼雄さんは昔からよく知る兄をどうにかフォローしようとするが、隣に座っていた小夜子さんはバッサリと切り捨てた。
「同感です。敵をつくる言動も一度や二度ではありません。いい加減改めないのであれば見限ることも必要かと」
秋穂さんも頷きながら、小夜子さんに追従する。俺に近い立ち位置にいる秋穂さんは、辰馬さんや沙緒里さんに対して手厳しい。一応雇い主の兄と姉であるのだが、俺への態度を何度も目の当たりにして腹に据えかねているのだろう。たまに容赦のない言葉が飛び出すことがある。
「……俺は別に辰馬さんのこと好きってわけじゃないが、どうにしかしたいとは思ってるぞ。礼司さんも望んでいたからな」
「お優しいことです」
秋穂さんは不服そうだったが、それ以上辰馬さんを責める言葉を口にしなかった。
雫は一連の会話を黙って聞いていたが、区切りがついたところで俺に話しかけてきた。
「なあ、結局のところ辰馬さんは優秀な人なのだろう? 要は血統種の能力面では劣るというだけであって」
「勿論だ。鋭月捕縛の際にも指揮を執ったからな。今更あの人の力量を疑う奴がいるか」
鋭月を始めとする対立派の捕縛及び掃討には、礼司さんや小夜子さんを始めとして多数の英傑が戦場を駆けずり回ったことで知られている。しかし、その後方で戦況を陰ながら支えていた作戦本部の活躍はあまり知られていない。その中心にいたのが辰馬さんだ。
「辰馬伯父様は性格を除けば本当に優れた人よ」
「……それが一番の問題ではないのか?」
「まあ、変に刺激しなければ付き合うのに問題はないから。沙緒里叔母様よりはマシかしら」
秋穂さんに負けず劣らず寧も大概口が悪い。雫はどう反応していいのかわからず口元を引き攣らせ、俺に助けを請うように視線を寄越した。俺は黙って首を振った。
隼雄さんは、ふと思い出したように「そういえば」と呟いた。
「どうかしたか隼雄さん?」
「いや、慧くんっていずれお母さんと一緒に住むつもりなんだよね? その……章くんはどうする?」
「ああ……そうですね、やっぱり一度顔を見せには行きたいと考えています」
少し迷ったように表情に陰を落としながらも、章さんははっきり答えた。
それに対して小夜子さんが微笑みを浮かべて語りかける。
「そうね。いろいろと積もる話もあるでしょう? 言いたいことがあるなら、しっかり伝えないと」
小夜子さんの視線は一瞬台所へと注がれた。
成程、どうやら彼女も章さんと五月さんの関係を知っているらしい。情報源はこの家に住む弟子の一人に違いない。どちらかと言えば口の軽い登のことだ、礼司さんと五月さんがこっそり話し合ったのを盗み聞いた後ですぐに知らせたのだろう。
そんな小夜子さんの含みある態度に、章さんは特に何も勘付かなかったようだ。そうですね、とだけ返事をするに留まった。
「それにしても慧さんは将来お母さんの会社で働くつもりでしょうか?」
「それらしい話はしてたが……」
「ここのところ別宅に入り浸っているって聞いてたから遊んでるのかなーって思ってたけど、内緒で勉強してたとか?」
「そんな性格でもないけど……」
皆が慧について意見を交わしだす中、俺はというと昨日聞いた話が気にかかっていた。礼司さんが死んだ後から態度が変化したという話だ。
礼司さんが死ぬ前に慧と逢っていたのは、恐らく母親絡みの一件とみていいだろう。章さんに追及されたときの様子からも窺える。
だが、礼司さんの死後から挙動不審になったのはそれが理由とは考えにくい。母親に関しては既に解決の見通しが立っているのだから。奴の変化にはまた別の要因があるはずだ。
それにもう一つ、俺に対する態度にも何らかの含みがあるように思える。慧は俺に何かしらの感情を抱いている素振りを何度か見せている。俺はここを出てから慧とは一切関わりを持っていないはずだが、奴の方はそうではないのだろうか。
「どうした? 気になることでもあるのか?」
「……少しな、礼司さんのことで慧に訊きたいことがある」
雫に小声でそう答えると、表情が若干引き締まった。
「それは事件に関連のある話か?」
「かもしれない、としか言えん。今のところは」
後で慧の部屋を訪ねてみるつもりだと言うと、雫は自分も同行してもいいかと訊いてきた。彼女も礼司さんの死の真実が気になるのだろう。彼が死ぬ直前の様子は知らないので、心当たりのありそうな人物と直接話したいとのことだった。
食事を終えた俺たちは一度部屋へ戻り、凪砂さんに予定を伝えてから慧の泊まる部屋へと赴いた。