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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第三章 三月二十七日 後半
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言っていいこと、悪いこと

「それはさておき、礼司さんが遺した資料にざっと目を通してみたけど、なかなか興味深いことがわかった」


 努めて話題を変えようと思ったのか、凪砂さんは新たに判明した事実を教えてくれた。


「まず、あのUSBメモリに記録されていたのは鷲陽病院に関する資料ばかりだ。内通者絡みのものは一切ない。君に何も遺していないことを考えれば、内通者に関してはほとんど探ることができなかったんだろう」


 その点は礼司さんから届いた招待状の中でも触れていた。だからこそ彼は就任式の機会に疑わしい人物を集め、尻尾を掴ませようと図ったのだ。尤もその手筈は俺に一任するという投げやりだが。それだけ信頼しているという証かもしれない。


「で、病院の事件の方だが……どうやら()のルートから探ったと思われる情報が保存されていた。雫さんが言うには調査資料は全て礼司さんが保管していたらしい。そして、資料の中で雫さんがまだ見たことのない情報があった。更新日付が礼司さんが死ぬ前日のものだ」


 つまり、礼司さんが最後に保存したファイルか。それだけは雫に見せることのないまま死んでしまった。


「端的に言うとだ――鷲陽病院の院長だった島守信一郎と対立派が繋がっていたという証拠だった」


 予想した通りだ、と俺は全く驚かなかった。

 雫の話を聞いてから不審に思っていた。院長と鋭月は面識があり、例の検査も鋭月の発案である可能性がある。事実現場には二名の部下がいて、何らかの理由から多大な興味を抱いていたのは明らかだ。疑わしい要素は多分にあったが、これで確証が得られたというわけだ。


「島守院長本人は二年前に病死していた。家は既に売り払われ、身寄りもいなかったから遺品と呼べる物は何一つ無かったそうだが……彼の交友関係をくまなく洗ったところ対立派との繋がりが明白となった。鋭月と親しかったのは最初からわかっていたから、そこから辿ったんだろう」

「鋭月が逮捕されたときに、奴の周辺は捜査したんでしょう? そのときは?」

「表向きにはシロだったんだろう。対立派が絡む活動に関与しているという話も全くなかったそうだ」


 鋭月逮捕の際には大々的に捜査網が敷かれた。国内最大のテロを引き起こした一味の首魁が落ちたのだから、残党を根こそぎ吊し上げようと警察は躍起になったと、凪砂さんは先輩の刑事から聞いた話を語ってくれた。その中でも院長の名は挙がらなかったので、そういった活動には一切関わっていないと判断されたのだろう。


「しかし、実際にはそうでなかった、と」

「事件現場となった例の施設、事件から数年前に建設されたばかりって話だったろう? その費用は多額の寄付が元になっていたんだが……金の流れを追ってみたら出資者は鋭月だったというわけさ。わざわざ別団体をいくつも経由していた」

「じゃあ、あの施設は鋭月の意向で建てられたのか?」

「可能性は高い。事件との関連は別として」


 金の流れを誤魔化したのは、単に院長との関係を悟られないようにするだけでなく、あの施設に関心を抱いていることを覆い隠す目的があったとも考えられる。

 鋭月は各地から血統種を集め“兵士”として育成することに注力していた。となれば鷲陽病院への金銭的援助もその一環と疑ってかかった方がいい。


「……夏美の検査が唐突に決まり、その入院先は鋭月が紹介した鷲陽病院。そこで火災と殺人事件と失踪事件が同時発生し、鋭月の周辺が慌ただしくなった。検査施設に対立派の連中にとって重要な秘密が隠されていたのなら、それが事件の引き金になったのかも……?」

「確かめてみるかい?」


 凪砂さんがお馴染みの悪戯っぽいウインクをしてみせる。


「鷲陽病院はとうに廃院になったが、当時勤務していた医師や看護師の何人かはまだこの街にいる。私の“友人”たちに頼んで情報を集めてもらおう」

「そいつらが対立派である可能性は?」

「資料によればこちらに関しては完全なシロとでている。院長の裏の顔を知らない者ばかりだ」


 その言い回しに何か引っかかるものを感じた俺は、凪砂さんに訊ねてみた。


「……他にそうでない連中がいるんですか?」

「断言はできないがね。数名の医師や看護師の消息がわからないんだ。実家も居所を全く知らないらしい。そんなわけでこちらは未確認だ」


 これも資料に記載されていたと、凪砂さんが付け加えた。どこもかしこも人が消えた話ばかりで大変なようだ。


「こちらも失踪者ですか。あと何人増えるんでしょう?」

「これ以上はないと祈るしかない。彼らについても調べさせておくよ」


 そちらは親衛隊の結果報告を待つしかない。本当にこういう時に頼りになる連中だと心から思う。凪砂さんと出逢った頃から知る親衛隊員の中には、大手商社やテレビ局、出版社などに勤めている者もいて、情報収集に大きく貢献している。これが現在の香住家内における凪砂さんの地盤を固めることに繋がっているのだ。

 婚約者候補であった俺は何かと敵視されることも多かったが、俺が追放されたときに事件の裏を洗うのに協力してくれたことには感謝している。


「……さて、今夜はどうする? 早い内に休むか?」

「そうですね。夕食の後は――」


 予定を考えようとしたその瞬間、男の怒鳴り声が耳に届いた。

 俺と凪砂さんは揃って声が聞こえた方向を向く。


「何だ?」

「辰馬さんの声でしたね」


 話している間にも辰馬さんの怒声は続く。それに応じて若い男の声もした。こちらは慧のものだ。二人は良い争いをしているらしい。


 声のした方へ駆けつけると、辰馬さんと慧が睨み合っていた。慧の方は左手にスマホを握っている。


「……あ」


 俺たちの足音に気づいた辰馬さんは振り返り、ぎょっとした。


「どうしましたか、辰馬さん?」


 穏やかに問いかけた凪砂さんに対して、辰馬さんは狼狽したように喋りだす。その様子は普段の高圧的な態度からは考えられないほどであった。


「ああ、これは凪砂さん。どうしましたかこんな所で。いや、ただの親子喧嘩です。こんなときに申し訳ない。仲裁していただく必要は――」

「ふん、いいじゃねえか。二人にも聞いてもらおうぜ」


 しどろもどろに話す父親を見ていた慧が割り込んだ。

 まずは状況を把握しようと、俺は慧に訊ねる。


「一体どうしたんだ?」

「由貴には今朝話したよな、母さんのこと」


 そう言って手に握ったスマホを掲げる。今朝の話というと母親と密かに連絡を取り合っているという話のことか。辰馬さんと章さんには黙っていてくれと頼まれていたが、この様子を見る限りでは――。


「……ひょっとしてもうバレたのか?」


 呆れた口調でそう訊くと、慧は頷いた。


「母さんが事件のこと知って電話かけてきたんだよ。それで庭に出て話してたら偶然親父も出てきて会話を盗み聞きしたんだ」

「それで問い詰められたのか」


 今回の事件は大々的に取り上げられてるので、ニュースでそれを知った母親が慌てて連絡してくるのは仕方のない話だ。俺たちも事情聴取やら何やらで忙しかったので、慧は母親に事件について知らせるのを忘れていたのだろう。彼女は夫や息子の安否確認のために電話をかけてきたのだ。


「母親と電話するぐらい許してもいいと思うのですが……」

「ええ、それはそうなんですが……その、別の理由があって……」


 辰馬さんはばつが悪そうに目を逸らした。

 別の理由とは何かと凪砂さんが不思議そうにしていると、慧が攻撃を仕掛けた。


「別の理由? よく言うぜ。要は母さんに嫉妬してるんだろ」


 意地の悪そうな慧の嘲笑に、辰馬さんは言葉を詰まらせた。それを見た慧は溜飲が下がったように笑みを浮かべる。


「血統種としての力も良い、頭も良い、人望もある。別れた後で再出発して今や敏腕女社長。あんたと比べて何もかも上だよな。まあ、家柄は御影(うち)が勝ってるか? どうでもいいけど」


 辰馬さんは歯ぎしりするばかりで、何も言い返せないでいる。


 いい加減止めようかと思ったそのとき、慧は瞳に冷徹な光を宿して吐き捨てた。


「言っておくけどな、俺は高校を卒業したら母さんの所に移り住むつもりだ。もうアンタの世話にはならねえ」

「お前が行ったところで何になる。母親の手伝いでもするつもりか? ただでさえ遊び呆けてろくでなしのお前の何ができる?」


 悔し紛れに呟かれたその言葉に一瞬むっとした表情を浮かべた慧だったが、これ見よがしに溜息を吐くと当てつけるように言った。


「駄目な息子で申し訳ないね。出来損ないなのはアンタに似た(・・・・・・)のさ」


 まずい、と思ったがもう遅かった。


 辰馬さんは突然全ての感情が抜け落ちたかのように、能面のような顔をつくった。凪砂さんが額を掌で押さえ、小声で悪態を吐いた。慧は静かになった辰馬さんを横目で睨むが、辰馬さんはそれに何の反応も返さない。


 辰馬さんはそのまま言葉を発することなく、俺たちに背中を向けるとゆっくりとした足取りで去っていった。

 その姿が完全に見えなくなってから、凪砂さんは慧に非難がましい目を向けた。


「……慧、あれは酷過ぎる。言っていいことと悪いことがあるだろう」

「事実だろ。皆思ってることじゃねえか」


 憎々しげにそう言い捨てた慧は、不愉快そうに鼻を鳴らす。


「そんなことはないさ。辰馬さんが今の地位まで上り詰めたのは、間違いなくあの人の実力によってだ。決してコネに頼ったわけじゃない。お前だって知ってるだろう」

「根っこのコンプレックスが解消されてないなら無意味だっての。お前だってそれで迷惑被ってる側じゃねえか」


 それは否定しない。辰馬さんは一年半前の事件より前から俺を敵視していた。何かにつけて貶めようとしてくるので、辟易したことも一度や二度ではない。

 ただ、彼がそれだけではないと俺は知っている。主に礼司さんから教えてもらったことであるが、辰馬さんにも辛酸を舐めていた時期があったという。彼の性格に関する問題はその辺りに原因があり、それが元で兄弟仲がぎくしゃくしていたことを礼司さんは気に病んでいた。


 “出来損ないの長男”――それがかつて辰馬さんにつけられていた蔑称だった。

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