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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第二章 三月二十七日 前半
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雫世衣の告白 ‐そして現在へ‐

 雫がその噂を知ることになったのは、クラスメイトの会話が発端だった。


「聞いた? 山口(やまぐち)(いずみ)の話」

「ん、あいつらどうかしたの?」


 雫の隣席に座っていた女子生徒が、たった今教室に入ってきたばかりの男子生徒に挨拶すると朝一番に仕入れた話題を提供した。山口銀也(ぎんや)と泉隆弘(たかひろ)はこのクラスの男子生徒だ。この二人はもうすぐ始業のチャイムが鳴るというのに、まだ教室に姿を見せていなかった。


「あいつら昨日魔物に襲われたんだよ。で、警察から学校に連絡来たってさ」

「は、マジかよそれ?」

「あいつら結構遅くまで遊んでたっぽいんだよね。それで夜道通ってたら出たんだって。馬鹿だよねー、わざわざ人気のない所行くとか」


 女子生徒は呆れたように笑う。深刻な様子がないところを見ると、どうやら二人は無事らしい。男子生徒もそれを察したのか、軽い調子で訊ねた。


「それで山口たちは怪我とかないわけ?」

「さあ、そこはわかんない」


 二人が受けた被害については把握できていないらしく、他にこの話を知る者に訊いても同じ答えを返すばかりだった。

 詳細が明らかとなったのは、二人が遅れて登校してきた後、昼休みに入ってからだ。ちなみに遅れた理由は事件とは全く無関係で、単にサボっただけだった。


「いや、本当参ったぜ。あのときは終わったって思った」


 友人たちに囲まれながら笑い話をするように山口銀也が口を開く。見る限りではどこも負傷していない。当人も至ってぴんぴんしている。


「でも、無事逃げられたんだろ?」

「そうなんだけど、逃げる途中で助けに来てくれた子がいてさ」


 泉隆弘がパンを頬張りながらそう言うと、友人たちは揃って不思議そうな表情を見せた。


「え、他にも誰かいたのかよ?」

「ああ、逃げていたら女の子がいてさ。俺らが早く逃げろって言うんだけど全然動じないんだ。そうしてる内に魔物に追いつかれたんだけど……あれ凄かったよな」

「あの子が“消えろ”って言ったら、急に魔物が大人しくなってよ。そのままどっか行ったんだよ」


 思い出しながら感嘆する泉に、山口が補足する。どうやらその少女が魔物を言葉だけで追い払ったというが、俄かには信じがたい話だった。実際聞いている友人の一人が眉を寄せていた。


「何だよそれ?」

「ほら、血統種の中に魔物を操る能力を持ってる奴ってたまにいるだろ。あれじゃねえの?」

「待てよ。あれってどっちかというと飼いならす能力だろ。初めて見た魔物相手に命令するのって無理じゃなかった?」

「でも、現に追い払ったんだぜ」


 襲われた二人は何度も反論するが、その少女が具体的に何をしたのかわからない以上、考えても仕方のないことだった。また、山口が交番へと駆け込み警官に事情を説明した後、警官が現場へ駆けつけたときには既に少女の姿はなかったらしい。不明な点はあれど彼らは助かったのだからそれで良しと話は締めくくられた。一連の会話を近くで聞いていた雫もこのときは特に興味を抱かなかった。


 この少女の正体は誰にも掴めなかった。年齢が高校生ぐらいで黒髪だということ以外に情報がなかったからだ。山口たちは顔をはっきりと見なかった。そのため彼女の正体を知ることは叶わず、最終的には善良な一市民として片付けられ以後話題に上がることはなかった。




 その少女が再び話題に上がったのは三週間後のことだ。

 次に目撃したのは別の高校の女子生徒であった。その女子生徒は雫のクラスメイトと同じ中学校、同じ部活動であり仲が良かった。そこから彼女の目撃談が雫のクラスへと伝わることになった。


 事の詳細はこうである。


 その女子生徒――宮野(みやの)裕香(ゆうか)は、ある日の夕方、一人で学校から帰っていた。所属している委員会の活動で下校が遅くなり、日没まであまり時間がなかった。


 宮野が下校時に通る道は夜でも人通りが絶えない。それ故に異界の入口が設置されにくい環境である。しかし何事にも例外というものがある。この日は運悪く小さな隙間を狙うように魔物が出現し、その場面にこれまた運悪く宮野が出くわした。


 彼女にとってさらに不運だったのは、咄嗟に体が動いて逃げることができたのはいいが、逃げた先に異界の入口があることに気づかなかったことだ。異界の中に飛び込んでしまったと察したのは、必死で走りだして三分ほど経過した後だった。魔物を撒こうとしてジグザグに走っていたので、入口の方角を完全に見失ってしまった宮野は途方に暮れた。


 これに追い打ちをかけるかのように、野犬のような姿の魔物が二体姿を現した。宮野が最初に遭遇したものとは別の種類だ。その異界には複数の種が生息していたらしい。

 宮野は棒になりそうな足を動かしたが、とうとう力尽きて倒れた。背後から唸り声が投げかけられ、振り向けば二体の犬が己目がけて飛びかかろうとしていた。そうして片方が腕に、もう片方が脚に牙を鋭く突き立てる。悲鳴を上げる気力すら失くした宮野は、運命に身を任せようとして――。


 次の瞬間、脚にかかっていた重圧が消えた。


 宮野の目に映ったのは、たった今自分を食い殺そうとした二体の犬を咥えて丸呑みにしようとする巨大な蛇の魔物が二体。そして、その後方で蛇を見守るようになっている黒髪の少女だった。


 少女は犬をあっさりと呑み込んだ蛇たちを愛おしそうに撫でると、倒れている宮野へと歩み寄った。彼女は腕と脚から血を流す宮野の様子をしげしげと観察していたかと思えば、掌を腕の傷口へと翳した。

 何のつもりかと怪訝な表情を浮かべた宮野だったが、その顔はすぐに驚愕へと変化する。少女の掌から淡い光が放たれると、腕の傷が見る見るうちに塞がっていく。傷はものの数秒で痕も残さず完全に消えた。呆気にとられた宮野を置いて、今度は脚の傷を治していく。

 そして、脚も癒えたことを確認すると、少女は一度だけ宮野の顔を見据えた。そのとき、初めて二人の視線が合った。少女の紅い瞳が何かを探るかのように見つめて、宮野は思わず心臓が跳ね上がったという。


 少女は二体の蛇を引き連れながら一言も口にせず去っていった。


 この話は山口たちの話と照らし合わされ、二つの事件に登場した少女が同一人物であると断定された。ほんの三週間で立て続けに起きた魔物の出現と、救いに現われた正体不明の少女。これらの話は雫の興味を惹くには充分だった。


 紅い瞳の少女、治癒の力、年頃も自分と同程度。それらの目撃談を、自然と消えた親友に結び付けて考えてしまう。


 奇しくも火災から丁度五年が経過する頃だった。蓮が死んでから初めて迎える六月。雫は噂の真相を確かめてみようと考えた。

 やることは単純で、先の二件のようなシチュエーションを再現するというものだった。魔物が現われそうな場所へ赴き、その少女が実際に姿を見せるまで待つ。そうして少女の正体を確かめようというわけだ。

 危険な真似だが頼れるような相手もいない。自分の予想を警察に話して対処してもらう発想もなかった。己に関わりあることだ。自分で何とかすると決めた。短慮だとは自覚していたが止める気はなかった。


 少女捜しは開始当初はろくな成果も得られず、ただ日々を過ごすだけに費やされた。その間に新たに少女が現われたという証言はなかった。

 季節は夏真っ盛りとなり、学校は夏休みに突入した。休みに入ってから雫は、毎晩のように夜の闇へと繰り出した。高校入学と同時に一人暮らしを始めたので、両親は彼女が危険な夜歩きに興じていることを知らない。過去に魔物が現われたといわれるスポットを巡り、襲いかかってきた魔物を適当に往なしながら少女の登場を待ち、少女が来なければ用済みになった餌を一体残らず焼き尽くした。そんな日々を熱帯夜が続く中もひたすら繰り返した。

 雫の運命が大きく変わったのは、そんな青春の香りとは無縁の夏休みも終わる頃だった。




その日の夕方、雫は人気のない場所をうろついていた。朝から降っていた雨が昼過ぎに止み、じめじめとした空気が不快であった。曇り空によって夕陽も遮られ、既に辺りは暗さと静けさが支配し始めていた。


 雫がうろついていたのは、以前大型の魔物が出現したと報告されたことのある海沿いの道だ。波が寄せる音が届き、暗い海の向こうに小さな灯りがぽつぽつと(とも)っていた。

 雫は一時間程前から少女の探索を続けているが、やはり手掛かりになるようなものはない。現われる魔物も雑魚ばかりで何の障害にもならなかった。

 これまで何度も戦闘を繰り返しているのに何故一度も姿を見ないのか、と雫は少々苛立ちを覚えていた。件の少女は誰かが危険な目に遭っているときに現われるという。ならば戦う力を持つ自分には目もくれないのだろうかと悩んだ。


 もし、自分一人で倒せないような魔物でも現れれば、少女もやって来るのではないか。

 そんな馬鹿げた期待を寄せたことに、思わず自嘲して――次の瞬間、背筋を凍らせた。


 気配を感じた。同時に形容し難い感覚が雫を襲う。


 全身を冷たい水が伝うような感触。その冷たさと相反するかのように一瞬身体が熱を帯び、背中に汗がどっと滲み出る。呼吸がうまくできず、それに伴うように心臓が破裂しそうなほど速く鼓動し始めた。

 それは尋常でない強烈な存在感(プレッシャー)であった。雫はそれとよく似た感覚をかつて体験したことがあった。桂木鋭月と相対したときに感じた感覚だ。


 足を止めた雫は、気配を感じた方角へゆっくりと顔を向けた。


 そこに立っていたのは一人の男であった。年は三十代後半から四十代前半といったところ。短く整った前髪の下にある両目が雫を真っ直ぐ見据え、暗がりの中でも口を真一文字に結んでいるのが見てとれた。男は雫を観察するように見ているが、それだけで言葉を発することも歩み寄る様子もなかった。

 暗い海から届く波の音をバックに二人はそのまま相対し合った。


「……何か?」


 緊張に耐え切れなかった雫が問いかけた。

 男は彼女を凝視し続け、少し迷った素振りを見せたが……意を決したように口を開いた。


「ええと……雫世衣さんかな?」

「へ?」


 己の名前を呼ばれて素っ頓狂な声を上げてしまった雫に、まだ何か迷うように男は話を続ける。


「いや、ここ最近日が落ちてから紅い眼で黒髪の少女をあちこちで見かけるって聞いたから探していたんだが……」

「……多分私のことで間違いないと思います。ここのところはいつも遅くまで出歩いているので」


 名前を知っていたことといい、彼は自分を探していたのだろうかと訝しむ。そんな雫の態度に気づいたのか、男は慌てて弁明した。


「待ってくれ、その、俺は決して怪しい者じゃなくてだな。君に用があって探していただけだ。なんだ、その――ひょっとして君は前に何度か目撃された正体不明の女の子を探しているんじゃないか?」

「……どうしてそれを?」


 意識せず男を睨む。


「怖い顔をするな。知っているのは……俺も似たような目的で動いているからだ」

「あなたも探しているって……新聞記者が何かですか?」


 山口たちの事件は新聞の一角に取り上げられていた。少女の謎に興味を抱いた記者は何人かいたらしいと聞いたので、この男もその類かと推測した。


「残念だが違う。ついでに言うなら好奇心でもない。俺も故あって例の少女に関する情報を集めているんだ――糸井夏美さんのことをね」


 親友の名が出た途端、雫の訝しげな表情が一瞬にして目を見開いた驚愕へと変化した。

 その露骨な変化に男は苦笑を隠せないでいる。


「怖い顔をしなくていいと言ってるだろう。俺は君に協力したい……いや、協力してほしい(・・・・・)と思っているだけだ」

「……一体誰なのですか、あなたは?」


 その問いかけにやれやれと言わんばかりに男は肩をすくめた。


「ああ、信用を得るためにも自己紹介が必要だな……俺は御影礼司。なんというか……一応“英雄”なんて呼ばれている」

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