雫世衣の告白 ‐消失‐
それは三人が五年生に進級して、二ヶ月が過ぎた頃だった。
梅雨入りしてすぐの休日の午前、三人はいつものように糸井邸に集まっていた。外は朝から黒雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうであった。どこからか雷鳴が轟き、窓ガラスがかたかたと震えていた。
「あー、今週雨ばっかだなー。外で遊べた日一度もないじゃん」
「来週もほとんど曇りか雨らしいぞ」
「勘弁してほしいぜ。どうせなら再来週に降ってくれたらいいのに」
窓の外をうんざりした様子で眺めていた夏美がそう零す。
「どうして再来週なんだ?」
「ああ、実はな、来週の土曜から入院することになったんだ」
平然として口にしたその言葉を理解するのに一拍要した雫は、次の瞬間ぎょっとした顔を窓の外を眺める夏美へと向けた。
「入院!? どこか悪いのか!?」
「いや、病気とかじゃなくてさ。能力の検査だって」
夏美は己に詰め寄ろうと立ち上がりかける親友を宥めて、理由を説明する。
検査と聞いて雫と、その隣にいた蓮が首を傾げた。
「なんかアタシの治癒能力を詳しく検査したいって話が出たらしくて、父さんがOKしたんだよ。勝手に決めちゃってさ。一週間くらい泊りでやるんだって、学校も休んで」
随分と大仰な話だと雫は驚いた。
能力の検査はその種類にもよるが長くても一日、二日程度で終わるものだ。雫も炎の能力及び派生能力の“延焼”を検査したことがあるが、これは半日で終了した。蓮に関してもそうだ。それを一週間も行うという話は今まで一度も聞いたことがなかった。
「そんなに長い間検査するなんて珍しいね。前に検査したことはないの?」
「いや、小学校入る前くらいにやった。今度のはなんか凄い装置使ってやるとか言ってた」
「凄い装置ね……そんな病院ってどこだろう? 民間の病院だと大きな設備のある所って少ないよね? そういうのって『同盟』とかの研究所とかじゃないと無いんじゃない?」
投げかけられた質問に、夏美は不思議そうに目を丸くした。
「ん? 優は聞いてないのか? お前の親父の紹介した所だって言ってたぞ」
「父さんが……?」
「じゃあ、まだ話してなかったのか。鷲陽病院だよ。ほら、あのでかいトコ」
鷲陽病院の名は雫にとって聞き覚えのあるものだった。糸井邸最寄りの駅から列車で二十分ほどの距離の場所に建っている病院だ。雫の記憶ではこの一帯では一番大規模な病院のはずである。確かに鷲陽病院なら能力検査の設備が整っていても不思議ではない。
「優くんのお父さんの紹介か……そこの人と知り合いなのか?」
「多分……そうじゃないかな。俺は知らないけど」
「えーと、父さんは院長と知り合いみたいなこと言ってたぞ」
スマホで鷲陽病院のページへとアクセスし、病院概要の項目を調べてみる。院長の名は島守信一郎と記され、それと一緒に写真が掲載されていた。年は五十半ばといったところか、白髪交じりで鼻がやや高く眼鏡をかけた男性だ。
ついでに能力検査の設備についても調べてみると、三年前に建設された新棟が丸ごと能力検査用の施設で、説明文を読む限りでは『同盟』や国の研究機関にも引けをとらないように思えた。
「へえ、立派な所じゃないか。あそこって評判も良いみたいだし、そこが是非調べたいって言うなら何か凄いことがわかるかもしれないよ」
わくわくするように上気させた顔でスマホの画面を眺めていた蓮がそう言った。だが、夏美は溜息をついて返した。
「でも、入院中は外と接触しちゃ駄目だって言われてるんだよ。電話もメールもナシ。終わるまでずっと中にいなきゃならないって。だからその前にぱーっと遊べたらよかったんだけどなー……」
「……検査中は外に出られないのか?」
「そうなんだよなあ。本だけは持ち込み可。マジ最悪だ」
雫と蓮は揃って眉をひそめた。どんな検査を行うかはわからないが、外部との接触を完全に断つ必要まであるのだろうか。検査が終了するまでの時間の長さもそうだが、いろいろと不可思議な点が多い。
ただ、このとき雫は自分が無知なだけで、何か重要な理由が存在するのだろうと決めつけた。子供が考えたところで答えの出ない疑問だ。それに夏美の両親も承諾したのなら信用していいだろう。彼女はそれ以上考えることを止めた。
「そうか……しばらく静かになるな。一番騒がしいのがいなくなって」
「悪かったな、お騒がせで」
「冗談だ。ただの検査だろう。余計なことして長引かせず終わらせろ」
「はいはい、わかってますよ」
そして、翌週の金曜日、雫は夏美と学校の帰り道で別れ、次の週にまた逢おうと言葉を交わした。
これが事件発生前に交わされた最後の会話となった。
事件が発生したのは水曜日だった。
自室のベッドの上でうとうとしていた雫は、スマホの着信音で現実へと引き戻された。画面には桂木優の名が表示されていた。
「どうした?」
『せ、世衣――鷲陽病院が――』
「ん? 鷲陽病院?」
『火災だって――今、テレビでもやってる』
必死で言葉を絞り出したようなその声を認識した途端、雫の足はテレビの置いてある居間へと向かって駆けだされた。
到着したときには既に電源のついたテレビが、その映像を映し出していた。先日閲覧したホームページに掲載されていたものと同じ、地上から見上げた構図の病院が炎に包まれていた。薄暗い空を黒煙が塗りつぶし、天へと舞いあがっていく。窓ガラスの奥の内部では炎が煙に遮られながらも、強くオレンジ色に輝いていた。
「優くん! 夏美は!? 連絡はついたのか!?」
「駄目だ、電源を切っている! それに検査をするから持ち込んでいないよ!』
そこで二人は近所付き合いのあった雫の母親から夏美の母親の番号を教えてもらい連絡をとろうとしたが、こちらは電源は入っていたが誰も応答しなかった。メールにも一切反応はなく、他に事情を知る者もいなかったため、彼女らはただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。
懸命な消火活動を終える頃には夜の十時を回っていた。翌日も学校に行かなければならなかったが、雫も蓮も寝る気になれなかった。結局親が無理に寝かしつけたのは深夜一時を過ぎてからだった。
詳細は翌日の間には凡そ明らかとなった。
異変が発生したのは夕方の六時二十五分だ。鷲陽病院の本棟一階にいた看護師二名が中庭に面した廊下を歩いている最中、大きな爆発音を耳にした。音のした方へと目を向けると、中庭の奥に見える三号棟――件の能力検査センターを擁する新棟から煙が上がっていた。
二人はすぐに異変を知らせに行き、警察と消防が駆けつけることになった。その間にも断続的に爆発音が響き、一時院内は騒然となった。
幸いにも三号棟は他の棟と距離が離れており、火の手がそこまで及ぶことはなかった。しかし、地上二階、地下一階の火災現場は必死の消火活動も虚しく全焼した。
火災の直接の原因となった爆発は、地下で起きたものと後の現場検証で判明した。具体的な火元は能力検査用の特殊なフィールドだ。そこが一番燃焼が激しく、その付近の廊下や部屋が次に損傷が酷かった。
フィールドには事件当時に三号棟にいたと思われる医師たちの遺体が多数発見された。そして、同じ場所から病院のスタッフとは別に二人分の遺体が発見された。その身元が糸井夫妻であると判明するのに時間はかからなかった。
夫妻の遺体にはそれぞれ刺されたような傷が残っていた。それが鋭利な刃物のようなもので創られた傷であることは明らかであり、二人の死因が火災以外によるものであることも同時に明らかとなった。もっと言えば、この二人だけ遺体が全く焼けておらず黒こげになった現場に静かに横たわっていたという事実も、現場が焼けた後に遺体が置かれたことを雄弁に語っていた。
回収された遺体は十体に及んだ。夫妻を除いた八人の内、六人は病院に勤める医師や看護師で、残る二人は検査に同席していた外来の者であった。
糸井夏美はどこからも発見されなかった。