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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
プロローグ 三月二十五日
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懐かしの元我が家

 最後に彼女に会ったとき、どんな顔をしていたか――今でもはっきり覚えている。

 彼女は何も言わず、ただじっと俺を見つめていた。

 哀しみや憎しみに溢れた視線をぶつけられると思っていた俺は、形容しがたい雰囲気に困惑した。

 その表情には、何の感情も浮かんでいなかった。

 彼女が何を思っていたのかは、最後までわからなかった。




 春の陽気が心地よい。窓から眺められる街路は桜に彩られ、行楽シーズン真っ只中ということもあり道路は朝から渋滞している。天気予報によればこれから一週間は晴天が続くようだ。人の賑わいが衰えることはしばらくないだろう。どこの学校も春休みに突入し、行楽地は家族連れでごった返すことが予想できる。どこへも出掛ける予定のない子供も各々が春休みを満喫しているに違いない。


 そんな中、俺は休暇をのんびり過ごすこともなくスポーツバッグ相手に格闘していた。バッグの中には衣類や日用品、携帯食などがぎっしり詰まっている。少々詰め込み過ぎただろうか。思いのほか荷物が嵩張り、困ったことになった。それでもどうにかして用意した物を全て収め、ほっと一息つく。

時計を見ると九時半だった。十時には出発しなければならない。


 まったく面倒なことになったものだ。本来であれば俺も春休みを満喫しているはずだったというのに。まさか春休みの直前になって、あんな手紙を受け取ることになるとは思わなかった。

 俺は机の上に置いてある封筒を手に取った。

 差出人の名前は御影礼司(みかげれいじ)

 始まりはこの封筒が送られてきたことだった。




 礼司さんは俺の養父だ。

 八歳の頃に両親を亡くした俺を引き取り、ずっと育ててきてくれた人である。

 彼の名を知らない者は、この国にいないだろう。

 何せ『同盟』に席を持つ、この国最大級の『血統種』であるのだから。


 人間と、人ならざる頂上の存在である『魔物』の混血である『血統種』。

 人間の姿と、魔物としての超常の力を併せ持つ血統種は、この世界において畏怖の対象である。


 その中でも礼司さんの名は、血統種の中でも特に強大な力を持つ者として有名だ。

 魔物としてではなく人としての生き方を選んだ礼司さんは、魔物の悪手から人間を守るために戦った。

御影礼司という男の存在は、国民から大きな関心の対象となった。彼を英雄と呼び称賛する者もいれば、所詮は魔物の血を引くと不信を露わにする者もいた。その強大な力は神のようであると狂信する者もいれば、人として生きるには身に余る力を持つと危惧する者もいた。礼司さんの評価には一般的な血統種に対するそれと同じように、理解できない存在への恐れが少なくなかった。


 何にせよ、御影家の地位は戦いの中で着々と築かれていき、長期的に見れば血統種に対する嫌悪感を和らげる効果もあった。他の血統種も礼司さんに倣い、社会的信用を得るために行動した事実もその一要因だろう。人間社会で生きる血統種が、純粋な人間との共存を目指すための組織――『同盟』を設立した際に、礼司さんにその最高幹部のポストが用意したのも当然である。

 そうして礼司さんは、その地位を盤石なものとしたのだった。


 俺は引き取られてから七年間、礼司さんの屋敷に住んでいた。

 その屋敷を出て、一人暮らしを始めたのが一年前。中学卒業と同時だ。

 独り立ちしようと考えたわけではない。

 屋敷を追い出されたのだ。




 九時五十分、俺は家を出た。

 目的地までは大体一時間半ほどかかる。徒歩で駅まで行き、そこから電車を乗り継ぐ必要があった。

 駅のホームに佇みながら、封筒の内容を思い返す。

 どうして今になってあんなことを頼むのか。

 礼司さんから手紙が届いたのは六日前の三月十九日。差出人が礼司さんであると知って俺は驚いた。より正確に言えば、その手紙が前月に亡くなった礼司さんの遺言として届いたことに。

 礼司さんが死んだのは二月の半ば頃だ。


 その死を俺に知らせてくれたのは彼の娘である(ねい)だ。

 寧は俺より四つ年下で妹分のような存在だ。俺が屋敷にいた頃の寧は好奇心に富み、溌剌としていて、何かにつけて俺の後をついて回るような少女だった。特に一緒に過ごした思い出が深いのもあいつだ。

 屋敷を追い出された後、御影家の人間である寧と直接会うことは禁じられた。電話やメールで連絡を取り合うのも同様だった。

 しかし、いつどうやって調べ上げたのか、寧は俺の家を突き止め、単独で押しかけてきた。学校から帰宅した俺を玄関前で堂々と待ち構えていたのだ。そして、問い質そうとする俺を遮って、父親の死を涙ながらに伝えたのだった。


 その日の朝、礼司さんはいつも起床する時間になっても姿を見せなかった。それを気にした寧が彼の寝室を訪ねるが、部屋の中に誰もいなかった。他の者に訊いてまわっても、誰も見ていないと言う。

 そして、書斎を覗いたところ、床の上に倒れている礼司さんを発見した。

 すぐに主治医の各務(かがみ)先生が屋敷へと駆けつけたが、既に手遅れであったそうだ。

 その後の調べで、礼司さんの詳しい死因はわからなかった。遺体に外傷はなく、毒物などを服用した形跡もなかった。


 寧は葬儀に参列してほしいと訴えたが、俺はそれをやんわりと拒否した。

 ただでさえ御影家の人間の前に現われることが禁じられているのに、勝手にそんな真似はできない。さらに、参列すれば寧が俺に接触したことがばれてしまう。寧の立場を考えれば無理な話だった。それでなくとも、俺の家まで押しかけてきていることが既にばれている可能性が高い。


 実際ばれていた。喚く寧をどうにか宥め、その場を収めることに成功した直後、タイミングを見計らったかのように迎えの車が現われた。迎えにやって来たのは布施秋穂(ふせあきほ)さんという女性で、俺とも親しい人だ。秋穂さんが穏やかな口調で諭すと、寧は渋々といった態度で車に乗り込んでいった。秋穂さんは俺への謝罪を済ませると、急いで車を走らせていった。なお、寧は連絡先を書いたメモを俺の手にこっそり握らせた。

 数日後の新聞には、礼司さんの葬儀は身内とごく一部の関係者だけの密葬であったと書かれていた。

 彼の死因は、病死ということになっていた。

 

 さて、礼司さんの死後、ある問題が持ち上がった。

 礼司さんが死んだことで、空席となった『同盟』の席がどうなるかという点だ。

 『同盟』の幹部は、血統種の中でも特に優れた者から選定される。入れ替わるとき、大抵は前任者の子供や兄弟から選定されることが多い。同じ血族であれば力の強さが似ることが多いからだ。その慣例に沿えば、礼司さんの子供か兄弟が候補に上がる。

 礼司さんの兄弟は、真っ先に候補から弾かれた。礼司さんには兄、弟、妹がいるが、力の強さは全く似ていない。礼司さんが異様に強すぎるのだ。また、他の『同盟』の幹部と比較しても見劣りする。そこで兄と妹は自身ではなくそれぞれの長男を擁立しようとした。それでも礼司さんの抜けた穴を埋めるには力不足だった。残る弟はというと、幹部の椅子に全く興味はなくあっさりと辞退した。


 結局、寧が第一候補となった。寧の力は発展途上だが、それでも余りある力を発揮している。

 しかし――その寧は現在十二歳である。

 『同盟』の構成員となることに明確な年齢制限はない。実際、過去に十代で『同盟』入りした者も少なくない。だが、寧にはまだ早いという声が多数だった。俺自身もそう思う。当主としての自覚もまだ薄く、重責に耐えられるとは思えない。

 一族は、この問題について議論を交わした。慣例に従って寧に継がせるべきか、あるいは別の誰かに任せるか。これが大いに紛糾した。幼い寧に御影家の当主はまだ担えない。そこで一族の中から補佐を選び、実務に関してはその補佐に委ねるという案が出た。当然、一族の連中は争うことになった。実権を握るチャンスなのだ。議論は一族の争いへと変わり、肝心の話題は捨て置かれた。


 そんなとき、死んだはずの礼司さんからの手紙が各方面に届いた。

 礼司さんは生前手紙を遺し、死後に送達されるように手配していたのだ。

 その手紙にはこう書かれていた。

 自分の死後、『同盟』の席は娘の寧が引き継ぐこととする。

 そして、その補佐に最上由貴(もがみゆたか)――即ち俺を据えると。

 その内容を目にしたとき、俺は眩暈を起こし倒れそうになった。

 

 礼司さんが俺を引き取った理由の一つ――それは寧の手となり足となる人間を得るためだ。

 礼司さんは寧が将来『同盟』の地位を継いだときのため、娘を支える側近の育成を計画していた。

 そのために彼は寧と年齢が近い血統種を探し、自ら育て上げようとしていたのだ。

 そうして白羽の矢が立ったのが俺だ。

 友人の遺児であり放ってはおけないという友情と義理もあったのだろう。だが、それだけでなく俺と寧の相性が非常に良いことも決断の理由になったと、過去に礼司さんは語っていた。

 俺はそれを既に終わった話だと思っていた。

 しかし、そうではなかった。

 礼司さんは未だなお俺を指名していたのだ。




 そんな過去を思い返す内に、俺は目的地へと到着していた。

 懐かしの元我が家――御影本家の屋敷である。

 屋敷の門前には、二人の男女が並んで立っている。二人とも俺と同じくらいの年頃だ。


「お久しぶりですね、由貴さん」


 エプロンの女性――天野五月(あまのさつき)さんがそう言ってにっこり笑った。

 五月さんは、寧の身の回りの世話を任されている使用人だ。彼女の父親もこの屋敷の元使用人であり、父親の仕事を引き継ぐ形で働いている。

 年は俺より一つ上で、礼司さんと寧の身の回りの世話を担当していた。


「久しぶり五月さん、元気そうで何より。登も変わりないか?」


 俺は五月さんの隣に立っていた少年――大隅登(おおすみのぼる)に声をかける。

 登は屋敷の庭師で、こちらも五月さん同様父親からその地位を譲り受けた。

 尤も、その父親はたまに庭の様子を見に来ることがあり、その度に何かと小言を言われている。

 登は俺の呼びかけに対して、にやりと笑う。


「おう、こっちは平常運転だ。まあ、“当主補佐”様の御帰還に備えて大忙しだったけどよ。おっと、大出世した奴には敬語使わなきゃダメかな? 申し訳ありません由貴様」


 どうやらこの憎まれ口も変わりないようだ。

 最後に逢ったときと変わりのない態度に、懐かしさが込み上げてくる。

 悪友は笑みを引っ込めると、どこか遠い目をして黙り込んだ。そして、少し恥ずかしげに手を差し出してきた。


「まあなんだ――おかえり、由貴」


 登は柄でもないと言わんばかりに顔を背けた。五月さんはその様子を見て微笑んでいる。

 俺は溢れ出そうな感情を留めるように一旦目を瞑り……それから登の手をしっかりと握りしめた。


「ああ……いろいろと厄介なことになったけど、まあ帰ってきて良かったよ――ただいま」


 そうだ。またここへ来ることができた。今はそれが嬉しいというのが素直な感想だ。

見慣れた屋敷は全く変わりない。たった一年しか経過していないからなのか、これまでもずっとそうだったのか。いずれにせよ、その変化の無さはまだ俺を受け入れてくれると言っているように思えた。



「どうかしら? 一年ぶりの我が家は」


 屋敷に入って早々、一人の少女が玄関で俺を出迎えた。

 この家の現当主、と言っていいのだろうか。

 礼司さんの娘であり、俺の妹分である寧だ。

 

「悪くない」


 俺は先程の感想を、簡潔にまとめて口にした。


「それだけ? 義妹(いもうと)に逢えて嬉しいとかは?」

「この前逢ったばかりだろう。先月だぞ」


 素っ気なく返すと、寧は露骨に嫌そうな顔をした。


「まあ、積もる話は後でゆっくりと……まずは荷物置いてきなさいよ」

「俺が使っていた部屋でいいか?」

「そこしかないでしょ。いつか帰ってくるときのために空けておいたんだから」


 そう言って寧は顔を背ける。頬が紅く染まっている。これは登のときと同じ反応だ。

 俺は苦笑してその場を後にした。

 俺が使っていた部屋は、敷地内の西側の棟にある。その二階、一番端が俺の部屋だ。

 部屋の中は出て行ったときと、ほとんど変わっていなかった。

 箪笥やベッドは俺が引き取られたときから使い続けているもので、定期的に掃除されているのか埃は溜まっていない。


「どーだい? 懐かしいだろ。寧ちゃんがしっかり掃除してたからねえ」


 部屋の中を見回していた俺の背後から、能天気な声がかかる。

 振り向くと扉前の廊下に、またしても見知った顔があった。

 三十代後半くらいの無精髭を生やした浅黒い肌の男性だ。


「……隼雄(はやお)さん、来ていたんだ」

「よっ、元気してた?」


 彼は礼司さんの弟、隼雄さんだ。

 隼雄さんは弁護士で、主に血統種が絡む争訟を手掛けている。その傍らで魔物によって家族を失った人への支援活動も行っている。御影家の顧問弁護士も彼が務めている。

 隼雄さんは『同盟』の席を巡る争いで候補に上がった一人であるが、弁護士としての活動を優先するために辞退した。

 今回の一件に関して、礼司さんの遺言を預かっていたのも彼だ。

 俺が追放されたときも最後まで擁護してくれた人でもあり、彼のことは密かに信頼している。


「おかえり“当主補佐”殿」

「それさっき登にも言われたよ」

「俺が広めたんだ。肩書きがあった方がいいだろ?」

「いらない」

「そう言うなって。君が“そういう立場”にあるって既成事実を作っておかなきゃ」


 隼雄さんは悪巧みするかのようにくっくっと笑う。

 どうやら彼は俺が補佐に就くことに賛成しているらしい。


「年齢を理由に補佐をつけるって話だったのに、高校生を補佐にするって普通に考えて反発されるだろうに……」

「そりゃあ礼兄が直々に仕込んだ例外だから通るんでしょ」

「それでも体裁ってものがあるだろう」


 他の連中が眼をぎらつかせて狙っていた立場を俺が横取りしたとなれば、騒動になるのは目に見えている。

 元々そのつもりで教育していたからといって、過去に問題を起こして追放された人物を起用するか?


「あれから一年しか経ってないんだぞ。まだ反感は残っているんだろう?」

「そりゃ勿論。殺人やらかした奴にそんな役目任せられるかってクレーム凄いよ」


 隼雄さんはあっさりと言う。


 その通りだ、と俺は内心呟いた。

 一年前、俺は人を殺した。

 それが屋敷を追放されるきっかけとなったのだ。


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