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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第二章 三月二十七日 前半
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悲嘆に臨む心構え

 玄関から中に入った俺は、ふと階段を見上げぎょっとした。そこにはふらふらと体を揺らしながら下りてくる彩乃の姿があった。彼女を支えているのは見張りを任せていたメイド人形だ。


「おい、大丈夫なのか。無理して起きなくていいんだぞ」


 彩乃に駆け寄り声をかける。覚束ない足は今にも踏み外しそうで危なっかしい。


「いいのです。捜さないと……」

「捜す?」


 一体何の話をしているのだろうか。瞳には光が戻っているが、若干不安と恐怖が見え隠れしている。呼吸も激しく正常な状態とは言い難い。


「は、早く見つけないと……もうこれ以上は……」

「おい、何の話だ。わかるように言え」

「すぐに行かないと駄目なのです! 手遅れになったら……」


 俺を振り切って彩乃は階段を下りようとする。下した左足の踵が一段下を踏もうとしてバランスを崩して、彩乃の身体が前のめりになった。あっと小さな悲鳴を上げた彩乃だが、人形が肩を掴んだので落下することはなかった。振り切られた俺はというと咄嗟に彩乃を受け止めるように前に回り、腰の辺りを両手で持つ形となった。


「あ……」

「落ち着け。俺が話を訊いてやる」


 真正面に浮かぶ彩乃の眼前ではっきりそう言うと、呆けた表情が突然夢から醒めたようにはっとした。そして自分の身体が半ば宙に浮いた状態であることをようやく自覚したのか、急に慌てだした。彩乃は踏み外して浮いていた足を地につけバランスを取り戻す。それから人形の支えを頼りに一歩ずつゆっくりとした足取りで階下まで辿り着いた。


「……すみませんでした。ご迷惑おかけして」

「気にするな。いろいろと頭の整理がつかないだろう。何度も言うが無理をするなよ」


 彩乃はこくんと首を縦に振ると、そのまま俯いてしまった。恥ずかしい様相を晒したと思っているのだろう。俺は気にしていないと言う代わりにその小さな肩に手を置いた。彩乃が俺の顔を見上げる。


 章さんが気を遣って、五月さんにお茶を用意するように頼みに行ってくれた。隼雄さんは一先ず大丈夫だと判断するとこの場を俺に任せると言い、雫の部屋にいる凪砂さんたちの様子を見るために二階へと上がっていった。


 数分後、食堂で俺と彩乃は隣り合って椅子に腰かけていた。湯気の立つお茶をちびちびと啜る彩乃はいつにも増して小柄に見える。 五月さんは台所へ行き、章さんは一旦自室へと帰っていった。二人だけが残された食堂は外界から隔絶されたかの如く静かだった。


「落ち着いたか?」


 彩乃は無言で頷いた。頬には赤みが増し、瞳に虚ろな光はない。消沈しているがとりあえず落ち着いて話せるだけの平静は取り戻していた。

 彩乃はほっと一息つくと俺の顔を見上げて訊ねた。


「……あの、お父さんのことなのですが――その、どうなったのですか?」

「まだ捜査中の段階だ。詳しいことは何もわかっていない」

「そう、ですか」


 それだけ言うと彩乃は再びカップに口をつける。俺は自分から口を開くことなく、彩乃が再び語りだすのを待った。

 しばらく経ってから、彩乃はぽつりと零した。


「不思議なのです」

「不思議? 何のことだ」

「お父さんが死んで、目の前が真っ暗になって……悲しいって思っているのに、全然涙が出てこないのです。何と言えばいいのか……ああ、やっぱり(・・・・・・・)という気持ちが大きくて哀しみが薄れてしまった、という感じで」

「やっぱり?」


 父親の死を予感していたと示唆する言葉に、俺は訝しげな声を上げた。


「お母さんが――ああ、私の本当のお母さんの方です――死んだときから何となく思っていたのです。お父さんもああなるんじゃないかって」


 昨晩、信彦さんから聞いた話を思い出した。彩乃の母親は対立派の血統種に殺され、彼女はその件で血統種を恨んでいると。恐らくは御影家の人々とあまり関わりを持たないのもそれが理由だろう。


「その話は信彦さんから聞いている。対立派に殺されたらしいな」

「はい、お母さんもお父さんと同じく研究者でした。仕事の帰りに一人でいるところを襲われたそうなのです」

「犯人は捕まったのか?」


 彩乃は首を振って答えた。


「未だ捕まっていないのです。ただ、現場付近の監視カメラの映像から対立派として指名手配中の男が浮かび上がったと聞きました。名前は里見(さとみ)修輔(しゅうすけ)


 その名前を聞いて一瞬頬が引き攣ったが、彩乃には気づかれなかったようだ。

 里見修輔は俺もよく知っている。桂木鋭月の腹心であり、過去に『同盟』のメンバーを数名殺害した罪で手配中の男だ。奴が彩乃の実母をも殺していたとは初めて知った。

 今回街に侵入した連中の中にもその姿が確認されている。あの鋭月の手下だけあって一筋縄ではいかないはずだ。


「……お母さんが死んで思いました。血統種と関わるということは危険と隣り合わせになるって。正直言うと好き好んで関わりたいとは思わないのです。兄さんは良い人ですが……母はちょっと怖いのです」


 まあ、沙緒里さんと距離を縮めるのは誰であっても勇気がいるだろう。信彦さんがどうやって再婚を決意させたのか気になるところだが、今は彩乃の話の続きを聴くことが先だ。


「だからお父さんが死んでいるのを見つけたときも、心のどこかで――ああ、やっぱりこうなったのか――という気持ちがあったのです。だから涙は出なかったのです。当然の結末のように思えてしまって……」


 そう言って彩乃は俺の方へと視線を回す。


「……薄情と思うですか?」

「いいや」


 彩乃は非難されるべきだと捉えているようだが、俺はそう思わない。肉親の死という衝撃から心を守るために選んだのは、諦観を装うことだったと言うだけの話だ。それはまだ十五歳の少女にとって簡単ではない話だ。


「失うのを怖いと思うのは当然のことだ。そうなってしまうのが嫌で、辛い思いをするのが嫌だから、最初から何も感じないように心が構えることもあるだろう」

「そういうものですか……」

「そういうものだ」


 俺自身にも同じようなことが言える。礼司さんが死んだときも、俺は決して涙を流さなかった。最後に泣いたのは両親が死んだときだ。あのときは、俺の世話をするために泊まり込んでいた秋穂さんに三日三晩泣きついた。秋穂さんも自分に目をかけてくれた二人の死を悲しんでいただろうに、俺を支えることに専念してくれた。

 それ以来、俺には涙を流した記憶が無い。彩乃のように覚悟を決めたというわけではなく、ただ秋穂さんのように誰かのために泣くのを堪えられるようになりたかったというだけだ。


「それはさておき、本題に入ろう」


 俺の言葉に彩乃の表情に緊張が走った。


「さっきお前は言っていたな。“捜さないと”って。何を捜さないといけないんだ? まだ気分も悪いのに無理して歩き回ってまで、何を捜そうとしている?」

「……」


 彩乃は目を(つむ)って考え込んでいたが、やがて意を決したように語りだした。


「本当は誰にも頼りたくないのですが、こんな状況になってしまったので私一人では難しいのです。協力してくれませんか? できることなら他の人には内緒にしてほしいのです」

「……それは人に知られるとまずいことか?」

「まずいと言えばそうなのですが……悪いこと、かもしれないのです。多分……客観的には」


 どう判断すればよいのかわからないといった風で困ったように首を傾げる。悪気があるわけではなさそうだ。


「わかった。とりあえず話してみろ」

「実はペットが逃げ出したのです」

「……は?」


 予想だにしない回答に、俺は口を開けるしかなかった。


「ですからペットなのです。私の」

「ちょっと待て。どうしてお前のペットの話が出てくるんだ?」

「ですから――ここにこっそり(・・・・・・・)連れてきた(・・・・・)のです。私の鞄に隠して」


 全部曝け出す覚悟を決めたのか平然と言ってのける彩乃。

 それに対して俺は数秒固まってから一言返した。


「何だと……」

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