御影隼雄の告白 ‐懐かしき日々‐
隼雄さんと糸井叶。
大学時代に恋人同士だったという二人。
その関係が彼をこの事件に引き込む原因となったのは間違いない。
「寧ちゃんにはもう話したけど俺と叶さんが昔交際していたのはもう知っているんだよね?」
「ええ、二人が逢っているのを見たという証言や写真も得られました」
「じゃあ、俺たちの関係をもう少し説明しておこうかな」
隼雄さんは懐かしい過去に想いを馳せるように目を細めた。
「彼女と出逢ったのは大学に入って間もない頃だった。当時の俺は空虚で人生に生甲斐を全く感じていなくてね、大学に入ったのも経歴に適当な箔をつける以外の目的がなかった。卒業後は法律家として独立して『同盟』とは距離を置くつもりでいたからさ」
「実際当時の隼雄さんも礼司さんや小夜子さん以外とはほとんど付き合いがなかったそうですね」
「だが、大学時代から徐々に性格が変化してきた。糸井叶と出逢ったからだ。そうだな?」
俺の言葉に隼雄さんは微笑んだ。
「俺は大学で主催された血統種犯罪に関するセミナーに参加したんだけど、それに叶さんも参加していたんだ。たまたま俺と席が隣同士で、何かと話す機会が多かった」
隼雄さんは語る。
糸井叶はその頃から学外で行われていた血統種犯罪の被害者ケアの活動に参加していた。隼雄さんと同じ大学に入ったのも、そこが血統種社会と人間社会の相関性を研究する分野に力を入れていたからだという。
「叶さんってどういう人だったんですか?」
雫がそう訊ねると、隼雄さんは難しい顔をした。
「うーん……そうだな、俺をさらに自由奔放に舵を切ったような性格?」
「隼雄さんより自由奔放……?」
予想外の言葉で驚いたのか雫が声の調子を上げた。
「なんていうかね、ギャップが凄いんだよ。叶さんって見た目はお淑やかに見えるんだけど、その実とんでもなくやりたい放題というか、ぐいぐい来るというか。俺は冷めた性格だったから最初彼女との関わりも必要最小限だったんだ。でも、彼女はそうじゃなかった。俺が壁を作っているのが気に入らなくて強引に引っ張り回した。縁は大事にしよう、折角知り合った仲なんだからもっと交流を深めようじゃないかと。俺は自己主張しない性質だったから、ろくに反論もできず引き摺られていった。学内では学食に付き合わされ一日数量限定のプリンを奢らされて、学外のケア活動で夜まで一緒に連れ合った時はレストランでアイスを奢らされて、夏季休暇には駅前のセンタービルのカフェで季節限定のパフェを奢らされて」
「デザートを奢らされてるだけじゃないですか」
「そういえば夏美から聞いたことがあるな。お母さんが物凄く甘党だと」
「ま――俺は文句の一つ二つ口にしながら付き合ったけどね。何だかんだ言って一緒にいるのが楽しかったんだよ」
隼雄さんは屈託なく笑った。
「叶さんは聡明な人で、徹底してリアリストだった。血統種犯罪で家族や友人を失った人たちを救うために血統種の力を借りることを推し進めた。血統種に反感を抱く人たちを相手に根気強く説得し、科学と知見を以って効率的な心理療法の研究に携わった。叶さんは感応型能力の保有者で、精神医学の分野に対する造詣が深かったからね。彼女は人間と血統種の融和には客観的事実に裏付けされた手法以外の解決策は存在しないと常日頃から主張していたよ。そんな彼女の在り方は素直に尊敬できた」
「で、そうして行動を共にしている内に気がつけば落ちていたと?」
「そうなんだよねえ、自覚したのは一年の秋ぐらいだったかな。ある日ふと気づいたんだ――あれ、俺もしかして叶さんのこと好きになってる?――って。それで流れで告白しちゃったよ、今日の予定でも話すかのように」
「ちなみに叶さんの反応は?」
「第一声が“やっと気づいたんですか? ずっと前からそんな雰囲気漂わせていたのに。いつ言ってくれるか待ってたんですよ”だった」
満更でもない反応ということは彼女の方も悪い気はしなかったのだろう。
二人が後に交際に至るまでに関係が進展したことを考えれば相思相愛だったのかもしれない。
「全ては過ぎ去りし日の思い出さ。あの頃が一番輝いていたなあ」
「叔父様にも青春時代があったのね」
かつて不義の子として腫物扱いされていた隼雄さんは、周囲に対して心を閉ざした。
礼司さんと小夜子さん以外には決して心を開かず、異才を示してもそれを笠に着るわけでもなく無関心のまま。
彼の心にあったのは、ただ誰にも煩わされることなく独りで生きていきたいという細やかな願望だけ。
そんな彼の心を融かしたのが糸井叶だったのだ。
「……しかし、叶さんが後に別の男性と結婚したことを考えると、結局二人は別れたんですよね?」
「うん、三年生になった直後にね。叶さんの方から切り出してきたんだ」
「どうしてまた? 喧嘩でもしたんですか?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ“何も聞かずに別れてほしい”とだけ言って必死に頭を下げてきた。尋常じゃない様子でね。どれだけ理由を訊いても教えてくれなかった。ひたすら泣きながら謝るだけで、俺はどうしようもなかった」
三年生になった頃に突然切り出された別れ話。
その理由には心当たりがある。
「……隼雄さんと叶さんは同い年だよな? 隼雄さんが今年で三十七歳だから……その年って夏美が生まれた年だよな?」
寧と世衣が「あっ」と声を上げる。
隼雄さんは頷いた。
「その通りだよ。叶さんは別れを告げた後から大学を休学した。それより前に休学申請を出していたみたいだった。休学中彼女は俺との連絡を避けていた。ちょっとした世間話すらも拒絶するようにね。それは普段の叶さんを知っていれば明らかに異常で、彼女の様子からして何らかのトラブルに巻き込まれたと解釈するのは当然だった。そして、その年の冬に彼女に子供が生まれたのを知った。全然気づかなかったよ、彼女がそんなことになっていたなんて」
「妊娠しているような素振りは全く見せなかったんですか?」
「全くね、それは無理もない話だけど」
「……無理もない、というのは?」
妙な言い回しに何かを感じ取ったのか凪砂さんが声のトーンを落として訊く。
それに対して隼雄さんは頭を掻きながら答えた。
「……かなりデリケートな話だからね。俺はあくまで法律家であり専門家じゃないから詳細に説明することはできない。端的に言うと――叶さん自身が妊娠していたわけじゃない」
「ひょっとして代理出産ですか?」
代理出産――それは確かにデリケートな話だ。
現在この国において代理出産は原則禁止となっている。ただし、これは当事者が人間である場合の話だ。当事者が血統種の場合だと事情は異なる。
基本的に現行法は血統種に対して極力規制を課さない方針を固めている。それ故に、人間に適用される法を血統種に対しても適用することには賛否が分かれている。
その問題の隙間を突いた問題は数多くあるが、個人によって能力差が大きい血統種に一律に規制を課すのが難しい現状に変わりはない。
そんなことを思っていると隼雄さんは首を振った。
「いや、微妙に違うよ凪砂ちゃん。代理出産というのは……適切じゃない、のかな? 俺も厳密にどう言うのかは知らないけど」
「……?」
「正確に言うと体外受精ってことになるのかな? 叶さんの卵子を摘出して受精させて……それを別の女性に着床させたんだ。叶さんの同意なしで」
「本人の同意なし!? 馬鹿じゃないの!」
寧が血相を変えて叫んだ。
雫と凪砂さんに至っては衝撃の余り固まっている。
それはそうだろう。知らない間に自分と身に覚えのない男との間に子供が生まれていただなんて、デリケートどころの話ではない。
女性陣は明かされた話の酷さに一様に引き攣った表情を浮かべている。
一方、男たちは冷静だった。
慧は既に知っているのか頬杖をついて悩ましそうに目を瞑っている。
そして、蓮は思い詰めるような憂いを帯びた瞳を虚空に彷徨わせていた。
「酷い話だよ本当、結局子供が生まれた後に俺の下に来て教えてくれたんだ。その時は流石に怒ったね、もっと早く相談してくれれば無理をしてでも御影家の力を使って解決したのに」
「是非そうすべきだったわ! というよりどうしてそうしなかったの!?」
「俺も最初はそのつもりだったよ。でも、叶さんはそれを止めた。今はまだ駄目だと。その時の俺は何故止めるのか理由はわからなかったけど、彼女の懇願を無碍にするのは憚られた。今ではその理由が何か知っているけどね。本当に――胸のむかつく話だ」
俺は沙緒里さんの話を思い出していた。
沙緒里さんが語った夏美は母親と最初の夫との間にできた子であり、その夫は事故死したという話。それは白鳥数馬によれば、実際には最初の夫が彼女を捨てたとのことだった。
だが、隼雄さんの話を聞くと、それはカバーストーリーであったことが窺える。
俺の脳裏を嫌な仮説が過ぎる。
無意識の内に、俺は蓮へと視線を向けていた。
「俺は生まれた子供がどうなるのか訊ねた。叶さんはその子を引き取って育てたいと答えた。自分の知らないところで生まれた子であっても、自分の血を分けていることに変わりはない。何より“あいつら”の手に渡すのは絶対に看過できないと鬼気迫る表情で言うのを見て、俺の思っている以上の厄介事だと悟った」
「ええ、わかります。恐らく……その出産には浅賀善則が関与していたのではないですか?」
隼雄さんの顔に突如血の気が上った。
「ああ、そうだよ凪砂ちゃん。あの屑が裏で関わっていた。何もかもあいつが仕組んだことだ。叶さんのことも、夏美ちゃんのことも、その他の人々の人生が狂わされたのも――全てあの外道の仕業だ」