事後処理
当然というべきか『同盟』傘下の病院の前にも既にマスコミ関係者が群れを成していた。
今回俺たちが向かった先は里見修輔が入院していた病院とは別だ。今あそこは一番騒がしく落ち着くのも無理だということで、氷見山公園から少し離れた別の病院を紹介されたのだ。
俺たちは外部の目を避けるように窓を閉ざされた車輌で病院へと向かった。蓮はフードで顔を隠しているとはいえカメラの前に立たせるわけにはいかない。病院に到着した後の蓮は、まるで被疑者のように凪砂さんの部下に両脇を固められた状態で建物の中へと入った。付近の建物から病院の敷地内を撮影しようとする連中の姿もあったので正解だ。
その後、戦闘に参加した者は全員医師の診断を受け、負傷した者は処置を受けることになった。
幸いにも俺の治療は一時間足らずで終わった。身体強化でダメージを軽減していたのが良かったのか背中を打ちつけた時の傷も打撲だけで済んだという。あとは肩の銃創だけ治療すれば他に目立つ怪我はない。
「あなたの身体強化の能力は自然治癒も強化されるのでこの様子だと明日には問題なく動けそうですね。怪我が軽い分それだけ治りも早いですし」
担当の医師からそう告げられほっとした。この状況下でしばらく安静にするように言われるのは避けたかった。
雫の怪我も頭の擦過傷だけで、簡易的な治療ですぐに治ったそうだ。
寧、蓮、凪砂さん、隼雄さんも特に問題なし。
派手に怪我をしたのは俺と秋穂さんだけだった。
「布施秋穂は助かる公算が高いそうだ。こちらとしてもありがたい。殺人事件の重要参考人が死人に口なしとなれば面倒だからな」
人気のない病院のロビーで、俺たちは蘭蔵さんの言葉に耳を傾けていた。
「ああ、御影邸の事件に片がつくならこんなに嬉しい話はないとも。きっと総長も胸を撫で下ろすに違いない。俺がまた厄介事を押しつけられたことに比べれば何てことはない」
蘭蔵さんの言葉には露骨な不機嫌さがありありと滲み出ていた。普段以上に眉間の皺が深い。
「俺の気持ちを想像したことがあるか? 連日マスコミ対応と裏方の仕事に忙殺されて疲弊してやっと落ち着いたから仮眠をとろうとした矢先に電話がかかってきた時の感情を。その内容が“『同盟』に箝口令を敷いて事件の情報が他の職員に漏れるのを防いでくれ”なんて馬鹿げたものだった時の感情を。理解できないなら教えてやる。俺が最初に抱いた感想は“死ね”だ」
「……本当に申し訳ありません。こんなこと頼めるのは蘭蔵さんだけなので」
「いやはや、厚い信頼に涙が出そうだ。御影家の連中はこんなのばかりだな。自分から声をかけて来たと思ったら無理難題を突きつけてくる。昨日は沙緒里、今日は貴様。礼司の薫陶を受けているようで何よりだ。あの男も草葉の陰で喜んでいるだろうな」
それから蘭蔵さんはじろりと蓮を睨みつけた。
「それに加えて死人を連れてくるとはどういう了見だ? こいつを引き摺り回して方々出歩くのがどれだけ混乱を生むと思っている? 貴様らが俺に何を期待しているのか見当もつかん」
蓮の存在を隠蔽するに当たって凪砂さんの力だけでは足りないと結論づけた俺たちは、この件を相談できる人物を絞り込むことにした。彼が俺たちに告げた紫の発案には、絶対に『同盟』上層部の協力が不可欠であるからだ。
白羽の矢が止まったのは蘭蔵さんだった。『同盟』の裏仕事を束ねる人物であり、情報封鎖に関する権限を有している人物でもある彼はこの件に最適な人材であった。
態度こそ酷いが、理を説けば素直に受け入れてくれるだけの判断力を備えているのは非常にありがたい。彼は周囲から便利屋扱いされるのを嫌うが、常に適切な対処を下してくれるその柔軟性が評価の原因となっていることには気づいていない。
「ええと、それについてお話がしたいという人がいます」
そう言って蓮は蘭蔵さんに一台のスマホを見せる。
「ふん、この状況でどんな有益な話題を持ってきたって言うんだ?」
「今度の事件を解決するに当たって『同盟』が被る被害を最も少なくする方法を提示できます」
「……一体どんな大物だ?」
『誰でしょう。見事正解した方には私秘蔵のセクシー写真をプレゼント』
懐かしい声で発せられた酷い台詞に対して、俺は喜ぶべきか呆れるべきか一瞬悩んだ。
スマホを持つ蓮が申し訳なさそうに顔を背けている。
「お姉さま、せめて最初の一言くらいは威厳を保ってほしかったわ」
「紫ちゃんにそれを求めるのは無理かなあ」
本来であれば半年以上もの間行方知れずになっていた姉の声を耳にして何かリアクションを返すべき場面だが、相手が紫となればそんな空気は生まれない。下手に緊張するより良いかもしれないが心配していた身にもなってほしいと愚痴を零したくなるのも本音だ。
「礼司のじゃじゃ馬娘か。長い間遊び歩いていながら今更何の用だ?」
『勿論蘭蔵さんに魅力的なアイデアを提供するため』
「貴様が? 今まで何をしていたかは知らんが唐突に現れて何ができる?」
紫は若干間を置いて、今度は威厳たっぷりの口調を整えた。
『明日この事件を完全解決してみせる。だから明日いっぱいまで情報封鎖して』
明日――想像以上に早いタイムリミットに思わず身体を強張らせた。
「……何故明日なんだ?」
『タイミングが丁度いいから。殺人事件は解決して後顧の憂いは無くなった。あとは浅賀善則の研究を完全に潰すだけ。そのために必要な準備も“最後の一つ”を除いて整った』
「一つ聞いていいか? 貴様は今どこにいる?」
『ん? 浅賀の秘密の研究施設だけど』
蓮を見ると、小さく頷きを返してきた。
九条詩織と協力関係にあると聞いた時から予想していたが、紫たちは浅賀の研究施設の場所を突き止めていたようだ。
そして、浅賀の研究を潰すということは――それは即ち、糸井夏美の救済に向けて動き出すことを意味する。
『沙緒里叔母さんが介入してくるのが嫌なんでしょ? 私が巧く立ち回って手出しさせないから。絶対に主導権を渡さないと約束する』
「……もし、この申し出を受け入れなかった場合は?」
『私が自由にやるだけ』
言うなれば最初から選択肢は存在しないという通告だ。蘭蔵さんの返答がなんであれ紫に止まる気はない。承諾を事前と事後に得るかの違いしかないのだ。
『速やかに処理したいんでしょ?』
「条件をつける。草元と恭四郎と初音には事情を明かす。あいつらも当事者である以上隠すわけにはいかん。それと研究所へ乗り込む際には恭四郎を同行させる。名目上は沙緒里の下につくがこちらの指揮下で動かす」
『OK、それくらいはね』
妥当な落としどころだ。あの三人は評議会のメンバーでも信用の置ける人たちであるし、情報封鎖するならナンバー2の草元さんの協力はほぼ必須だ。現在『同盟』が混乱にある中で彼が実質トップとして活動している以上、彼に話を通すのは今後の展開を考えた上で当然の判断だ。
『それから……由貴たちも戦力として是非来てほしいんだけど』
「俺たち?」
『その、今まで勝手に行動して悪いとは思ってるんだけど、聞いてくれたら嬉しいなと』
珍しく紫は言い淀む。らしくない反応だ。
『いやね、私もこんなに長い間家を空けるつもりはなかったから。事情を説明したかったんだけど蓮のこととかいろいろあって、結局こっそり進めるのが最善かなと思ってそうしたわけだけど。まあでも、いきなり現れてお願いをきいてと言うのも失礼だと思わなくもないというか。それを踏まえた上でどうか力を貸してほしいと思ってる』
紫は言い訳がましく早口で述べる。その様子に呆れと共に微笑みが零れた。
あいつはあいつで心配かけたことを気にしていたらしい。
何と言えばいいのか、蓮の事件以来ろくに言葉も交わさずそのまま家を出ていったことをずっと悩んでいたのが馬鹿らしく思えてくる。
「言われるまでもない。そのために俺たちも動いていたんだからな」
「私もだ。ここで選択肢を捨てるなんてあり得ない話だ、そうだろう蓮くん?」
ずっと諦めずに動いていたのは雫も同じだ。彼女がここで退くわけがない。
蓮もそんな彼女の言葉に、無言で頭を下げた。
「それじゃあ俺は失礼させてもらう。草元たちを呼んで説明しなきゃならん」
そう言って蘭蔵さんは病院を後にする。
残された俺たちはロビーの自販機で買った飲み物を口にしながら一息ついた。
「……こんなに気持ちが落ち着いているのは久々だ」
「まだ全てが解決したわけではないが、ひとまず山場は越えたと言ってもいいな」
凪砂さんはコーヒーの入った紙コップを手にして、気の緩んだ表情を見せている。
殺人事件と鋭月一派の両方が片付き、騒動はここから徐々に終息へと向かっていくだろう。しばらくは注目の的になるが、それも時間の問題だ。
逃走した宮内晴玄に関しても『同盟』の捜査に委ねていい。
「それで……説明してくれるんだろうな?」
何を、とははっきり告げず蓮に問いかける。
「勿論、俺の知っていることは全部話すつもりだよ。これから協力してもらうに当たって全部知ってもらった方がいいからね」
「その話、俺にも聞かせてほしいな」
隼雄さんも横から口を挟んできた。
「そうだな、隼雄さんと糸井夫人との関係も詳しく訊きたい」
「お、もうそこまで辿り着いていたんだ。流石だね」
「叔父様も裏でこそこそ何かしていたのよね? さっきは秋穂が来たり田上たちが来たりで話が中断したからほとんど訊けていないし、全部教えてちょうだい」
「そうだね、もう打ち明けてもいいかな。ちょっと衝撃的な話もあるけど……覚悟はできているか」
隼雄さんは何故か蓮の顔色を窺うようにちらちらと目を配らせる。
蓮はその意図を察したかのように微妙な笑みを浮かべた。
「ま、どこか部屋を借りてゆっくり話そうか。時間はたっぷりあるし」
既に日は落ちているが夜は始まったばかりだ。
秋穂さんが手術を終えて話ができるようになるまで、まだ時間がかかる。
それまでの間彼らの話に耳を傾けるとしよう。
それに――。
「小夜子さんとも話をしないとな……」
八年前の夜の真相を直に目にしたであろう女性の顔を脳裏に浮かべつつ、俺はそう呟いた。