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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第九章 三月三十日 後半
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戦いの終結

 血だまりの上に倒れ伏す田上を見つめていると何かが振動する音が耳に入ってきた。

 周囲を見渡してみると“水晶の金魚鉢(ホワイトアクアリウム)”が細かく揺れ動きながらその表面にひびを生み出している。

 やがて上部が砕け破片が空中に舞う。頭上に落下するのを警戒したが、破片は地に墜ちる前にほとんどが消滅してしまった。俺たちを取り囲むガラスの壁も崩壊していき、やがて全てが消え去った。


 能力が解除されたということは田上の意識はもう無いのだろう。首筋を斬られて出血が酷い。恐らくもう助かるまい。

 蓮を殺した時とは違い、冷静に、かつ冷徹に与えた死の一撃は俺の心を然程動かさなかった。


 “怒りの鎧”を解除しほっと一息つくと、忘れていた背中と肩の痛みがぶり返してきた。

 思わず顔を顰めてその場に蹲る。

 そんな俺を心配して雫が駆け寄ってきた。


「大丈夫か、骨が折れているんじゃ……」

「多分な、身体強化したとはいえ無理をしたか」


 俺は奥で寝かせられている秋穂さんへと目を向けた。

 彼女を放置するのはまずい。“同調”で僅かながらでも回復力を高めておくべきだ。俺自身のためにもそれで耐えるのがいい。


 秋穂さんは呼吸が荒く、見ていて痛々しかった。俺の姿を目に入れて若干表情が和らいだのが幸いだ。


「……良かった、無事みたいですね」

「秋穂さんのお陰だ。あなたがいなければ恐らく勝てなかった」

「……いいえ、あなたならきっと……っつ」


 喋って傷口に響いたのか秋穂さんが歯を食いしばらせた。


「ほら、もう喋るな。もうすぐ凪砂さんが呼んだ応援が来るはずだ。それまで安静にしていてくれ」


 秋穂さんは小さく首を動かし、そのまま瞳を閉じた。

 汗にべっとり濡れた額にかかった前髪は水をかけたように湿っていた。


「由貴!」


 俺を呼ぶ寧の声が背後にかけられる。

 振り返ると彼女と凪砂さん、二人の後を追うように蓮と隼雄さんがやって来ていた。


「大丈夫なのあなた? その肩は? 弾は貫通しているの?」

「落ち着け。負傷したがなんとかなった。そんなに心配――」


 俺の言葉はいきなり俺に抱き着いてきた凪砂さんの胸に口を塞がれたことで遮られた。


「まったく無茶をするなと言ってもすぐこれだ。君からは本当に目が離せない。うっかりしていると知らないところで死んでしまいそうだ」

「それに関しては言い訳のしようがありません」


 凪砂さんの声はいつになく恐怖に震えていた。宮内と戦っている間も俺の元に駆けつけたいのを我慢していたのだろうか。相手は元鋭月一派の幹部だ。今回ばかりは不安が大きかったに違いない。

 事情が事情なので大目に見てほしいが、ここ数日こんなトラブルばかりだしいらぬ心配をかけたのは事実だ。素直に詫びよう。


「もうじき警官隊と救急が到着する。かなり派手にやったから周辺住民の気を惹いているようだ。蓮の姿を見られるのをまずいし、早急に野次馬はシャットアウトしなければな」

「途中で駆けつけるかと思ったけど間に合わなかったね。随分長く戦っていたようだけど時間にしてみるとそうでもないのかな?」


 蓮がスマホで時間を確認しながらそう言う。この高台に到着してから十五分足らずといったところか。もう少し時間があれば合流できたくらいか。


「ところで宮内は?」

「あー……実は晴玄さん逃げちゃったんだよ。静江さんが倒されたのがあっちからも見えてね。すぐに自分の敗北を悟ったのか一瞬で姿が消えちゃった」

「何かハッチのような物が地面に現れたと思ったら、その中に消えてしまったんだ。ハッチもすぐに無くなってしまって追うことはできなかった」


 地面に潜る、か。確か各務先生を誘拐した三人組の一人が似たような能力で逃走したと寧が言っていた。彼女は地面に溶け込むように消えたと言っていたが、もしかするとその能力かもしれない。

 連中を雇ったのは宮内らしいと加治佐が言っていたし、奴が連中の能力を“演者のいない劇場(ファントムシアター)”で模倣していたとしても不思議ではない。


「あの能力の性質からしてそう遠くへは行ってないはずだが……追跡するのは難しいか」

「もう! あと一歩で捕まえられたのに!」


 寧は歯痒さに目を細めて憤慨してみせる。

 隼雄さんは彼女の頭を撫でて宥めた。


「まあまあ、とりあえず危機は去ったわけだ。まずは秋穂ちゃんたちの手当てを優先しよう。世衣ちゃんも由貴くんほどではないけど怪我はしてるみたいだし」


 それから間もなく現場にやって来た警官たちによって速やかに公園の封鎖が行われた。公園内にいた一般市民や店舗の従業員は全員退去させられ、取材に押しかけてきた記者が入口の前で警官に詰め寄り事のあらましを訊き出そうと奮闘している姿がそこかしこで見受けられた。

 どうやら里見修輔が死んだ話は既にマスコミに漏れているらしく、その直後にこの騒動が起き、何か関連性があると睨んだようだ。

 そんな中、唯一の例外である女ジャーナリストは堂々と公園内に踏み入り、この高台までやって来た。


「いやあ、私だけなんか申し訳ないッスね。うえっ、でも捜査に協力したわけですからこれくらいの役得があってもいいッスよね。ぐうふっ」


 まだ微妙に能力酔いが残った状態でありながら加治佐牡丹が嬉しさを隠しきれずに笑う。体調が万全ではないのに急いでやってきたことで、息を切らしながら吐き気を催している。


「由貴くん、秋穂さんは持ちそうか?」

「何とかな。今治癒能力で簡易的な治療を施しているが助かりそうだって」


 これで俺もようやく一安心できる。今後のことを考えると心配事は山積みだが、今は秋穂さんの命が救われただけでも充分だ。


 丁度今田上の遺体が担架に乗せられて運び出されるところだった。

 蓮はかつて良き使用人であった女に静かに哀悼の意を捧げていた。隣に立つ雫もどこか寂しそうな目で運ばれていく亡骸を見つめている。

 俺はそんな二人の姿を黙って見ていた。


 やがて秋穂さんも担架に乗せられて高台の下に停めた救急車へと運ばれていく。

 俺は秋穂さんに近寄りその手を握った。若干虚ろな彼女の瞳に生気が宿った。


「由貴さん……」

「ゆっくり休んでいてくれ。これからが忙しくなるだろうから」

「……そうですね」


 背後に気配を感じ振り返ると、寧が内心の動揺を抑え込むような表情で立っていた。

 寧は秋穂さんに何か声をかけようとして口を開いたが、すぐに口を閉じてしまった。

 その様子を見て秋穂さんは冷たく言い放った。


「名取小夜子に訊きなさい」

「え?」

「あの夜の真実を知りたければ当事者に訊くのが一番です。私は所詮浅賀から教えてもらっただけですので詳細は知り得ません。自分の眼で全てを見た本人であれば余すことなく知っているでしょう」

「……」

「そして悔い改めなさい。自分がどんな罪を犯したのか、誰を一番傷つけたのか(・・・・・・・・・・)。お前にはそれを知る義務があります」


 秋穂さんは最後に俺の顔をじっと見つめた。


「由貴さん、本当はあなたには何も知らせずに片付けるつもりでしたが、こうなっては叶わないでしょう。あなたには話しておかなければならない“秘密”があります」

「秘密……?」


 この言い方だと事件の真相以外にも何か隠していることがあるようだ。

 しかし、一体何だろう。これまでの調査を振り返っても特に思い当たる節はない。


「積もる話は後でいいだろう。幸い手術は難しくないそうだ。弾丸を摘出して治癒能力をかければ後は安静にしているだけでいい。今日の夜にでも病室で落ち着いて話をできる」


 今日の夜となるとまだ時間がある。それまでに他の問題を片付けるとしよう。


 秋穂さんが運ばれていき、残された俺たちの間に沈黙が漂う。

 皆の視線が寧に集中している。何を言っていいかわからないのだ。


「さて、我々も病院へ行こう。由貴も簡単な処置はしたがちゃんと診てもらわないとな」

「……そうですね」


 凪砂さんに促されて微妙な空気を振り払うように俺は頷いた。

 そうして雫に肩を貸してもらって痛みを堪えながら歩き出そうとした時、寧が声をかけてきた。


「ねえ、由貴にはわかる? 秋穂が何を考えていたのか」

「……」

「さっき林の中で逢った時に言っていたわ。ずっと私のことを殺したかったって。それに信彦叔父様を殺したことも認めたわ。どうしてなの? 私はともかく信彦叔父様を殺したのは何故? あの人は協力者だったんじゃないの? それなのにどうして殺す必要が――」

「それは違うぞ」


 俺が発した否定の言葉に寧はきょとんとした。


「違う?」

「秋穂さんは信彦さんを殺した。それは厳密には違う」


 意味がわからないという表情を浮かべる寧に、続けて言った。


「秋穂さんは信彦さんを殺したんじゃなくて助けようとしたんだ(・・・・・・・・・)。寄生型の魔物に肉体を侵された信彦さんをな」

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