敗因
熱と風を全身に受けた瞬間、俺は引き寄せられた雫を反射的に抱きしめた。
直後、景色がひっくり返り浮遊感に見舞われた。
地に足がついていない感触がどこか夢のように思える。逆さになった頭に血が溜まるような感覚と、雫の長い髪が頬を撫でるこそばゆさを同時に覚えたのが、その感触をやけに強調させた。
雫の身体が落ちぬようしっかりと腕で固定しながらも俺は行動を怠らなかった。爆発した魚の方向に盾を張り爆風の直撃だけは何とか避けた。盾は破壊されてしまったが勢いは弱められたはずだ。
「由貴さん!」
秋穂さんの叫びを耳にしたが今は気にする余裕がない。
俺は背中から地面に着地し、そのまま高台のタイルの上を転がっていく。体勢を整えることはできなかったが、頭だけはどうにか守りきれた。
しばらく転がった後、俺の背中と肩に鈍い衝撃が走る。高台の端に行き着いたらしく、木製の柵に打ちつけたようだ。打ちつけた箇所がじんわりと熱に似た痛みを帯びていく。出血はしているが酷くはないはずだ。爆発の凄まじさを考えればこの程度のダメージは許容範囲といえる。
一番心配なのは雫の怪我だ。
「雫、大丈夫か?」
吹き飛ばされてから全く反応が無かったのが気にかかる。
荒い呼吸音が聞こえるので生きているのは確かだ。
「……ああ、何とかな。あなたのお陰だ」
雫はぼんやりとした紅い瞳で俺を見つめてくる。こめかみ辺りに擦り傷がある以外に顔の怪我はない。
「私よりあなたの方こそ大丈夫なのか?」
「致命傷は避けられた」
覇気のない問いかけに対して簡潔に答える。
突然の出来事に雫の思考が追いついていないようだ。現状を理解するので精一杯なのだろう。
あのまだら模様の魚。やはりあれが田上の奥の手だったのだ。
少ない時間を活用して俺は脳内で情報を積み重ねていく。
まだら模様の魚には他の魚と異なる点があった。他の魚は雫の炎で燃やされるとすぐに灰と化したのに、あれだけは原型を留めていた。
ただ単に熱に強いというわけではないだろう。あれは何かしら攻撃を受けることをトリガーとして効果が発動するタイプの能力なのだ。それ故に攻撃行為で消滅することがない。“鉄壁の刃”のように概念型の性質を持っていると推測できる。あの魚は銃弾を変化させたものではなく、それ単独を無から生成したものではないだろうか。
大きな謎は、何故まだら模様の魚をすぐに用いなかったのか。
俺たちの油断を誘うために使わなかったとは考えにくい。外見が目立ち、敵に警戒されやすいからだ。現に俺もあれが田上の重要な手札だと気付いていた。
この場合、温存するよりもすぐに効果を発動させた方がいい。時間をかければ対策を打たれることもありうるのだ。
それをしなかったとなれば可能性は一つ。
そうせざるをえなかった。
まだら模様は条件を満たさないと効果を発動できないのだろう。あるいは、効果が半減するといった欠点があるとも考えられる。
この説なら最初崖下に伏せていたことも納得できる。条件を満たす前に攻撃されても何ら効果が発動することなく、または大した効果が発動せずに消費してしまうだけだ。
残るは問題の条件が何かだ。状況的には時間経過によって効果が増幅されるといったところだろうか。他の魚と一緒に伏せていた事実からして他の魚との相互作用があるということも挙げられるか。例えば、他の魚の数が多いほど効果が増すといった風に。
ただ、これだと俺たちが魚の群れを次々に撃破していったのに余裕を崩さなかったことと矛盾するので否定できる。
となると――。
「時間経過が条件でないと仮定すると、他の魚が倒されると爆発の威力が上昇する――か?」
条件の難易度と鑑みれば充分に考えられる説だ。魚の数が少なければ田上自身が先に倒される恐れがあり、数を増やせば制御にリソースを割き余計な隙を生みかねない。それでいて敵が魚を減らすことを優先してくれなければ大した効果も望めない。
条件が厳しいほど効果が上昇するのが能力の原則だ。そもそも通常の魚を生成するために銃弾を必要とする分の扱いづらさは元々存在するので、その分効果も上がりやすいと言える。
基本的に田上は遠距離からの狙撃を主な戦い方としている。まだら模様を必要とする戦い方は普通避けるように動くだろう。これはあくまで狙撃が失敗したときや反撃を受けたときの次善の策として機能するものだ。
「よくわかりましたね。御名答です。なかなか使う機会のない能力でしたが役に立って何よりですよ。正解したあなたには花丸を差し上げましょう」
田上の声がした先に目を向けると何匹もの魚を侍らせた彼女が嗜虐的な笑みを浮かべてこちらを眺めていた。
全ての魚の視線は俺たちに集中している。奴が指先一つ動かすだけで一斉に突進してくるだろう。
そして、体勢を立て直した上で攻撃に抵抗するには時間が足りない。
「恨むならあの女を助けに来た行いを恨みなさい」
このまま至近距離から銃弾を浴びれば俺も雫もただではすまない。
何ができることがあるとすれば――。
俺は雫を抱きかかえる力を強くすると、痛みを堪えて身体を捻らせる。そうして田上に背中を半分向けるようにして雫の身体を奴から覆い隠した。
雫がはっと息を呑んで俺の顔を見上げる。
俺は彼女の反応を無視した。
少ない時間では大したエネルギーも溜められず小さな盾を生成するので精一杯だ。
だが、雫の頭と胸を守るだけの大きさのものを生成するのは可能だろう。
俺自身は“同調”による身体能力の強化である程度防御力を強化できればそれでいい。たとえ銃弾を防ぐに心許ないとしても無いよりはましだ。
今優先すべきは身を守る術を持たない雫だ。線香は吹き飛ばされた際に落としている。今の彼女には田上の攻撃に対処できない。
礼司さんならきっとこうしただろうし、俺も同様だ。
「由貴くんよせ……! 逃げるんだ!」
「悪いがそれはできない」
ここで雫を置いて逃げれば確実に一人死ぬ。それが俺ならともかく彼女であるのを、仮にも『同盟』に籍を置く身で許容するわけにはいかない。
「素晴らしい正義感です。何の役にも立ちませんがね、それではさようなら」
田上がそう言ってこれみよがしに指を鳴らす。
その音に反応するように静止していた魚たちが一斉に動き出した。
ぐねぐねと道を曲がるように泳ぎ、前方から、側面から、頭上から、俺たちに狙いを定める。
俺は自分の肩越しに田上を振り返る。
田上の嘲笑うような顔と威圧するような魚の群れが目に映る。
そこでふと気づいた。
田上の行動は妙にゆっくりしている。芝居がかっているともいえる。
俺たちはとっくに撃たれていてもおかしくないはずだ。
先程指を鳴らしたのもまるで攻撃の合図をアピールするかのようであった。
誰に?
その答えは俺の視線の先にあった。
田上の奥に見える秋穂さんがこちらに向けて――田上の背に向けて手を翳しているのが見える。そして、彼女の正面に生えた樹が鋭く尖った枝先を田上の背へと伸ばしていた。
枝は急速に成長するかのように伸びていき、田上へと迫っていく。
「ほら、やっぱり」
田上の邪悪な笑みがより深まったと思ったその時、いつの間にか姿が見えなくなっていた別のまだら模様の魚が現れた。
秋穂さんの後方に。
「こうすればお前はこいつを守るために動くと信じてましたよ。他人なんてどうでもいいみたいな態度のくせに最上夫妻の息子だけは別なんですね。わかりやすい女です」
秋穂さんはその言葉で背後の存在に気づいたらしく振り返る。
その時にはもうまだら模様の魚に、魚の姿から元に戻った銃弾の一つが命中していた。
「忘れたんですか? 私たちはお前を殺すためにここへ来たんですよ。私たちの目標を失念したのがお前の敗因です」
秋穂さん――。
俺が叫ぶのと秋穂さんが爆風に包まれたのはほぼ同時だった。