まだら模様の異質
物語も終盤に差し掛かり完結が見えてきた頃ですが、今後更新間隔が不定期になる恐れがあります。
ご了承ください。
田上と秋穂さんが言葉を交わした直後、何かが近づいてくる気配を感じた。周囲の様子を警戒するが、空中の魚以外に目をつく物がは見当たらない。壁の向こうの寧たちも戦っている最中でこちらに誰かがやって来る様子もない。
だが、確かに感じた。毛が逆立つような嫌な気配を。
「……由貴くん?」
俺の変化を察知した雫が声をかけてくる。付き合いの長い秋穂さんはすぐに俺の考えていることを読んでくれたらしく、瞬時に樹の枝を伸ばして迎撃態勢を整える。
間違いなく何かがいる。田上に操られた何らかの存在が。
それが接近してきているのはわかるが場所が掴めない。“同調”は味方以外の識別は困難であるし、そもそも生物でない物を捉えることはできない。
それでも俺は神経を研ぎ澄まし“同調”に頼ることなく気配を感じ取る。
「……下だ!」
俺がそう叫んだのと同時に高台の柵の向こう数メートル先、遠くにビルが立ち並ぶ姿を背景に下方から視界を埋め尽くさんばかりの大量の魚が浮かび上がってきた。
「な……まだこんなに残っていたのか!?」
「今までずっと伏せさせていたんですね。手を抜いて戦ってくれたとは随分とお優しいことで」
高台の下は坂になっていてその先は雑木林だ。魚の群れを隠すには持ってこいの場所だろう。田上は寧たちをここに追い詰めた後から、ここにずっと群れを待機させていたのだ。最初この群れはあの遊歩道のどこかに伏せていたのだろう。
だが、何故わざわざ伏せていたのかと疑問に思う。最初から見せていても問題はなかったのではないか?
そう考えて群れを観察している内に、ふと気づいた。
群れの中に妙な魚が混じっている。他の魚は青や白、赤などが混じった熱帯魚のような外見をしている。だが、その中に数匹黒と赤が混じったまだら模様の魚が潜んでいるのが見えた。
「雫、秋穂さん、あそこに変な模様の魚がいるのが見えるか?」
「ああ、確かにいるな」
「……初めて目にします。鋭月の下にいた頃には一度も見ていません」
かつて仲間だった秋穂さんですら知らないとなると隠し玉の類だろう。
血統種なら誰しも奥の手の一つや二つは隠し持っているものだ。味方といえども自分の能力を簡単に晒すのは危険である。記憶を読んだり洗脳して情報を引き抜くような血統種がいないとも限らないからだ。故に、いざというときに備えて誰にも見せない“とっておきの技”を多くの血統種が持っている。あの奇妙な魚もそれだろう。ひょっとすると鋭月ですら知らないかもしれない。
新たに現れた群れは最初の群れと合流して巨大な勢力と化す。数だけ見れば随分と多い。百を超えるかどうかという数だ。
その中の一匹が雫に向かって泳ぎ出した。
「雫!」
「大丈夫、近づけばこっちのものだ!」
雫を目がけて泳ぐ魚は途中からその姿を硬質の弾へと変えて一気に加速する。そのまま障害なく突き進めば雫の身体を貫くだろう。
しかし、弾は雫の頭から数メートル離れた中空で突如燃え上がった。火はたちまち消え去り、後には何も残らない。まるで弾丸など最初から存在しなかったように。
俺は雫の手の中にいつの間にか一本の細い棒のような物があることに気づいた。そこから漂う煙と香りが、その正体が線香であると教えてくれる。
成程と思った。雫の“延焼”は能力で火をつけた物があれば、その近くにある物にも火が燃え移る。その際に火の大きさは制約に入らないのだろう。火種さえあれば“延焼”はいつでも発動できるのだ。たとえ火種が線香の先についた熱であってもだ。
雫を中心とした一定の範囲内に入った物は何であれ“延焼”の対象となる。これなら彼女は一人で身を守れるだろう。
秋穂さんにも魚の群れが襲いかかっているが、こちらも問題ないようだ。彼女は“観察者の樹”の枝を器用に捜査して魚を次々に捕らえていく。一度に大勢の魚に襲われた際には幹と枝で盾を形成して防御している。魚が持つ力は元々銃弾として放たれた時の運動エネルギーに過ぎない。特別な力は何も持っていないので防ぐのは難しくない。
「由貴さん、来てますよ!」
「わかっている!」
秋穂さんに気を取られている間に俺に対しても攻撃が仕掛けられた。俺は掌の内に生成した光弾をいくつかの小さな塊へと分解し、それらを一斉に放つ。放たれた光弾は一つずつ別々の魚へと命中して撃ち落していった。
これも礼司さんの教育の賜物だ。どれだけすばしっこく動き回っていようと正確に撃墜できるだけの操作精度を培っているのだから。これができるだけで安心感と安定感が全く異なる。
魚の数こそ大きく増えたが、攻撃スタイル自体は先程と変わらない。このままいけば充分対処できるだろう。
しかし、俺には楽観視できなかった。
何故なら攻めあぐねているはずの田上の表情に一切焦りが見られないからだ。
まだだ。まだ何か奴は隠している。
それは例のまだら模様の魚が攻撃を仕掛けず優雅に空を泳ぎ続けているのと関係があるのだろう。
そんなことを考えているとまだら模様の内の一匹が突如軌道を変え、こちらへ向かって降下してきた。進行方向の先にいるのは雫だ。
「雫、来るぞ!」
「ああ! 任せてくれ!」
まだら模様の魚の動きは他の魚と何ら変わりない。軌道も速度も同じ。何か特別な力を持っているわけではなさそうだ。
雫と魚の距離が五メートル程までに縮まった瞬間、雫の手の中にある線香の輝きが増したように見えた。その直後、両者の間に陽炎のような揺らめきが生まれ、まだら模様の魚は炎に包まれた。魚はその場で動きを止め炎の球の中に留まり続ける。
「よし、大丈夫だ。問題な……」
「雫様、まだです! 避けてください!」
ほっとした雫を一喝するように秋穂さんが叫んだ。
「え……」
俺と雫は同時に声を漏らした。
そして気づいた。炎の中から何かきちきちと金属が小刻みに揺れるような異音が聞こえてくることに。
よく目を凝らしてみれば炎の中に魚の影が映っている。里見修輔の茨を焼き尽くす程の力を誇る熱に晒されながら魚は原型を留めていた。普通なら数秒も経たない内に灰塵と帰すはずだ。
しかし、この魚はそうでない。
「何が――」
雫が何か口にしようとしたその時、魚が放つ異音が一際大きくなった。音の大きさだけでなく、音が鳴るペースも早くなっているように思える。それはまるで警告音のような――。
俺は意識とは異なる本能的な行動によって腕を振るっていた。糸で雫の身体を絡めとり、力の限り引き寄せる。思わぬ行動に雫は狼狽した表情を見せたが抵抗はしなかった。
そして、雫が俺の身体に触れんばかりに近づいた時、かちりとスイッチが入る音がした。
その音の発生源が火球の中であるのはすぐにわかった。
音が鳴った後ほんの一時の間を置いて、耳を劈くような轟音と身を吹き飛ばさんばかりの爆風がその場に吹き荒れた。