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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第九章 三月三十日 後半
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価値あるものは

 俺たちの接近に最初に気づいたのは田上だった。こちらの姿を認めるなり機嫌悪そうに顔を歪める。


「晴玄さん突破されましたねえ。だから戦闘専門じゃない人って困るんですよ。私の負担が重くなるんですから」


 田上は空の魚を数匹こちらへ差し向けてくる。軌道を変えながら徐々に距離を詰めてくる魚の動きを冷静に見極め、銃弾へと戻る前に光の鞭で薙ぎ払う。数匹取り逃したが、それらは俺たちから距離をとり、空を泳ぐ群れの中へと戻った。


 この魚は宮内が現実化した物ではなく田上が直接生み出したものだろう。予め大量の銃弾を魚に変化させて連れて来たのだ。恐らく公園に到着した後、遊歩道の中で仕込みをしたのだろう。


 ただ、その割には数が多すぎるようにも思える。この街に潜り込んでからそれほど日が経ってなく、充分な補給ルートを持たない連中に大量の銃弾を用意するのは難しいはずだ。そう考えると、元の銃弾も宮内が現実化して数を増やしたのだろう。


 俺は田上に向けて光弾を放つ。田上はそれを見向きもせずに最小限の動作で回避した。奴の視線は秋穂さんへと向けられており、同時に背後に回り込んだ雫への対処もできていた。戦闘慣れしている者の動きだ。『同盟』の精鋭と比較しても遜色がない。


「いけませんねえ、三人がかりなら捻じ伏せられると思っているその傲慢さ。私を誰だと思ってるんですか? あの方の一の側近にして、桂木家の全権を委任されていた総責任者ですよ?」


 明白な事実を物わかりの悪い子供に丁寧に説明するかのごとく、田上は嘲笑する。

 田上が厄介な相手であることを俺にもよく理解できていた。奴は廃工場で凪砂さんとアンコロのコンビネーションを相手にして最後まで凌ぎ切った。重要なのは勝てなかったことではない。奴が凪砂さんに捕らえられることなく逃走に成功した(・・・・・・・)ことだ。それだけで田上静江という女がどれだけの実力者か理解できる。そして、今回は凪砂さんと空中を支配できるアンコロなしに立ち向かわなければならない。


 このメンバーの中で近接、遠距離、中距離戦闘いずれにも対応できるのは俺しかいない。雫は接近戦には強いが、遠距離戦が不得意だ。秋穂さんは樹を植えた周囲でなければ対応できない。ここは雫と秋穂さんに援護してもらいながら俺が行くしかない。


 魚の群れが一斉に不規則な動きを見せだすと、四方に散らばっていった。視線と集中を乱してその隙を突こうというのだろう。雫が田上の背後から俺の右後方へ移動し、秋穂さんがその反対側に身体を寄せた。死角を潰さなければ視界の外からの攻撃に耐えられない。背後と側面は二人に委ねるとしよう。


 どこからか空気を裂くような音が鳴った。それとほぼ同時に、俺の後方から何かが地面を突き破るような音が鳴る。

 視線をそちらへ僅かに向けると、“観察者の樹”が太い枝をしならせながら二匹の魚を縛り上げていた。魚は枝に絡められたまま銃弾に戻ろうとしたが、それよりも枝が魚を握り潰すのが早かった。


「由貴さん、こちらはお任せください。一匹たりともあなたの肌に触れさせません」


 優しい声色は普段から彼女が俺に向けてくれるものだ。昔から変わらない秋穂さんの声。本来ならば安心できるはずのそれが、今の俺にとっては形容し難い苛立ちを湧き上がらせる要因となった。


「秋穂さん、こんな時に訊くのもなんだが……さっき病院で里見修輔を殺したのか?」

「ええ、殺しましたよ」


 一仕事済ませたとでも言うように秋穂さんはあっさりと言ってのけた。

 彼女の声には何も特別な感情は籠っていなかった。憎悪や敵意はなく、かといって善きことを成したというような満足感も無い。淡々と己の役目を全うした事実を報告するような口調だ。


「万が一警察に目撃されても気にするつもりはなかったのですが、丹波の蜘蛛に樹を伸ばしているのを見られたのがまずかったようです。追跡されて困りました」


 秋穂さんは“観察者の樹”を外に植え、付近に人がいない時間帯を見計らって幹と枝を伸ばした。そして、別の場所に植えた樹から拳銃を輸送(ワープ)させ、窓の外から里見を射殺した。磨りガラス越しでは中の様子は見えないが、秋穂さんは事前に病室を訪問してベッドの位置を確認しているので大きな問題はないだろう。里見が病室を変えていないことも把握していたはずだ。

 恐らく樹を植えたのは病院を出た後だ。俺が病室を再訪した帰り、駐車場で見た秋穂さんは植え込みの傍にいた。あの時に植え込みの中に樹を隠したのだ。丁度車を止めた位置は病室の真下だったので不自然に思われることもない。


「……尤も、隼雄様が私を尾行していたことには最後まで気づきませんでしたが。()を呼び出してさあ行こうと思った時に、いきなり現れたのですから。本当に面喰いました」


 秋穂さんの言葉に初めて感情が宿った。それは寧の名を吐き捨てるように口にした時で、声から隠しきれない怒りが滲み出ていた。


「本当に酷い話ですよねえ。里見さん、あなたに首ったけだったこと知っていたでしょうに。まさか愛していた女性に頭を撃ち抜かれるなんて思ってもいなかったでしょうね」

「私は別に恋愛感情は抱いていませんので」

「それにしたって子供の頃からの知り合いでしょう? 幼馴染といってもいいくらいじゃないですか。仮にも昔の仲間に対して、何も思うところはないんですか?」

「全然、はっきり申し上げればあなた方程度の存在(・・・・・・・・・)など私の中では微塵の価値もありません」


 田上の顔が一瞬強張る。見下されたことが気に障ったのではなく、鋭月を虚仮にされたのが原因だろう。


「本当に嫌な性格の女ですね。昔から可愛げが無いと思っていましたが、それじゃあ、何なら価値があると言うんです? ああ、ひょっとして――あなたが崇拝していた最上精一と滝音(たきね)の二人ですか? あなたが我々を裏切ったのもあの二人に感化されたからですよねえ? あなたの任務は最上夫妻を監視して、あの方に仇を成すようであれば始末することだったというのに。それがあの様ですからね。相当入れ込んでいたようでしたが、何か褒美でも受け取りましたか? ああ、それとも――」


 そこで田上は嗜虐的な笑みを俺に見せつけてきた。


「あなた最上精一に横恋慕していたんですか? 一時期そんな噂が流れましたよね。あの男の傍にいるうちにすっかり惚れ込んでしまったって。悪い人ですねえ」


 その話は初めて耳にする話だった。鋭月の下で秋穂さんがどんな生活を送っていたのか、どんな思いを抱えて生きていたのかを訊ねたことはほとんどない。彼女は進んで語ろうとしなかったし、俺もそれなら無理に訊く必要も無いと思ったからだ。


 俺は秋穂さんの反応を窺う。自分に関わりのある下世話なゴシップを晒されたことへの心配もあったが、それとは別に今の話が真実かどうか興味があるのも事実だった。


 しかし――。


「……ふふ」


 秋穂さんは嗤っていた。

 その口元は今まで一度も見たことがないほど呆れと軽蔑に歪んでいた。


「何かおかしいですか?」

「ええ、とても。あなたは他の連中に比べればそこそこ頭が回る方だと思っていましたが……見込み違いだったようですね。そんな噂を一度でも本気にしたんですか?」

「違うんですか?」

「当然でしょう? 精一様と滝音様はお似合いの夫婦でした。私が割り込む余地などどこにもありません。それは最後まで互いに信頼し合って“あの夜”に挑んだ二人への侮辱ですよ。私が『同盟』(こちら)についたのは――」


 その時、雫と秋穂さんに“同調”していた俺は、秋穂さんの心にほんの微かな揺らぎを感じ取った。

 それは曝け出したいと望んでいるが、理性によって抑圧され押し込められている感情の動きだ。


「……私にとって価値あるものは他にあるんですよ」


 秋穂さんはそう言うと、反撃するように田上へ冷酷な笑みを浮かべた。


「くだらない噂を真に受けるあなたには理解できないでしょうがね。まあ、そのあたりの分別がつくほど有能であれば、そもそも惨めな逃亡生活を送ることもなかったでしょう。部下が部下なら、上司の質もたかが知れてますね。この程度の女を側近にするくらいなら早晩行き詰っていたでしょうから」


 その瞬間、田上の顔から一切の感情が消え去った。

 二度も仕える主をこき下ろされ、奴の我慢が限界に達したのだ。


「本当に愚かな女ですねお前は。殺します」

「やってみなさい、できるものなら」

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