演者のいない劇場
血統種の能力は多岐に渡る。
物質を生成したり、何かを身に纏ったり、物体を操作したりと、凡そ人が想像しうる全ての事象を現実のものとすることが可能だ。
特に物質生成と物体操作の二つがポピュラーであり、この二つを組み合わせた系統の能力が多数を占める。
しかし、それらの中でも“演者のいない劇場"は珍しい部類だ。
この能力は二つの効果を有する。
一つは、使用者の肉体を幻に変換し物理的接触を無効化する効果。わかりやすい言い方をするなら、幽霊のように身体が透き通り、物体をすり抜けることが可能になる効果だ。
これはこの能力を元々有していた魔物が持っていた効果であり、宮内晴玄の血族が代々受け継いできたものだ。
これとは別に、世代を経る中で新たに獲得した効果が存在する。
それが、過去の光景を現実化するという効果だ。
「……過去の光景? 時間を巻き戻すということか?」
“演者のいない劇場"について簡単に説明したところ、雫はぴんとこない表情をしている。仕方のない話だ。詳しく説明しようとすれば若干面倒くさい。俺よりも蓮の方が詳しいので、そちらに任せるとしよう。
「過去に実際に起きた出来事をもう一度起こす、と言えばいいのかな。厳密には、晴玄さんが肉眼で見た光景を現実化するんだけどね……そうだな、例えばここで由貴が光弾を放出して、晴玄さんがそれを見たとする。すると彼はその光弾を自分でも作り出せるようになるわけだ」
「見た物をコピーする……ということか?」
「コピーか。うん、その表現の方がわかりやすいね」
「補足すると現実化できるのは非生物に限定される。人や動物を生み出すことはできないんだ。服や靴のような付属品なら別だが」
凪砂さんが付け加えたように、“演者のいない劇場"で生物を実体化することはできない。
たった今、田上静江の能力で生み出した魚の群れを現実化してみせたが、あれはあくまで非生物を生物に変えたものであるため、定義上は非生物扱いとなる。このあたりの細かい仕様や制約も理解が困難になりがちな要因だ。
「現実化した物は晴玄さんが自在に操ることができる。他人が操っている物を現実化した場合でも、その人に操作権限があるわけじゃない。だから晴玄さんの前で強力な武器や道具を使うと、それを彼の手に渡してしまうのと同義なんだ。晴玄さんはこれを使って情報収集をしていたらしい」
「何しろ物体の複製だからな。この世に二つとない品でも簡単に生み出せる。見るだけで発動の要件を満たすんだ。大きな機械装置なんかでも構造を理解する必要はない」
「一度に複数現実化することもできるのが強みだね。効果に反して燃費が良いのも厄介だよ。ただし、現実化できる物の種類は一度に十種類までという制約がある」
「宮内の中で現実化したい物を最大十種類登録して、いつでも好きな時に現実化できるという感じかな。限度を超えて登録しようとすれば、登録したのが早い順に登録を抹消される」
蓮と凪砂さんの説明は俺よりわかりやすいので助かる。雫も何とかついていけているようだ。
「それにしても……他人の能力で生成された物でもコピーできるのは蓮くんと同じだな」
「うん、そこが問題でね。俺たちも困っているんだ」
飛来する魚の群れを寧に対処させている間に、隼雄さんが困り顔で語りかけてきた。
「本当なら秋穂ちゃんの手伝いに行きたいところなんだけどね。こっちは二人がかりでもどうにもならないんだ」
「寧と隼雄さんがいれば何とかなりそうに思えるが……」
「ところが奴さん、俺たちとまともにやり合うつもりはないみたいでさ」
隼雄さんが参ったように頭を掻く。俺たちが話している間に魚の群れを全滅させた寧が苛立たし気に口を開いた。
「あいつ私たちをここに足止めして、その間に田上が秋穂を殺すつもりなの。秋穂がここに来ているのを知って追ってきたみたい。秋穂を殺したらすぐに逃げるつもりだって話していたわ」
「逃げるってことは……晴玄さんは逃走用の手段になる物を実体化できるのかな。それなら悠長にしているのも納得できる」
「強引に突破するのは無理なのか? ぱっと見た感じでは行けなくもないと思えるが……」
「駄目よ世衣。あいつ見えない壁を実体化しているの。ほら、あの奥の辺りの空中に傷がついているように見えるでしょう?」
寧が指し示した場所を観察してみると、確かにガラス窓についたひっかき傷のような跡が薄っすらと見える。高台の敷地を二分するように立ち塞がり、完全に道を閉ざしているようだ。
「どこで手に入れた能力かわからないけど、あれ中々硬くて壊せないのよ」
「単純だけどそれだけ強力な能力みたいだね。この手の能力は往々にして効果が大きい」
隼雄さんがそう言うなら“風祭の神楽”でも破壊できないということだ。恐らく柵を越えて空中にも壁を張っているので、回り込むのも難しいのだろう。“風祭の神楽”は消耗の激しい能力なので、無駄に使うのは避けた方が良い。
一番手っ取り早いのが宮内を倒すか、隙を見つけて壁を越えるかの、いずれかだ。
「宮内さんを倒すのは難しいのか?」
雫が蓮に訊くと、彼は肩をすくめて答えた。
「透明化で攻撃がすり抜けるから、当てようとするならタイミングを考えないといけないね。効果が持続するのは発動してから最大三十秒。透明化が解除された後、次に使用できるようになるまでさらに三十秒のクールタイムが必要になる。だから狙うとするなら透明化の解除後なんだけど――」
「透明化が解けた後は今のように実体化した“曲芸魚群"で俺たちの手数を割かせようとする。さらにこの間だけ奴の周囲にも新たに壁を実体化して、攻撃を防ごうとするんだよね」
そこで雫が疑問の声を上げた。
「今の説明を聴く限りでは、自分の周りにだけ壁を実体化するだけで事足りるのでは? 寧さんたちを攻撃するのは無駄に思えます」
「第一に考えられるのは相手を消耗させるため。相手が動けなくなればそれで目的は半分達成したようなものだからな」
「第二の可能性は?」
俺の問いに凪砂さんは不敵な笑みを浮かべた。
「そうしなければならない理由があるから」
「成程。蓮、心当たりはあるか?」
「聞いたことはないけど想像はできるかな」
それなら何とかなるかもしれない。幸い手数は充分すぎるほどある。応援が駆けつけるまで待つこともない。
このまま長引かせれば秋穂さんが心配だ。今はどうにか田上の猛攻を凌いでいるようだが、この先どうなるかわからない。何より俺の大切な人が追い詰められているのを、指を咥えて見ていられるはずがない。
俺は蓮と視線を合わせる。親友は俺の思考を読み取ったかのように微笑んだ。
再開の余韻に浸る間もなく事態は動き続ける。
しかし、今この時は再び友と手を取り合い、困難に立ち向かえるのが心地よかった。