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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第二章 三月二十七日 前半
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元婚約者候補

 この街における名士を三つ挙げるなら、誰もが御影家、名取家、香住家と答えるだろう。

 これら三つの家は元々政財界に太いパイプを持ち、この街を人間と血統種が共存するモデルケースとして成功させた。彼らは魔物の血を取り入れることに寛容であり、財力と血統種の能力を最大限に駆使して街の発展を推し進めた。その際に血統種が街の中枢に手を伸ばすことを警戒する声が各地から上がったが、彼らはその不安を払拭するための労力を惜しまなかった。

 その中でも一番目立つのは礼司さんと小夜子さんの活躍である。御影家の麒麟児こと御影礼司、名取家の女傑こと名取小夜子といえば、今やこの国が誇る最上級の血統種だ。この二人の活躍の原点は地元の住民の信頼を得るために、魔物の脅威や悪意持つ血統種による犯罪と闘い出したことにある。彼らの華々しい活躍は未だ記憶に新しい。そんな地元出身のヒーローを悪く言う者は少なかった。

 かくしてこの街は英雄の故郷として知られ、人間と血統種共に住みやすい街となった。


 さて、残る香住家は先の二人とは異なり細々(・・)とした活動で、住民の信頼を得ていった。

 その中心人物となるのが現当主の長女――凪砂さんである。


 年齢は二十三歳。身長百七十七センチ。普段からバイクスーツに身を包んでいる彼女は、髪も短く切っているので男装の麗人のようにも見える。言葉遣いも中性的で女性らしさはあまり感じられない。しかし、男女問わず人気は高い。


 凪砂さんに纏わる逸話は幼少の頃から存在する。

 始まりは九歳のときだった。小学校の遠足で海辺の公園へやって来た彼女は、自由時間友達を引き連れて砂浜で遊んでいた。

 突然どこからともなく唸り声が聞こえてきたかと思うと、一頭の竜が空から舞い降りた。公園の近くに異界を構築していたその竜は、公園を訪れた子供たちの存在に気づき捕食すべく現われたのだ。

 子供たちは泣き叫びながら逃げ出し、引率の教師のへと知らせに行った。教師は日中から魔物――それも竜が出現したという話に愕然としながらも、警察へ連絡した上で子供たちの避難誘導を迅速に行った。

 その後、公園に到着した警察が武器を構えて砂浜へ行くと――そこには竜に跨ってはしゃぐ凪砂さんの姿があったという。


 “千獣騎乗”――凪砂さんの保有する能力は、魔物を使役する能力の一種だ。

 基本的には相対した魔物を手懐けるという能力である。これは彼女が祖先から受け継いだ能力ではない。彼女の代になって初めて発現した能力だ。さらにこの能力には騎乗することでその魔物の身体能力その他を大幅に高める特性があった。


 凪砂さんは当惑する警察を説得した後、駆けつけた父親に対してこの竜をペットにしたいと懇願した。そのとき父親がどんな反応を見せたのか俺は知らない。

 これが街の人々に語り継がれる《香住凪砂遠足事件》である。


 ここから凪砂さんの伝説は始まった。


 十二歳のとき、商業施設で起きた血統種による立て籠もり事件の際、竜に騎乗して屋上から侵入して犯人グループを制圧。

 十四歳のときには、血統種との共存を唱える政治家の暗殺を阻止し、暗殺者を捕縛。

 十六歳の秋、爆発事故により炎上した工場の中から取り残された従業員を救助するために、三回にわたって竜と共に燃え盛る炎に飛び込んだ。


 そんなささやかな逸話がいくつもつくられ、凪砂さんは同年代の友人知人から畏敬を集めるようになった。家柄は申し分なく凛々しく頼りがいのある凪砂さんの周囲には、やがて信頼を通り越して崇拝する人間が一人また一人現われる。


 熱烈な信望者が次々に登場したのは、礼司さんたちとの差異が一つの要因として挙がる。

 この国を代表する御影礼司と名取小夜子は、一般の国民にとっては天上の存在と言っても過言ではない。天候を操る神の手、万物を呑み込む暗黒は人の手の及ばぬ神の領域として恐れられ、安易に触れてはいけないとまで囁かれた。

 それらとは異なり凪砂さんは、まだ常人にも理解しやすい力の持主だ。安直な言葉を用いるなら「礼司さんたちと違って極端に恐れるほどではない」と誰かが言っていた。要はとっつきやすいのだ。竜に乗った麗人という物語に登場するような英雄像とマッチしたことも、彼女を受け入れやすくしたのだろう。身近で親しみやすく尊敬の対象となった凪砂さんは、街の住民――主に同世代以下から絶大な支持を集めるようになった。


 香住家の長女として、御影家や名取家にも劣らぬ民のために戦う者になりたいと願った凪砂さんだったが、彼女は『同盟』には入らず警察官としての道を目指した。

 凪砂さんには早い段階から『同盟』の血統種犯罪対策課への推薦が検討されていたがそれを断った。曰く――自分には『同盟』の仰々しい肩書は似合わない、とのことだった。

 とはいえその力が血統種犯罪に役立つことに変わりはなく、凪砂さんは第一種血統種犯罪捜査課へと配属された。

 こうして竜に乗ったバイクスーツの警察官は誕生した。


 本題はここからだ。話はそれから数年遡るが、バイタリティに満ち溢れ同世代の注目の的であった凪砂さんは一つの問題を抱えていた。

 それが生涯の伴侶を決めることだ。

 香住家の娘に相応しい男を探す――これが難航した。凪砂さんを射止めようとする男性は大勢いたが、それどれもが彼女の眼に適わなかったのだ。香住家の地位や財産に目が眩んだ者、知性とカリスマを兼ね備えた彼女を独占したい者など、その多くは利害関係から彼女を欲した。無論そんな相手は手酷く振られるのがオチであり、その結果を認められず力尽くで手に入れようとした男は竜の玩具にされて病院へと送られた。


 凪砂さんは伴侶となる男性に“共に戦場に並び立つことのできる者”という条件を課した。

 それはかつて礼司さんに憧れた過去のある凪砂さんにとって、何を差し置いても優先すべき条件だった。

 この条件を知った候補者たちは一様に諦めた。三大名家の息女と背中合わせで戦う勇気を持てなかったのだ。


 彼女の両親はどうすべきか悩んでいたが……あるとき、一人の候補者を見つけた。

 それが俺だったのだ。




 俺と凪砂さんの出逢いは中学一年の頃だ。このとき凪砂さんは二十歳。

 ある日の日没後、俺は紫と蓮の二人と組んで恒例の異界調査に励んでいた。どの異界も安定していて魔物が出現する様子はなく、何事も起こらないと思っていたが……最後の一つが大当たりだった。

 既に異界の入口は開いていて、何体もの魔物が飛び出していた。

 そして、驚いたことに既に魔物と交戦している人物がいた。これが凪砂さんだ。


 凪砂さんは大学の友人たちと遊びに行った帰り、偶然その場を通りかかったらしい。俺たちが駆けつけたときには、魔物の死骸がいくつも転がっていた。

 その後のことは、特に語るほどのことはない。紫が例によって雹を降らせ雷を落とし、蓮が追撃を加え、俺が二人をサポートして……間もなく魔物の群れは殲滅された。


 戦闘が終了してから、凪砂さんが俺たちに礼を述べに来た。当時の俺は凪砂さんのことを噂で知るのみであり、まだ面識はなかった。噂では自他共に認めるじゃじゃ馬とのことだったが、実際に逢ってみれば勇敢で爽やかな女性だなと思ったのだが……そう考えたのが表情に出たのかもしれない。凪砂さんもまた俺に好感を抱いたようだ。

 それが少し、ほんの少し(まず)かった。


 凪砂さんは家に帰ると両親に俺と逢ったことを告げ、さらに俺を結婚相手の候補に定めたのだった。

 自分と同様に子供の頃から魔物と戦い、民を守る志を同じくする俺は彼女の求める男性像にぴったりだったらしい。

 父親は他に候補が現われないならそれでもよいと結論を下し、礼司さんにこの話を持っていった。まさか一度逢っただけの女性から求婚されると想像だにしていなかった俺は、礼司さんからその話を持ちかけられ飲んでいた紅茶でむせたのだった。




「この一年間君の顔を見られなかったのは残念だよ。逢いに行こうと何度も考えたが、実家に迷惑をかけるわけにもいかなくてね」

「あなたが気に病む必要はありません。あの話もとうに終わったことですから――」

「何を言っているんだ君は」


 凪砂さんは呆れたように反論した。


「私は君の婚約者だ。それは今も昔も変わらない。私は君以上に相応しい男を見つけられなかった。ならば君に娶られるのが最上の選択だ」

「正式には決まってなかったはずですよね? 婚約者の後に“候補”が付きましたよね?」

「さらに頭に“元”が付くけどね」

「大した違いではないさ。他に誰も相手が現われなければ、君を選ぶほかないのだから」


 香住家の中では凪砂さんの地位が急激に上昇していて、今では父親も彼女の決定を簡単に覆すことが出来なくなっている。独自の軍隊を持つ凪砂さんは香住家内部の独立勢力と化していた。彼女の言葉一つで竜と狂信者が動くのだから、これほど恐ろしいものはない。


「それはさておき――上層部は今回の事件を私の担当とすることに決定した。香住家と御影家の繋がりを考えれば当然の判断だろう」

「よろしく頼むよ。警察には対立派の追跡に関しても頑張ってもらうことになりそうだけど……」

「構いませんよ。これも夫との共同作業だと思えば俄然やる気が湧いてくるものです」


 俺は何も言及しなかった。凪砂さんには周囲の警官たちが俺を厳しく見定めるように視線を向けていることに気づいてほしい。

 居心地の悪い思いをしていたが、そこへ救世主が現れた。門から一台の車が進入してきて各務先生が降り立ったのだ。


「ああ、やっと戻れた。魔物の大量発生なんて……こんなの予想できないよ。調査のために道路は封鎖されるし、安否確認も捗らないし……」


 うんざりした口調で愚痴をこぼす先生は、随分と疲れた様子だった。

 俺は話題を変えるために先生に水を向ける。


「各務先生も災難でしたね。患者さんは全員無事だったんですか?」

「うん、スタッフも含めて全員確認できたよ。最初に魔物が出現した場所のすぐ傍に住んでいる人はかなり動揺して中々電話に出てくれなかったけどね。それに僕の方は大したことじゃない……大変なのはこっちだろう? 信彦さんのことは聞いたよ。まさか礼司さんに続いて彼まで……」


 各務先生はそう言って表情を曇らせた。

 昨夜の沙緒里さんの発言から、礼司さんの死に対して疑惑を抱いているのだろう。その上今回の事件だ。関連を疑うのも無理はない。

 そういえば最初の日に警察も礼司さんの死に疑いを持っていると話してくれた。凪砂さんの顔を見ると、彼女は俺の言わんとすることを察したのか無言で頷いた。


「いろいろと気になることはあるけど……まずは目の前のことに集中しよう」

「そうですね。現場もまだ見ていませんから。案内してくれますか?」


 凪砂さんは五月さんに案内されて訓練場へと向かっていった。

 俺と隼雄さんは各務先生を連れて本館へと戻った。




 午後二時過ぎ、全員の事情聴取がようやく済んで落ち着ける時間ができた。特に俺は魔物を掃討した件に加え遺体発見時のことまで詳細に訊かれたので、かなり長引いてしまった。それは他の皆も同様で肉体的にも精神的にも疲弊した俺たちは遅めの昼食を摂った。

 それから俺は部屋に戻らず居間で休んでいた。俺の他にいるのは、寧と隼雄さん、章さんと雫だ。十分ほどのんびりしていると、一通りの捜査を終えたと言って凪砂さんがやって来た。


「現段階で判明した事実を報告します」


 事務的な口調で凪砂さんは隼雄さんに語りだす。


「信彦氏の死亡時刻についてまだ確かなことはわかりません。ただ、死後遺体が動かされた可能性があるそうです」

「動かされた?」

「ええ、衣服の背中部分に引き摺ったような跡が残っていたと」


 小夜子さんと一緒に検分したときは背中は見えなかったので、そこまではわからなかった。しかし、遺体が動かされたということは現場は他の場所という可能性があるのか?


「それからもう一つ、信彦氏は訓練場の鍵を持っていませんでした」

「え? 持ってなかったの?」


 隼雄さんが意外そうに声を上げた。

 凪砂さんは頷いて答えた。


「訓練場の内部、周辺を捜索しましたが、どこからも見つかりません」

「見つからないって……どういうこと?」


 寧が疑問を口にした。

 その疑問に答えたのは章さんだ。


「見つからないってことは、誰かが持ち去った可能性があるってことさ。信彦さんが自分で訓練場を開けたなら、彼が持っていないとおかしい。そして――」


 章さんは一度言葉を切り、その続きを言おうかどうか迷っていた。しかし、意を決したように口を開く。


信彦さん以外(・・・・・・)が開けたなら、それは誰かという話になるよね」


 そう、それらの問題からは逃れられない。

 信彦さんが鍵を持っていたとして、それはどこへ消えたのか。鍵が一人で歩くはずもなく必然的に誰かが鍵を持ち去ったことになる。

 では、誰が鍵を持ち去ったのか。辰馬さんが主張したように外部からの刺客が信彦さんを殺害したなら、その人物である可能性が高い。しかし、外部から来た者が何故鍵を持ち去る必要があるのかという疑問が生じる。

 さらに言えば、そもそも何故鍵を持ち去る必要があったのか……これも謎だ。


 そして、信彦さん以外の誰かが訓練場を開けたなら――考えるまでもなくそれはこの屋敷の内部の誰かだということだ。


「……そして、最後に一つ、気になる事実があります」


 凪砂さんは目を細め緊張した顔つきになると、俺の顔を見て訊ねた。


「由貴に一つ訊きたいのだが、君は昨日訓練場の入口に鍵をかけたそうだね?」

「ええ、それが?」

「その後ドアノブに触れた?」

「ああ……今朝、彩乃を捜しに訓練場まで行ってそのときに触りましたが……」

「現場に駆けつけたとき、入口の扉が開いたままだと証言していたが……そのときには触れていないのか?」

「……どうだったかな、そこまでは覚えていません」


 凪砂さんは「なるほど」と満足気に呟いた。


「訓練場の入口の扉から指紋を採取して早急に鑑定したのですが……」


 意味深に間を置いて語られる言葉に、誰もが身を固くして聴き入った。


「外側のドアノブから採取された指紋は四人分。その内三つは最上由貴、大隅登、名取小夜子のものでした」


 昨日俺は朝に訓練場の鍵を閉めた。その後、登が施錠を確認して、俺から鍵を受け取って管理室へ戻している。小夜子さんは現場に駆けつけたときに触れたのだろう。ここまでは俺も把握している事実だった。


 ところが、この後凪砂さんの口から告げられたのは意外な事実だった。


「四人目の指紋――これが妙なことに、登が触れた()に付着したものでした。そして、今朝由貴が触れる()に付着しているのです」

「……何だと?」


 俺は思わず声を上げた。

 凪砂さんの目がある人物――この部屋に来てから一言も口を開いていない彼女へと向けられる。


「雫世衣さん――あなたが昨夜から今朝にかけて訓練場に出入りしたことについて詳しい話を伺いたいが、よろしいかな?」

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