風が吹く
蓮の挨拶に俺はどう答えればいいのか迷った。
込み上げる思いはいくらでもある。
喜び、悲しみ、怒り、困惑。
胸の奥で燻り続けた感情をここで爆発させたい。
しかし、同時にそれは今なすべきことではないと冷静な思考が歯止めをかけていた。それがなければ既に掴みかかっていたかもしれない。
では、どうすればいいか。
「ああ……その、久しぶりだな、蓮」
親友の挨拶に端的に返答するだけだった。
お互い気まずそうに顔を見合わせ、落ち着かない気持ちを表すように身体を揺する。
「……なんだか数年ぶりに街中で偶然出会った元恋人とのやり取りみたいだな」
「その例えはどうかと思います」
凪砂さんの呟きに、雫が苦笑した。彼女とて死んだ友人との再会に思うところはあるはずだが、凪砂さんの発言に気を抜かれたようだ。あるいは、場の雰囲気を和らげようという心遣いなのかもしれない。下手に緊張するよりはいいだろう。
「……久しぶりだな、また逢えて嬉しいぞ」
雫が穏やかに微笑みかける。
蓮もそれで気が楽になったのか、表情からぎこちなさが消えた。
「ええと、慧から連絡をもらってすぐに駆けつけたんだ。ここに至ってはもう姿を隠すこともないからね」
「紫も来ているのか?」
蓮は首を振った。
「いいや、紫は待機だよ。というよりこちらに来れない状況なんだ。詳しいことは後で説明するけど、紫は今自由に動けないんだ。失踪したのもそれが理由の一つだよ」
「自由に動けない?」
「まあ、とにかく自由に動けるのは俺だけってこと。いざというときに荒事ができる役目という意味でね。慧は情報収集が専門だから」
気になる言葉がいくつか出てきたことからして、向こうも何かしら事情を抱えているようだ。
ここで訊きたいところだが、まずは目の前の問題を片付けるのが先決だ。
「まずは移動を再開するとしよう。話は足を動かしながらでもできるだろう? 丹波の遺体は部下に回収させるように指示した」
凪砂さんはスマホで部下に簡潔な指示を出したらしい。間もなく公園に警官たちが到着するらしい。俺たちは先に寧たちがいる場所へ行こう。
凪砂さんが先頭に立ち、その後ろを俺と蓮が並んで走り、最後に雫が続く。
銃声が鳴った場所は随分と遠い。寧はこの林に呼び出されたと思ったが、違っていたのだろうか?
その疑問を呈すと、蓮は否定した。
「いや、実際ここにいたはずだよ。丹波さんが待ち伏せしていたのは、誰かがここに来ることを予見していたことを意味しているから」
「それじゃあ皆はどこに行ったのだろう?」
「銃声の方角からして……恐らく高台だ」
俺と蓮は揃って表情を陰らせた。林の次はあの高台だなんて、あの時の状況を再現しているかのようだ。まるで過去に決着をつけるため、何者かにお膳立てされているような錯覚さえ覚える。
蓮も俺と同じことを考えたのだろう、感慨深そうに高台のある方角を見つめながら呟いた。
「紫とも話したんだけどさ、あの時と違って今度は寧を助けるために動くなんて運命じみたものを感じるよ」
「運命、か」
果たしてそんなもの存在するのだろうか。ほんの僅かな期間で停滞していた事態が目まぐるしく動いたのも、全て神の掌の上だとでもいうのか? 血統種至上主義者が考えるように、俺たちは神の意向を受けてこの世に生を認められたとでもいうのか?
紫はきっと運命なんて信じないと断言しただろう。あいつは理想を実現するために邁進することはあっても、空想や願望に精神を委ねるような夢想家ではない。
「ところで少し訊きたいのだが、いいかな? さっき自由に動けるのは君だけと言ったな、私たちの行動を監視していたのか?」
凪砂さんは俺たちを振り返りながら訊ねた。
確かにそこは気になる点だ。慧は父親と兄を監視するに留まっていたので、その他の行動に対しては蓮が担当するほかない。
「流石に近場だとばれるから遠くから観察する程度ですよ。警察の目が厳しいですから」
「昨日埠頭にいたのもそうだったのか?」
「いや、あれは偶然だったんだ。俺は一時的に各務先生を見張るつもりで各務医院に行ったんだけど、ちょうど先生が誘拐される現場を目撃してしまってさ。その後、トラックを追跡して廃工場まで辿り着いたのはいいんだけど、どうやって助けようか考えが浮かばずに足踏みしてたところに君たちがやって来たんだ。それに乗じて――横山さんを殺そうと思ってね」
横山修吾の名を出す時、蓮は若干言い淀んだ。
「何故、各務先生を見張る必要があったんだ? 彼には、ほら、例の手紙を送ったんだろう? “猟犬”名義の。下手な動きはするなと書かれたやつだ。それに紫も先生にそう言い含めたというし」
「先生が何かすると疑っていたわけじゃありません。九条さんの頼みだったんです。先生が里見さんたちに狙われる恐れがあるからって、護衛目的で」
「九条詩織? 君たちと一緒にいるのか?」
思わぬ人物の名前に、凪砂さんは驚きの声を上げた。
「ええ、夏美を救うために手を貸してくれています。彼女がいなければここまで余裕はありませんでしたよ」
「お前の仲間はそれで全員なのか?」
「そうだよ、俺と紫と慧と九条さん。この四人で何とか夏美を救おうとあれこれ画策してきたわけだ。まあ、計画のほとんどは紫の発案だけどね」
紫の発案と聞いて嫌な予感しかしない。あいつの考えること成すことは全て目的に向かって一直線に突き進むのが常だ。そのためには凡策も奇策も織り交ぜて相手の上を行こうと図る。とにかく考えが読みにくいのだ。長年一緒に暮らしていた俺でさえ振り回されることは多々あった。そんな彼女が主導した計画――絶対にどこか非常識な要素が含まれているに違いない。
「もっと詳細を知りたいところだが、そろそろ高台に着くぞ」
林を抜けた先に高台へ続く階段が見える。公園内に残っている客は疎らだ。銃声に気づいた者はいるだろうが、正確な位置までは掴めていないのだろう。騒いでいる客がいないのであれば、高台には寧たちの他に無関係な人間はいないとみていい。無用な犠牲者が出ないのは幸いだ。
俺は“同調”を発動させ、寧の居場所を探る。やはり高台にいるようだ。
「よし、それじゃあ皆準備はいい――」
俺がそう言いかけた瞬間、突如高台の上から強烈な風が吹いた。危うく後ろに飛ばされそうになり踏ん張って地に足をつける。
雫が体勢を崩したが、蓮が腕を掴んだおかげで転倒せずに済んだ。
「なんだこれは――突風?」
雫は目も開けられないほど風を顔に浴びながら、高台を見上げた。
「いや、これは……」
「ああ、見覚えがあるな。これは隼雄さんの……」
高台の頂上から天高くに突き上げるように渦が巻いているのが目に映る。
俺はその正体をよく知っている。
隼雄さんが保有する能力、気流操作の極致とも言うべき御影家の血が紡ぐ異能の集大成の一つ――“風祭の神楽”。