表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第九章 三月三十日 後半
147/173

再会

「さて、どうする二人とも?」


 凪砂さんの問いかけに、俺と雫は顔を見合わせた。

 何をすべきかは簡単だ。丹波を倒し、寧の元へ急ぐ。

 そのためには大量に仕掛けられた罠を突破しなければならない。そして、それを成すには手早く敵を糸を破壊する必要がある。


「糸は俺が何とかします、凪砂さんは丹波をお願いします」

「こういった場は得意としていないが、やってみるとしよう」


 凪砂さんは糸が張られていない木々の隙間を通り抜け、十メートルほど離れた場所に身を屈めた。彼女の視線が見つめる先には丹波がいる。距離にして二十メートルくらいだ。

 二人の間には多少足場の悪い箇所があるだけで、一気に距離を詰めようと思えばできなくもない。その途中に存在する糸の存在さえなければ。


 俺の仕事は彼女が敵の位置まで辿り着く経路を開拓することだ。

 

 俺は右手に握った光弾をいくつかの小さな欠片へと分解し、宙へばらまく。

 光弾の欠片はそれぞれ糸に当たると消滅し、同時に切れた糸もだらりと垂れ下がると透明になるように消えていった。

 切れた糸はすぐにその効果を失ってしまうようだ。これで効果が残るようなら、そこかしこで漏電する中で戦わなければならなかった。


 とはいうものの、状況が好転するわけではない。


 視界のを遮るように蜘蛛が飛び、過ぎ去った後にはまたいくつもの糸が残される。


「糸を切ったところですぐに新しいのを張られるか」

「視認できるだけでもかなりの数の蜘蛛がいる。同時に操作することにも長けているようだ」


 通常何かを操作する能力は思考を大きく割くため同時に操作できる数に限りがある。だが、丹波はその制約を物ともしていないように見える。恐らく精密操作に特化した能力の成長を遂げた血筋だろう。


「丹波さんは最高で二十五匹の蜘蛛を同時に操作できるらしい、昔里見さんが話しているのを聞いたことがある」

「二十五匹か……」


 俺が憶えているところだと、『同盟』に在籍する操作能力持ちの記録で、同時操作できる最大数は十八だったはずだ。丹波はそれを大きく超えている。

 丹波は鋭月の側近にまで上り詰めた男だ。それくらいはできて当然なのかもしれない。


「おっと」


 考え事をしていると、一匹の蜘蛛が顔面目掛けて飛んできた。

 俺はそれを慌てず確実に撃ち落とす。

 身体に直接糸を張られてはどうしようもない。即座に丸焦げだ。


 近くにいる蜘蛛も潰しながら丹波の位置を探るが、再び木陰に身を隠したようだ。

 正直かなり面倒だ。薄暗い中では蜘蛛と糸に対処するのが精一杯で、奴を探す余裕がない。


「すまない由貴、蜘蛛と糸の始末は任せる。私は丹波を直接仕留めようと思う」

「林の中でなければ私の炎で一掃できるのだが……」


 流石にこの場で火の気は厳禁だ。切羽詰まった状況とはいえ不用意に騒ぎを起こすべきではない。それは最後の手段だ。

 凪砂さんの方もこの狭い場所へアンコロを呼ぶのは難しい。木々を薙ぎ倒して強引に暴れさせることもできるが、それでは後になって人が動き辛くなる。


 二人にとって相性の悪い場であることを残念に思っていると、遠くで破裂音が鳴った。


「……銃声?」

「静江の奴派手にやってるみたいだな」


 田上静江が行動を開始したらしい。寧と秋穂さんが見つかったのだ。


「……まずいな」


 田上の狙いは秋穂さんだが、間違いなく寧も一緒に殺そうと考えるだろう。昨日の一件で腹に据えかねているだろうし、奴にとってこの状況は都合が良い。

 “曲芸魚群(アクアサーカス)”は銃弾を魚に変化させ、自在に軌道を描かせることができる能力だ。奴はスナイパーにとって重要な『見通しが良い場所』という条件を必要としない。視認さえできれば障害物などあってないようなものだ。

 一方、寧はこちらの女性二人と同じく狭い場所で本領を発揮しにくい。苦戦を強いられることは必至だ。

 それに、寧は秋穂さんも相手取らなければならないのだ。彼女の“観察者の樹”も狭い空間に強い能力だ。下手をすれば寧は一方的に攻撃に晒される恐れがある。


 ここで時間をかけることはできない。


「仕方ない、一気に攻めるか」


 俺の能力なら任意で威力を調節可能だ。多少木を傷つけるかもしれないが、大きな被害はないはずだ。枝の数本くらいは折ってしまうかもしれないが、やむをえまい。

 俺は右手にエネルギーを集中させて野球ボール大の光弾を生成する。狙う先は先程丹波が姿を消した辺りだ。ある程度は軌道を変化させられるので、難なく辿り着ける。


 大きく腕を振りかぶり光弾を投げる。読み通りの軌道を描いて光弾は飛んでいくだろう。


 そう思っていた。


 光弾は進路上に張られていた糸を巻き込みながら宙を裂く。巻き込まれた糸は火花を散らしながら消えていくはずだった。

 だが、ある一本の糸に光弾が接触した瞬間、光弾を呑み込むようにオレンジ色の炎が突如出現した。


「!」


 炎は踊り狂ったように光弾が突き進んだルートを逆走し、俺の元まであっという間にやって来た。

 熱気が肌を一瞬刺激したのと同時に、俺は精一杯の力で飛び退いた。

 炎は俺が立っていた位置にまで達すると、激しい燃焼音を上げた後に姿を消した。


「由貴くん!?」

「由貴!」


 血相を変えた雫と凪砂さんが駆け寄ってくる。

 頬が若干ひりひりするが恐らく大したことはない。他に気づいた点として右袖に焦げ跡がついている。ただ、幸いにも手に火傷はなく支障はない。


「……大丈夫だ、少し服が焦げただけで済んだ」


 俺が右腕を掲げてみせると、二人はほっとした表情を見せた。

 それから凪砂さんは最初に炎が舞い上がった場所を睨みつける。


「電線に混じってガス管に繋いだ糸も張ってあるのか……」


 丹波は俺の正面に、電線に繋いだ糸とガス管に繋いだ糸を並べて張っていたのだ。ガス管側の糸を千切ったときにガスが漏れ、さらに電線側の糸から生じる火花によって燃え上がる。気づくのが遅ければ火達磨になっていた。

 推測になるが、ライフラインへの接続状態は任意でオンオフを切り替えられるのだろう。こちらが攻撃するタイミングに合わせてガスを通すことで、不用意に周囲を炎上させずに済む。


「これだと下手に糸を切れないな、拳銃を使うのも難しい」

「林の中でなくても私は役に立てそうになかったな……」

「そう落ち込むな雫さん、君に限ったことじゃないさ」


 どんよりとした表情で肩を落とす雫を凪砂さんが慰めた。気楽な調子の声だが、打開策の見えない焦りから硬さがある。


「さーて、どうする? これで打つ手なしだな」


 これは非常に良くない。攻撃しなければ糸を破壊することはできず、攻撃すればガスに引火して惨事を引き起こす。

 ここで手をこまねく余裕も時間もない。しばらくすれば応援が駆けつけるだろうが、丹波は増援が来る前に姿を消してしまうだろう。奴の狙いはあくまで俺らの足止めが第一であり、積極的に仕掛ける意図は無い。恐らく田上たちが寧と秋穂さんの始末を終えるまでの間だけの仕事だ。


 どうすればいい? この障害を問題なく切り抜ける方法は存在するのか?

 それこそ炎を受け付けないような肉体でもなければ不可能だ。あるいは、炎を完全に抑え込むような手段などが。


 そんな選択肢を俺たちは持っていない。


 丹波は俺たちが八方塞がりに陥ったことに対して、上機嫌に笑う。


「足掻くのは止しな、強引に突破しようなんて無理に決まってる。いくらお前たちでも地雷原の中を駆け抜けるなんて真似はできないだろ?」


 再びどこかから銃声が鳴る。さっきよりも遠くから聞こえたようだ。人目のある場所なら誰かが助けに入る可能性もあるが、過剰な期待はできない。

 相手は仮にも鋭月の配下を務めた猛者だ。時間をかければそれだけ危険は増す。


 いっそのこと、覚悟を決めて突っ込むべきか――。


「やめるんだ由貴、後で治せばいいという問題ではない」


 考えが表情に出ていたのか、凪砂さんが厳しい眼差しを向けてくる。


「しかし――」

「私も凪砂さんに賛成だ。命があれば儲け、という考えは良くない。そもそも万が一があればどうする? 死んでしまったらどうするつもりだ?」

「そうは言ってもな……」

「……どうしてもと言うなら私が行く」


 雫の申し出に俺は目を丸くした。


「私は炎を操れるだけあって多少炎には耐性はある。人間の血の方が濃いから大したものではないが――あなたが行くよりはマシだ」

「待て、脅威はガスだけじゃない。感電の恐れだってあるんだぞ。ただ突っ込むだけじゃ足りないんだ。細かい攻撃ができる俺の方が――」

「手段を問わなければいい。私の炎でここ一帯を包み込めば、新たに糸を張ることもできまい。後でこってり絞られるだろうが」

「そんなことすれば奴はすぐにでも大量のガスを噴出させるぞ。君がガス爆発に巻き込まれて死ぬ方が先だ!」

「ならばどうする? あの炎を切り抜ける方法が他に――」

「つまり、ガスに引火するのを防げるなら問題ないんだね?」


 俺と雫の口論は、突如耳に入った一人の男の声によって中断させられた。


「……何?」


 声がした方向に丹波が顔を向け、俺たちも釣られるようにそちらへと視線を移した。

 俺たちが来た方向の橋の袂に男が一人立っていた。フードですっぽり頭を覆っていて、俺たちより低い位置にいるため顔が見えない。

 俺は先程耳にした男の声に懐かしい響きを覚えていた。


「君は……」


 俺と同じ感覚を抱いたのか凪砂さんが声をかける。

 一方、雫は男を目にして驚愕に満ちた顔を晒していた。


 男はパーカーのポケットに突っ込んでいた右手を取り出す。薄暗い中でもはっきりわかる。取り出した手には、黒々とした一丁の拳銃が握られていた。

 彼は銃口を丹波の方へゆっくりと向けた。


「銃!? 馬鹿、迂闊に撃つな!」

「大丈夫、何も問題はないよ」


 銃口を向けられても丹波は余裕を崩さなかった。回避行動はすぐにできる体勢だ。それに発砲して弾がガス管の糸にでも当たれば、その瞬間身体がレアに焼ける。

 実際、彼の眼前にも複数の糸が所狭しと張り巡らされている。直進する銃弾はいずれかの糸を巻き込んでしまうだろう。

 その予想通り、男のすぐ近くに張られた糸の一つが火花を散らし、その瞬間火の手が上がる。俺の時と同じく彼の周囲にガスが噴出されているのだ。炎は彼の身体を包み込むだろう。


 しかし、男はそれに対して左手を軽く上げて、横に触る。

 まるで蚊でも追い払うような動作だ。

 彼がそうしたのと同時に、炎は空中で突如躍動感を失ったようにかき消えた。


「は……?」


 銃弾を回避した丹波は呆気にとられた表情で、その様子を見つめていた。

 何が起きたか理解できないという顔だ。

 それは俺たちも同じだ。あの男は炎を手の振りだけで消したように見えた。


「あれはナイフ……?」


 雫が疑問の声を上げる。

 彼女の言う通り、男の左手にはいつの間にか一振りの刃が握られていた。手を振る前には確かに無かったそれは、どこか見覚えのあるフォルムをしていた。


「うん、やっぱりね。能力によってガスをここに引っ張ってきて、引火させることで敵に怪我を負わせる。これは“攻撃”と見做せるよね? なら、俺の刃で消滅させることができる」

「ああ……」


 俺は納得と感嘆が入り混じった息を漏らした。

 男に懐かしさを覚えた理由と、炎を消してみせた理由が一度にわかったことへの感情の現れだ。


 “鉄壁の刃”は「他者の攻撃」を無効化することができる概念型の能力だ。“戦場の遺品”によって鋭月一派の血統種から習得した能力の一つで、一年半前のあの事件の時にもこの刃を振るっていたのをよく憶えている。


 男は“鉄壁の刃”を構えると、丹波のいる方向へと一気に駆けだした。その際に、刃で正面の糸を大きく切り払う。

 明確な殺意をもって張られた糸は、次々と刃の力で消し去られていく。途中、何度か炎が生じかけたが、刃が近づいた途端に何事もなかったように鎮められた。


「お前は……」

「ごめんね丹波さん。本当はこんなことしたくないけど、俺にも譲れないものがあるんだ」


 丹波は男に最接近された時にようやくその正体を悟ったらしく、驚愕と困惑に表情が固まっていた。

 最早新たに糸を張るのも、攻撃を回避するのも忘れて、男の顔を食い入るように見つめている。それは鋭月の側近として高度な訓練を受けたであろう身としては失態であった。


 男は右手の中にあった拳銃を煙のように消してしまう。

 次に、彼の手の中に握られていたのは一振りの小太刀だった。


 真横に一閃。たったその一動作だけで終わった。


 小太刀は周囲の木の幹に当たったにも拘らず、何か柔らかい物を切り裂いたかのように滑らかな半円を描いた。その円周上には丹波の首があり、刃は首の前半分を大きく裂く。真っ直ぐ横に引かれた傷口からは鮮血が溢れ出し、丹波のコートに降りかかった。

 丹波は何か言おうとして口を開きかけたように見えたが、咳き込むようなうめき声が血と共に出てくるだけだった。

 近くの木に寄り掛かった丹波に、男は追撃を加える。斜め下から切り上げるように小太刀を振り、丹波の顔面を大きく斬る。奴はそのまま仰け反ると、数歩後ろに下がった後、地面に転がった。


 丹波が倒れて間もなく、木々の間に張られていた糸が一つまた一つと地に墜ちていく。ほとんどの糸は落下する途中で空気に溶けるように見えなくなった。丹波の能力が解除された証だ。


 男は生命を失った丹波の身体をただじっと見下ろす。フードで顔が見えないが、そこには憐憫の気配があった。


 林の中に戻った静寂は、その場に佇む四人の間に何とも形容し難い空気を生んだ。

 戦いは終わった。ただ、この後どうしていいか誰もわからない。すぐにでも銃声が鳴った現場に駆けつけるべきだと理解していたが、それより先に目の前の男と言葉を交わさねばと思ったのだ。


 時間を浪費するわけにもいかない中、男の方が先に言葉を発した。


「ええと……こんなとき、何て言うのが適切かは知らないけど……」


 男は頭にかけられたフードをゆっくりと外した。表情がはっきりと見える。かつて見慣れていた困ったような笑み。


「その、久しぶりだね、由貴」


 蓮は視線を若干泳がせながら、ぎこちなく言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ