急転
広間は静寂に包まれる。
慧はまるで嘘を暴かれた幼い子供のような表情で、頬をひくつかせている。
「慧くんが協力者というのは断言できるものなのか?」
雫の問いかけに俺は頷いた。
「消去法でいえば一番怪しいのはこいつだ。まず、紫が協力者として選ぶとすれば、自分に近い年齢であり、かつ『同盟』内の立場が低い人物だ」
「年齢はわかるが地位が低いと断定できるのは何故だ? 地位が高い方がより有益な情報を得られるだろう」
その疑問は尤もであるが、今回のケースでは当てはまらない。
「そもそも礼司さんに真相を伝えなかったのは、彼が『同盟』の一員としての立場を優先させる恐れがあったからと考えられる。それなら同じ理由で高い立場にある人物は協力者にできない」
本来『同盟』の職員には重大な責任と義務が伴う。魔物や悪意ある血統種から罪のない人々を守るために命を賭す。それこそ俺たちが掲げる理念だ。
人々に災いを成す血統種が存在するとき、『同盟』職員はその時に持てる全力で対処しなければならない。最善の策を講じている余裕がないなら、たとえ標的が罪のない血統種であっても処分することを決断するほかないのだ。それは数十年の時間をかけて人間社会で信用を積み重ねる中で、自然と培われた思想だ。
礼司さんは人命を救うために努力を惜しまない人であった。それでも――仮に糸井夏美が人に仇なす存在だと判断した場合、彼は間違いなく動いただろう。雫や他の誰かの恨みを買う結果になったとしても。
そして、これは他の人たちにも当てはまる。
従って、紫が地位の高い人を協力者に選ぶとは考えづらい。
夏美を救うために陰で動くという方針に賛同できるのは、若くて比較的柔軟な思考を持つ人物の可能性が高いのだ。
「成程……では、年齢が近くて地位が高い人という可能性はないのか?」
「若手で立場があるのは章さんと慎さんくらいだが、章さんは例の失態ので弱みを握られているし、慎さんは沙緒里さんに気取られる恐れがある。ここは除外していい」
いずれの場合もデメリットが大きすぎる。
この二人は無しと考えていいだろう。
「そこまで詳細な情報を得なくてもいい。『同盟』の漠然とした動きを知ることだけでも充分だ。勿論、情報を得られる地位があるに越したことはないが、今回に限って言えば不要だったんじゃないか?」
「今回は不要……ああ、もしかしてそういうことか? 辰馬さんと章さんだけで事足りた」
凪砂さんはすぐに俺の言いたいことを察してくれたようだ。
「これは俺の憶測なんだがな、浅賀の研究施設は辰馬さんの地方支部の管轄内にあるんじゃないか? だから、もしそこに突入する計画が持ち上がったとしたら必ず辰馬さんに話が通る」
ここで慧は痛いところを突かれたと言うように顔を顰めた。
「そして、紫の協力者が慧だとすれば、二人をマークするにも適していると」
これなら『同盟』全体で情報収集する必要はない。慧一人でも可能な範疇だ。
「お前は家を離れて別邸で一人暮らしをしている。捜索すれば何か見つかるんじゃないか? 例えば盗聴器の受信機とか」
家を出ているとはいえ、全く出入りがないわけでもないだろう。残してきた私物を取りに来たという名目で家に帰り、辰馬さんや章さんの声を拾えそうな場所に盗聴器を仕掛けることはできるはずだ。ばれないよう丁寧に偽装することも、家の住人であれば多少時間をかけて行える。
「それに別邸はアジト代わりにも使える。できるだけ一目を避けたい誰かにとっても都合が良い」
蓮が生きていてこの街のどこかに潜んでいるなら、それはどこか?
ホテルに身分を偽って泊まることはしないだろう。監視カメラに映りやすいし、聞き込みで悟られる恐れがある。同様の理由で借家も否定できる。蓮は凪砂さんの情報網が不動産業界にも及んでいるのを知っているはずだし、足がつきやすい方法は選択しない。
安定した生活が可能な場所があるとすれば協力者の家だ。そこが家主以外の人の出入りがないなら好都合である。たとえばそう、慧の住んでいる別宅のような場所のような。
「調べればすぐにわかることだ。どうだ、そろそろ話す気になったか?」
「私たちはもう真相にほぼ辿り着いている。ここまできて隠す必要はないと思うが」
「まあ、なんだ。何故お前が協力者に選ばれたのか疑問が残る点はあるが、一番訊きたいのは――蓮はどこにいる?」
俺は声の震えを極力抑えて訊いた。
とうとうここまで来た。最後の場所はすぐそこだ。
ここから先に進むなら、俺は蓮と再び対峙することになる。
その時、俺はあいつにどんな顔を向ければいいのだろう。あいつは俺にどんな顔を向けるのだろう。
それが少しだけ怖かった。
「あの、皆さんお話のところ申し訳ないのですが……」
突然耳に入った五月さんの声が皆の視線を集める。
広間の入口に立つ彼女は少し困ったような顔をしていた。
「寧様がどこに行かれたかご存じありませんか?」
「寧?」
「はい、いつの間にか外出されていまして……お出かけする際は一言伝えると仰っていたのですが、私は何も聞いておりませんので」
寧がいない? 今日は家でずっと休むと言っていたはずだ。
不思議に思っていると、突然慧がソファを動かす勢いで立ち上がった。
「待て、寧がいないって、最後に確認したのは?」
「ええと……一時間ほど前ですね、台所にいらした時です」
その瞬間、慧は目に見えて真っ青になった。
「やばい! まさか一人で勝手に抜け出すなんて……警官は!? 護衛についているはずだろう!」
「……少なくとも私は聞いていないぞ。誰かが護衛として同行する時は、私に連絡が来ることになっている」
凪砂さんが何も聞いていないなら、護衛についている警官はいない。
つまり、寧は今一人でどこかへ消えた?
「やばいやばい、これは予想してなかった! どうする? 一旦紫に連絡して――」
「どうしたんだ慧、何を慌てている」
「すぐに寧を見つけないとやばいぞ! あいつもしかしたら……」
慧の言葉を遮るように俺のスマホから着信音が鳴った。
相手は章さんだ。
「章さん、何か用か? ちょっと今……」
『なあ、隼雄叔父さんがどこにいるか知らないか? 何度電話をかけてもメールを送っても応答がないんだ』
「隼雄さん? いや、俺もさっき電話したけど電源切っていて……」
『今俺が電話してもそうだった。他の誰に訊いても知らないって言うんだ。秋穂さんも別行動だし、事務所も自宅も当たってみたけどどこにもいない』
「隼雄さんが見つからない……?」
俺が電話をかけたのが一時半頃。それから三時間経ってもまだ応答がないのか?
朝から秋穂さんと別れているなら、かれこれ七時間以上誰とも顔を合わせていないことになる。
「わかった、こっちでも探してみる。凪砂さんに頼んでみよう」
章さんとの通話を終え、隼雄さんのことを皆に伝えようとすると、皆の様子が何やらおかしい。俺が章さんと話している間に、凪砂さんと雫は慧から何か聞かされていたようだが。
「皆どうしたんだ? 一体――」
「わかった! すぐに警官を回そう!」
凪砂さんは珍しく焦りを見せ、険しい表情だ。
「凪砂さん? 一体どうしたんです?」
「由貴くん、寧さんが危ない! 慧くんが言うには、もしかすると寧さんは犯人と一緒にいるかもしれない!」
俺の疑問に答えたのは雫だった。
寧が犯人と一緒にいる?
どういうことだ?
俺が困惑していると、今度は凪砂さんのスマホに誰かから着信が入った。
凪砂さんは乱暴にスマホを取り出すとすぐに応答する。
「何だ中井くん、今急いでいるんだ、手短に――」
次の瞬間、凪砂さんの表情が固まった。
中井巡査の緊迫に満ちた声がスマホから微かに漏れてくる。
「……わかった、そちらは任せる。今こちらでも問題が発生してな、私は行けない。後のことは任せていいか?」
そう言ってから凪砂さんは疲れたような顔で溜息を吐いた。
「……何があったんですか?」
「病院にいた中井くんからだ、問題発生だ」
俺がこの屋敷に帰ってきてから六日目。
ついに、運命が俺たちに牙を剥こうとしていた。
年末年始の連続更新は明日で終了。
12時と18時の二話更新を予定。