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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第八章 三月三十日 前半
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千石初音は語る

 研究所は『ハミングバード』から車で三十分以上かかる場所に建っている。

 この研究所は『同盟』が保有する施設の中で最も新しい。数年前に建てられたばかりで、設備も最先端の物が揃えられている。


 実はここの設立には、所長である初音さんが大きく関わっている。


 鋭月一派の捕縛に際して証拠の解析等で貢献した初音さんが、引退した幹部と入れ替わる形で最高幹部入りしたことは承知の通りだ。その後、彼女が真っ先に提言したのが新たな研究施設の建設だった。

 というのも、鋭月が関与していた天狼製薬その他関連会社の捜索により、『同盟』の医学分野における研究が対立派より遅れていることが判明したからだ。

 相手は非合法な人体実験も厭わない。しかし、それ故に収集したデータの量は『同盟』を遙かに上回る。その上、優秀な研究員の数も大きく差をつけられているのが実情だった。残念なことに、能力に対する報酬や待遇の格上げはあちらの方が魅力的だったようだ。


 そんなわけで初音さんは優れた研究者の確保と、その活躍の場を欲した。

 現状の施設だけでは不充分、天狼製薬等から回収したデータを活かせるだけの設備を持つ大規模な施設が必要だと、それはもう会議の場で熱弁したそうだ。

 彼女の言い分には理があり、納得させるだけの材料もあった。

 しかし、皆は知っていた。初音さんはただ己の趣味と実益を実現する場が欲しいのだと。

 それを敢えて指摘する者はいなかった。


 研究所の外観を見上げながらそんな話を思い出していると、彩乃が感慨深そうな表情を浮かべていた。


「ここがお父さんの働いていた場所ですか……」

「来るのは初めてか?」

「はい、前を通りがかったくらいで中に入るのは初めてなのです」


 以前信彦さんが運転する車に乗せてもらって、すぐ側の道路を通ったことがあるらしい。

 まさかこんな形で訪れることになるとは思ってもいなかっただろう。父親の職場見学には少々遅かった。


 正面玄関からエントランスへと足を踏み入れると、初音さんが出迎えてくれた。


「ようこそ、ここが『同盟』の知識と頭脳が結集する場所です」


 今日の初音さんは昨日のスーツ姿と違って白衣だ。こちらの方が彼女に似合っている。眼鏡を指で押し上げる様は、絵に描いたようなインテリを意識しているのだろう。

 初音さんについてきた慎さんは加治佐に応対している。


「取材は駄目ッスか?」

「今回はご遠慮ください、まだ次の機会に」


 どうやらここでも記者根性を発揮しているようだ。流石に機密保持の観点から却下されたようだ。奥に進む際にも記録道具は一旦没収されることになる。彼女自身も無理筋だと理解しているのか大人しく従った。


 トリスがいるのは二階の一角にある検査ルームらしく、そこまで初音さんが案内してくれることになった。

 廊下を歩きながら物珍しげに雫と彩乃が周囲を見回す。施設の広さに感嘆しているようだ。その反応に初音さんは誇らしげだ。


「凄いでしょう? なにせ『同盟』最新にして最高の研究拠点ですから」

「随分金がかかっただろうな、よく予算が下りたと思うよ」

「それはもう私の功績あってのことですから! 私の活躍と幹部昇進で研究部門の人気も増大、それに併せて発言力もアップ! おまけにここの裁量権も委ねられて言うこと無しですよ!」

「本当に活き活きとしているな、昔はそんな感じじゃなかったのに」


 鋭月逮捕前の初音さんは地味な印象の研究者だった。

 有能ではあるが、目立たず誰かの陰に隠れていることが多い。

 そんな女性が一躍脚光を浴びた途端にこれだ。


「私だってろくに好きな研究ができなくて半分不貞腐れてたんですよ。折角『同盟』に入れば魔物の研究をやりたい放題できると思ってたのに」

「前の研究所も一応上位のクラスだったはずだけどね」

「上位といっても精々五番目とか六番目がいいところでしょう」


 凪砂さんの言葉を受けて、前の職場をばっさり切り捨てる初音さん。


「あれなら民間の研究機関の方がよっぽどマシですよ。実際『同盟』を蹴ってそっちに行った人も多いですし。それに立地も良くなかったんですよね、街の一番東の端に建っていましたから。ここは市街地に近くて、交通の便も良いから、職員の人気も高いんです」

「そういえばお父さんとお母さんも元はそっちの研究所に勤めていたと聞いたのです」


 彩乃の補足に、初音さんは昔を懐かしむように目を細めた。


「そうですねえ、あの頃は片貝夫婦が支えてくれてたんですよ。私が腐っても諦めなかったのは二人のお陰と言っても過言じゃありません。だから、ここが稼働する時、二人をこっちに呼び寄せたんですよ。正直今度の件はショックでしたね」


 初音さんの視線が一瞬彩乃に向けられたが、彼女は気づかなかったようだ。

 ショックだったというのは信彦さんが殺害された件だけではない、彼が敵と内通していた件も含めてだ。彩乃にはまだ聞かせられない話なので言葉を濁したのだろう。


「信彦さんの奥さんって、どんな人だったんですか?」

「なんというかのんびりした性格でしたね。どちらかといえば教師とか保育士とか向いてそうな感じの、ほんわかとした人です。たまに天然ボケをかますような」

「……ちょっと想像し辛いな」

「周りの人も気を当てられて和やかになるというか、そのせいか交友関係は広かったですね。研究員仲間だけでなく、総務課とか経理課の若い子たちとも仲が良かったです」


 信彦さんも穏やかな性格であったし、気の合う夫婦だったのかもしれない。

 逆に彩乃は人見知りが激しいが、これは何かの反動だろうか?


「……さてと、着きましたよ。ここが検査ルームです」


 検査ルームに入ると、部屋の隅に設けられた待機スペースが目に映った。

 腰くらいまでの高さの台の上には網状の籠が一つ置かれており、その中に毛布にくるまったトリスがすっぽりと収まっていた。

 飼主の姿を認めたトリスはか細い声で鳴く。


「大丈夫なのです、怖いことは何もありません。だから心配しないでください……本当に何もありませんよね?」

「ないからそんな顔しないで」


 妹の疑うような目つきに慎さんは苦笑いを返した。


「やんちゃだと聞いていましたが結構怖がりなところがあるんですね、さっきなんて異界に逃げ込もうとしたんですよ」

「この子勝手にあちこちで異界を作る癖があるのです。本当に困ったものですよ」

「ああ、そういえばそんな話を前に――」


 聞いたことがある、と言おうとしたその時、再び俺の脳裏が焼けつくような熱さを感じた。


「……あ」


 先程よりもはっきりしている。途切れ途切れだった脳神経が全て繋がったような感覚だ。

 それと同時に、これまでに見聞きした言葉や光景が次々と浮かんでは消えていく。

 一見無関係のように思える記憶の群れが意味を成して、明確な閃きとして形作られる。


 わかった(・・・・)


「いや、それだと信彦さんが殺されたのはただの偶然? 犯人は信彦さんを殺すつもりはなかった……?」

「最上さん、どうしたッスか?」

「流石は我が最愛の人、ついに何か閃いたらしいな」


 付き合いの長い凪砂さんは、俺の様子を見ただけで察したらしい。


「あと一つ……何か根拠があれば……」


 これだけじゃ足りない、まだ推測の域を出ない。推理の裏付けとなる根拠が欲しい。

 物証が一つも無いのだ、今はまだ状況から導き出しただけの不安定な閃き。

 何でもいい、何か無いのか?

 この推理が正しいとすれば、どんな証拠が残る?


 そこまで考えて、俺はあることを思い出した。


「……初音さん、お願いしたいことがあるんですが」

「何ですか?」

「昨日見せてもらった魔物の死骸の調査結果、もう一度見せてもらえませんか?」

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