異様の天才
しかし、隼雄さん自身が御影家を受け入れていたかといえば、そうではない。
「子供の頃の隼雄さんは凄く大人しい性格で何を考えているか全然わからない不気味な子供だったと聞いている。母親が死んで、見ず知らずの地で暮らすようになって、周囲からは奇異の眼を向けられて――そんな環境にあって隼雄さんは周りとの接触を最小限までに避けた。それはもう拒絶なんてレベルじゃなかったそうだ」
この頃の隼雄さんは学校以外では家に閉じこもることが多く、人付き合いは必要最低限といった具合だった。学校でも親しい友人は誰一人持たず、常に孤独でいる姿が見られた。
屋敷にいる間は本を読むことに熱中し、先代の書斎に出入りして難解な書物にも手を出していたという。
どうやら将来的に家を出て、一人で生きていくことを既に決めていたらしい。書斎の本棚から見つけた血統種の法律について書かれた本に興味を示し、関連書物を次々と読み漁っていった。
「そんな中でも礼司さんは辛抱強く接して、なんとかそこそこ付き合える程度には改善したんだ」
「私たちは当時の隼雄さんを知らないが、相当壁が厚かったらしいな」
礼司さんは凍りついた隼雄さんの心を融かすために全力を尽くした。
その甲斐あって、礼司さんと小夜子さんにはある程度心を許すようになったそうだ。
隼雄さんも一切の悪意なく接してくれる二人を無下に扱うことはできなかったのだろう。
これで何とかなるとほっとしたのも束の間、新たな問題が浮上する。
隼雄さんは礼司さんに負けず劣らず“天候操作”の才能に恵まれていた事実が発覚したのだ。
この時、既に礼司さんが次期当主になることはほぼ決定事項であった。辰馬さんは才能に恵まれず、沙緒里さんは才能はあるが総合力で礼司さんに劣る。礼司さんが当主を継ぐことに反対意見が出るはずも無かった。
ところが、ここにダークホースが出馬する。隼雄さんは礼司さんと同格と呼べるほどの天才だったのだ。
「……隼雄さんが天才?」
「雫、ひょっとしたら聞いているかもしれないが、隼雄さんは礼司さんが死んだ後で最高幹部の引継ぎを打診されたことがあるんだぞ」
隼雄さんは“天候操作”に関するあらゆる技を駆使することができるが、その中でも特に気流操作の技術は群を抜くほどに優れていた。
思い通りに風を操り、巨大な竜巻ですらいとも容易く制御できる腕前は、分家の連中を黙らせるには充分だった。
隼雄なら礼司を凌いで次期当主を狙えるのではないか――そんな声が上がるのは至極当然だといえる。
だが、隼雄さんは当主の椅子に興味を示さなかった。
周囲の者はそれとなく誘っても、そんなものに価値は無いとでも言いたげに目を細めるだけだった。
「しかし、最初は御影家から離れることを望んでいたというが、今の隼雄さんはそのようには見えないぞ? 御影家の顧問弁護士だし、『同盟』の一員としても活躍しているし」
「屋敷にも結構頻繁に顔を出しているとも聞いている。礼司さんのみならず辰馬さんや沙緒里さんとの関係も良好だ」
「なんでも大学時代から随分と明るくなったらしい。その理由は誰も知らない、が――」
今ならその理由がわかる。
「……ひょっとして夏美のお母さんと出逢ったから?」
「かもしれないな」
隼雄さんの変化の原因は夏美の母親と交際を始めたことにある、そう考えるのが自然だ。
変化の時期とも一致するし、他の要因も今のところ存在しない。
二人の間がどんな時間を過ごしたかは想像するしかないが、それは隼雄さんにとって幸福であったことは確かだ。
「とはいっても、隼雄さんが怖い人なのは変わらないままだったと皆口を揃えているな」
「“『同盟』一の冷酷無比”だなんて言われてるッスねえ」
「冷酷無比……何か逸話でも?」
問いかけてくる雫に俺は頷き返す。
「隼雄さんが礼司さんや小夜子さんと仲良くなったのは良いんだが、その反動というか……二人に敵対している勢力には容赦がなくてな。片っ端から合法的に叩き潰していったらしい。それも大学時代のあたりから酷くなったと聞いているな」
例えば、紫が次期当主の座を放棄して寧が新たな次期当主に指名された頃、礼司さんは寧のことを心配していた。自分が指名したのが原因で彼女が周囲の大人たちから侮られ、それが幼い子供心に少なくない影響を及ぼしていたからだ。それは俺も気にしていたことであり、どうにか力を貸せないか悩んでいた。
この悩みを解決したのが紫であり、その背後にいた隼雄さんだった。
隼雄さんは弁護士として培ってきた人脈を活かして敵対勢力の家庭から経済状況までを徹底的に調べ上げ、奴等の弱みを全て引っこ抜いた。それを紫に伝え、彼女が注目を浴びる形で派手に暴露したのだ。
寧に次期当主を辞退するように囁いたある分家の当主は、息子を紫によって叩きのめされた。その息子が若い血統種で構成された窃盗グループに所属して方々で悪さをしていたのを、たまたま出先で遭遇した紫によって半死半生の目に遭わされた。あまりに過激な騒動に発展したことから揉み消すこともできず、この当主は日陰に追いやられ発言力を失った。
『同盟』のある最高幹部に近い地位にいる男は、寧の補佐として自分の縁者を宛がい、御影家の後ろ盾を得ようと画策した。彼女を支持する者が少ないことを当て擦り、自分が力になると言い寄った。
この男は『同盟』の金を私的流用していた事実を暴露された。経費として申請した項目の中に、密かに私用に使う金を含めていたのだ。
原因は彼の妻と娘の浪費癖。妻の実家に頭が上がらず、改善するよう口出しすることができなかった末の不正だった。
これを暴いたのも紫だ。たまたま紫が街に出向いた時、彼の娘が男友達と遊びまわっているのを見かけた。紫は娘が悪い男に引っ掛かっているのではないかと心配して、彼女の交友関係に探りを入れた。その中で娘があちこちで使い込んだ金額のあまりの多さに疑問を抱き、礼司さんに相談したところ金の出所が問題となり、先の結果が明らかとなった。
その他にも、次々と『同盟』関係者――それも隼雄さんの不興を買った連中のスキャンダルが白日の下に晒され、最後には彼に歯向かう者はほとんどいなくなっていた。
実際は草元さんと蘭蔵さんが隼雄さんを呼び出してストップをかけたという。『同盟』の信頼が揺らぐ事態を草元さんは好まず、また裏の処理が専門の蘭蔵さんにとっても面白くなかったからだ。隼雄さんは敵対勢力に勝手な真似をさせないよう監視することを条件に手を引いた。
こういう事情もあり、隼雄さんと紫は非常に仲が良かった。似た者同士だからだろう。
「それにしても、隼雄さんと夏美のお母さんとの交際関係はこれまでの調査で判明していなかったのか? 沙緒里さんが既に掴んでいそうにも思えるが」
「にも拘らず知らなかったということは……」
「交際関係は本当に秘密裏だったってことッスね。多分、大学時代の友人知人も知らなかったんじゃないッスか?」
「加治佐さん、夏美のお母さんの資料はあるか?」
「そう言われると思って既に出しておいたッス」
加治佐はいつも持ち歩いているタブレットをテーブルの上に乗せた。
以前見せてもらった資料の中に、糸井夫人の経歴が記されたものを見つける。
「出身大学は……隼雄さんの所とは違うな」
「となると学外で交流があったのかな?」
「……ふむ、そうなると二人はどこで出逢ったか。そこが気になるな」
「恐らく血統種の保護や更生関連だろう。二人の仕事もその点で共通している」
「夏美の御両親は恵まれない血統種の子供を支援する活動をしていて、隼雄さんは魔物や血統種絡みの事件で被害に遭った人たちの支援をしている。大学生の社会貢献活動の中に、こういった人たちの支援もあったはずだから――」
「どこかで共通の事件に遭遇して、そこで知り合った可能性が高いと」
血統種間で起きた犯罪なら、そういったシチュエーションも多い。丹念に探せば接点の一つくらいは見つかるかもしれない。
「凪砂さん、糸井夫妻についての調査は?」
「ほとんど手をつけていない、夏美さんの方に重点を置いていたからな」
「沙緒里さんが知らないなら二人の関係は最小限の接触しか無かったのか?」
「白鳥もたまに逢っていたくらいだと言っていたし、そうじゃないかな」
ここから先は想像だけで推理するには無理がある。
もっとはっきりした根拠が必要だ。
「どうする? 隼雄さんに直接問いただしてみるか?」
「このまま考えあぐねるよりはいいか……」
真正面からぶつかるのも悪くない。
隼雄さんも今回の事件に思うところがあるなら、案外素直に告白してくれるかもしれない。
俺は隼雄さんのスマホにコールする。
「あれ、隼雄さんスマホの電源切ってるのか?」
「繋がらないのか? 珍しいな、あの人急な仕事が入ることあるから電源切るはずないのに」
今日も仕事で出ているはずなのに電源を切るなんて妙だ。
「仕方ない、秋穂さんに訊いてみるか」
秋穂さんにコールすると、こちらはすぐに応答した。
『由貴さん、何か御用ですか?』
「実は隼雄さんと話がしたいんだが、今秋穂さんと一緒にいるか?」
『いいえ、隼雄様なら用事があると別行動です』
「用事……?」
『私も詳しくは伺っておりません。大事な用だからと仰っていましたが』
秋穂さんに礼を言って電話を切る。
「……参ったな」
こんな時に連絡がつかないなんて。
逸る気持ちを抑えつつ、頭を掻く。
「仕方ない、後でまたかけ直そう」
とりあえずこの件は保留だ。後でもう一度電話してみよう。
「どうしたのですか、難しい顔をしているのです」
俺たちの様子を訝しんだのか彩乃が白鳥を伴ってやって来た。
間近で見てみると、大分表情が和らいでいるのがよくわかる。
「……まあ、少しな」
「のんびり過ごすのではなかったのですか? その様子では無理みたいなのです」
「今日は客として来たんだろう? だったらゆっくりしていけ」
休暇のつもりだったのに何故かいつも通り調査をしている。
これはいけない、秋穂さんにまた何か言われる。
「そうするか……本気で休んでおかないと、いざという時に困る」
「そうするのです」
彩乃はそう言ってカウンター席へと戻っていった。
ふと、彩乃が座っていた位置に視線を向けると、畔上がスマホの画面を見て顔を綻ばせている。
「お~、ナイスショット! よく撮れてるじゃん!」
何を見ているのかと気になった俺は皆と一緒にカウンター席へと移動し、スマホの画面を覗き込む。
そこには何枚ものトリスの写真が並んでおり、それぞれ違ったポーズを決めていた。
撮影した場所やアングルも様々で、見栄えを計算して撮ったのがわかる。
「トリスは写真を撮る時だけは大人しくしてポーズを決めるのですよ」
ペットが皆の注目を集めたことに彩乃は満足げだ。
「へえ、よく撮れているな」
「利口そうッスねえ」
「利口にも程があるのです、賢いから勝手に飛び出したり悪戯したりなんて日常茶飯事ですし」
「元気なのは良いことだよ」
その時、俺の脳裏に何か電流のようなものが走った。
まるで脳神経の中に何かが突然出現したような、何とも表現し難い感覚だった。
「……」
皆がトリスの写真を見入る中、俺は無言だった。
そんな俺の様子に気づいた凪砂さんが声をかけてくる。
「由貴、どうした?」
「いや、今何か頭の中に引っ掛かるものを感じて……」
今、何か閃きの気配を感じたのは気のせいだろうか。
具体的な言葉が出てきそうで出てこない。
俺は今の会話の何に刺激を受けた? はっきりとわからないが、何かの言葉に反応したのだ。それがとてつもなく大事なヒントを与えてくれたような気がする。
「何だろう、もう少しで出てくるんだが……」
俺が不思議な感覚の正体に悩んでいると、彩乃のスマホからメロディが鳴った。
「あれ、兄さんからなのです」
「慎さん?」
「はい、どうしたのですか。ええ、ええ、そんな……いいのですか? それなら……」
電話をしている最中、彩乃の表情は一瞬曇ったが、すぐに元に戻った。
相手が慎さんであることを考えれば、トリスのことだろう。
電話を切った彩乃はふうと小さく息を吐いた。
「慎さん、何だって?」
「トリスが検査で研究所に泊まることになったそうなのです。本格的に検査が始まるのは明日からで、今はまだ時間があるから研究所に行って様子を見てもいいと」
時計を見ると針は一時半を指していた。
研究所に行って屋敷に帰るなら、しばらく二時間くらいは滞在できるだろう。
「そうか、それなら行くかい?」
「お願いするのです」
凪砂さんの提案に彩乃はすぐに頷く。
俺たちは白鳥たちに別れを告げると、『ハミングバード』を後にする。
向かう先は『同盟』の頭脳が結集する研究部門の要。
信彦さんの勤め先であり、『同盟』最高の研究者である千石初音の居城だ。