不遇の子
白鳥がアルバムを回収していった後、俺たちは加治佐も同じテーブルに加えて話し合う。
「まさか隼雄さんが糸井夫人と恋人同士だったなんて予想外だったな……」
「意外だな、思わぬ人からこんな事実が飛び出すとは」
ここまで隼雄さんは完全にノーマークだった。俺の知る限りでは、捜査の中で特別不審な態度は見せていない。普段通りの隼雄さん、それが俺の印象だった。
しかし、糸井夫人との関係はそれを覆す。
隼雄さんが彼女の葬儀にも出席していたなら、当然鷲陽病院の火災も、娘の夏美が行方不明であることも知っていたに違いない。そして、副院長だった浅賀のこともだ。
浅賀が鷲陽病院に勤めていたことは既に周知の事実であり、奴が鋭月と繋がりがあったことを考慮すれば、あの不審な火災の件を誰にか伝えないはずがない。
故に、隼雄さんは故意に糸井夫人との関係を隠していたことになる。
「だが、何故隠していたのだ? この期に及んで隠す理由なんて――」
そこで雫は何かに気づいたように、はっとした表情を作った。
「どうした?」
「ま、まさか……隼雄さんは夏美の――」
「あ、隼雄氏が夏美さんの実の父親だと考えているなら、それは間違いッスよ」
「え」
己の想像に打ち震えていた雫は、横から口を挟んできた加治佐の一言に動きを止めた。
「隼雄氏の血液型はAB型、糸井夫人の血液型はB型ッス。ですが、夏美さんはO型ッスから二人は親子関係じゃないッスよ」
「ああ、そうなのか……てっきりそれが原因で黙っていたのかと」
そう考えるのも無理はない。隼雄さんは現在三十七歳で、年齢的にも辻褄は合う。
だが、それだと結局秘密にしていた理由はわからないままだ。
「打ち明けたくない理由があったか、あるいは――」
「打ち明けられない理由があったか」
「いずれにせよ口を割らせるのは面倒だな」
俺は大きく溜息を吐いた。凪砂さんも同意するように苦笑する。
「そうだな、隼雄さん相手は骨が折れる。私もあの人とやり合うのは正直御免だな」
「……そんなに手強い人なのか?」
ぴんとこないという表情の雫。
彼を知らない人は皆こんな反応を見せる。それが大きな誤りだと露ほども思わず。
「軽薄な態度に騙されてはいけないよ。仮にもベテラン弁護士だからな、あの人は」
「あのお気楽さも演技だ、本来はもっと冷徹な人だぞ」
「冷徹? 隼雄さんが?」
冷徹。隼雄さんからは縁遠い言葉のようだと考える人は多い。
だが、それこそが彼の本質だ。礼司さんの兄弟三人の中で最も心の底が見えず、沙緒里さんですら最大限の警戒をするほどの天敵。
俺が御影家に来て以降“この人を完全に理解するのは無理だ”と諦めた最初の人物。
「まあ、逢ったばかりじゃイメージが湧かないのも無理はないか」
「こればかりは付き合いが深くないと理解できないからな」
俺は残り少ない紅茶を飲み干し、近くにいた松田にお代わりを注文する。
まだ時間に余裕はあるし、多少長く語るのもいいだろう。
「……そうだな、あまり言いふらすような内容じゃないが、御影隼雄という人がどんな人生を歩んできたのか語っておこうか」
隼雄さんについて語るなら、まず最初に説明すべきは彼の出生に纏わるいざこざだ。
「実は隼雄さんって礼司さんたちとは腹違いなんだ」
「腹違い? お母さんが再婚したのか?」
「そうじゃない、先代の当主――礼司さんのお父さんが不倫したのさ」
ココアを飲んでいた雫が俺の言葉に思いきり咽る。
けほけほと咳をしながら紅い顔で俺と視線を合わせる。
凪砂さんも遠い目をしており、加治佐は一人うんうんと頷く。
「私も子供の頃に聞かされたなあ、御三家負の歴史十選。御影家って栄光も多いけど、醜聞も多いんだよな」
「ちなみに御三家負の歴史十選の内三つは香住家で、内訳は“少女との決闘に負けた挙句少女嗜好者の汚名を着せられた香住草元”、“立て籠もり犯を制圧するため天井を破壊して突入した香住凪砂(九歳)”、そして“凪砂親衛隊の乱”ッス。話のタネとしてはこっちが有名ッスね。で、本題の隼雄氏の出生についてッスが……これ昔ちょっとした騒ぎになったらしいッスね、村上さん――先輩の記者さんが話してくれたんスけど」
「“凪砂親衛隊の乱”の内容が気になりますが、話を進めてください」
「そうしよう。親衛隊の乱は俺も思い出したくない、あれは悪夢だった」
世の中には風化させた方がいい過去もある。それが凪砂さんが関わる案件であれば尚更だ。
本題に入ろう。
三十年ほど前の話になる。
ある日、礼司さんは先代当主――自分の父親が母親の前で土下座している場面を目撃した。その傍らに当時の名取家の当主(小夜子さんの父親)と草元さんが立ち、彼女を必死で宥めていた。
その間に割って入った礼司さんが何事かと事情を訊ねると、草元はさんは驚くべき事実を語った。
先代が他の女性と不倫関係にあることが明らかになったのだと。
その女性と先代が出逢ったのは十年ほど前。
彼女はある血統種犯罪の関係者であり、捜査協力者でもあった。
当時その事件を担当していた先代は事件を通じて彼女と親しくなり、何かと助言を求めに通っていたという。
これだけ聞くと礼司さんと奥さんの出逢いと似ている。血筋だろうか。
先代は聞く限りでは助平な男ではなく、御三家を背負うに相応しい誠実な人物と認識されていたらしい。
しかし、周囲は知らなかったが先代はかなり繊細な心の持ち主だった。
数多くの悲惨な血統種犯罪に立ち向かってきた先代は、徐々に神経を擦り減らしていき、精神的にがたがきていた。内心を家族に打ち明けることもできず、ずっと溜め込んでいたのも拍車をかけたらしい。彼は限界寸前だった。
そんな彼に救いの手を差し伸べたのが件の不倫相手である。
彼女の職業は血統種専門のセラピスト。社会に馴染めない血統種の心に寄りそうことを生業としていた。
ある時、先代は酒に酔った勢いで胸の内に渦巻く悲痛な叫びを彼女に吐き出した。
それを聞いた彼女は先代の心を癒すために尽力した。
実のところ、彼女は先代に対して並々ならぬ感情を抱いていたらしい。交流を続ける中でそういった想いが芽生えていったとのことだ。
しかしながら、先代は既に結婚しており、彼女が割り込む余地など無かった。
無かったが――彼女は諦めきれなかった。
それ故に、先代が弱々しい姿を見せた時、魔が差してしまった。
そこから後のことは詳しく語る必要はない。
結果として、二人の間に隼雄さんが生まれた。
彼女は先代に迷惑をかけるわけにはいかないと、一人で隼雄さんを育てる気でいた。
しかし、流石にそれは気が咎めた先代は養育費を支払い、子供の世話役を手配した。金は先代のポケットマネーから出たので、家族には気づかれなかった。
そんな秘密を隠し通した生活が七年ほど続いた末、彼女は突然交通事故でこの世を去る。
彼女の両親は既に他界しており、兄弟も親類もおらず、隼雄さんを引き取ろうという者はいなかった。
先代は迷うことなく隼雄さんを引き取ることを決めた。そして、奥さんに全てを打ち明けることにしたのだった。
当然ながら隼雄さんを引き取るに当たって大いに揉めた。
一番反対が強かったのは分家の連中だ。俺も散々嫌な思いをしてきたからよくわかるが、あの連中は大した実力も無いのに口先だけは一丁前だ。
連中は御影家の名誉や体裁を重視して、隼雄さんを引き取ることに真っ向から反対した。体裁を気にするなら潔く引き取るべきかと思うが、奴等に言わせれば違うらしい。
曰く、先代の奥さんは別の名家の血を引くため、彼女の実家の気に障るような真似を避けてほしいとのこと。隼雄さんを引き取ることで、奥さんの機嫌を損ねるのが怖いだけだった。
そんな主張を打ち破ったのは当時中学生だった礼司さん。
彼はなんと隼雄さんを引き取ることに全面的に賛成した。
礼司さんのことだ、母親を失った少年を哀れんだこともあるだろうが、なにより見捨てるのは不義理だと考えたのだろう。
大人たちは所詮子供の意見と聞き流すことができなかった。その頃から彼は次の御影家を背負う柱として期待されており、既に実績を残していたのだ。その言葉は軽くない。
ちなみに、礼司さんの賛成を受けて、辰馬さんは消極的賛成、沙緒里さんは全面的賛成を意思表示した。辰馬さんは体裁を考えた上で引き取るのがベストと考えたらしく、沙緒里さんは弟ができることを素直に喜んだという。
かくして少年は御影家の門を潜り、御影隼雄となった。