ある人物の独白・2
誰にも話したことのない秘密がある。
自分は恋をしたことがある。
人を恋した経験は後にも先にもこの一つだけだ。それは永遠に変わることはないだろう。
この感情が最初に生まれた時、まさか自分に限ってそんなはずがないと一人驚愕したのは良い思い出だ。色恋など自分とは縁のない、どこか遠い世界の話題だと思っていた。それがどうだ、一度自覚すると気恥ずかしさで頭が回らなくなる。なんという様だ。
あの当時は自分の生き方や在り方を考えてばかりで他人を気にかける余裕などなかった。自分のことで精一杯、他人の事情など知ったことではない。そんな性格を自分でも冷淡だと思っていたが、だからといって変えようという気は微塵もなかった。
適度な距離感を保った人付き合いをして、適度な成果が得られればそれでいい。それ以上を求めるなんて馬鹿馬鹿しい、それがあの頃の自分だった。
そんな世界を一変させるには、ほんのささいな出逢いが一つあるだけでよかった。
あの衝撃は今でも記憶と共に生々しく蘇る。
こればかりは言葉で説明するのは無理だろう。言ったところで他者には理解できない話だ。
初めて逢った時に投げかけてくれた微笑み、後に寄せてくれるようになった信頼。
これらが乾いた心にどれほどの潤いを与えたか、誰一人知ることはできない。
恋に落ちてからの自分は暇さえあれば愛しい人のことばかり想うようになった。
何を好み、嫌うのか。どんな夢を抱いているのか。そして、自分のことはどう思っているのか。あの人のことを知りたいという貪欲が溢れ返った。
思考と人格を侵食する感情は生活スタイルにも大きな影響を与えた。
まず、他者に心を開くようになった。それまでの自分はあの人を除いて絶対に他者を信用しない性格だった。そんな刺々しい心から針が抜かれたのだ。
原因は、あの人が自分を“人をよく観察する眼を持ち、手助けすることのできる人”だと評価したことだった。
何故そんな評価をされたかというと、あの人と互いの生活について語り合う中で、ふとした拍子にどんな半生を過ごしたか訊ねられたことがあったのが切っ掛けだ。
そこで語った内容は味気ないものだった。何しろ自分の人生には意気込んで語るようなものは皆無と言っていい。それほどまでにつまらない生き様だった。
誰とも心を通わせようとしなかった。他者は、敵か、自分に利益を与える存在か、その二つにしか区別できない。どちらに該当するが正しく見分けるために、相手が自分にどんな感情を抱いているか推察し、良好な関係を築くかどうか決定する。どうでもいい人物であれば当たり障りのない言葉を紡いで、好悪いずれにも偏らせないようにする。敵はなるべく作らず、能力はあるがぱっとしないという印象を与えるのがセオリーだった。
決して本心を晒さず、表面を偽り、思ってもいない言葉を平気で口に出す。何とも虚飾に塗れた存在か。人が聞けば失笑するだろう。
だが――あの人はそう思わなかった。
“あなたは人をよく見ているんですね”と、そう言ったのだ。
最初は何故そんな言葉が飛び出したのか理解できず、呆けた顔をしてしまった。
そんな自分にあの人は言った。
“あなたは多分人が怖いんだと思います。深く関わりあうと何か辛いことが起きたときに喧嘩してしまうかもしれない。そのまま心が離れ離れになってしまうのが怖いんだと思います。でも、それは逆に言えば相手をよく見ているということですよね。相手が何を考えて、どんな望みを持っているのか、それをよく知ろうとしている。それは凄いことです”――と。
その時、暗い水面に一粒の滴が垂れ落ちた。水面に波紋が広がり、吸い込まれた滴が心の奥深くまで浸透していく。その感覚は形容し難い。一言で言うとすれば、救われたような気がした。
あの人は自分をそのように見ている。そして、それは正しいと無意識に確信していた。
ならば、それを証明しよう。一足す一が二になるとでも言うように、自分はその結論を当然のように受け入れた。逡巡が割り込む余地などどこにもなかった。かくして自分は生まれ変わった。
それに、身だしなみに気を遣うようになった。以前の自分はお洒落にはとんと無縁な性格であった。外見の評価など気にも留めない、髪型や服装に拘ったことなど一度もない。それなりに清潔であり、不快感を与えなければそれでいいと思っていた。
そんな自分があの人の視線だけは気になって仕方がなかった。あの人の眼に自分はどう映っているのか? 地味で魅力に欠けると思われていないか? そんな不安が湧き上がる度に一人密かに狼狽える日々だった。そうして神経を尖らせた結果は上々だった。イメージを一新した自分を見たあの人はにっこり笑って“似合っている”と一言だけ。それだけで天にも昇る幸福で満たされた。
たった一人、心の底から愛おしいと思った人物がいるだけでこうまで変わるのかと我ながら呆れたものだ。四六時中愛する人の気を惹く手段を模索した挙句、あの人の望みを片っ端から叶えてやろうと行動に移したこともある。今となっては恥ずかしく思う。流石にあれはやり過ぎた。
ただ――最初から気づいていた。これは決して報われる恋ではないと。
その理由は単純であり、自分もその事実を認識していた。この運命を覆すことは不可能である。それがどれだけ思考を巡らせても最後に辿り着く唯一の解答だった。
この恋心はいつか破れ儚く消えゆく想いであり、最後に残るのは虚しさだけだろう。その結末を理解している心の中で諦めればいいと誰かが囁いたことがある。苦行に耐える趣味を持つでもなし、何も得られぬなら早々に捨て去るべきだったのかもしれない。
それでも、この感情を抱いたことは間違いではないと確信している。
自分は恋をしている。恐らく自分は生涯この恋を抱き続けたままだろう。死ぬまで永遠に尽きることのない愛情。自分はあの人をひたすら愛し続ける。そして、この恋を吐露することは一生ないだろう。
難儀な性格だと苦笑する。人が聞けばこの感情を狂気かそれに近い何かだと嘲るだろう。否定する材料が全く無いのが困る。事実そうだ。何しろその愛情のために犯罪に手を染めたのだから。
ああ、その通りだ。自分は狂気に彩られた愛情に人生を捧げた悪鬼である。見返りを求めぬ愛という底なし沼に沈んだ愚者である。
これはあの人のために犯した罪ではない。あの人を愛した自分自身に報いるために犯した罪である。我欲以外の何物でもない、極めて醜悪な動機だ。愛に生きた自分を肯定するためだけに犯したのだ。
復讐――そう単純に考えることができれば、どれだけ楽だったろう。何せ標的は死に値する罪を犯した者だ。それが根底にある以上、仇討ちだと称することも可能だった。
しかし、そう捉えることはできなかった。
これは復讐などではない。その意味を自分はよく理解している。
やらないという選択肢は最初から存在しない。やらないことは、即ちあの人を愛した事実を自ら否定することである。それだけは耐え難かった。
ただ、後悔もある。御影信彦を殺すことになったのは残念だった。あれ以外の方法が思いつかなかったとはいえ正当化する気にはならない。せめてもの手向けとして、彼の心残りを代わりに片付けてやることにした。
時間はあまりない。横山修吾を殺害したのは間違いなく都筑蓮だ。彼がこうして表に出てきたということは、あちらも近いうちに片をつける気でいるからだろう。もし、蓮の口から真実が語られれば、もうチャンスは無いと考えるべきだ。
明日、全てを終わらせよう。
御影寧をこの手で葬る。
あの夜の罪を償わせるのだ。
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