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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
間章
132/173

御影紫は推理する

 桂木家は古くから闇で才能を活かしてきた一族である。

 都筑蓮は幼い頃に母親から寝物語にそんな話を聞かされたことがあった。


 とある異界を統治する名家を陰で支えた一族。それが桂木家の系譜であった。

 表の顔は民からの信頼が厚い薬師。裏では諜報、監視、工作、暗殺と様々な分野で手練手管を発揮する正体不明の隠密集団。二つの顔を使い分け、桂木家は歴史の裏側で幾度となく暗躍した。


 彼らが“猟犬”という名の異名を主より与えられたのは三百年ほど昔のことだと伝わっている。

 一度狙いを定めた獲物を追跡し、追い込み、最後には確実に狩る。そして、主君に対する忠誠心の強さ。

 忠臣としても、飼主の意のままに動く存在という蔑称としても、その名は象徴的であった。


 蓮は己の中に流れる影の一族の血が嫌いではなかった。

 彼は元より目立つことを好まない。それよりも自分の目に適う才ある人物を陰で支えることを良しとした。かつて大隅登にその性格を指摘された記憶がある。

 蓮はその性格を先祖譲りのものだと解釈した。恐らく自分は誰かに仕えて能力を活かすことに喜びを覚える性質なのだ。主と見定めた人物が成長し、頂点へと上り詰めていく様子をこの目で見たい。その過程で己の能力を存分に発揮したい。きっと先祖も同じ夢想を抱いていたのだろうと思いを馳せながら、彼は少年時代を過ごした。


 彼が御影紫を仕えるべき主と認めたのは運命と表現してもよい。

 悪を打倒した英雄の娘と、倒された悪の息子。

 少年は英雄の血を引く少女を人生を捧げる相手とし、そして恋をした。

 古い悲恋の物語であれば格好のシチュエーションだ。


 蓮は先祖がそうであったように、自らを“猟犬”と称することにした。

 御影礼司に連絡を入れる際に何か偽名を用いることを紫に提案された時、彼はすぐにこの名を使うことを決めた。

 その理由を聞いた恋人は苦笑していたが、これでいいと蓮は自信をもって言った。


 都筑蓮は御影紫の最愛の男であり、同時に忠実な僕である。

 それが一度裏切りを働いた男が二度と捨てまいと誓った矜持であった。




 突然隣から大きなくしゃみの音が聞こえたことで蓮は我に返った。

 音の出所に目を向けると御影紫が両手で口元を抑えている。


「誰かが私の噂をしている。多分由貴あたり」

「くれぐれも体調管理には気をつけてね。大事な時期だから」


 春先とはいえまだ寒さは残る。急な気温の変化で体調を崩されてはかなわない。

 

「大丈夫、そんなへまはしない。“どんなときでも入念な準備をしてから挑むべし”が私の信条」

「一度も聞いたことないけど? 今考えたよねそれ」

その通り(ザッツ・ライト)


 蓮は呆れて溜息を吐く。紫は猪突猛進というわけではないが、時折思い立ったらすぐに行動を移すことがある。それが身内や親しい誰かが絡む問題であれば尚更だ。去年の八月十八日にここに攻め込んできた時もそうであった。あれは事前の準備などない特攻だ。まさか単身でやって来るとは浅賀も予想しなかっただろう。

 だが、それが御影紫という人物だ。予測できなかったのが奴の失敗である。


「準備といえば慧の方は?」


 ふと思い出したように紫が訊ねてくる。

 慧は昨日の連絡で当初の予定通り紫に依頼された物を回収する手筈であった。


「ああ、そっちは問題なく回収に成功したらしいよ」

「何事も無くて良かった。ただでさえ今日はばたばたしていたから」

「本当にね……各務先生の方に行って良かったよ」


 あれは本当に奇跡的だったと蓮は振り返る。

 彼が各務医院に到着して近くのビルの屋上から監視を始めた直後、建物から少し離れた路地に妙な男二人が突如姿を現したのだ。血統種の能力によるのは明らかだった。二人は周囲を警戒するように視線をあちこちに移動させつつ大きなケースを抱えており、停車してあった運送会社のトラックへと積み込むとすぐに去っていった。その時、トラックの助手席に座る横山修吾を目にしたことで蓮は異常を確信した。

 その後、彼はトラックを追跡して廃工場に辿り着き、工場内部に侵入する手立てを考えていた。田上静江が操る魚の群れを突破するのは困難であり、また自分の生存が知られる危険も避けたかった。それ故、由貴たちがすぐにやって来たのは彼にとっては幸運だった。お陰で逃走した横山を追うことができたのだから。


「ところで平気?」

「横山さんのこと?」

「そう、それなりに親しかったんでしょ」

「まあね、正直気分の良いものではないよ」


 横山修吾はこれまでに許されざる罪をいくつも犯した。たとえ法の手で裁かれたとしても死は避けられなかっただろう。あれは当然の末路だと誰もが口を揃えるに違いない。

 それでも蓮にとっては幼い頃からの顔見知りであり、良くしてもらった過去もある。裏の顔をしった今でもそれは変わらない。このまま逃げ続けるならそれでもいいとすら考えていた。


 だが、野望を諦めずこの街に踏み込んだ以上は見逃すわけにはいかないと蓮は決断した。今の彼は一人の少女を救済するために奔走する紛い物の生者だ。彼女を利用しようと企む者は決して生かして帰さないと最初に決めたのだ。彼が与えてやれる最大限の恩情は苦しむことなく葬りさることだけだった。


 蓮は頭にこびりついた憐憫を振り払う。感傷は後回しにするべきだ。


「それより計画を急がないと。俺が表に出てしまった以上、俺が生きていることはすぐに知られる。近い内に慧も問い詰められるだろうから、それまでに進めておかないと」


 彼らにとって目下最大の問題は御影信彦を殺害した犯人の見当がつかないことだった。

 屋敷の内部に敵が潜んでいる。それは疑いようのない事実だ。だが、それが誰なのか手掛かりに乏しいのが現状だった。


「ねえ紫、信彦さんを殺した犯人について見当はついているかい?」


 外部の者である自分よりあの家に詳しい紫ならと訊ねてみると、彼女は小さく唸る。


「見当だけは、ね」

「それは……?」


 紫は最も犯人に近い人物の名を挙げ、その理由を説明した。

 蓮は相槌を打ちながら紫の推理に耳を傾ける。


「現状これが最も考えられる可能性。憶測が占める部分が多いけど、慧から聞いた話と蓮の話を併せて推理するとこれが一番あり得る。動機と手段、両方を有するのはあの人だけ」

「成程ね、じゃああとは証拠があれば……」

「それは恐らく明日ぐらいには解決する」

「明日?」

「この推理が正しいとすれば、この事件が終息するまでに再び行動を起こすはず。だって本来の目的が達成されていないから。無理にでも行動を起こす可能性が高い」


 確かにそうだと蓮は同意した。恐らく犯人は保身について何も考えていない。己の罪が暴かれることになったとしても決行するだろう。そして、そのチャンスは事件が解決するまでの間。


「悪いけど明日も外に行ってくれる? 屋敷の周辺は警備が厳しいけど……」

「任せて、万が一の場合は身体を張って止めてみせるよ」

「あと他に気になるのは……もう一人(・・・・)の方はどう動くかってこと」

「この状況で何もしないわけないよね、紫の想像通りなら」


 “もう一人”――事件の中心人物であり、未だ事件との関連を悟られていない存在。

 紫がその人物について知ったのは偶然であった。最初に知った時はまさかと思ったが、既に得ていた情報と組み合わせて推理すれば納得のいく部分もある。

 その人物は事件後誰からも注目されていない。ただ、間違いなく水面下で行動を開始しているはずだと紫は睨んでいた。

 恐らくその人物も殺人者の正体に勘づいているだろう。殺人者が正体を現したとき一体どうするつもりなのか、そこまでは紫にもわからなかった。


「うーん……どうしようかな、慧は荒事に不向きだから犯人の見張りを任せるのは怖いし」

「一番良いのは慧を通じて由貴たちに事情を説明することだけど……」


 リスクを減らすなら全てを明かすのが一番いいのだろう。だが、蓮も紫もその手段を否定した。最短の解決策であっても最小のリスクには留められない。ここは慎重な選択を採るべきだという意見で二人は一致していた。


「……よし決めた、出たとこ勝負(ケース・バイ・ケース)で」

「結局それか。いつもと変わらないね」

「臨機応変ともいう」


 とはいえ、それが最善に近いと蓮も納得した。この事件はあまりに多くの思惑が交差しすぎて複雑怪奇な様を描いている。いつ誰が何をするかなど正確に予測するのは真実に一番近い彼らにも無理であった。

 彼らにできるのは他者の行動を抑え、その上で自分たちの目的を達すること。

 即ち、相手を出し抜けるか否かだ。


「……まあ、私も出られる準備はしているから。何かあれば遠慮なく出動要請して。九条さんも明日は大丈夫そうだって言ってたから」


 紫はそう言ってある方角へと視線を走らせた。

 視線の先には金属製の大きな扉が一つ。

 紫の脳裏には扉の奥で穏やかな眠りについている一人の少女の姿が思い起こされていた。

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