御影沙緒里の告白 -違和感-
冷たく真実を宣告する沙緒里さんから目を逸らす。
わかっていた、それ以外にあり得ないと。
認めるのが怖かっただけなのだ。その事実が過去の過ちを非難しているかのように思えて。
沙緒里さんはそんな俺の心境を無視して話を続ける。
「夏美の中に残った僅かな人間性を表に引き上げるには、幸福だった頃の記憶を呼び覚ました上でそれを現実のものとするのが好ましい。蓮はその役割にぴったりだった。同性の雫世衣でもできたと思うけど、表では既に死んでいる蓮の方が都合が良かったんでしょう」
「蓮はあの事件の直後にはもう蘇っていたのか……」
「そうね、私も信彦さんから話を聞いて流石に仰天したわ。本当、鋭月の関係者ってろくなことしないわね。まあ、今回ばかりは私にとっても利があったけど」
沙緒里さんは皮肉めいた笑みを浮かべる。
もし、“再誕”の話がなければ彼女はすぐにでも『同盟』に真相を伝えていただろう。最愛の夫を復活させられるという希望は思い留まらせるには充分だった。
「それじゃあ蓮は蘇ってからずっと研究施設で暮らしていたのか? 外にも出られず?」
「いえ、外出は許されていたそうよ。必ず一人以上の監視は付いていたけど、原則として自由だったみたい。変装をしていたらしいから街中で逢っても気づかなかったでしょうね。案外あの事件の後であなたの様子をどこからか観察していたかもしれないわよ?」
意外に甘い対応だと思ったが蓮による裏切りはあまり警戒していなかったのかもしれない。夏美が殺処分される危険を冒すのは考えにくい。夏美にとって蓮の存在が楔となるように、蓮にとっても夏美は枷だったのだ。
「……そして、蓮が生きていることに気づいた人物が行動を開始した」
紫だ。あいつは誰よりも早く真実に辿り着いた。
「聞いた話では紫は事件の後から妙な態度だったそうね。恐らく事件後にはもう何らかの事情で蓮が生きていることを知ったのよ。これは私の憶測だけど、恐らく蓮が紫宛てに何か遺していて、それを頼りに調べたんでしょう。蓮はきっと寧の殺害に成功しようが、失敗しようが、最終的に姿を消すつもりだった。だから寧の姉にして最愛の恋人にだけは真相を伝えておこうと考えた、というところかしら?」
憶測とはいえ納得のいく流れである。沙緒里さんのように独自の情報網を持たない紫には、ここまで早く真相を突き止めることはできない。核心に近づく情報をどこからか入手しない限りは。そして、その出所は他ならぬ蓮自身しかあり得ない。
「ただ、蓮が紫に助けを求めたのか、紫が蓮のために勝手に動いたのか、そこははっきりしないわね。多分勝手に動いたんだと思うけど」
「そうだな、蓮の性格からしてそれはないだろう。寧を殺そうとしたのに手を貸してくれだなんて恥知らずだと考えそうだからな。何も明かさないのは不義理だからメッセージに事のあらましを書いていたんだろう……ということは、もうあの頃には蓮を探していたんだな」
俺と義妹二人の間に形容しがたい溝ができ接触が途絶えがちだったあの頃、紫があちこちを駆けずり回り、恋人の姿を探し求めた。その間、各務先生と九条詩織の関係も突き止め、彼が浅賀を刺激しないように警告した。万が一の事態が生じたとき、的になるのは自分だけでいいと考えたのだろう。
改めて思うが、まったくもって自分が情けない。紫の動向に気を配っていれば気づけたというのに。
「後悔に浸るのは構わないけど話を進めていいかしら? 紫は独自の調査の末に浅賀のアジトを突き止め、そこへ向かった。これが八月十八日の出来事ね。じゃあ、そこで何があったのか? ここが問題ね」
「浅賀たちが連絡を絶とうとしたのは、紫がやって来ることを事前に察知したから。それを機に『同盟』が介入してくるのを警戒したとは予想できるが……現状何も起きていないなら連絡を復旧させてもいいはずだ」
「何も言ってこないということは、恐らく浅賀も他の連中も生きてないでしょうね。施設を捨てて逃げ延びたなら、どこかで私の網にかかっているはずだから。浅賀はともかく下っ端の研究員たちが巧みに逃げ切れるわけがない。紫に殺されたのか、それとも別のトラブルが起きたのか……」
「どちらも考えられるな。紫が浅賀のような奴を放っておくことはないし、『同盟」に突き出していないなら既に死んでいるだろう」
これだけ人を振り回した諸悪の根源ともいうべき男がもうこの世にはいない。楽になったと喜ぶべきか、脱力すべきか。
「浅賀が死に、紫は夏美を助けるために真相を隠し、裏で行動することにした。となると……」
またしてもあの疑問が浮かぶ。
“猟犬”の真意についてだ。
紫のブレスレットを所持していたことや、各務先生にメッセージを送ったことからして、奴が味方であることは疑うこともない。奴は間違いなく紫と手を組んでいる。
ならば、当然この結論に行き着かざるを得ない。
“猟犬”の正体は蓮である。
これが現状一番すんなり納得がいく説だ。
しかし、そうなると“猟犬”が礼司さんに裏切者の調査を指示したのは何故だろう? あれだけは鷲陽病院の事件との関係が一切掴めない。
そもそも“猟犬”は一体どういった経緯で裏切者の存在を知ったのだろうか?
「事件の全体像は判明しても、まだ細かい部分に空白が目立つか……」
例えば、蓮が寧を殺そうとした動機だ。
浅賀から齎された鋭月のメッセージとやらが関係しているのは確かだが、それがあの凶行の原因となるのは不自然である。これは未だに謎のままだ。
「空白ねえ、私も気になっていることがあるの?」
「まだ何かあるのか?」
「夏美のこと、どうしてもしっくりこないの」
夏美のことで何か疑問に思うことがあっただろうか。
「事の発端からして変なのよ。鋭月が夏美に目をつけたのは、彼女が“再誕”の能力を保有していたから。あなたもそう思っているでしょう?」
「……違うのか?」
沙緒里さんは頷いた。
「実は糸井夫妻と鋭月の関係を調査したんだけど、どうもおかしいのよ。鋭月は糸井夫妻の学校に寄付をしたことが切っ掛けで夫妻と親しくなったっていうのが周囲の見解だったんだけど、彼らの関係はそれよりずっと前から続いているわ」
「ずっと前?」
「糸井夫妻が私と信彦さんのように再婚した者同士だって知ってる?」
初耳だ。雫はそんなこと話さなかったし、彼女も知らないのかもしれない。
「夏美は夫人と最初の夫との間にできた子供よ。夏美が生まれる前に夫は事故で死んでしまったらしくて、夫人は女手一つで娘を育てたらしいんだけど……彼女に経済的支援をしていたのが鋭月だったの」
「……どういうことだ?」
「どうやら鋭月は経済的支援と引き換えに夏美の成長を記録して報告するように命じていたようね。つまり、夏美は生まれた直後から鋭月に目をつけられていたのよ。“再誕”の能力が発覚するより前から」
それではまるで――夏美が“再誕”の能力を保有していることを最初から知っていたかのようではないか。
ただの偶然ではなかったというのか? 夏美が生を受けた時から全て、奴の計画だったとでも?
「興味深いでしょう? 私もこれを探っていたけど手掛かりはゼロ。鋭月の息子だった蓮なら何か知っているかもしれないけど、彼を探すのは骨が折れそうね。“生前”関係のある場所を当たっても彼らしき人物を目撃した情報は無い。母親が入院している病院ならもしやと思って部下を配置したけど、不審な人物が面会に訪れたことは一度もないそうよ」
この事件、まだ根が深そうだ。
全容が明らかになったと安心したのは早合点だった。
「どう、話はこれでお終いだけど満足したかしら?」
「ああ、ありがとう。大いに助かったよ」
「どういたしまして」
「……一応訊いておくが、諦めるつもりはないんだな?」
「当然でしょう? あなたには知っていることを話した、契約はそこまで。私を止めたいなら力づくで止めるか、説得できるだけの材料を持ってきなさい」
そう言い残して沙緒里さんは訓練場の外へ続く扉へと向かった。
これ以上は無理らしい。収穫があっただけで良しとしよう。
「……ところで、私からも一つ訊きたいことがあるの」
「ん?」
「あなた――私に何かした?」
沙緒里さんは俺の胸の内を探るかのような疑惑に満ちた視線を向けてくる。
何かした、とは一体何だ。何故、そんな目つきで見られなければならないのか理解できない。
俺は彼女の気に障るようなことをしただろうか?
「……いえ、何もないなら別にいいの」
沙緒里さんはしこりが残ったような渋い表情で首を振ると、そのまま訓練場から去っていった。
残された俺も何とも言い難い心境に首を傾げるしかなかった。
「まったく、一人で無茶し過ぎだ。私が言えた義理ではないが」
「いいのよ、少しくらいきつく説教しても。大体……私も説教できる立場じゃないわね」
雫、寧、凪砂さんと合流した俺たちは会議室へと戻り、早速沙緒里さんと賭け試合をしたことを窘められた。この結果は予測できていたので素直に反省する。
「まあまあ、結果的に丸く収まったから良かったではないですか。沙緒里さんを牽制することもできて順調と言えるのでは?」
「順調ね……そう言えなくもないが、沙緒里さんを諦めさせることはできなかったんだろう?」
「そこはどうにか対処しますよ。狙いがはっきりしていれば対策はしやすい」
こちらがやるべきことは至ってシンプル。沙緒里さんより先に夏美を確保すること。
その後、彼女を元の生活に戻すためにどうすればいいか明確な解決策はない。だが、やらねば俺たちに勝利は無い。
「それで凪砂さん、頼んでばかりで申し訳ありませんが……」
「わかっている。蓮の捜索は警察でもやってみる」
蓮がどこにいるか、俺たちだけで調べるには限界がある。こればかりは人手が要る。沙緒里さんに対抗するには、凪砂さんの親衛隊の力を借りるしかない。
「蓮くん……」
「……」
雫が悲しげに目を伏せて呟いた。寧もかつての出来事を思い出しているのか無言で遠くを見ている。
凪砂さんは声をかけずに二人の様子をを見つめている。
瞼を閉じるとあの日の親友の顔が鮮明に蘇る。
寧が撃たれた現場に駆けつけた時に見せた困ったような笑み。
紫を刺した時に浮かべた冷酷な笑み。
最後の一撃を繰り出した時、申し訳なさそうに浮かべた笑み。
あれらの表情には一体どんな感情が隠されていたというのか。
もし、お前と再会することがあれば、それを教えてくれるのか。
「……今日もいろいろあったな、そろそろ帰ろう」
「……そうですね」
空気を破るように手を叩き、凪砂さんが提案する。
俺はそれに力なく答えた。
ふと窓の外を見れば、いつの間にか空には薄っすらと茜色が滲んでいた。