そして事件は始まる
「ゆ、由貴、大丈夫なの?」
淡い光を放つ俺の身体をじろじろ見つめながら寧が訊ねてくる。俺の身に何の害もないのか気になっているようだ。
「安心しろ、何も問題はない」
“怒りの鎧”を解除すると光は霧散してしまう。
寧は幻想的な光景を目にしたように息をついた。後ろに立っている登はどう反応していいか戸惑っていて、沙緒里さんは不気味に微笑む。
「とんだ狼少年ね、そんな切札を隠し持っていたなんて」
「人聞きの悪いことを言わないでください。隠し事はしていましたが嘘はついていませんよ」
「あら、生意気」
秘密を明かして俺も多少気が大きくなっていたのか、沙緒里さんに強気の反論をしてしまう。沙緒里さんは特に気分を損ねた様子もなくまた笑みを湛えた。
「はー……まさか変異が起きていたとはな。冗談きついぜ」
「俺にとっては嫌な記憶と結びつくからな。こういう状況でもなければ進んで話す気はなかった」
どうせ危機的状況でないと使えないような特性だ。使う機会が来なければ話す必要もないと思っていた。
「これ皆に伝えた方が……いいよな?」
「好きにしろ。俺に決める権利があるわけじゃない。それよりも――」
俺は話を打ち切ると、寧の顔を見下ろす。
「こっちの方が大事だ」
「う」
「それで? どうしてお前は一人でこんな所へ来たんだ? 誰にも告げずに、一人で魔物と戦って……詳しい話を訊かせてもらおうか」
俺が語気を強めて訊ねると、寧は身を縮こまらせた。しばらくの間無言でちらちらと上目遣いで俺の表情を窺っている。萎縮している様子を見せれば俺の態度が軟化するのではないかという希望が露骨に表れていた。よって俺は厳しい視線で見下ろしてその希望を絶つ。
寧は観念したように語りだした。
「……さっき部屋にいたときに、なんていうか変な感じがしたの。うまく表現できないけど、こう……身体の奥から何かが零れ落ちるような感覚だったの」
「何なんだ、その微妙にグロテスクな表現は」
「し、仕方ないじゃない。他に良い表現が思いつかないんだから!」
寧は赤面して俺を怒鳴りつけると目を逸らした。年相応の態度はとてもじゃないが当主としての威厳を感じさせない。
「その零れ落ちる感覚がしてその後は?」
「その感覚と同時に直感みたいなものがビビッと来たの。こっちの方角に何かあるって。何故かはわからないけどそう確信したの。それで急に不安になって急いでここへ来たら――」
「あの竜の群れがいた、と」
こくりと頷く寧。
俺は少しの間顎に手を寄せ考えた後、登と視線を合わせた。登の表情は重大な事実に気づいたように強張っている。どうやら登も俺と同じ考えに至ったらしい。最初の“零れ落ちるような感覚”だけでは理解できなかったが、その後の言葉を含めると一つの仮説に到達する。
俺と登は以前にも似たような話を彼女の姉である紫から聞いたことがあった。
これはもしや――。
「異界の探知――」
「だな」
紫が持っていた異界の入口を発見する眼。どこに魔物が隠れていようがそれを探しだし、その危険性まで把握できる稀有な能力だ。
寧のいう感覚というのは異界を探知したときの感覚だったのではないか。それが俺たちが至った結論だった。
「けれど紫は視覚的に探知する能力よ。直感的な能力とは別じゃなくて?」
沙緒里さんが尤もな疑問を提示する。
「仮説ですが“異界の探知”という能力が別々の形で発現したのではないでしょうか。紫と違って寧は直感的に異界の位置を知れるということでは」
「うーん、それちょっと違うと思うわ?」
寧が首を捻りながら納得がいかない顔で反論した。
「違う?」
「異界の位置がわかるなら今も他の異界を探知できるはずでしょう? でも今は何にも感じないわ」
「そりゃ確かに変だな、お嬢はこれまでにもそういう感覚あった?」
「いいえ、さっきが初めてよ」
そこで寧は「あっ」と声を上げた。
「ここへ来るまでにも同じ感覚を何度も感じたのよ、かなりの回数連続して。ただ、こっちとは別の方角からだったわ。ええと……あっちと、それからあっちからも。何も感じなくなったのはそれ以降ね」
寧が指し示したのは俺たちが応戦した南側、それに現在小夜子さんがいる西側だ。
「うーん?」
登は何かに気づいたように唸る。沙緒里さんも静かに考え込み、一言も口にしない。
俺も寧の能力の輪郭を掴みかけていた。竜の群れが現われた場所を感知した以上、紫と同様の異界の探知能力が発現したのは確かだ。そして、その後に他の魔物が現われた方角からも感知したということは――。
「“魔物が異界から現れた瞬間を感知する”――いえ、正確に言えば“異界の入口が開いた瞬間を感知する”かしら?」
「恐らくそうだと思います」
魔物の出現と感知能力の発動が同じタイミングであることを考慮すれば、それが最も真実に近い。
「その感覚って今回が初めてだよな?」
「そうよ、今日初めて」
「これだけ多くの魔物が急に現れるはずがないから、どこかに異界を構築して隠れていたはずだ。それを事前に察知できなかったということは、この能力はほんのつい最近発言したばかりなのか?」
「その可能性が高いな。まったく前もってわかってりゃお嬢を一人で行かせずに済んだのによ」
寧が再び申し訳なさそうに目を伏せる。
俺は登の言葉で一つ思い出したことがあった。
「寧、お前がいなくなった後五月さんが電話したって言ってたぞ。気づかなかったのか?」
「あー、スマホは部屋に置いてきちゃったわ。ドレスに着替えたから」
もし、寧が誰かと連絡をとっていればもっとスムーズに解決できたかもしれない。それでなくともあれだけの強敵相手に単身で挑まず応援を呼びに行くこともできた。俺たちが駆けつけるのが遅ければ今度こそ死んでいたかもしれない。
「早まった行動をとるな。お前の身はもうお前だけのものじゃなくなった」
「うん……ごめんなさい」
そう言って寧は頭を深々と下げたのだった。
「本当に心配したんですから! 寧様に何かあったら旦那様に申し訳が立たないと!」
五月さんが涙で腫らした目で睨むと、寧は消沈した様子で謝罪した。その際に俺に助けを請う視線を向けてきたが、それを無情に撥ね退けることにした。
「まあまあ、とりあえず無事で良かったじゃない。今はそれを喜ぼうよ」
五月さんを宥めているのは隼雄さんだけだ。他の人たちは心配しつつも呆れや非難が顔に浮かんでいる。その中には一人で魔物の大群と戦っていたにも関わらず涼しい顔をしている小夜子さんの姿もあった。
俺たちが帰還したとき、西側の戦いは既に終結していた。小夜子さんは結局一人で魔物を片付けてしまった。メイド人形によって殺された魔物は十数体程度で、それ以外全ての魔物は溺死しているのが確認された。
登の師匠である小夜子さんは奴と同じく広大な範囲に攻撃できる能力を保有し、その力にかかった敵は苦悶に満ちた最期を迎えることになる。今回もその例に漏れなかった。
「ほら、もうすぐ警察の人たちが到着するよ。五月ちゃんもお迎えの準備して」
「うう……」
五月さんはメイド人形を連れて屋敷の中へ入っていく。寧はほっとした顔で息をついた。俺はその頭を軽く小突いた。
「隼雄さん、周辺の民家への被害はどうなんだ?」
「それなんだけどねー、さっき確認したら被害ゼロだって。魔物は全部この屋敷目がけて突進してきたみたい。現われた方角に民家が無いってのもあるけど、動きがほぼ完全に統一されていて周りには広がってないんだよ」
「……そんなことあるのか?」
「聞いたことないね、それに今って昼でしょ。昼に魔物の出現ってそうそうあることじゃないよ」
例え人の出入りが少ない場所でも、魔物が日の当たる時間に異界から出てくることはまずない。それが数匹程度ならまだしも、これだけ大量かつ複数の種類となれば話は別だ。明らかに異常な事態といえる。
「妙だな」
「変だよね」
簡潔に意見を述べ合い、視線を交わす。
瞳がこちらの意思を探るように瞬いた。
「対立派の連中か?」
「恐らくね。連中がやって来たと同時に不自然な魔物の大量発生。偶然で片付けられないでしょ」
「だが、そうなるとあの魔物は操られてここへ攻めてきたってことになるぞ?」
「そういうことになっちゃうのかな……うーん」
同意しながらも隼雄さんは懐疑的に言葉を濁す。その理由は俺にもわかる。
魔物を操るというのは簡単ではない。血統種の中には魔物を意のままに従わせる能力を持つ者もいる。しかし、その対象や数は限定されていて一度に大量の魔物を使役するのはこれまで不可能とされてきた。今回の一件が魔物を操る能力によるのであれば、その不可能を可能にした誰かがいることになる。
「ま、その辺は今後の捜査次第かな」
「そういえば『同盟』からは誰か来ないのか? もう連絡は行ってるんだろう?」
「こっちに任せるってさ。向こうは桂木鋭月の残党を追う方に専念するって」
鋭月一派の追跡を優先するということは、『同盟』も俺たちと同じ結論に至ったのだろう。こちらには辰馬さんをはじめ『同盟』の関係者が何人もいるので支障はないと判断したのか。
「警察が到着したら事情聴取かな。それに寧ちゃんも病院でちゃんと検査してもらわないといけないし……やること沢山だね」
「就任式は中止にするしかないな」
「だよねー」
まさかこんな形で予定を変更せざるを得なくなるとは思わなかった。ここへは三日間の滞在予定だったがもう少し伸びるかもしれない。他の人たちも今後の予定を調整する必要に駆られるだろう。
しかし、就任式が中止になるということは寧の幹部継承はどうなるのだろうか? 本来であれば当主就任を待ってから決定する予定だったので、それも延期になるのか?
これについて質問すると、隼雄さんは肩をすくめた。
「急ぐ話でもないからね。この事態の収拾つけるのが先でしょ。君の補佐就任も同じ」
問題の先送りになったような燻る感情が胸中に湧き立つ。
さて、どうしたものか――。
このまま警察や『同盟』の捜査が推移するのは待つのは好ましくない。俺には裏切り者を突き止める仕事があるからだ。この人物が対立派と繋がっていると礼司さんが手紙に書いていた以上、今回の事件との関連を確かめねばならない。
そのためには襲撃前後の皆の行動を知るべきだろう。もし紛れ込んだ裏切り者が手引きしたとすれば、その人物だけは襲撃を知った上で何らかの準備をしていた可能性がある。
「なあ、屋敷にいた人たちの居場所は確認されているんだよな?」
「えーと、俺も全部把握してるわけじゃないんだよ」
隼雄さんは額に指を立て、順を追って思い出していく。
「五月ちゃんがまず章くんと慎くんと俺に伝えたんだよね。その後彼女は人形を指揮して防衛に当ったんだ。このとき外に出ている人たちを見つけたら中に入るように促せって指示したらしい」
「他の人たちはどこにいた?」
「俺たち三人で手分けして皆の居場所を確認することになって……俺は秋穂ちゃんを見つけて、章くんは一階で慧くんを見つけて、それから辰兄が部屋にいるのを確認したって言ってたよ」
「慎さんは?」
「それがさあ……」
隼雄さんはちらりとある方向へ視線を流す。それに釣られて俺の視線もそちらへ向かった。俺もここへ帰還したときから“それ”には気づいていた。一体どういう状況なのか不思議で仕方なかったが、他に重要な話題があったのでとりあえず無視していたのだ。
視線の先では慎さんが見たこともないような厳しい表情で仁王立ちしていて、その前で彩乃がぶすっとした表情で立っている。細い三白眼はいつも以上に悪印象を放っていて近寄り難い。慎さんが時折叱りつけるように口を開いているが、距離があって話の内容は聴こえない。
「……一体何があったんだ?」
「彩乃ちゃんが部屋から抜け出したんだって」
「抜け出した?」
「彩乃ちゃんを見つけて食堂に行くように言ったらしいけど、慎くんがいなくなった後でどうしてか外へ行ったんだと。それをメイド人形が見つけて強引に連れ戻したってさ」
彩乃はどうしてそんな危険な行動に出たんだ?
視線の先にいる彩乃は慎さんに対して何も答えていない。視線を逸らして黙ったままだ。
俺は今朝のことを思い返した。彩乃は訓練場の付近まで出向いていた。ただの散歩だと言っていたが、帰りにも周囲が気になっている様子で妙に思ったものだ。そして、危険な状況下でも勝手に外を出歩くとなると只事とは思えない。
もしかして彩乃は――。
「ねえ、信彦叔父様と各務先生はどこにいるの?」
俺の思考は寧の疑問によって遮られた。
「そういえばその二人の居場所は知らないな」
二人の姿はここにはない。今の話にも出てこなかったので誰も逢っていないということか?
「各務先生は今朝から医院に帰ってるよ、ちょっと急用だからって。式が始まるまでに戻ってくるとは言ってたけど……まだ帰ってないね」
「ひょっとすると警察の検問に引っかかっているのかもな。もう張られているんだろう?」
「かもね、警察にも顔が利くから心配ないけど」
ということは信彦さんだけ居場所がわからないのか。
確か信彦さんは庭で俺と逢った後、沙緒里さんと一緒に部屋へ戻ったはずだ。
「あの人なら騒ぎが起きる三十分くらい前に部屋を出たわよ」
俺の心を読んだのか沙緒里さんが口を挟む。
「どこに行ったか知ってる?」
「遊戯室で時間を潰すって言っていたけど……慎は見てないのかしら」
「彩乃ちゃんを見つけた後で捜してたらしいけどどうだろう? おーい、慎くん、ちょっといいかなー?」
慎さんは一旦怒りを引っ込めてこちらへやって来た。後ろから彩乃がとぼとぼとついてくる。自分の非を認めているのか逃げ出すつもりはないようだ。
「どうしました、隼雄叔父さん?」
「慎くんは信彦さんがどこいるか知ってる?」
隼雄さんが訊ねると、慎さんはきょとんとする。
「……信彦さんいないんですか?」
「慎くんは見たんじゃないの?」
「部屋にいなかったので他の場所を捜しに行ったんです。でも彩乃が抜け出したことを知ってそっちへ行ったので、そこから先は……人形が見つけてないってことは外にはいなかったのは確実ですけど。遊戯室にいたってのは慧から聴きました」
「慧くんも遊戯室にいたんだ?」
「いえ、彼はシアタールームにいたそうです。でも、部屋に戻るときにはもう遊戯室にいなかったと」
慧が部屋に戻る頃には信彦さんは既にいなかった。外に出ていないのであれば部屋に帰っているはずだが……。
「慎さんが行ったときには部屋にいなかったんだろう?」
「……外にいないのが確実なら屋敷の中にいるはずだけど」
「俺と秋穂ちゃんは逢ってないね」
「信彦さんに電話は通じるか?」
慎さんがスマホを取り出してかけてみるが、応答がないまま時間が過ぎていく。
「……出ない」
「ちょっと五月さんに頼んでみよう」
屋敷の中へ入り台所にいた五月さんに事情を伝え、人形を使って屋敷の隅々まで捜してもらうことにした。皆の了解を経て各自の部屋も捜してもらうことになった。
五月さんが指示した後、人形たちは素早く各階へと散っていき確認していく。勿論庭や物置など外も再度確認した。
しかし――。
「何でどこにもいないんだ?」
「管理室から正面の監視カメラの映像を確認しましたが、敷地外へ出たのは各務先生だけです」
「ねえ……もしかして、かなりまずい事態?」
「……」
成果が上がらない状況に俺たちの表情は徐々に陰りを見せていた。彩乃は顔面を蒼白にしていて震え、慎さんがその肩を抱いていた。沙緒里さんは変わりないように見えるが、冷気が漏れ出している。彩乃が震えているのと無関係ではないだろう。
一体信彦さんはどこへ消えたのか。もう捜していない場所はどこもないはずだ。
そこで俺は再び今朝のことを思い出した。
「……ん?」
「由貴くん、どうしたの?」
「“外”は全部捜したって言ってたな。それって訓練場も捜したのか?」
「あ……す、すみません! あそこは施錠しているからつい除外していました!」
訓練場はここに住んでいる人以外はほとんど使わないから忘れがちになる。信彦さんがあそこへ行くとも思えないが、残る可能性はそこしかない。
俺たちは管理室へ急いだ。訓練場の鍵はあの部屋に保管しているので、信彦さんが行っているなら鍵はないはずだ。
推測の答えはすぐに出た。
「鍵がない……」
「じゃあ、やっぱり叔父様は訓練場へ行ったということ?」
「すぐに行こう」
五月さんは警察が来たときの応対をするため屋敷に残ることになった。俺と寧と隼雄さん、沙緒里さんと慎さんと彩乃の母子三人、それに途中から雫も加わり訓練場へ行く。雫もただならぬ状況下でじっとしていられなくなったとのことだ。一緒に魔物と戦ったことで何となく距離感が短くなった気がする。
寧には怪我をしているので屋敷に残れと言ったのだが、緊急事態に呑気に休んでいられないと頑としてきかなかった。
訓練場の前まで来たとき、すぐに異変に気づいた。入口の扉が開けられたままだったのだ。
「やっぱりここへ来たみたいだね」
「でも、どうして訓練場なんかに?」
「……わからん。とにかく捜そう」
俺たちは顔を見合わせると中へと入った。
訓練場のエントランスは入口から見ると左右に大きく伸びている。左右の端にはそれぞれ扉があり、右側が屋内フィールドに、左側が屋外フィールドに繋がっている。
正面には階段があり二階部分にも各フィールドへ続く扉があるが、こちらはモニタールームへと通じている。モニタールームはカメラ他計測機器のデータが送られる場所で、フィールドにいなくとも観戦が可能だ。
その他には、一階階段の両脇に小さな廊下と配電室があり、廊下を進むとトイレや休憩室がある。二階にあるのは計測したデータを保管する記録室だけだ。
「どこにいるのやら……手分けして探すか」
「俺は屋内フィールドを見てみるよ」
「それじゃあ、僕は屋内側のモニタールームを」
「……私は休憩室の方を。配電室にはいないとは思うけど一応見てみるわ」
「私は記録室を見てくる。信彦さんがフィールドへ行くのも妙だから、ここにいる可能性は高い」
「ってことは……私と由貴で屋外フィールド側ね」
寧が屋外フィールドの入口へと進んでいく。俺は二階のモニタールームへと向かった。
モニタールームの扉を開けると、正面に張られたガラス越しに空が見える。その手前には備え付けの計測機器があり、部屋の中央には小さなテーブルと椅子が置いてある。昨日の調整で使われた持ち運び可能な機器も部屋の隅にあった。
部屋の中はがらんとしている。信彦さんはいないようだ。
「ここじゃないか……」
独り言を呟き、俺はガラス越しに屋外フィールドを見下ろそうと近づいた。
そして、見下ろした途端――俺は息を呑んだ。
太陽の光を浴びて明るい黄色に輝くフィールドのちょうど真ん中にある物。
傍にいる寧がそれを何度も揺すっている。
だらしなく伸びた手足、空を仰ぐ頭。
目を凝らしてみるまでもなくそれが人間の身体であることがわかった。
モニタールームから出た俺は二階の手摺を乗り越えて床に着地すると、そのまま扉を突き破る勢いで屋外フィールドへと出る。
俺の登場に寧が焦燥した顔を向けた。何か言葉を発しようとするが混乱の余り出てこない。
フィールドの中央まで来ると、横たわる“それ”がよくわかった。
普段から閉じたように見える細い目は、今は完全に閉じられている。血の気の失せた顔に生気は感じられない。パーマがかった髪には砂埃や綿埃がついて汚れていた。そしてシャツの左胸部分が紅く染まっている。
俺はその手首を持ち上げたが何の感触もなかった。
「由貴、すぐに、皆を呼んで。早く、救急車……」
寧が涙を浮かべてうまく回らない口を必死で動かす。
俺はそれに首を振って答えた。
「もう死んでる」
信彦さんは死んでいた。