御影沙緒里との対決 ‐決着‐
俺は気を引き締めるために一度深呼吸をする。
チャンスは一度きりと思え。これを逃せば終わり。
そんな意気込みと共に右手にエネルギーを集中させる。
沙緒里さんは俺がどう出るか探るつもりなのか、攻撃を仕掛けてくることなく無言だ。
仕掛けてこないなら都合が良い。俺は右手に集中させるエネルギーの量を増した。
普段であれば既に攻撃に移っている段階のエネルギー量。だが、俺はなおも力を込め続ける。右手の光は徐々に大きさを増し、掌から溢れそうになっていく。
「成程、エネルギーを溜めて一気に放出することでまとめて吹き飛ばす気ね。確かにそれなら吹雪も氷塊も関係ない」
沙緒里さんは俺のやろうとしていることを察したようだ。
彼女の言う通りだ。吹雪の壁はちゃちな攻撃を通さずに撃ち落とす。何しろ小さな雪の粒それぞれが高い破壊力を有しているのだ。あれを突破するにはそれに対抗できるだけの破壊力を要する。
俺がそれを成し遂げる方法は一つ。圧倒的な力を一度に爆発させることだけだ。
そのためには通常以上のエネルギーを注入した光弾を放出しなければならない。
「シンプルかつ有効的な手ね。だけど――それを黙って許すほど私は優しくないのよ」
沙緒里さんが言い終えると同時に多数の氷塊が動き出す。いずれも俺の立つ場所を狙って突進してきた。
俺が跳躍して回避すると、氷塊の群れは突如乱雑な動きを始めた。規則性は見られない。上へ行ったかと思えば、次の瞬間は下へ行く。右に行ったかと思えば、今度は左へ。そんな奇天烈な動きの繰り返しだ。どうやら俺の行動を阻害する目的の動きらしい。俺が回避に専念しようとすれば必然とエネルギーを溜めるのが疎かになる。集中を乱されればエネルギーが霧散して最初からやり直しだ。沙緒里さんの狙いはそれだろう。
俺はフィールドを駆けながら行く手を阻むように落下する氷塊を次々に躱していく。左右のステップで、または身を翻して。その合間に少しずつエネルギーを右手に送り込む。掌の光が徐々に大きさを増していくのがわかる。
俺は沙緒里さんが隠れている吹雪のカーテンを見つめた。沙緒里さんも俺の妨害に集中していることだろう。氷塊を破壊する暇はないが、向こうも新たに氷塊を生成する気はないらしい。氷塊の操作にも思考を割くので当然といえる。そして、それは俺にとって好都合だ。
「……まったく足が速いわね、仕方ない」
吹雪の奥から唸るように風を切って複数の氷塊が飛び出してきた。あれは沙緒里さんの周囲を飛んでいたものだろうか? 吹雪による命中精度の低下を期待して防壁として利用していた氷塊を攻撃に回したらしい。身を守るより攻撃の手数を優先したということか。
増えた氷塊は一斉に動き出すと、俺の両脇を固めるように列を成した。そのまま俺との距離を縮めてくる。上に回避しようにも天井を隠すようなかたちで上にも浮いていた。どうやら俺を囲んで圧し潰すつもりらしい。この人は本気で俺を殺す気か?
そんなことを考えている間にも空間は狭まっていく。仕方ない、まだ余裕はあるので多少無駄遣いしても持つだろう。
俺はその場に屈むと左の掌を地面に押し当てる。掌と接触した個所を中心に地面に光が広がっていき、俺の四方を囲む形になったところでその端から光の線が何本も上に向かって伸びだした。まるで植物が急激に成長するかのような様子だ。そうして伸びていく線は僅かな隙間も許さぬとばかりに密集していき、最後には完全に俺を覆い隠した。
光の壁の外側から何かが融ける音がした。氷塊が壁にぶつかったのだろう。
これも感情エネルギーの応用の一つである。感情エネルギーを熱エネルギーに変換し、高温の壁を作り出すことができるのだ。どれだけ分厚い氷塊でも俺に触れることなく熱の壁によって消えてなくなる。応用技の中で防御に寄らせたものだ。
しかし、このままの状況が続くのも困る。それでは俺の仕掛ける策が完成できないからだ。
俺は壁に隙間を作り出し、外の状況を覗う。外側の氷塊のほとんどは融けてしまったようだ。沙緒里さんは俺の能力酔いを狙っているのか新たにな氷塊を次々と生成している。丁度よく攻撃のタイミングが途切れたのは幸運だ。俺は壁を解除して再びフィールドを駆ける。
右手に溜めた力はいい具合に膨らんできている。あともう少しで充分な量が溜まるだろう。
複数の氷塊が再度俺を目がけて飛んでくる。残り少ない時間を邪魔されたくない。ここまで準備が整えば、積極的に反撃できる余裕はある。
俺は左手にエネルギーを溜める。多くのエネルギーを注ぎ込むが、右側と違い小さく凝縮させる。その形状は“点火”によって破裂させた光球とよく似ている。
俺はその普段より小さな光弾を一つの氷塊に向けて放った。空気を一直線に切り裂いて光弾は突き進む。光弾は氷塊に着弾すると、そのまま表面を削って内側へと潜っていった。
次の瞬間、氷塊が突然はじけ飛んだ。内側から強烈な爆発が発生したかのように粉々に砕けたのだ。氷塊の中心部分があった場所には空気に溶けていく感情エネルギーの残滓が見える。
これは“点火”と同じ要領だ。爆発を起こして一気にエネルギーを周囲に勢いよく飛ばし、中から破壊することを目的とした技。これが人の身体であれば、たとえ強靭な血統種だったとしても木っ端微塵は避けられまい。以前から習得していたが、危険であるため普段は使わないようにしている技だ。こういった物体を破壊する場面でない限りは用いない。
溜めに必要な時間はあと十数秒といったところ。仕込みはもう終えた。後は適当に攻撃をいなすだけでいい。
沙緒里さんもそれを理解しているのか、若干攻撃が激しくなったように思える。段々息が切れてくるが、俺は反撃と回避を続けた。速さを増した氷塊を寸前とところで避け、左手を捻りながら位置を調整する。長年積み重ねてきた下地が無ければこうはいかなかったろう。
「……さてと、それじゃあ一発かますか」
右手の光は眩く直接目にするのもきつい。これだけのエネルギーを一度に爆発させれば、あの吹雪を吹き飛ばした上に沙緒里さんにもダメージが通るだろう。特殊な造りをしていない建物なら簡単に破壊することもできる。
俺の攻撃を予見したのか吹雪の色が濃くなった。あの雪の結晶一つ一つが強大な破壊力を有している。あれで攻撃を相殺するつもりだ。
負けるつもりはない。確実に決める。
俺は右手を大きく振りかぶり、光弾を吹雪の壁ど真ん中に投げつけた。
光が白に紛れてかき消えた直後、一瞬閃光が走ったかと思うと耳を劈くような爆発音がフィールドに響いた。
爆風でよろめきそうになるのを踏ん張って耐える。粉々になった雪の残骸がきらきらと宙を舞っているのを見て、綺麗だなと場違いな感動が生まれる。
そして、爆心地にいた沙緒里さんはというと――。
「……本当に威力だけは凄いんだから参るわ。これほど防御に専念したのは初めてよ」
沙緒里さんは未だ立っていた。
爆発によって白い髪の毛が乱れ、幾分焦げている。肌にも傷ができ、服は胸から腰にかけて大きく破れていた。
それでも倒れるほどの傷はない。
「それでも私を倒すまでには至らなかったわね」
俺はもう一度右手にエネルギーを集中させようとして――すぐに止めた。
片膝をつき、そのまま地に顔を向ける。
深い呼吸を繰り返し、背中が上下する。
人がその様子を見れば、典型的な能力酔いの症状だと判断するだろう。
「やっぱりまだ本調子じゃなかったのね、能力酔いで倒れる前に一気に勝負をつけたかったのかしら?」
勝ち誇った笑みを投げかける沙緒里さん。
俺は前屈みになった姿勢で沙緒里さんを睨んだ。
「あまり無理しちゃ駄目よ。これから忙しくなるんだからダウンしている暇なんてないでしょう? 今度こそ降参しない?」
「……」
俺は無言で右手に再びエネルギーを集中させた。掌が光りだすが、その輝きは明らかに先程放った光弾に比べて幾分か劣っている。
「あれだけの攻撃を放てば大分消耗しているでしょう。もう一度撃つだけの力は残っていないはずよ。それにあなたの能力は感情の揺れで威力に差が出る。だからあんなにエネルギーを溜める必要があった。普段なら溜めなんて必要ないのにね。それで? 今の精神状態であとどれほど戦えるというの?」
彼女の言うことは尤もだ。俺の能力はその時々の感情によって効果にむらが出る。気力に満ち溢れているときは効果が大きく膨れ上がるが、気落ちしているとき等は著しく効果が下がる。今のように体調が万全でないときは戦うには向いていない。
「あなたは充分戦ったわ。誰もあなたを非難する資格なんて無いわよ。安心しなさい、悪いようにはしないから。後は私に委ねれば全部解決するの」
沙緒里さんは指先に冷気を生み出すと、その指を俺につきつける。
その冷気が俺に向けて放たれれば、無防備な俺の身体はたちまち凍りつくだろう。そうなれば融かすことも叶わない。それは俺の敗北を意味する。
「さあ、これでおしまい。なかなか良い試合だったわ」
そう言って沙緒里さんは指先の冷気を解き放つ。
その瞬間、風を切る音がした。
「……!」
沙緒里さんもその音に気づいたのだろう。すぐさま音のした方角――自分の背後を振り返ろうとした。
だが、彼女が対応するよりも俺の方が速かった。
振り返ろうと身体を捩らせかけた彼女の背中に巨大な影が衝突した。
「ぐ……!」
衝撃で吹き飛んだ沙緒里さんが宙を舞う。その最中、俺と視線が合った。今度は俺が勝ち誇った笑みを投げかける番だった。彼女の眼が驚愕に見開かれる。自分の身に何が起きたか理解できない状況下でも俺の策に嵌ったことだけは理解したらしい。困惑に満ちた眼はすぐに先程までの鋭さを取り戻す。
沙緒里さんはフィールドに叩きつけられる直前に力を振り絞って下方に向けて能力を発動させた。沙緒里さんの真下が一瞬で雪に覆われ、沙緒里さんはその上に墜落する。白銀のクッションに背中から叩きつけられた沙緒里さんは、そのまま飛び上がるような勢いで再び立つ。
しかし、後頭部への衝撃で脳がうまく働かないのか両脚がふらふらしている。今にも脚が縺れそうで、とても歩けるような状態ではない。
そして、俺はその隙を逃さなかった。足がフィールドを勢いよく蹴る。
沙緒里さんは俺の接近に気づいたが、能力を発動するより先に光を纏った俺の拳が彼女の腹に叩きこまれる。
身体をくの字に曲げた沙緒里さんは後方へと吹き飛び、雪に覆われていない裸のフィールドの上を滑った。
沙緒里さんは起き上がる様子を見せることなく倒れたままだ。身動き一つない。
辺りを見回すと制御を失った氷塊が次々にフィールドに堕ち、砕かれていく。吹雪は既に止んでいた。
5カウントを経た後も沙緒里さんは起き上がらない。近づいて確認してみると既に気を失っていた。
ふと視界の端に光を発見したのでその方向へ目を向けると、ホワイトボードに貼りつけた誓約書が光を放っていた。契約の効果が発揮された証だ。
俺は大きく息を吐き、策が成功したことに安堵した。
途中どうしようか迷った部分もあったが、どうにか巧くいって何よりだ。
しばらく経ってから沙緒里さんが呻くような声を上げた。
「ほら、大丈夫か?」
沙緒里さんの頬を軽く叩くと、間もなく瞼をゆっくりと開いた。虚ろな瞳は黒々として美しく、そこに普段の人を嘲るような色は無い。しばらく左右に眼を動かし状況を把握しようと努めているようだった。
「勝負はついた。俺の勝ちだ」
「……負けたのね」
輝く紙を眺めて沙緒里さんはぽつりと呟いた。
「まさか若い子にしてやられるとは思わなかったわ。礼司兄さんの子だから最大限警戒していたつもりだったのに」
「今回は巧く策が嵌ったのさ。力押しじゃ叶わなかっただろうな」
「そう、それよ。あなた一体何をしたの? 急に背後から何かがぶつかって……あれは何だったの?」
沙緒里さんの問いに、俺を肩をすくめた。
「沙緒里さんが生成した氷に決まっているだろう。一つ拝借したんだ」
「私の氷? 拝借したって……」
俺は右の掌から生成した光を細くして指に巻きつけた。それを意味深に振り回してみせると、沙緒里さんは合点がいったように息を吐いた。
「成程……糸ね」
沙緒里さんは理解したようだ。
そうだ、今回俺が用いた手は普段から使う技である糸を用いた至って単純なもの。
「私が生成した氷の一つに糸を巻きつけ、それを振り回して私に直撃させたのね。限りなく細い糸は氷の渦の中では目立たず、私の目を欺ける。巻きつけたのは恐らく光の壁を解除した後ね」
糸を生成したのは光の壁を生成するのとほぼ同時だ。あの時、左手から放ったエネルギーの一部を糸の生成に回していた。
そして、壁を解除した後、沙緒里さんが新たに生成した氷塊の一つに巻きつけたのだ。
糸を巻きつけた氷塊を破壊するわけにはいかないので、もう光の壁による防御は使えない。他の氷塊を破壊しつつ、操作を奪った氷塊の位置を調整していたのだ。
沙緒里さんは何故気づかなかったと悔やむように額を手で押さえた。
「……普通なら糸で氷を捕らえても、そこから気づかれないように立ち回るのは難しい。下手な動きでは捕らえた氷が他の氷に接触してしまう恐れがある。だから氷同士が接触しないように操作しながら器用に立ち回らなければいけないけど――あなたにはそれが可能だった」
「礼司さんから厳しく教えられたからな、能力の制御は」
「兄さんが口酸っぱく言っていたわね。あなたにとって障害物を避けるように糸を操作するくらい訳のない話」
「それに氷を奪っても沙緒里さんにはわからないだろうと思っていた。あんたは能力の制御がそれほど得意じゃない。あんたの戦法は“点の一撃”より“面での圧倒”を優先する。良くも悪くも大雑把なんだ。氷を一つ一つ細かく制御しているわけじゃないから、その内の一つが制御を失っても気づかない」
沙緒里さんの周囲に浮遊していた氷塊は規則的な軌道を描いていたのに対して、彼女から離れた場所に浮かぶ氷塊はこちらを威嚇するように無軌道に動いていた。このことから身体から離れた場所の氷は制御が甘くなるとすぐに見抜けた。
後はその内の一つを奪ってから攻撃のタイミングを見計らうだけだった。糸を伸縮させつつ氷塊を操る。
この時、沙緒里さんに糸を操る左指の動きに気づかれないように全身を激しく動かした。派手な動きは目くらましのためだ。そうして指の動きに気づかないように仕向けた。
勝負は一瞬だった。沙緒里さんの意識を俺へと集中させ、糸を縮めながら左手を振る。丁度氷塊が沙緒里さんの背後に激突するように。
もし、気づかれていれば氷塊を消滅させられていただろう。そして、二度と通用しなかった。まさに一回限りの策。
最後に物を言ったのは運だった。
「俺の勝ちだ、話してくれるな? あんたの知っていることを、全て」
「ええ……いいわ、約束に従いましょう」
沙緒里さんはゆっくりと頷いた。