御影沙緒里との対決 ‐宣誓‐
沙緒里さんが発した言葉は案の定嫌な予感を裏付けるものだった。
「本気で言っているのか?」
「別段おかしなことを言ったつもりはないわよ? こうした揉め事は決闘で解決するのが常道でしょう?」
沙緒里さんは懐から一枚の紙を取り出した。一瞬例の委任状かと思ったが違う。取り出した紙は淡い黄色の光を放っている。それが何なのかはすぐにわかった。
「宣誓書?」
沙緒里さんが言う常道とは血統種社会におけるローカルルールに過ぎない。この国の法は暴力による問題解決を推奨していないのだから。
血統種は純粋な人間と同じ方で縛るのが困難な存在だ。その特殊性故に血統種のための特別法が設けられているのだが、これがまた微妙な扱いを受けている。
血統種犯罪は能力の性質の如何によっては暴力を用いて解決するほかないケースが多々ある。そのような問題に対応するため血統種間の戦闘行為は恣意的な判断をされやすい。
凶悪な血統種犯罪者に対して殺害という形で解決することは珍しくなく、苛烈な捜査が原因で国から指導を受けることは全くと言っていいほどない。血統種犯罪に関する全ての裁量権は事実上『同盟』の手にあるのだ。その現状に文句をつけるのは社会派を名乗るジャーナリストや学者くらいのもの。言葉を取り繕わずに言ってしまうなら“血統種の問題は血統種で好きに解決しろ”というのがお上の方針である。
そんな事情から『同盟』所属の血統種もこれら特殊な法の下で活動しているのだが、この組織には古くから続くある慣習がある。
それが決闘である。
血統種は良くも悪くも個性的な者が多い。主義主張の違いで衝突するのは日常茶飯事。議論や交渉で解決を試みるも平行線を辿ることは少なくない。そのような場合は決闘を執り行って裁定するというのがここでの慣わしだ。
決闘で裁定する内容は私事に限定される。捜査方針に対する不服を理由とした決闘は認められていない。あくまで私的な要求のみに適用される。
と、このように一定の格式に則って運用されているかに見えるが、実際のところこれは祭騒ぎの真似事だ。血の気の多い『同盟』の物好きたちが賭け試合を合法的に行うために用意させた制度というのが正体で、彼らは職員同士のトラブルをこぞって決闘の種にした。
例えば、こんな決闘が過去に起きた。三十年ほど前、当時新進気鋭の若手だった草元さんに齢十三という幼さを残す凪砂さんの母親が決闘を挑んだ。賭けの内容は『交際の受け入れ』。まだ子供だからとプロポーズを度々受け流した草元さんに業を煮やした彼女が、交際の権利を賭けたのだ。相手が子供であろうが『同盟』に籍を置いているならば申請は有効として決闘は成立した。
結果はどうなったか、それは凪砂さんの両親がその二人であることから察することができる。
さて、決闘に関してもう一つ重要な要素がある。
賭けの清算だ。
勝負の結果に応じた権利関係の移動は絶対的だ。何人たりともその裁定に逆らうことは許されない。その強制力を発揮するために必要なのが“宣誓”である。
決闘に参加する者は開始前に賭けの内容を明記した宣誓書にサインしなければならない。この宣誓書は契約型と呼ばれる種の能力を保有する血統種によって生成される。
契約型の能力には複数人の間で交わした契約の内容を遵守させる効果がある。強制的に遵守させる効果か、契約内容に反すればペナルティが与えられるような半強制的な効果なのかは、個々の能力によって差異がある。ただし、強制するタイプであっても遵守が不可能な状況になればペナルティを与えられるのが普通だ。保有者によって能力の仕様がばらばらなのであらゆる契約を一律に任せるのは難しいが、場面によって重宝されることが多い。決闘に用いられるのは強制的な効果のある契約だ。
こうして聞くと強力な能力のように思えるが、他の能力の例に漏れず制約が厳しい。特に他者の行動を制限するという効果の特性上その制約は他種の能力のそれを大きく超える。
まず、宣誓書は存在する限り保有者のエネルギーを消費し続ける。そして、契約に際して当事者全員が契約の対価を提示しなければならない。この“契約の対価”というのが一番面倒で、対価が釣り合わなければそもそも契約が有効とならない。また、何をもって釣り合うとするかは当事者間の認識に左右される部分が多く安定性に著しく欠ける。ビジネスの場で用いれば認識の齟齬が曝け出される恐れがあるので気軽に使うには難があるのだ。
残念な話であるが契約型の能力は司法取引にも使えない。何故かといえば司法側が対価を支払えずにペナルティを受ける恐れがあるからだ。
ある犯罪組織の構成員に司法取引を持ちかけたとする。その構成員は減刑と身柄の保護を要求して、それを契約の対価とした。ところが、組織の追手が構成員を口封じのため殺害したとすると、その時点で契約内容に違反したとみなされる。相手方は生命の保護という契約を違えたとしてそれに応じた代償を支払わなければならない。ペナルティが完遂された後生きてさえいれば充分儲けと言える。
そういったわけで、宣誓書による契約はプライベートな約束間でしか使われないのが普通だ。
普通なのだが――。
「宣誓書なんて持っていたのか?」
「いつ使うときが来るかわからないから。幹部クラスは大抵一枚くらい持ち歩いているわよ」
宣誓書は事前に生成していれば誰にでも使用でき、必ずしも能力保有者が契約の場に同席しなければならないことはない。
「……それに昨日あなたと話した後で多分使うことになると思っていたから。反抗期の子供に言うことを聞かせるには丁度いいでしょう?」
「珍しいな、あんたがそんな風に誘ってくるなんて」
「仮眠して体調は多少良くなっているんでしょう。軽く戦ってみない? まあ、少しくらいは手加減してあげる」
沙緒里さんの余裕は強者特有のそれだ。数々の修羅場を潜り抜けてきた猛者であるからこその自信の表れ。それは決して油断などではない。
とはいえ、それは俺にも言える話である。数で劣れども戦い慣れしているのはこちらも同じだ。
「むしろ手加減した方がいいのは俺の方じゃないか? 本当に戦って大丈夫なのか? 激しい運動は控えるように言われているんだろう」
俺の言葉に沙緒里さんの表情が少し歪んだ。
「ふうん、訊いたのね」
「さっきは不審に思わなかったが、あんたが医務室に行く用事なんて無いはずだ。それで気になって訊ねてみたら予想通りだった」
沙緒里さんは医者から血統種用の精神安定剤を処方してもらっていた。この事実は慎さんですら知らない。俺が数十分に渡って問い詰めた結果、渋々といった様子でようやく医者が語ってくれたからだ。彼は患者のプライバシーを優先したがっていたが、これから近い内に沙緒里さんが過酷な任務に従事することを説明すると、事実を知る者が必要だと納得してくれた。
沙緒里さんが薬の服用を始めたのは景之さんが亡くなって間もなく。一日二回の服用で砕けそうになる精神を繋ぎ止めていたとのことだ。時折エキセントリックな言動が見受けられたのは薬の副作用で気分が高揚していたかららしい。ただ、興奮すると周囲に当たり散らす恐れがあるので激しい運動は控えるよう言いつけていたらしい。
成程、沙緒里さんが夫の死後に警備部を強化したのは、これが理由の一つだったのだ。警備部の権限を大きくすれば、事が大きくなる前で裏で対処できるようになる。そうなれば自分自身が出動する機会を減らせる。秘密のカモフラージュと実益を兼ねていたというわけだ。
「本当は屋敷が襲撃された時も無理していたんだろう。絶対に本心を晒そうとしないからな、あんた」
沙緒里さんは普段は見ないような神妙な面持ちをしている。俺の言葉に思うところがあるのだろうか。しかし、その顔には絶対に野望を諦めないという執念が僅かに見てとれた。
「無理をしているのはお互い様じゃない?」
「……それもそうか」
一年半前のあの事件からずっと心に影を引き摺っている俺が言えた義理ではなかったか。
「さて、どうするの? やる? やらない?」
「そうだな、やろう。いい加減あんたに弄ばれるのも飽きてきた。確かに喧嘩が一番手っ取り早い。それに――」
俺は沙緒里さんの顔を見据える。
「最高幹部に勝るとも劣らないと言われる歴代最強の警備部長を叩きのめすのも一興だ。話のタネになるだろう」