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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第七章 三月二十九日 後半
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被験体第一号

「五月と浅賀善則の関係を知った後、私は浅賀について情報収集を指示したわ。医療コンサルタント会社の経営者、鷲陽病院の元副院長といった事実はすぐにわかったけど、五月とどうやって知り合ったかは不明瞭だった。そこで奴の人間関係を徹底的に洗い出すことにしたんだけど……私があの人と出逢ったのはその最中よ」

「まさか……浅賀の関係者の中に信彦氏の名前もあったんですか?」


 草元さんの言葉に沙緒里さんは頷く。


「ええ、あの男は医療関係者や魔物の研究者を中心に多くの人材を勧誘(スカウト)していたみたい。流石に『同盟』に所属している研究者に話を持ちかけるのはリスクが高かったのか、彼の他に勧誘された人はいないようね。そして、あの人を調べている内に鷲陽病院と桂木鋭月に接点があったことを知り、そこで浅賀が鋭月一派であったことがほぼ確定した」

「ちょっと待ってください。信彦殿は浅賀の正体をご存じだったんですか?」

「……ええ、あの人は全て知った上で浅賀に手を貸していたの」


 部屋の空気が一瞬にして緊張に満たされ、全員の表情が険しくなった。

 特に初音さんの反応は著しかった。『同盟』の研究部門の長にして信彦さんが勤めていた研究所の所長を兼任する彼女にとってみれば、部下の背信は看過できない。


「じゃあ何だ? 信彦は『同盟』を裏切って鋭月一派に寝返ったのか?」

「それは違うわ。鋭月一派(・・・・)ではなく浅賀の(・・・)仲間になったの」


 沙緒里さんは蘭蔵さんの言葉を訂正する。それの意味するところを理解して恭四郎さんが眉を上げた。


「ふむ? 浅賀個人に対して協力していただけで、鋭月についたわけではないと?」

「それを“『同盟』を裏切った”と表現するのであれば、まあ裏切者と言えなくはないわね」

「結局のところ、どういうことです?」

「要するにね、浅賀は鋭月が消えたのをいいことに自己の利益のためだけに動こうとしていたのよ。里見修輔ら鋭月の側近もいなくなっちゃったから」

「ほう、鋭月から離反したと? 考えられなくはないですね」

「……お前それをずっと黙っていたのか? そんな大事な話を?」


 蘭蔵さんがひと睨みするが、沙緒里さんは笑って肩をすくめた。


「捜査の一環よ。必要なら後から報告書を出すけど?」

「そもそも、浅賀は何のために人材を集めていたんですか?」

「鷲陽病院で秘密裏に行っていた研究を再開するためよ。火災現場の建物の地下に研究施設が設置してあったの。それが火災で焼失して、スタッフも大半が死んでしまったから」


 鷲陽病院に隠された研究施設の話題は多少関心を惹いたが、本題の方に気が向いているため深く話を訊こうとする者はいなかった。


「……しかし、わざわざ『同盟』の研究者にまで声をかけるのは意外ですね。リスクを負ってまで研究を再開する理由でもあったのですか?」

「それは……やはり鋭月が研究を命じていたくらいですから、それだけ大きな目的のある研究だったのではないですか?」」

「で、貴様はそれを探るために信彦に取引を持ちかけたんだな?」

「ええ、浅賀の情報を渡すことと引き換えに、奴に協力したことを不問にすると。ただ、あの人は取引を受け入れる代わりに条件を出したわ」

「条件……ですか?」


 初音さんが訝しげな顔でオウム返しすると、沙緒里さんは指を一本立てた。


「第一に、自分が浅賀に協力した“見返り”が得られるまで手出ししないこと。それが成されるまでは奴の情報を裏でこちらに流すことだけに留めると」

「見返りってのは何だ? 金か? それともブツか?」

「それはわからないわ。彼は語ろうとしなかったんだもの」


 慎さんはこの言葉にも欺瞞が潜んでいると悟った。沙緒里さんはわからないと言ったが、予想できないとは言っていない。恐らく彼女は見返りの正体をとうに推察できている。ただ、裏付けが取れていない故に“わからない”と表現しているに過ぎないのだ。


「で、第一ってことは、他にも条件を付けたんですよね? それは?」


 草元さんが先を促すと、沙緒里さんは急に渋い顔になって指をもう一本立てた。


「二つ目、皆知っての通り私と結婚すること。慎が盗み聞きした話の内容よ」

「信彦さんはあなたに切り捨てられる可能性を恐れたんでしょうね。万が一そうなってしまえば自分はともかく娘にまで危害が及ぶ恐れがあった。むしろ後者を守る方が目的だったのでしょう。御影家に籍を置けば、何かあっても誰かが対処してくれる希望がある」

「寧の小娘あたりなら勝手に動きそうだな。それにその頃は礼司もまだ生きていた」


 草元さんと蘭蔵さんの推測に、慎さんも内心同意した。確かに御影家を巻き込むなら礼司さんに頼れる見込みがある。仮に沙緒里さんが切り捨てたとしても一縷の望みがあったわけだ。


「付け加えるなら、結婚を提案したのは沙緒里さんを牽制する目的もあったのでしょう。信彦さんの身に何かあれば自然と沙緒里さんに注意が向きますから。彼が娘の彩乃さんを気にかけていたように、沙緒里さんは慎さんを気にかけている。息子が余計なトラブルに巻き込まれるのは望まないでしょう」

「あの人の主張はよく理解できたけど、流石にプライベートにまで踏み込んでくるのは許容できない問題よ。結局、話し合いの末に表向きの関係だけに留めるということで妥協したけど」

「……条件を受け入れたってことは信彦殿から情報を引き出せたんですね?」


 恭四郎さんがそう言うと、全員の視線が沙緒里さんに集中する。

 だが、沙緒里さんは乾いた笑みを浮かべた。


「何を期待しているのか一目瞭然だけど先に謝っておくわ。浅賀善則の居所は訊きだせなかったの」

「何だと?」

「より正確に言うなら、あの人も知らなかったのよ」

「知らない? 浅賀の協力者なのに?」


 どこか責めるような調子で問われた沙緒里さんは、それを軽く受け流した。


「あの人は浅賀から指示を貰っていただけで、奴のアジトには一度も足を踏み入れたことが無かったの。勝手に探れば予定された報酬は無しと言い含められていたらしいわ。下手に不興を買いたくなかったから従ったみたい」

「じゃあ、その辺を詳しく訊こう。浅賀から受け取った指示ってのは何だ?」


 沙緒里さんは少し間を置くと、聴き手が内容を咀嚼しやすいようにゆっくりと語りだした。


「……浅賀は魔物の生態に関する研究を行っていて、その研究の一部を委託していたの。『同盟』の研究所で、同じく魔物の生態について研究しているあの人にね」

「先程も魔物の研究者を集めていたとお話していましたが、私も職業柄興味が湧きますね」


 信彦さんの上司である初音さんが瞳の奥を輝かせる。普段は物静かな雰囲気を漂わせる彼女が、こと自分の専門分野に関する話題に至っては饒舌になるのは誰もが知っていた。


「『同盟』に勘付かれる危険を冒してまで委託する研究って……余程のことでしょうね」

「一体何ですか、その研究というのは?」


 訊ねられた沙緒里さんは面白そうに口の端を吊り上げた。


「……浅賀が研究していたのは新たな魔物を造りだす研究よ」

「新たな魔物?」

「人為的に新しい種の魔物を生み出す研究――」

「人為的……? それはつまり遺伝子操作っていう感じの?」


 沙緒里さんは首を振った。


「そうではなくて、血統種の能力によって魔物の肉体を一から再構成するの。そうして本来の能力とは別の能力を有する新種の魔物をその場で生み出す。そんな研究よ」


 沙緒里さんの口から放たれた言葉に会議室は沈黙に包まれた。それはそうだろう。この話を慎さんから聞かされた俺とて各務先生の証言が無ければ信じなかった。


「……念のために訊いておくが、それは正気の上で言っているんだろうな?」

「勿論よ。冗談でもないわ」

「能力を改変……? そんなことが――」

「可能になってしまったのよ。浅賀が鷲陽病院にいた頃の研究によって。これがどんな意味を持つのか、あなたたちなら理解できるでしょう?」


 新たな魔物を造りだす。それがどんな状況を齎すか、それを理解できない者はその場にいない。

 『同盟』は長年に渡って魔物と戦い続け、徐々に魔物の生態について知識と理解を深めていった。かつては多くの死傷者を出した戦いも、現代においては、事前の調査と過去に収集したデータとの照合によって有効な対策を練ってから討伐に挑むのが常だ。そうすることで戦いの中で生じる死者は年を追う毎にその数を減らしていった。


 だが、ここに過去に例を見ない能力を有する魔物が現われた場合、有効な手立てを打ちにくい。それが複数出現したとなれば余計にだ。浅賀の研究が導く未来はそんな危険な可能性に満ちている。

 どれだけ情報を集めようとも、それが通用しない魔物が次から次へと現われる。それが悪意ある血統種の手によって軍勢として束ねられていれば? 一体どれだけの被害が生じるのか想像したくない。


「この話はあの人から裏も取っているわ。まず間違いないわ」


 皆は一様に黙り込み、それぞれ考え込むような仕草を見せた。

 そんな中、受けた衝撃が小さかったのか辰馬さんが声を上げた。


「それで信彦は浅賀からどんな指示を受けたのだ?」

「委託された研究は至ってシンプル。研究所に納入された実験用の魔物を、浅賀が用意した被験体とすり替えた上で通常通りの実験を行うというもの」

「実験用の魔物をすり替えたんですか!?」


 寝耳に水だとばかりに初音さんが仰天する。まさか自分の研究所でそんな真似が行われているとは夢にも思わなかったのだろう。


「よく今まで気づかれずに済みましたね。初音殿ならそんな魔物がいれば怪しむと思いますが」

「すり替えた魔物には本命の能力改変まで施していないから。細かい身体能力の変化のみに留めて通常個体との差異を見るのが目的だったみたい」


 身体能力のみの変化であればその差異に気づかれたとしても精々珍しいと思われる程度で、まさか肉体を造りかえられているとは誰も思わない。何でも肉体の再構築に副作用があるかを確認するための実験だったらしい。


「造りかえられた魔物ですか。それが本当なら是非ともお目にかかりたいものです」

「勘弁してください。前例から対応策を練られないのは困ります」


 興味津々といった様子の恭四郎さんに対して、草元さんは頭を抱えた。元来苦労性の彼の脳裏には嫌な未来が浮かんでいるのだろう。凪砂さんが何かやらかす度に胃を痛めていたとも聞く。


 一方、初音さんは先程の衝撃から立ち直り、恭四郎さんと同じく造りかえられた魔物に関心を寄せていた。


「それにしてもそのすり替えた魔物を私自身の手で調べてみたいですね。何か面白い発見があるかもしれません」

「ああ、残念だけど現在研究所で管理されている魔物の中に被験体はいないわよ。もう殺処分されたと聞いているわ」

「ああ、そうですか。それなら仕方ありませんね」

「だが、実験のデータは残っているのだろう? 信彦の奴もデータを処分してはいまい。疑われる要素を増やすだけだからな」

「まあ、そうですけど。でも、できるなら私の目で観察してみたかったんです。がっかりですね」


 そう言って初音さんは肩を落とす。


 新たに爆弾が投下されたのはその時だった。


「そんなに調べたいなら調べてもいいけど?」

「へ?」


 初音さんは調子の外れた声を出した。


「あら、どうしたの。そんな呆けた顔しちゃって。顔にパイを叩きつけられたみたい」

「調べてもいいって、あの、被験体は全て殺処分されたんですよね?」

「ええ、研究所で(・・・・)管理されている分は(・・・・・・・・・)ね」


 沙緒里さんはにっこり笑った。


「初音は知っているんじゃない? あの人が実験用魔物の内一体を引き取った話。確か前の奥さんが亡くなった後じゃなかったかしら。彩乃がショックを受けて落ち込んでいたから、どうにか元気づけてやりたいと思って引き取ったのよ。それが浅賀から引き渡された魔物だったってわけ」

「待って、待ってよ母さん、それって――」


 慎さんは予想外の事実に顔を強張らせていた。

 何故なら自分はそれをよく知っているからだ。義妹が普段から愛情を注いでいる魔物。信彦さんが研究所から引き取った元実験動物。


「ええ、あなたもよく知っている子。浅賀が研究所に送り込んだ被験体第一号、今の名はトリス。我が家の愛くるしい家族(ペット)よ」

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