魔女裁判
慎さんは事前に俺から情報隠蔽について知らされていたことに心の中で感謝した。ここで初めて知らされていたなら冷静さを保つことができなかっただろうと。
「隠蔽だなんて……冗談も程が過ぎるわよ」
「冗談をほざいているのは貴様だ。辰馬は全部告白したぞ。天野五月と浅賀善則が密会していた事実、その情報を貴様から密かに与えられたこと。ついでに倅がヘマをやらかした件もな」
「倅って……章のことですか?」
章さんの名前が出たことを、慎さんは不思議に思った。
「ああ、貴様は知らんのか」
ここで蘭蔵さんが辰馬さんから告白された事実を説明し、初めて章さんが仕出かしたことを知るに至った。
「まったく、御影家ときたらどいつもこいつも面倒事ばかり持ってきやがる。最上の小僧を引き取った時もそうだ。礼司の奴、勝手に単独行動をとったくせに後から事後処理を押しつけやがった。あの時どれだけ俺が苦労したと思っている」
「蘭蔵さん、その話は……」
草元さんが蘭蔵さんの口を塞ごうと割って入るが、蘭蔵さんはふんと鼻を鳴らした。
「あの小僧を引き取った背景にごたごたがあったのは皆予想がついているさ。敢えて追及しないだけだ。そして、俺はその件で一番割を食った立場だ。マスコミ対策も俺の仕事なのは知っているだろう。人を便利屋扱いしやがるんだから、小言の一つや二つ許されてもいいと思うがな」
「それはそうですが……」
「あんたも例外じゃないぞ草元。あんたの娘にも学生時代は散々迷惑をかけられたからな。『同盟』が極秘に追っていた案件に首を突っ込んで、竜に乗って敵地に突っ込んだのは良い思い出だよなあ?」
「……すみません。その節は大変お世話になりました」
過去に凪砂さんが起こした騒動のフォローをしてもらった手前、草元さんはそれ以上何も言えずに引き下がった。
「そういうわけだ。沙緒里、これをどう説明する? 貴様は浅賀が勤務していた病院が対立派と接点があることを把握していた。何故、報告しなかった? 都竹蓮にしろ最上の小僧にしろ対立派と繋がっている疑いのある奴等に関して余すことなく報告しろと通達があっただろう」
「ええ、だから辰馬兄さんに報告したでしょう? 何か問題あるかしら?」
「思考まで凍りついたか? 貴様の頭蓋骨の中には冷凍ミカンでも詰まっているのか?」
「私は手柄を兄さんに譲ろうと思っただけよ。ほら、兄さんって能力に恵まれなかったことにコンプレックスを抱いているでしょう? だから兄さんの名誉のために一肌脱ごうと思って。兄妹愛ってやつよ」
慎さんは肩をすくめながら微笑む母親に焦りを覚え出していた。人の感情を逆撫でするような言動が目立つ彼女であったが、喚問の場で不敵な態度をとったのはこれが初めてだった。一体何を考えているのかと不安が込み上げてきた。
一方、辰馬さんは妹の当て擦りに苦い顔をしていたらしい。
「貴様が一肌脱ぐなんて考えただけでも悍ましい。いつからそんな献身的になった?」
蘭蔵さんはその言葉を真に受けることなく、沙緒里さんの顔を睨みつける。
この二人はとにかく仲が悪いことで有名だ。その理由は、沙緒里さんが掌握する警備部が事実上『同盟』から独立している諜報機関と化していることにある。
蘭蔵さんは表沙汰にはできない揉め事を裏で処理する部署を率いる立場にある。彼の部署が警備部とは水と油の関係にあるのだ。
というのも、警備部は情報収集の名目で違法すれすれ、あるいは片足を突っ込んでいるような行いを平然と行う。そこで生じたトラブルは燃え広がる前に消すのが常だが、時折後始末が間に合わないことがある。それを代わりに引き受けているのが蘭蔵さんなのだ。
彼にとってみれば沙緒里さんがトラブルを持ち込んでくる問題児であり、どうにか厄介払いしたいと日頃から愚痴を零している。
そんな間柄であるから、今回沙緒里さんの問題行動を知った彼は嬉々として詰っているわけだ。
「……横から失礼するよ。このままじゃ話が進みそうにないからね」
蘭蔵さんに任せていては進行に弊害が出ると考えたのか、恭四郎さんが口を挟んだ。
「沙緒里殿、あなたは天野五月と浅賀善則の関係と、章殿の不正について脅迫されていた事実を全て承知していたでしょう? そして、辰馬殿にだけこっそり情報を渡して裏で処理させようとした。辰馬殿を後で操る材料にするために。辰馬さんがそのまま秘密を葬ってしまえば、もうあなたに逆らうことはできない。警備部を敵に回そうと考える人はいませんから」
「つまり、貴様は最上の小僧たちを巡るいざこざを自分の地位強化に利用しようとした、というわけだ。まったく女狐らしい発想だ。わざわざ他者の弱みを握るなどな」
慎さんは納得した。如何にも母らしいやり口だと。
沙緒里さんは決して“脅迫”という卑劣な手段には走らない。ただ、相手が事実を充分に認識できるように情報を与えるだけだ。そうして相手側から勝手に彼女に便宜を図ってくれるようになる。それが御影沙緒里という人物だ。
「……嫌だわ、よりによって実の兄を脅迫しようとしただなんて。いくらなんでも酷過ぎるわよ。何故、そんなことをする必要があるの?」
「そう、理由だ。理由があるはずだ。貴様は必ず目的を持って行動する。では、辰馬を言いなりにするネタを欲しがった理由は何か? 地方支部の内部情報を流してもらうため? 無いな。それなら適当に下っ端職員を見繕うだろう。貴様は基本的に身近な奴に対して手の内を明かさん。いくら辰馬に情報が集まるからといっても、だから奴を傀儡にしようとは思うまい。敢えて避けることを選ぶだろう。そういう女だ、貴様は」
「ふうん、じゃあ何のためだと?」
「……」
蘭蔵さんはじっと鋭い眼差しを向けるだけで無言だった。
見当がついているのか、そうでないのか。慎さんは態度から胸の内を読もうとしたが無理だった。
「まあ、いいわ。それで話はそれだけかしら」
「それで終わるわけが無いだろう。貴様この始末をどうつける?」
「どう、って何が? 確かに私は章の不正を突き止めていたわ。でも、見逃した記憶はないわ。ただ、最終判断を他の人に委ねただけよ。由貴にも訊いてみなさい、あの子にも対処を勧めたから」
その言葉に反応したのは恭四郎さんだった。
「ああ、それで由貴殿が暴くに至ったのか。ですが妙ですね、あなたが彼に情報を与えるのは」
「別におかしいことじゃないわよ。由貴は当主補佐として礼司兄さんが遺言で指名しているんだから。遺言の内容が有効ならあの子が補佐で決まりでしょう?」
何かおかしいかと言うように沙緒里さんは首を傾げた。
しかし、彼女の言動は普段のそれとは全く異なっているのは誰もが理解していた。
「……由貴さんが当主補佐であるとお認めになるのですか? あなたが?」
「何か問題でもある?」
「おいおい、あれだけ慎を推薦していたのにどういう心変わりだ。普段にも増して意味不明だぞ」
「由貴が補佐になることに異論は無い、そう表明しただけ。あの子にも説明済みよ」
この話は慎さんにはまだ話していなかったので、彼はここで初めて知ることになった。訳がわからない、と内心の混乱を隠すのに必死だったという。あれほど上に登り詰めるための足掛かりにと手を回していたというのに、どんな変心だというのか?
「それは……少々意外ですね」
「ははあ、読めたぞ。貴様あの小僧も取り込む気だな」
蘭蔵さんの指摘に慎さんは納得した。ここから俺を再び引き摺り下ろすのは至難。それなら味方につけるのが得策だ。
だが、今までは敵対関係にあった両者だ。そう簡単に良好な関係を築けるとは思えない。
その上で俺を自分の陣営に取り込める自信があるとすれば――俺を説得できるだけの何らかの手札があるはずだ、と慎さんは考えた。もしかすると、それは昨夜俺を部屋に呼んだ時に明かしているのかもしれないと。事実それは正しかった。
「邪推は自由だけど理解してもらえた? 私が章の弱みを脅迫材料にする気なら由貴に明かすわけがない。あの子の性格からして間違いなく追及すると読めるんだもの」
「……そうですね」
草元さんは完全に納得した様子ではなかったが引き下がった。
だが、慎さんはこの主張に欺瞞を感じ取った。
恐らくそうではない。沙緒里さんは別にどちらでもよかったのだと。彼女の本命は他のところにあり、これらは些細な事柄に過ぎないのだ。
ここで慎さんはどうするのが正しいか決断を下すことにした。
既に俺や凪砂さんが沙緒里さんの動向について調べていることは、彼も知っている。このまま放っておけば、いずれ謎は解き明かされるだろう。
ならば、自分はどうすべきかと思案する。母親を庇うべきか? ノーだ。問題行動で目をつけられている者を庇うのは道理に反する。たとえ実の母親であっても不始末は片づけねばならない。
ここ数年は特に地位を盾にして強権を振りかざしていたことは、噂でよく聞いていた。ほら沙緒里がまた何かやらかしただの、こんなことを企んでいるだの、そういった話を耳にする度に肩身の狭い思いをしてきた。皆が自分に同情の視線を送ってくることに羞恥心を覚えつつ、それでも肉親の情を捨てられずに見過ごしてきた。
だが、もう限界だ。一連の事件で御影家は大きく揺れている。ここで何らかの不祥事が明るみに出れば、ただでは済まない。
これを阻止する方法は一つ。章と同じように地に落とされる前に、自らの手で解決へと導くしかない。これが最後のチャンスかもしれないのだ。
辰馬さんは息子の罪を暴露することを選んだ。自分もその行動を見習うことにした。
「すみません、発言の許可を」
「どうしたんだい、慎くん」
「本件との関連性は不明ですが……実は母の行動には腑に落ちない点が他にあるのです」
慎さんの発言に一同はそれぞれ異なる反応を見せた。
草元さんは一瞬目を細めてからすぐに元の表情になった。蘭蔵さんは息子が母親を告発する意思を見せたことに面白そうな顔をつくり、恭四郎さんと初音さんは無言で顔を見合わせた。辰馬さんは特に意外に思わなかったのか、ただ小さく息を吐いて首を振った。
そして、沙緒里さんはというと――ただ妖しく微笑んでいるだけだった。息子の意図は理解できているだろうに、一切の動揺を見せることなく、子供の成長を喜んでいるかのようであったという。
「ほう、母親を切り捨てるか。大した決断じゃないか。おい女狐、貴様倅の教育だけは間違えなかったようだな」
「蘭蔵さん、話を進めましょう。それで何が気になっているんだい?」
「実は――亡くなった信彦さんのことで」
慎さんが沙緒里さんと信彦さんの真の関係について語ると、やはり幹部四人の表情が強張った。五月さんと浅賀の件に続いて、またしても情報の隠蔽が暴かれたので当然の反応だ。
「興味深い話だ。あの事件の直後にそんなことがあったのか」
「……沙緒里さん、慎くんの証言について何か異議はありますか?」
草元さんが静かに訊ねると、沙緒里さんは余裕のある笑みを浮かべた。
「そうね。結論だけ言えばこの子の証言に間違いはないわ」
「納得のいく説明をお願いしたいですね。何故、信彦さんとの関係を偽ったんですか?」
「さて……どうしようかしら。正直あまり話したくないのよね」
この時、沙緒里さんは何故か慎さんの様子を窺う素振りを見せた。息子を見る彼女の表情はどこか愉しげであり、それが不安を掻きたてる。これから何かとんでもない爆弾を落とすと宣言しているかのようであった。
「それが通用すると思っているのか? さっさと吐け」
「まあ、話せと言われれば話すけど……後で文句は言わないでね?」
意味深な母親の言葉に余計不安を募らせる慎さんだったが、まずは彼女の供述に耳を傾けることに専念する。
そうして語られた事実は、慎さんを驚愕させるのに充分だった。