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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第七章 三月二十九日 後半
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魅惑の葉

「ガリナ? 勿論知ってるぜ。注目されるずっと前から家で独自研究を始めていたからな」


 俺たちは西口と一緒に取調室の椅子に座り、机を挟んで対面している。付き添っていた捜査官たちには簡単に事情を説明し出払ってもらった。


「じゃあ、ガリナにどんな効果があるかは……」

「俺を誰だと思ってるんだ? 研究に関しちゃあの手この手でガンガン進めていたんだ。もうとっくに資料に纏めてる」


 西口は自慢げに鼻を鳴らす。

 当たりだ。この男を事件に巻き込んだ田上静江には感謝しかない。


「それで? ガリナがどうかしたのか?」

「実は……」


 俺はガリナの葉が詰まった箱が御影家の敷地内から発見されたことを教える。西口はその話を聴いた後、納得したように頷いた。


「ああ、そりゃ多分誘引効果が目的じゃねえか?」

「誘引効果?」

「ガリナの葉にアランドリンを加えると化学反応を起こして魔物を惹きつける香りを出すんだ。興奮作用もあって誘導したいときに使える」

「アランドリン……?」


 初めて耳にする単語だったのだろう、雫が首を傾げた。


「アランドリン――一九八〇年代に発見された生体物質だ。確か異界産の植物の研究をしている最中に発見されたんじゃなかったか?」


 中学時代に受験勉強をしていた時、化学の教科書に載っていたのをおぼろげに憶えている。この世界には元々存在しない物質だ。


「そのアランドリンとガリナの葉が合わさると匂いを出すのか?」

「そうそう、人間や血統種に害は無いけど、魔物はこの匂いに滅茶苦茶引き寄せられるんだ。一部の魔物は狂暴化してさ、かなりやばいんだよね」


 魔物の狂暴化――その言葉が一つの可能性へと辿り着かせた。


「……まさかあの箱が?」


 魔物が一斉に襲撃してきた原因がガリナの葉にある。西口から得た情報は、それを示唆していた。


「てっきり魔物を使役する能力を持つ誰かの仕業だと思っていたが、そうではなくガリナを使って魔物を呼び寄せたと?」

「いや、あれだけ多くの魔物を引き寄せるには、充分に匂いを拡散させる必要があるし……」

「逆に言えば、匂いを遠くまで届かせるような能力を持つ奴がいればできるな」


 例えば、空気の流れを操る能力。“天候操作”を受け継ぐ御影家にとっては馴染みの深い能力である。“天候操作”は効果範囲内の空気に干渉して特定の気候を再現するため、空気の流れに干渉する効果も当然に有している。御影家では隼雄さんがこの技術に卓越している。


「しかし、回収された箱からアランドリンが検出されたなんて話は無かったような……」

「ああ、少なくとも狸くんが持ってきた箱からは検出されていない」


 トリスは匂いに釣られて箱を回収したわけではなさそうだ。単に好奇心からだろう。


「じゃあ、この箱は未使用の状態?」

「そうなるな……他にもこれと同じ箱があったのか?」


 雫と凪砂さんが話し合う横で、俺は別のことを考えていた。アランドリンについて西口に確認したいことがあったのだ。


「……なあ、そのアランドリンって魔物の生態を研究する機関なんかで使われているのか?」

「ああ、それが?」


 やはり、と俺は小さく呟いた。

 信彦さんは魔物の研究者。つまり、アランドリンは彼が勤めていた研究所にも保管されているということだ。そして、ガリナ自体も研究所にあることは既に判明している。


 両方を簡単に用意できる人物は、殺害された信彦さんだけだ。その事実は俺の推理を上の段階へと押し上げる。


 もし、襲撃を計画したのが(・・・・・・・・・)被害者たる信彦さん(・・・・・・・・・)自身(・・)だとしたら――。


 昨夜慎さんと彩乃から秘密を明かされた後に思いついた説が頭に過る。

 “犯人が最初から信彦さんを殺害するつもりだった”――それが俄かに信憑性を帯びてきた。


「凪砂さん、敷地内から他に箱は発見されていないんですよね?」

「ああ、そうなると実際に魔物を誘い出すために用いられた箱は犯人によって回収されたことになるな……」

「恐らくは襲撃から事件発覚までの間に回収されたんだろう」


 あの騒動に乗じれば箱を回収するくらいどうということない。それに実行前の段階で箱が発見される可能性も低い。

 五月さんの人形は半自動設定にする場合、あまり複雑な命令を下すことはできない。あの時、五月さんは屋敷の付近にいる怪しい人物を警戒するように指示していただけだ。それなら小さな箱をどこか目の届かない場所に隠していれば、看過されてしまうことは起こり得る。


「あの襲撃の流れは大体こうじゃないか? まず、屋敷の周囲に匂いを発する箱を設置しておく。魔物は異界に伏せておき、すぐに動き出さないように眠らせるか何かして大人しくさせる」

「そして、時間が来て魔物が目覚めると、匂いに反応して活発化し屋敷に目がけて突っ走る――ってことか?」


 薬の量を調節しておけば狙った時間に魔物を目覚めさせられる。後は匂いを充分に行き渡らせれば魔物は勝手に行動を開始する。


「確かに辻褄は合うな」

「ちょっといいか。一つ気になることがあるんだが」


 俺の推理を聴いていた凪砂さんが口を挟んできた。


「狸くんが発見した箱には、ただの葉が入ってるだけだった。あの箱も君が言ったように魔物を引き寄せるために設置されたとしたら……どうしてあの箱だけ未使用の状態だったんだ?」


 凪砂さんの指摘に俺は言葉を詰まらせた。確かにその通りである。襲撃の計画者が箱を魔物を誘引するために置いたのだとすれば、箱は使用済みのはずである。


「……あの箱だけ使わなかった、ということは? 他に用意した箱で事足りたとか。あるいは、箱を設置した後使おうとする前にトリスに持ち去られたとか」

「ふーむ……」


 雫が意見を提示してみせるが、凪砂さんは唸るだけで返答しない。納得がいかないといった様子だ。彼女の意見は中途半端で“あり得ないこともない”程度の憶測に過ぎない。尤も、それを言うなら俺の説に穴があること自体中途半端であることの証左であるが。


 凪砂さんは静かに考え込んでいたが、一瞬その表情が曇った。彼女の薄く整った唇から聞き取れないほどの小さな呟きが漏れる。


「凪砂さん?」

「……ん? どうした由貴」

「いえ、何か気づいたように見えたので」

「そうだな……まず、本当にあの箱が魔物を誘導するために用意された物か、という点をはっきりさせてみるのはどうだろう。現時点では仮説の域を出ないからな。そこから推理を組み立ててみようか」


 俺は少し妙に思った。凪砂さんにしては珍しく歯切れの悪い言い方だ。いつも己の直感と行動力を軸にして動く彼女なら、こういう時もっとぐいぐい来ると思っていた。先程の様子からして何か気にかかっていることがあるのだろうか。


「……あの、例の襲撃で私たちが倒した魔物の死骸ってもう処分されたのですか?」


 唐突に雫がそんな質問を投げかけてきた。


「多分まだ処分していないと思うぞ。能力で操られた痕跡がないか調べる必要があるからな」


 血統種が絡む事件においては、いかなる能力が用いられたかを突き止めることが肝要だ。『同盟』には多種多様な能力に対応するための捜査官が置かれ、遺留品等からどんな能力が使用されたか絞り込む。完全に能力の正体を究明することは困難なので、過去の事件と比較して類推することも要する。


「死骸がどうかしたのか?」

「由貴くん、犯人がガリナの匂いを利用したとすれば、匂いの成分が魔物の死骸に残っている可能性はないか?」

「あ……」


 その手があったか、と手を叩く。言われてみれば単純なことなのに、今まで気が回らなかった。

 魔物の死骸は数百は存在する。雫が焼き殺した分は別として、ある程度原型を留めてさえいれば調べることはできる。


「死骸は回収されて調査に移っているはずだ。まだ報告書は提出されていないから、今も検査している最中だろう」


 死骸の数が多すぎて時間がかかっているのだろうと、凪砂さんは最後に付け足した。何か痕跡が残っている死骸が一つでもあればいいのだが。


「良い報告を待つしかないか……」

「そうだな」




 俺たちは西口に礼を言うと取調室を後にした。捜査官らが西口を連れていくのを見送り、当初の予定通り一階のレストランへと向かう。

 一階のエントランスホールへ下りた俺は、寧を呼ぶため仮眠室へ行くことを伝える。雫と凪砂さんは先にレストランで席を確保してくれるそうだ。


「そういえば加治佐さんは呼ばなくていいのか?」

「さっき一人で食べたそうだ。今は取材に熱中しているだろうし放っておいていいだろう」


 来るときは呼ばなくても勝手に来るだろう。あの人は自由に動き回らせても問題ない。ちゃっかりしているが面倒事を引き起こすことはないと信用していい。


 雫がレストランへと入っていくのを見届けた俺は、仮眠室へと向かおうとする。


 その時、レストランの前で凪砂さんが足を止めてじっとしていることに気づいた。


「凪砂さん?」


 まただ。手を顎に添え、何か考え込んでいる。


「どうしたんですか?」

「……いや、いろいろと新事実が明らかになったから考えを少し纏めようと思ってね」


 凪砂さんは俺に微笑みを返すと、雫を追ってレストランの中へと消えた。


「……」


 俺は凪砂さんの後ろ姿を見つめていた。

 彼女が最後に見せた笑顔は、いつも俺に向けるそれと何ら変わりなかった。

 だが、俺には何故かそれが作り笑いのように見えてならなかったのだ。

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