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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第七章 三月二十九日 後半
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理由、また一つ

 目を覚ました時、微睡がすぐに脳から離れずそのまま二度寝したい衝動に駆られた。脳内の血流が鈍いような感覚に苛まれ、頭を動かすのが嫌になる。目を瞑ったままでいれば再び夢の世界へ落ちそうだ。とはいえ本当に二度寝するわけにはいかない。

 時間を確認しようと思い、薄らと瞼を開き部屋に備え付けられている時計を見ると午後二時を指していた。眠りにつく前に確認した時は十二時半頃だった。一時間以上眠れたなら良しとしよう。

 寝ている間にベッドの端に寄っていたらしく、もう少しで落ちそうなところだった。起き上がり凝った上半身を大きく伸ばす。身体を動かしたことでベッドのフレームが軋んだ。


 その直後誰かが呻くような声がした。


「ん……?」


 声がしたのは俺の背後からだった。それもやや低い位置からだ。

 俺は振り返り、目にしたものを認識して固まった。


 俺が寄っていた方とは反対側の端に沿うように寧が横たわっていた。小さな背中を俺に向け、すうすうと寝息を立てている。ベッドが軋んで揺れると不快そうに唸る。


「おい、起きろ」


 寧の肩を揺するとまたも呻き声を上げたが、気にせず揺さぶり続ける。

 何度が繰り返した後、義妹は首を動かし寝惚け眼を向けてきた。


「ん……起きたの?」

「起きたの、じゃないだろう。何故、添い寝している」


 まず、そこが意味不明だ。凪砂さんと一緒に会議室へ行ったはずが、どうして仮眠室にいて、しかも俺と添い寝しているのか。大体このベッドは一人用である。


「世衣たちと一緒に事件の資料を読み漁っていたんだけど、私も疲れ気味だったからこっちにお邪魔したの。で、ここへ来たらあなたがすやすや寝ていたから“気持ちよさそうねえ”って眺めていたらそのまま私もうとうとしちゃって」

「隣のベッドが空いているだろう。横着するな」

「はいはい」


 俺がベッドの端に寄っていたのは、間違いなくこいつに押しのけられたからだ。全く迷惑な義妹である。


 そんな義妹は目を擦りながら欠伸をしている。その姿は普段と変わらない。

 しかし、軽く“同調”してみると何か精神のぶれのような乱れを感じる。


「……大丈夫か?」

「何が?」


 寧は素っ気ない調子で訊き返すが、訊ねた瞬間だけ乱れが大きくなったのがわかる。


「人が死ぬのを目の当たりにするのは初めてだったんじゃないか?」


 寧は押し黙った。気にしていたことを指摘されて恥じているように見える。

 常日頃から次期当主としての心構えを持つべきだと己に言い聞かせていた寧にしてみれば、たかが(・・・)人が死ぬのを目にした程度で動揺するのは情けないのだろう。『同盟』の主力を担う立場にあれば多くの死に触れることになる。生前の父親がそうであったようにだ。それにも拘らず、横山が死んだ時、寧は突然の出来事に呆けてどうしていいかわからない有様だった。そんな自分を未熟だと責めているのだ。


「……まあ、そうね。覚悟はしていたつもりだけど結構ショックだったわね。人が死ぬって、あんなにあっさりしているんだって」

「礼司さんを見つけた時は?」

「あれはまた別よ。お父様は血の繋がった家族なんだからショックの意味が違うわ。それにお父様にしろ信彦叔父様にしろ見つけた時は既に死んでいたわけだし」

「……そうか」


 そのあたりは別物だと割り切りはできているらしい。それならフォローは必要だが、あまり深刻に考え過ぎることもないだろう。これは経験を積んで慣れていくしかない。


「ねえ」


 今度は寧が何か質問したそうに見つめてくる。


「何だ?」

「他に訊きたいことがあるんじゃない? そんな顔しているわ」


 寧はシーツの上を這い、肌が触れ合うくらいの距離まで顔を近づけてきた。

 互いの瞳が交差する。俺は一切動じることなく寧の視線を受け止めた。


「……いいや、別に」

「そう」


 寧はそう言って再びベッドに横たわった。俺と違って二度寝するつもりらしい。

 俺は彼女に別れを告げると、仮眠室を後にした。


 廊下に出た俺は溜息を吐く。

 寧は横山との会話を俺に聴かれたと確信している。このまま隠し通すのは難しいだろう。

 あの様子からして寧にとって八年前の事件は心の枷となっているように思える。事件の記憶がほとんどなく、しかし何かが頭の中に引っかかる違和感だけはある。故に、欠けた記憶を取り戻すため必死になっているのだ。


 俺が悩んでいるのはそのことだ。

 果たして、このまま寧が過去を追うのを見過ごしていいのだろうか?


 礼司さんはあの事件の詳細を隠蔽した。そこには何か大きな理由があるはずだ。里見が言うような失態を覆い隠すためだけが理由とは思えない。ならば寧が真相に辿り着くのを止めるべきか?

 それを判断するには情報が不足している。何はともあれ、まず最初にやるべきことは一つ。


 事件の真相を知る人物に直接問いただすことだ。




 目的の人物はすぐに見つかった。仮眠室からエントランスホールに通じる廊下に出てから、ここへ来た時に彼女が去った奥の廊下へと向かうと、簡易飲食スペースにその姿を見つけた。


 小夜子さんは一面ガラス張りの窓から外の風景を眺めている。外には道を行き交う人々が見える。電話をしながら歩くサラリーマン風の男、小さな子供を連れた母親、ベンチに腰かけ音楽を聴く学生。しかし、小夜子さんの眼にはどれも映っているようには見えない。彼女の眼はずっと奥――まるで風景の裏側を見ているかのようだった。


「……小夜子さん」

「由貴、もう起きたの? 少しくらい寝過ごしても文句は言われないわよ」


 小夜子さんは俺に気づくとそう言った。

 俺は硬い表情を崩さずゆっくりと近づく。


「どうしたの? 眉間に皺が寄っているわよ」

「……小夜子さん、どうしても教えてもらいたいことがあります。俺の父さんと母さんのことなんですが」


 両親の話題を出した途端、小夜子さんの顔に影がかかった。それはほんの一瞬で、すぐに元通りになったが、彼女に動揺が走ったのは確かだった。


「あなたの御両親? どうして、そんなこと私に――」

「横山修吾が死ぬ前に漏らしたんです、八年前の事件のことを。さっき里見修輔にも話を聞きました」


 反論する暇を与えることなく俺は矢継ぎ早に二時間前に知ったばかりの証言を突きつける。

 今度は誰の目にも明らかなほど小夜子さんの表情が変化した。

 それを見た俺は、ああ、と胸中で呟く。ひょっとしたら里見の言っていたことは何もかも出鱈目ではないかと、心のどこかで期待している自分がいた。あの事件に隠された裏などないのだと。


 しかし、小夜子さんの反応はそれが紛うことなき真実だと流暢に語っていた。


「小夜子さんもあの現場にいたんですね?」

「由貴、私は……」

「寧はあの当時の記憶が不鮮明で、それを悩んでいるようでした。あいつもはっきり思い出せずに苦しんでいる。それに何か……それだけじゃない。あいつの反応は、何かもっと大事なことを忘れているような……」


 その時だった。

 椅子から立ち上がった小夜子さんが俺に近づこうとしたかと思えば……その小柄な身体がぐらりと仰け反り、そのまま後ろに倒れたのだ。


「小夜子さん!」


 慌てて小夜子さんの身体を抱きかかえると、彼女は側頭部を抑えながら痛みを堪えるように唇を結んでいた。

 頭が痛いのか?


「どうしたんですか? まさか小夜子さんも具合が……」

「いや、そういうわけじゃないのだけど……ちょっと昨夜はほとんど寝ていなくて」


 寝ていない?

 昨日は小夜子さんの手を煩わせるような出来事はなかったはずだ。浅賀邸の一件も警察が処理している。それとも他の『同盟』幹部との会談がうまくいっていないのか?


「ふう……ごめんなさい、心配かけて」


 小夜子さんはよろよろと床に足をつけると、近くのテーブルに手を置いて姿勢を整えた。


「もういいです、無理に話す必要はありません。小夜子さんこそ休んだらどうですか」

「……そうさせてもらうわ」

「ああ、でも仮眠室には寧がいるんですよね。どうしますか?」


 こんな話をした直後に顔を見るのは気まずいだろう。

 小夜子さんは首を振って答えた。


「プライベートルームに行くわ。ベッドは無いけどソファはあるから休めるでしょう」


 この建物の上階には幹部用のプライベートルームが設置されており、部屋の主は自由に使うことが許されている。最高クラスの実力を有する血統種の特権というわけだ。

 小夜子さんのプライベートルームは礼司さんの部屋の隣にあり、お互い気軽に部屋に招き入れていたらしい。


 おぼつかない足取りで去ろうとする小夜子さんの背中を見る。小さな身体が今はより小さく見える気がした。

 訊きたいことは沢山あるのに、そんな気になれない。泰然自若としている小夜子さんが精神的に参っている姿など滅多になく、その様子が俺に躊躇させた。


「……由貴、ごめんなさい。あなたの御両親のこと、今はまだ訊かないで。お願い」

「“今は”ですか」

「必ず……いつか話すから、その時まで待って」


 必ずと約束をしつつも小夜子さんの表情には迷いがあった。できるなら話したくない。そんな本心がありありと表われている。


「わかりました。俺も今はそれで構いません」


 収穫はゼロではなかった。里見の証言に裏がとれただけでも良しとしよう。

 小夜子さんは弱々しく微笑むと、頭を押さえながらよたよたと歩く。付き添おうかと


 小夜子さんが去った廊下の角をぼんやりと眺めていると、背後から声がかかった。


「想定していた以上に厄介事が絡んでいるみたいッスね」


 加治佐牡丹が柱の裏からひょこっと顔を出す。いつから隠れていたのか。


「凪砂さんたちと一緒じゃないのか?」

「ほら、一応私ってジャーナリストじゃないッスか? 折角『同盟』本部にお勤めしている方々と逢える機会に恵まれましたし、ここで顔を広げておこうと思いまして。各務医師の救出に一役買ったということが好評だったので、隼雄さんにお願いしていろいろな方に紹介してもらっていたんスよ。終わった後は一足お先にレストランでお昼ご飯を堪能してきたッス」

「調子が良いな」


 そう言いつつも、この楽天的な態度に触れていると気が休まるのがとても有難かった。

 天然か、計算か。加治佐の場合は後者だろう。


「さてと、名取さんの隠し事についてですが……実を言うと、これは私の方でも既に掴んでいたッス。知ったのはつい昨日のことッスけど」

「本当か?」

「私を甘く見ないでほしいッスね」


 加治佐は得意げにウインクをしてみせる。


「私の知り合いに村上さんっていう元記者がいるんスけど、その人が現役時代に追っていた鋭月が関与した事件に最上夫妻の死亡事件もあったッス」


 加治佐は小夜子さんに疑惑を抱くまでの経緯を掻い摘んで説明してくれた。

 父さんと母さんが発見された現場で小夜子さんが目撃されたこと。その事実が何故か伏せられていたこと。病院に通報したのが小夜子さんであったこと。

 どれも初めて耳にする話だった。


「どうして名取さんが事件に関与していた事実が伏せられていたか。これが疑問だったッスけど、先程の話を聞くに寧さんが現場に居合わせた事実と関係しているっぽいッスね」

「……父さんと母さんは礼司さんと接触して、鋭月の打倒を目指していた。そのために浅賀を引き込もうとしたが交渉は失敗して戦闘になり、結果二人は死んだ」

「そして、あなたは御影礼司に引き取られた」


 礼司さん――亡き養父の顔が脳裏に浮かんだ。

 俺を育て、鍛え上げてくれた第二の父。

 その彼が実父の死の真相を覆い隠していた。


「礼司さんが俺を引き取ったのは父さんと母さんを助けられなかった罪滅ぼしのためだったのか?」

「そう考えるのが妥当ッスね。ただ――この事件には裏がある。名取さんの反応からしてそれは間違いないッス。恐らくは御影礼司も知っていて秘匿していた」

「……」


 八年前の夜、氷見山公園に多くの人々が集まった。

 俺の両親、礼司さん、小夜子さん、里見たち鋭月一派の連中。

 そして、寧。


 あの夜、一体何が起きたのか。

 寧は何を忘却してしまったのか。


「他に真実を知る人物がいるとすれば、それは二人が死んだ時にその場に居合わせた者だけッス。寧さんと名取さんを除けば二人。一人は死んだ横山修吾、もう一人は――」

「浅賀善則」


 まさかこの男が両親の死にも関わってくると予想できただろうか。

 ほんの数日前に初めて知ったばかりの写真でしか顔を見たことがない男。そいつが俺の人生を左右する大きな要因となっているだなんて。


「……何としてでも行方を突き止めないとな」


 この男を探す理由がまた一つ増えたようだ。

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