闇の世界の血統種
秋穂さんが昔語ってくれたことがあった。
彼女は両親の顔を知らず物心ついた時には既に孤児院で暮らしていたという。両親がいない理由について孤児院の大人たちは何も話してくれず、十代半ばの頃に初めて訊ねてみたところ施設の前に置き去りにされていたのを見つけただけで何もわからないと教えてくれたそうだ。
そんなことだろうと予想はしていた秋穂さんであったが、いざ訊いてみるとその答えに落胆した。人見知りが激しく周囲に馴染めなかった彼女は他の子供たちが興味を抱く事柄にも関心を寄せず、日々読書や能力の訓練に没頭する毎日であった。そういった日々の中において己の出生に関する謎にはちょっとした期待を寄せていたという。
だが、返ってきたのは何の面白味もない「わからない」という答え。精々判明した事実といえば、身体検査の結果明らかとなった闇育成の犠牲者であることくらいだった。
「世界各国で問題となっているのが、血統種育成を手掛ける闇ビジネスです。『同盟』発足以降に摘発される“飼育業者”は後を絶ちません」
“血の深化”を商売にする犯罪組織は、主に東南アジアや南米で深刻な問題となっている。
これらの犯罪組織は“飼育業者”と呼ばれる。血統種の子供を誘拐または人身売買によって手に入れ、子供を産ませ、生まれた子の能力を希望する買い手を探し出して高値で売りつけるのが仕事だ。
『同盟』にとって“飼育業者”の撲滅は絶対的な課題だ。過去にも日本の大規模な“飼育業者”が礼司さんと小夜子さんによって殲滅されたことがある。
“血の深化”そのものは何ら違法ではない。問題となっているのは血統種の子供が育てられる環境の劣悪さだ。
能力を代々継承していく中で強化していくというのは、言うまでもなく先の長い話だ。子や孫の理解を得られなければ途中で失敗に終わる可能性は高いし、目当ての能力の保有者を探そうとすればコネや財力も必要となってくる。何より結果が目に見える形ですぐ表われるとは限らない。今は大したことのない能力でも将来はきっと――そんな途方もない夢を追い続ける根気だけが寄る辺の行いである。
だが、迅速に変化を欲しがって外法に手を出すことを厭わない者がいる。
能力には成長を司るものがある。一般に成長系能力という。
成長系能力はその名の通り動植物の体に干渉し、急激な成長を促したり、逆に成長を遅らせたり止めたりすることができる。
組織的“飼育業者”の中にはこれら成長系能力の保有者が含まれていることが多く、彼らはこの力をもって飼っている血統種の子供を短期間で成人まで成長させ、子をつくらせるのだ。
「“飼育業者”に関して特に問題となっているのは成長系能力の行使による虐待だね」
「はい、違法な成長系能力の行使で死亡する子供の数は年間四百人以上に及んでいます」
能力を利用した成長は法律で禁止されており、これを犯した者への処罰は厳しく定められていう。
何故、禁じられているのか。
承知の通り能力を身体に受けるということは、身体へ大きな負荷がかかることを意味する。著しい効果であればあるほどその負荷も跳ね上がっていく。
では、乳幼児を成人まで育てるのにどれだけの負荷が必要だろうか。試算によれば礼司さんの“天候操作”で周囲三キロの天候をおよそ半日にわたって操作し続ける程のエネルギー量だ。この量をざっと二週間から一ヶ月に分けた負荷を子供に与えるのだ。血統種でなければ即死しているだろう。血統種であっても死ぬことは珍しくないが。
そんな事情から能力の成長は原則禁止とされている。この能力を合法的に使用できるのは国の認可を得た研究機関くらいだ。
「成長系能力による死亡の原因は、成長する際に体内のカロリー他各種栄養素が急激に失われることによるショック死です」
「……そして、生き残ったところでまともな生活は送れない。知識を与えられることもなく、冗長を育むこともなく、ただ次の世代の子をつくるための素材として扱われる。いやあ、夢も希望もない話ッスね」
実際にあった話だが、ある“飼育業者”の施設を潰した後、そこに閉じ込められていた血統種を保護したところ、その中に十代後半の身体を有していながらほんの三、四歳程度の知能しかない血統種がいたという。肉体の成長に対して精神の成長が追いつかなかったケースだ。
交配用として残される血統種はほぼ一生を軟禁された状態で過ごす。外の世界を知ることのないまま新たな商品を製造することだけを命令され、抵抗する意思も芽生えないままただ従うのみ。それは奴隷ですらない。
そうして闇の中で人生を過ごした後、哀れな人形はひっそりと処分される。
「業腹な話ですが、摘発される“飼育業者”は末端の構成員が大半を占め、元締クラスは尻尾切りで逃げおおせることが多いのです。連中の持つ施設をいくら潰してもまた次がつくられる。そして、犠牲者は増えていく」
ここで秋穂さんは一旦アイスコーヒーに口をつけた。珍しく長々と喋り続けたので疲れたのかほうっと息を吐く。
「……前置きが長くなりましたが大事なのはここからです。“飼育業者”から“血の深化”に必要な血統種を購入する客がいるというのは今申し上げた内容からわかる通りです。しかし、客の中には既に育成された商品ではなくまだ子供の状態の商品を求める者もいるのです。それも優良な商品ではなく“失敗作”と呼ばれるものを」
「それはまたどうして?」
雫の疑問に答えたのは加治佐だった。
「さっき布施さんもちょっと触れてたッスけど、血統種を育てるのを育成シミュレーションか何かと勘違いしている馬鹿がいるんスよね。そういう輩が“飼育業者”から不要な子供を買い取ってペット感覚で育てるんスよ。業者側からしても大して価値のない子供を買ってくれるから有難いってわけッス」
「そして困ったことに、そんなブリーダー気取りは育成に手間をかけるのを惜しむことが少なくない。遊び気分で子供を買い取り、世話もろくにしない、健康管理にも気を遣わない……そんな奴って最後はどうすると思う?」
加治佐の言葉を引き継いだ隼雄さんが雫に問いかける。
雫はしかめっ面をしながら回答した。
「……途中で飽きる、あるいは投げ出す」
「正解。で、そんな馬鹿が邪魔になった子供をどうするかというと、どこか適当な血統種専用の孤児院に押しつけるのさ。施設の門前に置き去りにしてね」
「それでは……」
雫の視線が秋穂さんへと向く。その視線を受け止め、秋穂さんは頷いた。
「ええ、私と里見もそうした過程を経て孤児院へやって来た子供でした。そして――鋭月はそんな子供たちに目をつけたのです」