『同盟』誕生
病院一階のラウンジに並ぶソファに身体を沈めて俺たちは寛いでいた。
全員が自動販売機で買った紙コップ入りのジュースやコーヒーを手にして一息つき、乾いた喉を潤している。
里見との面会はいくつか質問をしたが大した収穫もなく終わった。秋穂さんが同じ場にいるということで多少口は軽くなったようだが、自分の仲間に関する情報など核心に触れる話題にはあまり話したがらなかった。それでも対立派の中心人物にしては充分すぎるほど証言が多かった。
実際に里見と秋穂さんが言葉を交わすことは一度もなかった。ただ、秋穂さんは時折里見へ縋るような視線を送っていただけだ。そうすると里見の眼が若干泳いで、重い口が開いたのだ。恋情によってこうも簡単に心を揺らすのを見ると呆れる気持ちが湧いてくる。
そんな男の心を弄んだ張本人はアイスコーヒーを片手に俺の向かい側に座っている。
秋穂さんはあまり見たことのない表情を浮かべていた。無表情であるのはいつもの通りであるが、瞳に憂いが見え隠れしている。それはまるで遠い記憶に想いを馳せているかのようであった。
心当たりは里見の言葉の中にあった。
血統種が陰でどんな扱いを受けているのか。それから、鋭月が救われない血統種に手を差し伸べてきた事実。
彼女がその言葉に反応しているのは明白だった。
「血統種とは異質な存在です」
秋穂さんが唐突に語り始めた。
傾けた紙コップの中で氷がぶつかり合う音がする。
「人と同じ姿形を持ちながら、魔物と同じ強大な力を振るう――それが人間の社会に溶け込んでいる。一部を除いて外見で区別をつけることもできない。指先一つで簡単に人を殺せる力を持つ生き物が闊歩している世界というのは、本来であれば異常です」
まるで教師が生徒に対して授業をするように、秋穂さんは淡々と説明する。
俺たちはそれを黙って聴いていた。
「事実かつての血統種は人里離れた場所に住んでいるのがほとんどでした。人間に紛れて生きるのは息苦しい。恐れられ、怯えられ、利用され、捨てられる。持って生まれた力とは裏腹に惨めな生き方をする者は少なくありませんでした」
人間と魔物の混血は遥か昔から存在する。彼らは秋穂さんが言うように山奥や森林の中で暮らすことが多く、人の前には滅多に姿を現さなかった。人に紛れて暮らす者はというと大抵は時の権力者の元に匿われており、その権勢を維持するために能力を振るった。ある時は天災を引き起こし領内に攻め込んだ敵を一掃し、ある時は政敵を闇に葬る。そういった後ろ暗い仕事を任せるためにだ。
このような血統種は地方の説話集にも度々登場する。話に残る彼らの姿は、当時の民衆から見た血統種がいかに恐ろしく捉えられていたかを如実に表していた。
「それからもう一つ、亜人型の魔物と血統種の一番の違いは異界を構築できるか否かです。血統種は異界を構築する術を持たない。これも魔物の中に混じって暮らすには不利な要素となります。したがって、血統種が人間の世界で生きる選択をすることは珍しくありませんでした」
当初は意外に思われていたことであるが血統種に異界構築能力は備わっていない。親や祖先が有する固有の性質は継承しているにも拘らず。
この点が亜人型の魔物と血統種の明確な相違点だ。異界を独自に構築できれば魔物であることの証明となる。
「血統種もこの人間の世界と交わらずに暮らすべきでした。ところが、その常識が変化していったのがもう百年近く前のこと――この街の重鎮たる御影家、名取家、香住家に魔物の血が入りだした頃からです」
血統種がその数を徐々に増やしていったのは近代以降のこと。即ち、秋穂さんが言う御三家の活動が血統種との共存へとシフトしていった頃からだ。
「御三家たる彼らが中心となりこの街の人間と、近辺の大型異界の主である魔物との間で不可侵の取り決めが交わされ、トラブルは大きく減少しました。この協定は比較的スムーズに結ばれましたが、その背後には両者の共通の敵である別の異界の影がありました。人間と魔物のみならず、魔物同士でも争いは頻発していた。これが悩みの種だったのです」
近代日本史における重要な事件の一つに『ヘメナ事変』がある。
関東に位置する異界ヘメナの魔物が近場の小規模異界に攻撃を仕掛け、激しい戦闘が何度も発生した。
両者に数の差はあったが小規模異界の側にも優れた能力の使い手が複数おり、ヘメナは攻めあぐねて戦況は膠着を維持する。この間、戦闘の煽りを受け日本の民間人にも多数の犠牲者が生じることとなり当時の政府は対策を迫られた。
そんな中、政府は小規模異界側に手を貸し、ヘメナの魔物に対抗する方針を固めた。
この争いの顛末についてはこれ以上深い解説は必要ない。最終的に日本と小規模異界の連合が勝利したことは誰もが知っている事実だ。
重要なのはここから先だ。ここで政府は一つの大きな判断を下した。それはこの事件を機に異界との交流を推進する方向へ舵を切ったことだ。
近代化が進む最中にあった日本は他国との競争力の差を埋めるために魔物の力を借りようとした。これは当時世界でもあまり例を見ない判断であった。人間にとって魔物とは外見こそ似通っているがその内面は異形そのものだと忌避する声がほとんどだったからだ。
それでも日本政府はその案を推した。ヘメナとの戦いで小規模異界と共闘した際に、共闘相手との間に良好な関係を築くことができたのが理由だった。
「互いの生存のために強固な関係を築くには、どうしても長い時間と地道な説得が必要でした。ここで血統種の出番です。血統種とは実に都合の良い存在でした。政府は御三家に対し、日本と小規模異界側双方の調整役を任命しました。というのも交流のない両者を繋ぐには人間と魔物の社会や文化について知識のある者の活躍が不可欠だったからです。この件で御三家は政府とのパイプを得ることに成功しました」
御三家はヘメナ事変の発生より以前から、血統種の力を活かし国を発展させる見通しを立てていた。
魔物の血を家に入れたことからして御三家は魔物に対する偏見が元から薄かった。古い家柄の割に凝り固まった慣習に左右されることなく柔軟な思考を有していた当時の当主たちは、他の旧家からの批判を受け流して魔物との共存の道を模索していた。
彼らにとってヘメナ事変は転機であった。逼迫した状況を理由に異界の主と接触し、争いが終わった後も交流を維持する。共通の目的で肩を並べあった関係というのはある程度心の壁を取り除くことに貢献し、細々とした人や物の行き来が始まるようになった。
十年、二十年と時が経つにつれて、御三家は力をつけていく。異界から持ち込まれた品は民衆の関心を惹き、その中でも薬効のある植物は重宝されるようになった。
この頃に、現在でも国内外で大きなシェアを獲得している製薬会社がいくつも設立された。天狼製薬もその一つである。この流れは日本のみならず世界でも見られ、この時代に世界の医学は飛躍的な成長を遂げる。
目覚ましい成果は莫大な利益を生む。異界と魔物の力が商売になると知った企業は我先にと各地の異界へと商談に赴いた。
こうして金と技術により人間と魔物の間にあった障害は破壊されることとなった。
一連の流れを御三家がどこまで読んでいたかはわからないが、齎された結果は上々であった。
彼らは最後に交流のある異界全てと協定を結ぶよう政府に進言した。ヘメナのように争いを繰り返す異界は大小問わず各地に点在していた。これらの異界に対抗するための正式な協力関係を構築するためだ。この協定も御三家が主導した。
「こうして人間と魔物の協定は恙なく締結され、この協定を維持するための組織を設立することになりました。歴史の授業でも習ったと思いますが、この組織の誕生にも御三家が深く関わっています。最早説明する必要はありませんが、その組織とは『人魔防衛同盟』――通称『同盟』です。ここテストにも出ます。正式名称はお間違えのないように」
かくして『同盟』は誕生し、今日に至るまでこの国と異界の安寧を守り続けている。