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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第七章 三月二十九日 後半
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新たな疑問

 雫と加治佐を呼び各務先生から聞いた話をしてみせると、雫は予想通りの反応を示した。

 最初は冷静な様子だったのが徐々に表情が暗くなっていき、糸井夫妻が殺害された段に至っては鬼の形相になっていた。

 掌を握ったり開いたりしてはそこから溢れる炎が周囲の空気を熱する。熱気に晒されるのとは裏腹に俺は心底震えるような感覚に襲われ、嫌な汗が額を伝う。

 危険な雰囲気を感じ取ったのか警官たちは遠巻きにこちらを眺めていた。


「……落ち着いたか?」


 雫が元通りになるには若干の時間を要した。

 敢えて何も言葉をかけずに時間が過ぎるのを待ち、彼女自身で心の整理ができるよう祈るだけだった。


「ああ、すまない。心配をかけたようだな」

「仕方のないことだ。こんな酷すぎる仕打ちはない。ましてや自分の親友がその標的にされたなんてな」


 雫は凪砂さんに穏やかに微笑みを返すと、目を細めてこちらを向いた。


「ところで由貴くん、鋭月が収容されている特別刑務所というのは一体どこに――」

「もう少し冷静になる必要があるな」


 放っておけば鋭月のいる監獄へ特攻を仕掛けそうだ。友人を放火犯にさせるのは忍びないので全力で止めよう。


「冗談だ。尋常でない状況だからこそ慎重に行動しなければな」


 雫は苛立ち紛れに大きく息を吐いた。


「……それで、これからどうするのだ?」

「大きな謎が一つ片付いたことだし一度方針を見直そうかと思う。次は何に手をつけるべきか……」


 全ての発端ともいえる鷲陽病院火災の真相は暴かれた。これで過去の事件を巡る謎の全体像は凡そ判明したと言っていい。

 後はそれぞれの出来事を繋ぐ空白を埋めていくだけだ。


「まず、大きな謎が三つ残っている。信彦さんを殺害した犯人を突き止めること、それに関連して魔物襲撃の原因を探ること、消えた浅賀たちの行方を追うこと」


 前者二つは有力な手がかりに乏しい。これまでの捜査が浅賀の裏を探ることに集中していたので当然ともいえる。何しろ辰馬さんから五月さんと浅賀の関係を教えてもらってからずっとかかりきりだったのだから。五月さんが隠れた裏切り者である可能性があったので、結局片づける必要はあったのだが。


「殺人事件の捜査か……そちらの方は警察に任せきりだったから全然経過を知らなかったな」

「残念ながら犯人を示す証拠は未だ発見されていない。不審な点はいくつかあるがな」

「事件当時のアリバイもほぼ全員に無いんですよね?」


 事件が発生は魔物の襲撃と前後している。襲撃時に邸内にいた人たちの行動をある程度把握できているが、襲撃前となると誰のアリバイも判然としない。

 確実に言えるのは犯人があの時屋敷の敷地内にいた誰かということだけだ。メイド人形が周辺の警戒をしていたこと、監視カメラに誰も映っていなかったことから外部犯の可能性は否定できる。


「今までの捜査の延長線になるが、浅賀の行方を追うのが一番ではないか?」


 それが手っ取り早いのかもしれない。浅賀の居場所がわかれば、同時に紫や九条の居場所も知ることができる期待がある。

 殺人の捜査については後で凪砂さんに詳しい進捗を訊ねることにしよう。


「浅賀の行方を追うなら、やはり新たに用意した研究施設の場所を突き止めるのが早い。恐らく奴もそこに隠れているはずだ」

「研究施設か……そこから足を辿れるかもしれない」

「施設から足取りを追えるのか?」


 雫が不思議そうな顔を見せる。


「鷲陽病院ほどの施設を新たに建てるのは難しい。だから既存の建物を研究施設として流用するしかない。加えて研究施設としての用途に適した建物はそう多くない。魔物の亡骸の保管するための部屋、夏美さんを拘束するための部屋、各種計測器の設置――ある程度大きな建物でないと駄目だな」


 夏美が鷲陽病院の跡地にいることを知った後から新しい施設を求めていたとして、当時周辺が慌ただしかった鋭月が資金を提供できるわけがない。金を与えてもらったところで使途を問い質されても困るので、浅賀は自分の金で建物を確保したに違いない。

 浅賀は病院の跡地を機密保持という建前で島守院長から譲り受けたそうだが、買い取ろうとしなかったのは新しい建物を購入するための金が必要だったからだと推測できる。奴個人ではあまり大きな額を工面できなかったのだろう。


「浅賀がどこからか建物を買い取ったり譲り受けたりしたなら、一番考えられるのは仕事柄知り合った人たちか?」


 火災後に始めた医療コンサルタント。これも元々は研究施設として使えそうな建物の情報を集めるのが目的だったと考えれば筋は通る。そうであれば奴の顧客の中に建物を提供した会社があるはずだ。


「調べてみる価値はありそうだな」

「お願いします。じゃあ、その間は何をしようか……」


 俺がそう言って皆の顔を見回した時、ずっと沈黙を保っていた加治佐が手を挙げた。


「私から一ついいッスか?」


 全員の視線の一身に受けた女記者は片目を瞑りくすりと笑う。

 その顔は何かの閃きが舞い降りたことを告げていた。


「今回の事件を踏まえた上でちょっと話を訊いてみたい人がいるんスよ」

「話を訊きたい人……?」

「収穫が得られるか難しいところッスけど、駄目元で当たってみるのも悪くないと思いまして」


 今回の事件と関わりがあり、収穫を望めない可能性が高い人物。

 思い当たる人物が一人いた。

 雫と凪砂さんも俺と同じように理解したらしい。


「まさか……里見か?」

「ええ、夏美さんの秘密を暴いた今なら口を割らせることができるかもしれません。それと横山修吾が死んだことを伝えて反応を見たいッスから」

「横山を殺した犯人に心当たりがあるかもしれないか。素直に応じてくれるか?」

「実際に訊いてみないことには何とも言えないッスね」


 鋭月一派の残党がこの街へ潜入したのは十中八九各務先生の誘拐が狙いだ。そして、先生を誘拐したのは九条詩織の居所を掴み、ひいては浅賀の居所も掴むためだ。その意味では俺たちと目的を同じにしている。

 また、夏美の再誕を研究していたことも暴かれた今となっては口を閉ざしたままでいる理由も薄い。

 俺たちが捜査を順調に進めていく様を指を咥えて見ているよりは、こちらから情報を引き出そうと考えることもあり得る。向こうはきっと脱走を諦めていないはずだ。俺たちとの接触を受け入れる利はある。


 だが、共通の目的が協調の根拠になるとは必ずしも言えない。特に里見は鋭月第一の側近であり、『同盟』を敵視している男だ。場合によっては何も語らずという結果になる恐れがある。


 それでも試す価値はある。




 方針を決定し終え、俺は寧を探しに埠頭の端へと赴いた。

 彼女はすぐに見つかった。テトラポッドの山の上に腰を下ろし、静かに水平線の先を見つめていた。風に揺れる髪が顔にかかり表情が窺えない。


「寧、大丈夫か?」


 声をかけると寧はゆっくりと顔を向けた。どことなく気が沈んでいるように見える。


「……ええ、心配かけてごめんなさい。突然の出来事だったからちょっと驚いちゃって」


 寧は魔物との戦闘経験は多いが対人戦は全くと言っていいほどない。血統種の犯罪者と戦う機会は学生の身ではあまりない。特に寧の年齢なら基本的に魔物との戦いで経験を積むことに終始する。精々が訓練で()り合うくらいだ。

 それ故に人死にを目にするのは今回が初めてのはずだ。相手が対立派のメンバーといえどもショッキングな光景には違いない。動揺するのも無理はないことだ。


 ただ――理由はそれだけではないと俺は確信している。

 横山が死ぬ前に口にしていた言葉。あれも動揺の原因だ。


 寧は俺が会話を聴いていたことを知っているが、自分から語るつもりはないようだ。俺はこの点についても里見に訊ねてみようと考えている。

 不用意に踏み込むのは危険かもしれない。それでも放置しておけないと思った。横山の言葉に戦慄(わなな)いていた彼女の態度が言い様のない不安を掻きたてるのだ。


 寧と共に戻り、皆でパトカーに乗り込む。

 話し合いのために全員で行動を共にしようということになり、アンコロには屋敷での待機を命じたのだ。アンコロはしょんぼりしていたが、田上静江を相手に大立ち回りを繰り広げたことを褒められると機嫌を良くしていた。


 移動を開始してからしばらく寧への説明に時間を費やす。ある程度簡略化しての説明であったが、寧はすぐに要点を押さえてくれた。


「そうそう、折角ですから新たに浮かんだ疑問点についても話し合っておきましょう」


 寧が話を充分に理解したのを確認した加治佐が突然話を切り出した。


「新たな疑問というと、火災の時に現われた男のことか?」

「それも含めてッスね。皆さんは九条詩織の証言におかしな点があることに気づいたッスか?」


 おかしな点?

 加治佐を除く俺たち四人は顔を見合わせるしかなかった。


「……ええと、私は思いつかないな。由貴くんと凪砂さんは?」

「話の内容が衝撃的で細かい部分に注意を向ける余裕がなかった」

「私もだ。何か問題があったのか?」

「そりゃあるに決まってるじゃないッスか。一番基本的なところから矛盾してるっスよ」


 加治佐の言い方から察するに誰でも気づくようなレベルの矛盾らしい。

 俺が首を捻っているのを見ると、すぐに答えを披露してくれた。


「九条詩織によれば、浅賀は談話室に糸井夫妻を呼び出して殺害したんスよね。その後、夏美さんが変異を起こして大騒ぎ。地下フィールドにいたスタッフは全員殺され、浅賀たちは命辛々逃げ延びた……おかしくないッスか?」

「……?」

「忘れちゃったッスか? 事件当時にも報道された内容ッスよ。糸井夫妻の遺体は他のスタッフ同様地下フィールドで(・・・・・・・・)発見された(・・・・・)んスよ。談話室じゃないッス」


 加治佐の言葉で俺はようやく事件の概要を思い出した。

 事件を追い続けていた雫すらもやっと気づいたと目を丸くしていた。


「……そうか、すっかり忘れてた」

「まだあるッスよ。夏美さんは両親を蘇らせようとして能力を発動させたけど、傷が治っただけで息は噴き返さなかった――これも変ッス。だって発見された遺体にはちゃんと刺し傷が(・・・・・・・・・)残ってた(・・・・)ッスよ?」


 確かにこれは見過ごせない矛盾だ。些細な勘違い、思い違いでは済まされない程の食い違いである。

 この証言は各務先生を通じて又聞きしたものだが、話が歪んだわけではなさそうだ。この二つの矛盾は事件の流れにも関わる点だからだ。


「確かに変だ……じゃあ九条さんは嘘の証言を?」

「それは無いと思うッスよ。単に憶測ッスけど」


 加治佐は雫の考えを否定した。

 憶測という割には言葉に確信の色があった。


「ふむ、その根拠は?」

「一つ目、各務先生に嘘偽りを述べる理由がない。彼女は先生に事情を明かした後、夏美さんの保護がスムーズにいくように『同盟』への橋渡しをお願いしたッス。これはほぼ間違いなく事実でしょう。これが嘘だったとして『じゃあ真の目的は何か?』と言われれば何も思いつかないッス。先生には浅賀の元から離脱するまで事を内密にするよう頼んでますし、特別何か行動を要請したわけじゃないッス。他に目的があって巻き込む意図があったならもっとなアクションを仕掛けてるはずッスよ」


 その通りだと俺は納得した。

 各務先生はこれまで九条のためにしたことは何もない。彼女のために便宜を図るのも全ては夏美を保護した後の約束だ。九条の相談に裏の意図があったなら先生には何らかの役割が課せられているはずだが、実際には何もなく九条は姿を消している。


「二つ目、他の意図があったとして彼女の立ち位置が不明瞭。九条が先生を騙していたとしたら、彼女は一体どの勢力についているんでしょうね? 浅賀は違うッスね。浅賀が鋭月を裏切ったことを明かすのは弱みを見せることに繋がりますから。鋭月一派もないッス。でなければ連中が九条さんとの接点があるからと先生を誘拐するのは不自然ッス」

「それなら浅賀から離反したいという言は真実と見做していいか……」

「じゃあ九条さんの告白が正しいとして、遺体の矛盾はどう説明するの?」


 寧の言うとおり九条の真意とは無関係に証言の矛盾は存在している。

 これをどう解釈すべきか?


 俺はその矛盾を解決する鍵となりそうなもう一つの疑問を頭に浮かべていた。


「……報道されている内容との食い違いは彼女自身気づいていたと思うッスよ。それを敢えて言及しなかったということは、恐らくその理由が言わずとも明らかだったから――そう考えていた場合ッス」

「例の男、か」


 九条を魔物から助けたという正体不明の男。

 彼こそこれらの問題を解決する答えとなり得る唯一の存在だ。


「証言が真実なら可能性は一つだけッス。遺体の発見場所が異なっていたのは、彼女が地下から去った後に遺体が地下フィールドへ運ばれたから。では、誰が運んだのか? 一人しかいないッスよね。だってその男は糸井一家を探してやって来たと明言して、さらに夫妻の死を知って地下に留まる意思を見せていたんスから」

「しかし、この推測だけじゃ刺し傷の問題は解決しないな。男は糸井夫妻を……発言から察するに多分助けるつもりで来たんだろう? だが、状況的に二人を刺したのもその男ということになってしまうが……」

「そこが新たな問題点ッスよ。二人を刺したのがその男なら、その理由は何か?」


 助けに来た相手を刺すなどどんな理由があれば行えるのか。常識的に考えれば全く意味の分からない行動だ。しかもその相手はとうに死んでいたというのに。

 証言の中の男は至って正気であるように思えたし、言動にも不審な点はない。

 一体男は何がしたかったのだろう?


「九条が逃げた後に何が起きたか――そこだな」

「彼女の証言からして廊下まで火が及んでいなかったのはその男の能力が原因だろう。火が回るのを抑えてその間に目的を果たしていたんだ」

「竜の動きを封じ込めたり、炎をかき消したりする能力か……」


 真っ先に思いつくのは行動を阻害する系統の能力だ。竜を押さえつけたのは身体を束縛する効果の能力。炎を消したのは自然法則に干渉する効果の能力。その両方の特性を持つ血統種は数が限られるはずだ。

 恐らく検査棟のセキュリティを無効化したのもこの男だ。無効化の手段にも能力が用いられたとしたら素性を割り出す糸口になり得る。


「遺体を刺したり運んだりした理由……まあ、思い当たる節が無いわけでもないッスけど」

「何か思いついたの?」


 寧の問いかけに加治佐は首を振った。


「それは考えが纏まってからゆっくり説明するッスよ。そろそろ病院に到着するッス」


 窓の外に目を向けると、『同盟』傘下の病院が景色の隙間からその姿を晒していた。

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